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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
1 魔導人形は夢を見る
2/96

一 遺構都市エフタ

 どこまでも続く赤銅の砂漠。

 高い蒼穹には光り輝く恒星が自らの存在を誇示している。その他には植生を示す緑はもちろんのこと、空を映しだす水の青もどこにも見受けられない。点在する廃墟とも相まって、まさに摩耗しきった大地と呼べるだろう。


 この癒しなき不毛な荒野の中に、一つの動く人影があった。

 身の丈は百六十から百七十ガルト【※1:1ガルド=1㎝】程度といった所。赤黒い砂塵の色に近い、くすんだ赤い外衣をまとっている。

 その人影が地表を埋め尽くす瓦礫の一つ、自身の半分近い大きさの人工石に取り付いて、どうにか動かそうとしている。傍らには柄の中程がへし折れた道具(シャベル)。常の酷使に耐えかねて、職場放棄をした(限界を超えた)結果である。


 この瓦礫を相手に悪戦苦闘する人影だが、名をクロウ・エンフリードという。

 現在地より大凡で十アルト【※2:1アルト=1㎞】の距離にある都市に住む少年で、廃墟や荒野で旧文明の遺物を収集する事を生業としている。彼が奮闘しているのは瓦礫の下敷きになっている旧世紀の遺物を探し出す為であった。


 旧世紀の遺物とはかつての文明の残滓のこと。

 古くはこの世界、この星の全てを支配し、遥か空の彼方にまで勢力を広げていた旧文明期の産物である。今の人類が創り出す物よりも様々な面で優れている物が多い。


 それ故に、それらの遺物を欲する者は数多く存在する。

 だが、一日で世界を三度焼き尽くしたと伝えられている大災禍、断罪の天焔を潜り抜けて、往時の姿を残している遺物はそう易々と見つかるものではない。

 実際に見つかる物のほとんどは、強烈な熱によって溶かされた何かの塊であったり、時と自然環境による風化で一部分だけを残した代物であったりと、往時の姿形を遺した物にはまず出会えないのが現実である。


 とはいえ、完全無欠に姿を遺した物にしか価値がないという訳でもない。

 たとえ一部の部品しかなかったとしても、寄せ集めれば元の姿形を取り戻せることもあるし、様々な幸運に恵まれた場合は寄せ集めで作った代物であっても、作られた時分と同じように作動する事もあったりするのだ。

 付け加えれば、一部品であっても状態の良いものは、しかるべき道具を用意して加工を施せば、今現在作られている物品で使用できる。また物として使用できなくとも、溶鉱炉等を使って素材に戻して再利用することができる。


 つまり、どんなものであれ、遺物であれば一定の価値が付けられるということであり、価値があるならば金になるという訳である。

 そして金になるとなれば、それで稼ぐ者が現れるのは人の世においては当然のこと。どれほど厳しい環境であっても、様々な危険が待ち受けていたとしても、金になるならば人は行く。

 こうして瓦礫の中を徘徊したり旧世紀の遺構内を探索したりして、過去の名残を収集する事を生業とする者達……グランサーと呼ばれる存在が現れることになった。


 先の少年もその一人。

 どうやら安定した足場を見つけたようで、分厚い革グローブを着けた両手を瓦礫の下に差し込んだ。確保した足場を踏みしめて腰を落とす。それから両足の指先より踵、足首、脹脛、膝、大腿部を経て、臀部、背中と腹、胸部に両肩と首筋、両の上腕から指先に至るまでの筋肉や関節、その全てを連動させて力を生み出し、人の手には過ぎた大重量物に挑み始めた。


 日除けフードの下、防塵用半面マスクに覆われた口元。

 食いしばった歯の隙間よりくぐもった踏ん張り声が漏れ出る。


 その呻きに似た声音が、より重く、より強くなるにつれ、先のマスクや目を防護する二眼ゴーグルがかからない部分、僅かに露出している小麦色の額に赤みが差し、ふつふつと汗が浮かび上がる。


 この全身全霊での奮闘の甲斐もあってか、瓦礫が彼の反対側を支点に起き上がり始め……。


「んっ、ぬぁぁっ」


 遂には、自身の数倍はある重量物を引っ繰り返すことに成功する。


「……あ?」


 が、その力があまりにも強すぎた為、引っ繰り返された瓦礫はそのままの勢いで別の瓦礫へと勢い良く打ち当たり、まるで不当な扱いを抗議するかのように鈍い重低音を周辺に響かせた。

 その打突音と大地に伝わった振動が事前に想定していた以上の大きさであったことから、彼は全身を凍りつかせたかのように動きを止めた。次の瞬間、砂塵塗れの額に冷たい汗が流れる。


 クロウが焦るのには理由がある。

 この不毛の大地には、人と見れば獰猛に襲い掛かってくる存在……甲殻蟲がいるのだ。


 欲に感けた間抜けだと内心で自らを罵りつつ、周囲へと注意を払う。


 それに同期するように、心臓が高鳴り始めた。

 己の浅慮を反省しながら、昨日、市軍が巡回したばかりだから大丈夫だと、彼は自身に言い聞かせる。だが同時に想像できる最悪の事態が頭に浮かぶ。なにしろ人のやることである。必ずしも全ての甲殻蟲を発見して駆除できるとは限らない。当然、潰し損ねもあるだろう。いや、それ以上に、駆除した所で新たな個体が入り込んでくるのが現実であった。


 周囲に聞こえるのではないかと思われる程の激しい動悸を抑える為、細く静かな呼吸を繰り返す。自然と口内に分泌された唾液を静かに呑み込む。しかし、脈動は治まらず、喉だけが乾いていく。


 クロウは身動ぎをできる限り抑え、気配を押し殺す。

 また五感でもって、荒廃した大地を注意深く観察する。


 場所によって陽炎が立っている以外、動く影はない。

 常に目にしているものと変わらぬ光景だけが、赤黒い砂塵に覆われた瓦礫や岩塊の類が散乱し、所々に旧世紀の建物跡とされる廃墟が散在しているだけである。


 それでも警戒を解かず、ゆっくりと顔を向ける方向を変えながら、意識を集中する。


 聞こえてくるのは、砂塵を纏う風の音と、流れる砂粒の細やかな音。


 他には特に注意を引くものを感じ取ることなく、首を巡らせる。半周させた辺りで動きが止まった。少年の耳が、異音を拾ったのだ。それは自身が住む方向ではなかった。また、他のグランサーが立てる音でもなかった。


 覆面物の下にある口元と頬が大きく引き攣る。


 この動きと呼応するように、少年の全身から先程以上の冷や汗が吹き上がった。それこそ次から次に浮かび上がった事で、気化による蒸散が追い付かなくなり、着衣を湿らせる程に。

 だが、彼はそれに構うことなく、いつでも身体を動ける状態にもっていくべく、強張った筋肉を微動させて解す。音が聞こえてくる方向に視線を向けて、目に映る光景に違和感がないか注視し、僅かな音も逃すまいと両方の耳に意識を集中し続ける。


 その結果、先よりも更に研ぎ澄まされた感覚が、風音の中から異音を掴んだ聴覚が再び先の音を拾い上げた。この大砂海において、人の生活圏で奏でられているモノを除いてはまず聞かれない響き。規則正しく一定のリズムを刻む機械音だった。


 クロウは聞こえてくる音と自らが有する記憶や知識とを照らし合わせて、甲殻蟲ではないと判断する。けれど、念の為にもう一度、周囲を見回す。脅威になるモノは見当たらない。取りあえずは一安心といった風情で詰めていた息を大きく吐き出した。

 こうして僅かながらも気を緩めた瞬間、今更ながらに防塵装備内の蒸れを不快に感じた。溜め息をついて両手のグローブを外し、二眼ゴーグルと半面マスクも取り外す。それぞれ額や首元に引っ掛けた後、更には日除け兼砂塵除け用のフードをも取り払った。


 途端に、周囲の赤褐色が霞むような鮮やかな赤が陽光に晒された。


 燃えるような短い赤髪が風に煽られ、髪に絡まっていた汗が蒸発していく。


 クロウは一時の涼しさにすっきりとした表情。

 その顔立ちだが、無駄な肉がない顎や頬に未だに髭は生えておらず、汗が伝っている薄褐色の肌には若さを感じさせる張りがある。

 あまり手入れしていない太めの眉根とそれに沿う目筋が少々尻上がり気味の為、見る者に強い印象を与えかねない。しかし、黒色の瞳を有する眼が綺麗に澄んでいることから、負の印象は打ち消されている。そんな両眼を支える鼻梁は見る角度によっては掘りが深く見える程度の高さはある。

 仮に口元を緩みなく引き締めれば、見る者の半数程には凛々しさを感じさせるだろう。残念なことに、今の汗に塗れ、緊張から解放されて気が緩んでいる顔には凛々しさの欠片もないが……。


 とにもかくも、クロウは外衣の下は腰部に備え付けている革バッグから少し赤ずんだ手拭いを取り出し、不快の源たる顔中に浮かんだ汗を拭きとる。更についでとばかりに、首筋や頭部、両手の汗も拭い去ると、慣れた手つきで手拭いを絞った。

 乾き切った砂地に十以上の水滴が連続して落ちる。その水気も十秒も経たない内に蒸発して消えた。残るのは落下で生じた冠状の跡のみである。


 その光景を見ていたクロウはこれからの発掘作業も一仕事になると思い知らされ、大きな溜め息を付く。


 うんざりした気分で手拭いを戻し、代わりに歪に変形した円柱水筒を取り出す。

 数少ない友人……見習い職人から定期的に渡される試用品で、今使っているので五代目となる。

 その知人、壊れないことが第一要件となる水筒を陶磁器だけで作るのが夢なのだが、夢を追うよりもまずは造形をしっかりと学んで欲しいというのが、彼の感想である。ちなみにであるが、初代から四代目に至る先代達は彼の濫用に耐えきれず、尽く割れ果てている。


 話を戻して、少年は歪な水筒をゆっくりとした動作で傾けては、まだ冷たさの残る調整水で喉を湿らせ、少しずつ飲み込む。その度に甘味と塩気が舌に、冷たさと水分、各種栄養素が五臓六腑に染みわたり、彼に新たな活力源を与えていく。

 緊張が解されていくのを感じながら、自らを焦らせた人工音が聞こえてきた方向へと目を凝らす。


 彼の視線の先、青と赤の境目となる地平線に、砂塵を巻き上げながら進む船が見えた。


 発生している蜃気楼により中空を行くようにも見えるが、先と同様に音律を刻み続けていることからもわかるように、決して幻ではない。実際に砂海を、正確には砂海の上に浮かんで進んでいるのだ。


 この砂海上を滑るように進む船は魔導によって浮遊する力と推進する力を得ている事から、一般に魔導船と呼ばれている。

 旧文明を崩壊させた断罪の天焔以降、地表を覆い尽くす事になった瓦礫や岩塊といった障害を回避し、人や物を効率的に運搬する為に生み出された人類の新しい利器の一つだ。

 人類が拠点としている都市群を結び、流通を担うことで人類生存圏を維持している事を考えると、決して言い過ぎではない。魔導船は世界各地に点在する人類を確かに繋いでいるのだ。


 クロウは憧憬を含んだ目で船を見つめていたが、今度は船が向かっている先へと視線を向ける。


 そこには、彼が片隅に住まうエフタ市があった。


 赤銅色で彩られた荒野の中、自らの存在を誇示するように、幾つもの尖塔を蒼天に向かって突き出している。今は延々と立っている陽炎で蜃気楼が発生している為だろう、先程の魔導船と同じように、浮島の如く、或いは、頼りない尖塔に支えられるように、地表より浮かび上がって見えている。


 経験豊富なグランサー達はまさに砂上の楼閣だと嘲るが、年若いクロウはそんな儚い光景が好きだった。


 一頻り、エフタの遠景を眺めた後、クロウは少しばかり空虚になっていた心に喝を入れて、意識を切り替える。そして、今度こそ金に換えられる代物に出会えることを、飯の種を遺してくれた旧文明期の人々に祈りながら、自身の仕事へと戻って行った。



  * * *



 光陽が西の地平へ向かって落ち始めた頃。

 地道に遺物探しを続けていたクロウは作業を終えることにした。


 今日、彼が収集できたのは、瓦礫の下にあった手の平より若干大きいサイズの金属塊と何かの部品の欠片らしき物が四つ。その他、近くの瓦礫を更に引っ繰り返しては漁ることで見つけ出した、小さな金属片八つと長さ二リュート【※3:1リュート=1m】程の金属製の棒である。

 金属片に関してはともかく、長物に関しては瓦礫に引っ掛かっていたこともあって引きずり出すのに手間取った。だが、収集できた遺物の数としては、ここ最近では一番である。滅多にない成果に満足しつつ、遠方に見えるエフタへと帰路に着いた。


 光陽が沈み始めたことで、全てが朱に染まっている。

 赤焼けた空と大地の境目が曖昧になり、全てがおぼろげである。臙脂の斜陽を受けて陰影を深くするエフタの姿もどこか物悲しさを感じさせる。

 それだけに絵になる光景であるのだが、東の空からは人を脅かす夜の世界が、甲殻蟲がその存在を誇示する世界が迫りつつある以上、都市の外に出ている者達には感慨に耽っている暇や余裕はない。


 全て覆う夜の帳から逃れるように、瓦礫で溢れる道なき道で、クロウもまた忙しなく足を動かす。


 そんな彼の周囲に、彼と似た姿格好をした者達がちらほらと見え始めた。

 徐々に合流して、エフタへ向かう細く小さな流れを形成する彼らは、今日という日を無事に乗り越えることができたグランサー達だ。


 クロウの耳に彼らが交わす囁き声が風に乗って聞こえてくる。


「おい、今日はどうだった?」

「ダメだ。この分じゃ、今旬の目標額に届かないよ」

「なら場所を移すか? 俺は余裕があるから、少しは手伝うぞ?」

「……頼める?」

「ああ、困ったときはお互い様だからな」


 交わされる言葉は変声を迎えていないのか、軽くて高い。


 この声質からわかるように、グランサーは比較的に年若い年代が多い。


 というのも、市外に出るグランサーは甲殻蟲に襲われる可能性がある上、苛酷な自然環境の中で作業するという非常に危険性(リスク)が高い。それだけに過酷な環境に耐える体力と緊張を保つ精神力が必要になってくる。

 更に付け加えれば、幾ら拾ってくる遺物に値が付くとはいえ、遺物を見つけることができなければ、満足な収入を得ることが出来ないという不安定さもある。自然、一定の教育を受けているエフタ市民からは敬遠されるのだ。


 こういった理由で、グランサーを生業とする者達の多くは一攫千金を夢見て、他都市や開拓地からエフタへとやって来た若い移民か、遺物を商品として取り扱う商会に労働力として拾われた孤児……何らかの理由で庇護者を失って行き場をなくした者であったり、望まぬ妊娠をした娼婦に産み捨てられた者であったり、様々な事情で子どもを育てきれない移民や市民から商会に売られた者であったりする。


 エフタへと急ぐクロウもまた、幼き日に住んでいた開拓地を甲殻蟲に襲われ、両親を失った孤児である。


 ただ、先の彼らとは少しだけ置かれている状況が異なっている。


 クロウは救援に来た組織の幹部に拾われたのだ。


 組織の名はゼル・セトラス大砂海域農水産通商鉱魔工業組合連合会。

 より世間に通っているのは略称たる組合連合会、或いは組合なのだが、大砂海域における人類社会の発展と維持を大目的に発足した多業種組合の連合組織だ。

 同業種の取りまとめはもちろんのこと、異業種間の相互協力体制の構築や域内各地に点在する諸都市の各種産業育成を援助を行ったり、流通や情報伝達網を整備したりして、域内社会の経済活動の支援するのが主たる役割である。


 これに加えて、他地域に拠点を設けていることから、各勢力との交易窓口役までも担っている。

 それ故に、この大砂海域においての影響力は非常に大きく、諸都市が各々に独立して市政運営をしているとはいえ、組合の意向を無視しての政治は行えない程だ。


 それだけの力を有する組合の幹部に運良く拾われ、また、その人物が運良く比較的に善良だった為、クロウは甲殻蟲の腹の中に収まったり、過酷な砂海の中で干からびたりすることもなければ、様々な用途で労働力を求める人買いに売られたり、路上孤児となって死と隣り合わせの日々を送ったりすることもなく、組合が様々な思惑から支援し、エフタ市が運営している孤児院に入ることを許されたのだ。


 その結果、クロウは一般的な孤児達と違って、孤児院から出される年齢である十二に至るまでに、基本的な礼節や読み書き、基礎算法に初等魔法学といった事を習得する事ができたし、今現在においても独立したグランサーとして、遺物を扱う商会に搾取されることもない。


 もっとも、何ものにも縛られないという立場だけに他の孤児達から妬心を買ってしまい、同年代のグランサー達から距離を置かれている。


 現実として、グランサーで彼に声を掛けるのは、好き好んでこの仕事を続けている歳を取った先達ばかりだ。

 これはこれで経験から由来する様々な教訓や情報を得ることができる為、得難い関係といえるのではあるが、クロウとてまだ若年の少年である。同年代の仲間と一緒に作業をしてみたいと思うし、ちょっとした馬鹿話をしてみたいとも思ったりもする。


 けれども、やはり独立独歩で別の仕事にも就ける自由がある立場と、商会に所属して過酷な使役を課されている立場……、何らかの理由で死ぬか、貯めた金で自身の身代金を払って独立するまで、商会に搾取され続ける立場とでは相容れぬのだ。


 実際、クロウがグランサーをしているのは自身の目的を達成する為に必要な金を手っ取り早く稼ぐ手段であるし、仮に命を落とすことなく、今の平均的な収入を維持できれば、後二年程で第一歩目の足掛かりを得られる所まで来ている。

 これに対して、商会所属のグランサー達は、どのような目的を持つにしても、僅かに得られる収入を貯めて、まずもって自身の身を商会から買い戻す必要があるのだから、彼が嫉視されるのは当然とも言えるだろう。


 しかも、クロウと他の孤児達の差は単純に、拾われた時の運の差だけで生み出されているのだから……。


 ただ独りで、若干俯き加減に黙々と歩き続けていたクロウの顔に、まるで叱咤するかのように強い風が吹き付けた。

 風に含まれた砂塵が彼が付けた二眼ゴーグルに当たっては弾ける。もしも防塵装備がなければ、目を開けることも、息をすることもできない程の強さだ。 


 それでも今の節期、爛陽節【※4:夏至から秋分に至る期間】は他の節期と比較すれば、遥かにマシである。他の節期はより一層強い風が吹くし、時にはその風で砂嵐が発生することもあるのだ。


 この大砂海で発生する砂嵐は赤い砂塵を大量に空へと舞い上げて、光陽から地上に届く光量が落とす上に、宙を漂う砂塵が視界を遮る。

 特に旭陽節【※5:冬至から春分に至る期間】に大砂海の更に北より吹き込んでくる強風で発生する大砂嵐は、ゼル・ルディーラと砂嵐の神の名でもって呼ばれ、強烈な風切り音や砂塵同士がぶつかる音で聴覚すら頼りに出来なくなってしまう程だ。


 当然のことながら、砂嵐が到来すると様々な面での危険性が増すので、グランサーの行動も著しく制限される。

 ただ行動が制限されるだけで活動をしてはいけないと誰かに強制されている訳ではない。だから、砂嵐なんぞ余裕だと豪語する者、或いは、何らかの理由で無理を重ねる必要がある者は無謀にも砂嵐の中に飛び込んでいく。

 もっとも、十中八九、帰ってこれないという事実があるので、その無謀者はルディーラの贄と言われることになる。


 常に供物を求めるルディーラの子分が再び吹き付け、クロウの被っているフードを引き剥がそうとする。髪が砂塗れになるのはかなわないと、彼は慌てて手隙の手で押さえつける。

 幸い、フードは引き剥がされなかったものの、咄嗟の動きの所為で絶妙な均衡で肩にかかっていた革袋がずれてしまった。思わず舌打ちした彼を嬲るかのように風は一頻り取り巻くが、気紛れにそれも去っていく。


 その忌々しい風に対して、どうせなら昼の一番暑い頃に吹けば良いのに、とクロウは心中で毒づく。


 一年で最も暑くなる盛陽節【※6:春分から夏至に至る期間】が過ぎて、降り注ぐ熱量が少なくなりつつあるとはいえ、熱いものは熱い。

 グランサーが死ぬ原因の半分近くが熱死である以上、風の存在の有無は死活に関わるのだ。実際、彼は熱さで倒れ、そのまま死んでいくグランサーを幾人も見聞きしている。それだけ、先の感慨は切実だ。


 そのような危険があるならば、昼間を避けて夜間に活動すればいいのでは、という意見もあるが、夜は夜で甲殻蟲がより活動的になって危険であり、自然光源が星々の弱い光だけに作業効率も落ちる。

 仮に一日二日は大丈夫だったとしても、一旬……二十日も続ければ、高い確率で甲殻蟲の腹に収まるのが落ちである。


 クロウは歩くペースを落として、左肩に引っ掛けた革袋の位置を調整する。

 旧世紀の遺物が入った革袋を背負い直す度にズシリと感じる重さに、風の戯れでささくれた神経が落ち着いていく。

 いや、それどころか、再び歩き始めた時には先よりも足取りが軽くなっている。なんとも現金なものだが、苦労の果てに機嫌が良くなるだけの量を拾うことができたのだから、ある意味、自然な感情の発露といえる。


 機嫌が良くなった少年の両足はこれまで以上に規則正しく歩を刻み始めた。

 一足毎に瓦礫の凹凸や砂や錆の粒子を底厚い半長靴越しに感じつつ、目をエフタ市へと向ける。鮮やかな臙脂に染まった輪郭が徐々に大きくなっていく。


 その輪郭でまず目を引くのは、周囲よりも一際高く屹立する尖塔群であろう。

 大凡で二十から三十リュートある尖塔は周辺監視に使用されている。また、甲殻蟲による大規模襲撃や他国或いは他都市の侵攻、有力賊党の略奪といった非常時においては防御塔としての役割を果たすのだ。

 これら尖塔群を支える根元には、主に人工石で築かれた高さ十リュート程の防壁……市壁があり、その外側に安価な日干し煉瓦を建材とした貧民街が広がっている。

 無論、市壁の出入り口、市門から一歩中に入れば、また別の異なった光景が広がっているのだが、とにかく、これが彼が住まうエフタ市の外観である。


 クロウの周囲を歩くグランサー達も常に強いられる緊張から解放されたい為だろう、自然と足が早まっている。そんな彼らを後押しするように、暗がり迫る砂海から一陣の強い風が吹き抜けていく。



 砂海からの追い風もあって、順調に歩を進めたクロウは貧民街の外れまでやってきた。

 この辺りから地表より瓦礫が取り除かれ、人々の足で踏み固められて生まれた道が散見されるようになる。


 これらの道の周囲にはニニュなる大型陸鳥やコドルなる四足獣の飼育場、それらの糞尿を肥料に変える乾燥場、市内に墓を作れない者達の簡易な墓地、建材や焼成品を作る為に必要な粘土を掘り出す作業場や土製建材の製作所といったものがあるのだ。中でも強烈な臭いを発する一部のものに関しては、甲殻蟲を引き寄せる事もあるので、市街からできるだけ遠くに作られている。


 そういった道の一つに乗ると、クロウは小さな家屋が無秩序に乱立している貧民街の様子を探る。

 ここに住まう者達は住んでいる場所が場所だけに危険に敏感で、何か命に関わるような問題が起きている場合は空気で感じ取れるという稀有な場所だ。

 彼が見た所、今日は僅かにすれ違う者達……市内から出てきたと思われる比較的に着ているモノが良い者達が少しばかり陽気に浮き立っているように感じられた。

 多分、昼間見た魔導船がエフタ市に入ったかして、臨時の仕事ができた連中だろうと当たりを付けながら、視線を前に戻す。

 この場所は甲殻蟲を誘き寄せることがないよう街灯の類は一切ない。また、家々の造りも光が漏れる窓や戸の類がエフタ市の方向を向いている為、灯光はないといっても過言ではない。暗がりがすぐ背後まで迫っている以上、早々に通り過ぎたいのだ。


 なにしろ、この貧民街は真っ当に稼ぐ者達だけで構成されている訳ではない。

 市の管轄外という場所柄、強盗や賊の類が潜めることができる場でもあるのだ。市内よりもそういった不逞な輩に暗中で襲われ、金や命を奪われる可能性は高い。

 実際に、一晩過ぎたら身包みを剥がされた死体が、それこそ身体からも金になりそうなモノを全て奪われた死体が路上に転がっていることが稀に起きる。

 甲殻蟲に殺されるのも悲惨だが、同じ人間に全てを奪われて殺されるのもまた悲惨だと、クロウは一度目撃した惨状を思い出して、あれが我が身に起きたらと背筋を震わせる。

 そして、この場所を通る時の常の如く、クロウはできる限り早く通り過ぎようと足を速めた。


 こうして歩く事しばし、歩いていた道が焼き固められたものへと変化する。

 瓦礫を砕いた石と結合剤とを混ぜたものに過ぎないが、未整備の道よりは歩きやすいし、車の類が使えるので物を運ぶのに便利なのだ。

 この整備された道に合わせるように周囲の景観も整然と並び始める。道に沿って並ぶ家屋はより綺麗に、より大きく、時には二階建てとなり、整備道より延び出る路地もすっきりと奥まで見通せるようになる。

 もっとも、先の場所と同じく市壁の外にある事から光が漏らすことができない。その為、暗さは変わらない。無論、クロウの足も速度を落とすことはない。


 総延長で約十アルトに及ぶ市壁がより近づく。

 市の内外を結ぶ数少ない出入り口の一つ、南大市門が見えてきた。

 大市門と名があるように門は広く大きく、高さは六リュート、道幅も八リュート。当然のことながら、外敵に備えて門扉も旧世紀由来の鋼鉄や魔導技術の成果である魔刻板とを組み合わせた頑強な物が使用されている。


 この南大市門の前には市門を要とする扇状の広場があり、夕暮れより僅かな時間だけ灯される街灯が幾つかある。今もそれらがボンヤリとした光を放っており、導かれるように市外で活動していた者達が門へ向かって吸い込まれていく。

 クロウもその一人として、人が主たる世界……エフタ市内に入るべく、明らかにやる気のなさそうな門衛達が立っているだけの市門をくぐり抜けた。



  * * *



 市門を抜けるとまた広場。

 南大市門広場と呼ばれる外側の物と対を為す半円形の広場だ。ここには外よりも倍以上の街灯が設置されている為、場全体がボンヤリと明るくなっている。

 そんな広場の周辺には、街灯の光と夕陽に照らされる形で浮かび上がった、見る者に威圧感を感じさせる人工石造りの重厚な建物……、南大市門の警備を主に担当する市軍部隊の屯所がある。

 が、少年には縁がない場所だけに視線を向けることもなく、足を踏み入れた広場を通り、目的地に続く道に向かう。


 この市軍屯所に囲まれた広場からは、二本の大きな道が延びている。

 一つは広場より東西に延びる道で、市壁に沿って市内を一周する市壁循環道。もう一つは街の中心がある北へと真っ直ぐに続く南大通りだ。市外より流入する人の流れは、ここで南大通りを行く主流と市壁循環道に逸れる支流に分かれることになる。


 クロウは三つに分かれる流れの内で一番太い流れに乗り、街の中心へ向かう。

 彼が進む南大通りは八リュート幅の整備道で、その両脇には広場にあった物と同じ街灯が一定間隔で設置されている。また、街灯間には土が入れられており、熱く乾燥した砂海でも生育できる貴重な植物で、果実が食品や日用品の素材となるルーシが街路樹として植えられている。

 日中において細やかな葉で日陰を作り出すルーシが、夜間において灯りをともす街灯が、南大通りに一時の涼や癒し、安全をもたらすのだ。


 そして、南大通りに面した土地には、三階程の高さで統一された集合住宅が並び立っている。今は街灯の青白い光に照らされて分かりにくくなっているが、外壁は日々の砂塵によって赤みを帯びている。

 この建物群には市外のそれとは異なって窓が幾つも設えられており、場所によっては部屋の光が漏れている。市壁が光の大部分を遮り、甲殻蟲の侵入を防ぐからこその贅沢だ。


 クロウが他の者達と同じく南大通りを歩む内、いよいよ夜の気配が強くなってくる。

 たとえ、街灯や窓からの灯火がそれに抗しているとはいえ、夜は星光以外に自然の光源がない世界である。それだけに、行き来する人々の足を無意識の内に急かすようだ。


 彼が速くなった流れに乗って歩いていると、トラスウェル広場との名を持つ大きな十字路が見えてきた。

 トラスウェル広場は南大通りと商会通り……西にある港湾門から東の集合住宅団地に至る道とが交差する場所であり、エフタ市の中で最も賑やかで往来が激しい場所だ。

 日没寸前の今も、様々な背格好の人々がそれぞれの道から広場に入って来ては、繁華街や色街に向かう者ならば西へ、ちょっとした買い物や自宅に向かう者ならば東や南へ、エフタ市庁や市軍、組合の本部に用がある者ならば北へ、といった具合に、それぞれの目的地を目指して抜けていく。


 ここまで人の流れに乗ってきたクロウは、再び三つに分かたれる流れから慣れた様子で抜け出した。そして、広場北東に玄関を構えた五階建ての建物、組合のエフタ支部を目指す。


 エフタ支部の建物は市軍施設と同じく頑強な人工石造りということもあり、梃子でも動かないといった風情だ。その為、この広場の主と言えそうな程に存在感があるのだが、日常的にこの支部を利用している彼には特に臆する理由はない。故に、外衣に付いた砂塵を払ってから玄関の扉を開いた。



 扉を開けると同時に溢れ出た喧噪と眩い光。

 クロウはその中に足を踏み入れると、二眼ゴーグルと防塵マスク、それにフードを外す。砂塵の届かない場所では防塵装備を必ず外すというのが、大砂海域の作法(マナー)なのだ。


 室内灯の明るい光に眉根を寄せながら、目を細くしたクロウは勝手知ったる様子で目的の場所を目指す。


 組合エフタ支部の一階は階層(フロア)を丁度半分に仕分けるように、玄関より真っ直ぐに伸びる廊下がある。

 この廊下の先には階上へと続く大階段が設置されており、階上には多用途に使われる会議室や様々な資料を集めた図書室が設けられている。もっとも、商店や工房の主でもなければ、その一員でもないクロウには縁がない場所だ。


 グランサーたるクロウにとって縁ある場所は一階である。

 一階には、玄関より見て左側に諸々の持ち込みに対応する窓口が、その反対側には社交と酒食を提供する酒場がある。

 本来、前者の窓口業務が主たる役割だったのだが、近年においては組合員割引に加えて、旨い飯と安い酒が出る上、世慣れた気風の良い女性(寡婦)達が揃っていることもあり、後者の酒場も盛況となっている。


 特に今は夕刻という事もあってか、ニニュの肉が焼ける香ばしい匂いと香草の爽やかな薫りが絶妙に絡み合って漂っている。また、酒場がある吹き抜けでは数人の奏者がギューテ(撥弦楽器)バンコ(打楽器)で落ち着いたリズムを奏で出せば、楽しげな笑声と景気良く注文を受け応えする声、食器とフォークやスプーン、更には机や椅子が床とこすれる音が賑やかに響き渡っている。


 クロウの嗅覚が食欲をそそる匂いを捉えたことで、若い腹が何も入っていないことへの不満を述べるように音を鳴らす。けれども、まずは換金が先と口内の涎を飲み込みながら我慢する。


 少年が向かった先、三つ横並んでいる窓口……グランサー等が持ち込む遺物の買い取り窓口はその全てに先客が入っており、順番待ちらしき男が一人後ろに立っていた。

 その待ち人の後ろに並んで順番を待とうとすると、人の気配を感じたのか、待っていたグランサーが振り返った。無精髭を生やした浅黒い肌を持つ中年男で、あまり話をしないがクロウも見知っている顔であった。


 その男はクロウが手に持つ遺物に目を向けると、まばらに生えた髭が目立つ口元を緩める。


「よう、赤坊主。結構な収穫じゃねーか。……どこら辺だ?」

「今日は三十一から三十三番周辺」


 クロウが言った数字は、エフタ市周辺で見つかっている地下遺構に付けられている識別番号だ。


「あー、あの辺か。あの辺は特に瓦礫が多いからなぁ」

「時間は掛かるけど、瓦礫の下ならそれなりの物を見つけられると思うよ」

「なら、明日辺り、行ってみるかな」

「でも、大きい瓦礫ばかりだし、動かす途中で腰でも痛めるんじゃない?」

「かー、赤坊主が一丁前に生言いやがって。まだまだお前さん如きに負けるわけねーだろ」

「その無駄に体力がある坊主ですら根を上げかけたんだから、無理しない方がいいって」

「おいおい、グランサーになって早十年の俺の腕を舐めてもらっちゃ困るぞって、なんだ、これからってとこなのに、え、順番?」


 換金が終わった一人がクロウと話をしていた男の肩を叩いたのだ。

 まだ何か言いたそうな男だったが、クロウの後ろに新たな人が並び始めている事に気付いた為、それ以上は口を開かずに空いた窓口に入って行った。その代わりに、換金が終わった年嵩のグランサーがクロウに一言。


「で、今のは本当なのか?」

「はは、他人の話を信じる信じないは全て自分次第、嘘に騙されるのは自分の責ってのが、グランサーじゃなかったっけ?」

「ふん、ちゃんと覚えてるなら、それでいい」


 クロウに声をかけた初老のグランサーは日焼けと皺で陰影深い頬を歪めて笑ってみせると、酒場へと去って行った。

 見知った人物の常と変らない言動にクロウは苦笑しながら、見送っていた視線を元に戻そうとして、この場に似つかわしくない存在に気が付いた。


 彼より四つか五つは幼い十歳前後の少女だ。

 少女はエフタ市で最も普及している赤い外衣を着ていて、受付のある部屋の片隅に佇み、じっと玄関口を見つめている。いったい、あの子は何かと考えかけた所で、窓口の一つが空き、彼の順番となった。



 クロウの買い取りを担当する組合職員は、彼がよく世話になっている中年男だった。その恰幅の良い職員はクロウの顔を認めると、髪が薄い丸顔を綻ばせる。


「よぅ、クロウ。今日も無事に帰ったみたいだな」

「ええ、今日も運良く帰ってこれたよ、マッコールさん。後、これ頼むよ」

「おっ、こりゃ大量だな」

 

 クロウからマッコールと呼ばれた組合職員は旧世紀の遺物を渡されると、早速、鑑定用片眼鏡を付けて、その材質を調べ始める。組合の鑑定と買い取り査定はどこの商会よりも公正公平であることから、特定の商会と繋がりを持たないグランサー達からの信用を集め、重宝されているのだ。


 マッコールが真剣な表情で遺物の鑑定を始めたので、クロウはそれ以上話しかけず、改めて周囲を見回す。


 クロウが今いる窓口は酒場のような吹き抜けではなく、極普通に二階部分が存在する。その為、階上を支えるアーチが廊下に沿って並んだり、部屋を間仕切るかのように各所に立っている。

 そんな空間を半分に割るように、机を伴った窓口が設置されており、その奥では組合の職員が様々に動き回ったり、何かの書類と格闘したり、ちょっとした打ち合わせをしたりしている。


 忙しそうな窓口奥の様子を一頻り眺めた後、クロウは視線を食堂へと移す。

 客席の間をてきぱきと動き回っている給仕の女性達が音楽や喧噪に負けない威勢の良い声を上げている。先程、彼に声をかけたグランサーも一席を占めて、早くも酒杯を煽っているようだ。その様子を見たクロウは、以前、先達のグランサーに飲まされたことがある発泡酒の苦味を思い出し、舌を強張らせた。


 クロウがなんとも言えぬ顔でマッコールの鑑定作業に目を戻そうとした所、再び先程の少女の姿が目に入った。


 やはり、じっと玄関口を見つめている。


 一時も目を晒さない真剣な眼差しから、余程の事情があるのだろう。


 そんなことを思っていると、マッコールから声を掛けられた。


「クロウ、終わったぞ」

「ああ、ありがと。それで、どれ位になりそう?」

「まぁ、待てって、順に説明していく」

「うん」


 クロウが頷いたのを受けて、マッコールがまずは四つの何かの部品の欠片らしき物と八つの小さな金属片を並べる。


「まず、こいつらだが、こりゃ歯車の欠片だ。歯車は完璧なものだとかなりの高値が付くんだが、流石にこれだと溶かして使うしかない。この大きさだから、一つ五十ゴルダ【※7:一ゴルダ=約十円】だ」

「ま、妥当だね」

「だろ。で、次にこの金属片。こいつらも溶かして使う類だ。材質は全部同じものだったから、全部の重さで千ゴルダになる」

「うん、それでいいよ」


 これで千二百か、とクロウが頭の中で計算していると、マッコールが錆色が染みついた手で広げていたモノを机の片隅に集め、代わりに金属塊を置く。


「この塊、材質は良くあるものだったが、とにかく目方が良かった。……三千ゴルダでどうだ?」

「俺が考えてたより、出してきたね」

「なに、お得意さんを余所に取られたくないからな」

「はは、ずっとお得意さんでいられたらいいけどね。じゃ、マッコールさん、それで頼むよ」

「了解。後は長物になるが……」


 と、言葉を切ったマッコールが例の金属棒を傍らから机上へと取り出した。


「こいつは昔の乗り物で使われていた回転軸だ。状態が良いから、上手く加工したらそのまま使えるかもしれん」

「へぇ、ということは、期待していい?」

「そうだな……、一万でどうだ?」


 瞬間、クロウは値上げ要求をしてみようかという欲に駆られるが、昼間の失敗を思い出し、今日はもう欲に負けまいと自重する。


「マッコールさんの値付けが妥当だと信じるよ」

「くー、そう言ってすんなり頷いてくれる奴、本当に少ないんだよなぁ」


 心底から感じ入った風情の中年男。

 クロウは先に思っていたことがことだけに、若干の疾しさを覚えてしまう。


 なので、それを誤魔化すべく話題の転換を図った。


「と、ところで、マッコールさん、あの子は?」

「ん? ……あの子か」


 クロウが視線で示した途端に、綻んでいたマッコールの顔が憂いの色に染まった。それだけで大体の予想がついたが、クロウはマッコールの言葉を待つ。


「実は、あの子の兄がな、先々日から家に帰って来てないらしい」

「グランサー?」

「ああ。だから、何か情報が入ってないか、聞きに来たそうだ」

「しっかりしてるね」

「自分がいない時に何か問題が起きたり……、自分が帰ってこない時はここに行けって、日頃から言われてたらしい」


 この言葉で、クロウは二人が互い以外に家族を持たないか、それに近い状態である事を察した。その間にも、マッコールは話を続ける。


「で、俺もそいつの事を知ってるからな、誰か行方を知っている奴がいないか、ここに来る連中に聞いていたんだが……」

「うん」

「三日前の朝、十九番に潜ったっての間違いないらしい」

「なら、それ以降は?」

「……それ以上の事は聞かないな」

「……そっか」


 クロウはその言葉と共に沈黙する。


 エフタ市の周囲には、市の直下に存在するモノも含めて、大凡で四十近い地下遺構がある。

 エフタ市が別名で遺構都市と呼ばれる由縁となった市域直下の遺構については、その全域が調査されて内部構造が解明されており、一部は市の生活基盤に応用されている。


 その一方で、周辺にある遺構群はほとんど手付かずのままだ。

 手が付けられていないという事は当然、それらの遺構群に多くの遺物が眠ったままということである。これに付け足して、地下という環境から、厳しい日差しや吹き付ける砂塵、体温を容易に超える気温から逃れることもできることもあり、格好の収集場所と言えるだろう。


 にもかかわらず、遺構に潜るグランサーは少ない。


 なぜなら一見すると良い事尽くめの理想的な作業環境であっても、一つだけ大きな穴があるのだ。

 それは甲殻蟲が、穴を好む習性を持つラティアがほぼ間違いなく潜んでいるということだ。数少ない魔術の使い手か武装した複数人でようやく立ち向かえる相手に、内部構造がよくわからない閉鎖空間で単独で出くわした場合、どうなるかは想像に容易い。


 よって、言わずとも知れることは口に出さず、クロウはマッコールに話しかけた。


「組合から人は出せないの?」

「一応、上に掛け合ってみたんだが、潜れそうな連中には別の用事があるらしいから無理だ。というか、そもそも金が、な……」

「あー、そりゃいるよね」

「何事もただでは動かせないさ」


 そうクロウに言葉を返しながら、マッコールは十露盤(そろばん)を弾いては買い取り票に数字を書き込んでいく。


「結局、何事も金なんだよなぁ」

「金を介した方が後腐れが少ないからな。……よっし、〆て一万四千二百だ。これでいいか?」

「それでいいよ」

「なら、ここに署名を頼む」

「はいはいっと」


 クロウは窓口備え付けのペンで差し出された買い取り票に手早く署名し、マッコールに返す。受け取ったマッコールは内容と署名を再確認してから、傍らの簡易金庫から金を取りだして数え始めた。

 その動きを眺めていたクロウであったが、マッコールと話したこともあって、つい気になってしまい、先の少女が立つ場所を見やる。


 先程と変わらず少女は佇んでいる。


 更によく目を凝らして見ると、その両目は赤く充血し、口元は震え強張っていた。


 その様子を認めた後、クロウは再びマッコールを見る。既に数え終わったらしく、マッコールもまた少女を見つめていた。


「俺も家族を持つ身だからかな、どうしてもあの子に同情しちまう」


 そうぼやいて見せたマッコールは千ゴルダ紙幣の束と百ゴルダ貨幣二枚を金受け皿に乗せてクロウに差し出した。それを受け取ったクロウは確認の為、千ゴルダ紙幣を数え始める。


「本当に、ここの仕事をしていると、遣る瀬無くなる時があるよ」


 一、二、三、四、五……。


「特に、今回みたいな場合はな……」


 六、七、八、九、十……。


「せめて、物だけでも見つけ出して、なんとか返してやりたい所なんだがなぁ」


 十一、十二、十三、十四……、十五。


 枚数が一枚多い事に気付いたクロウは、ちらりとマッコールの顔を窺う。


 そこにはクロウの目をじっと見つめる真剣な顔があった。


 マッコールからの雄弁以上に強い無言の訴えを見て取ったクロウは、金を持たない方の手でただ頭を掻き毟り、両の眉根をきつく寄せた。彼の中で危険性や見返りをはかる勘定と彼自身の心情とが互いに鬩ぎ合い、小さからぬ葛藤が巻き起こる。


 じっと見つめてくるマッコールから目を逸らしたクロウは、少女を再び視界に収める。


 丁度、その乾いた頬に一粒の涙が伝い、砂塵が薄く積もる床へと流れ落ちた所だった。


 それを見た瞬間、彼の中にあった葛藤という名の天秤が一方へと一気に傾いた。と同時に、彼の冷静な部分が己がこれから為そうとする事を馬鹿げたことだと嘲笑する。

 それを静かに受け止めたクロウはふっと息を吐いてから、なんでもない風を装って、マッコールに告げた。


「明日からしばらくの間、十八番から二十番辺りで作業しようかと思うんだ」

「……そうか、気を付けてな」

「ああ、いつものように運良く帰ってこれることを祈っててくれ、マッコールさん」

「もちろんさ」


 そのマッコールの言葉に軽く頷いて応えると、クロウは窓口を後にした。


 俺って、きっと馬鹿なんだろうなぁ、と内心で呟きながら……。

12/01/19 表記修正。

12/03/11 一部加筆及び文章修正。

12/03/24 加筆及び文章修正。

12/04/21 レイアウト調整。

14/11/17 本文改訂。

15/12/30 本文改訂。

16/01/01 誤字脱字修正。

18/02/25 本文改訂。

18/11/25 本文改訂。

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