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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
2 老機兵は不屈を謳う
18/96

八 機兵たる者

「トルード、ダックス、ウォートン、蟲共が接近中だ。エフタに戻るぞ。トルードとダックスは怪我人を運べ。できるだけ負担を掛けないようにな。もし装備が持てそうにないなら、ここに置いていって構わん。後、ウォートンは二人より先に前進して、周辺を警戒しろ」


 ディーンは指揮下に置くことになる三人の教習生に手早く指示を出し、機体に搭乗するやいなや、背部に装備した射出機より赤と黒の信号弾を打ち上げた。炸裂する音と共に赤い輝きと黒い煙が青空に広がる。

 周囲を警戒していた三人もディーンの声に導かれるように振り返り、青年教官が指し示す方向を見る。そして、言葉の意味を目の当たりにして、各々動揺するように身動ぎした後、それぞれに応諾の声を上げる。


「了解です」

「は、はい、わかりました」

「わ、わかった」

「焦るな。慌てずに急げ。俺達が早く動けば、後ろも早く退ける。わかったな?」


 搭乗作業を進めていたクロウはディーンから名を呼ばれなかった事から、自分が後衛に回される事を悟った。何故にと思う間もなく、すぐ傍のディーン機から声が届く。


「で、エンフリード。お前さんは、命懸けの緊迫感と先行きへの焦燥感を大いに楽しめる殿だ」

「えーと、それって、思わず涙が溢れてきそうな話ですよね」

「はは、だろうなぁ」


 ディーンは笑って嘯きながらも、死に近い役目を与えられても取り乱すことなく、平静な声音を保ったまま答えた少年を評価する。もっとも、クロウは取り乱すだけの余裕がなかっただけであるが……。

 とにかく、骨折した少年がどこか信じ難い物を見るように、すぐ傍にある機体を見上げる中、ディーンは話を続ける。


「ま、とにかく、お前さんはおやじ殿……ローディル教官に従って行動しろ。見ただろうが、増援を呼ぶ信号も上げてある。後は、市軍の連中が来るか、俺達が安全な場所に逃げ切るまでの我慢さ」

「なら、早く増援が来る事を祈っときます」

「そうしろそうしろ。後それと、助言だ。仮に交戦することになった場合は、無理に蟲を潰そうとするな。脚を狙って、動きを止める事を第一に考えろ」


 少年は教官の真剣な声に頷くも、相手に見えないことに気付いて、今の状況を笑うように努力しながら声を出して答えた。


「は、はは、できるだけやってみます」

「できるさ、自分を保てればな。……よし、行け」

「はい」


 クロウは保持していた大鉄槌を持ち上げると、グラディの下へ急ぎ足で向かう。途上、砂海を吹き抜ける風が砂礫を吹き上げ、常と変らぬ光陽の日差しの中に舞う。蟲が来て非常事態になっても、砂海はいつもと一緒か、等と愚にも付かぬ事を考えている内に、グラディのパンタルが近づいてきた。


 赤い砂礫の上、大戦斧を手に立ち尽くしているパンタルより寂びた声が届く。


「エンフリードか?」

「はい」

「ふっ、貴様も運がない奴だ。初陣早々に殿とはな」

「は……、はは、最近というか、基本的に運がない方だと思うようにしています」


 クロウは年長者の落ち着いた声に応えながら、機体をグラディ機体の右斜め後ろに控えさせる。そして、青い空へと砂塵が巻き上げて、蒼色をくすませている原因へと目を向けた。


 覚えず、呻くような響きが彼の口から漏れる。


 彼が立つ場所より大凡三アルト程の地点を、赤黒い蠢きが砂海を踏み鳴らし、重い轟きを響かせながら突き進んでいた。


「ざっと見て、百から二百程だ」

「多い、ですね」

「ああ、今の我々では、どれほど奮闘したとしても、最後には蹂躙されるだろう」


 グラディの冷静に状況を見た言葉によって、クロウは先程の戦闘が可愛く思える程の危地にいる事を思い知らされ、これまでにない緊張を感じ始めた。それと同時に、肌に怖気による震えが走り、冷や汗が浮かびあがる。けれども、練達の機兵は少年の状態を気にも留めず、平静な声で話を進める。


「現状、確実に負傷者を運び、エフタへと退避するのが目的だ。先の四人が負傷者を直接守って運び、我々は後方警戒及び時間稼ぎを担当する」

「……どの程度ですか?」

「確とはわからん。ただ四人が下がれば、応じて我々も下がる。それで追いつかれなければ、それで良し、といった所だな」


 クロウは蟲の動きへと目をやって、大凡の速度を推し量る。それから、自分が身体と頭で覚えているパンタルとの速力とを比較し、逃げ切れる可能性が高いとの結論に達した。彼は安堵の息が漏れそうになるのを抑えつつ、グラディに話しかける。


「なんとか逃げ切れそうですね」

「今の所はな」

「え?」


 不穏な言葉に、クロウは思わず声を上げる。それに答えるように、グラディは言葉を重ねた。


「不確定な要素が多い戦場や非常時では、予期せぬことが起きる方が圧倒的に多いのだ」

「それってつまり、追いつかれる可能性があるってことですか?」

「場の状況は時々に生じる様々な要因によって、大きく変わることもある。今の場合だと、先行する四人の機体に何らかの問題が生じるといったようなことがな。もし仮に、そういった事態となれば、我々は殿としてあれらの足止めを行ったり、囮になる必要が出てくることもありえる」


 言葉が切れた後、今までにない重い響きがクロウの耳を震わせた。


「とにかく、覚悟だけはしておけ」

「……覚悟」


 覚悟という言葉に、クロウは自分が死ぬことを強く意識した。明確であって漠然とした存在であり、生ある者が絶対に内実を知ることができない未知なるものを前に、少年は大きな恐れを抱く。しかしながら、死への恐れを抱く程に、今を生きているという実感とまだ生きていたいという願いも湧いてきた。

 そして、胸中に湧き起こった死への恐怖と生への執着は、自然、こんな所で死んでたまるかという確固たる意思と、何としてでも生き残るという決意を生み出し、突然の状況に流されて、弱気になりかけていた心に喝を入れた。


 クロウが肚に力を入れて心身を漲らせていると、ディーンの大声が荒野に響き渡った。


「準備完了、退避を開始します!」

「わかった、行け! エンフリード、殿の要領は覚えているな?」

「えっと……、常に蟲と味方との距離を測り、味方側に一定距離があるように行動。味方との距離を詰められた場合、別方向へと蟲の誘引を図るか、足止めに努める」

「覚えているならいい、行くぞ」

「わかりました」


 クロウはグラディに従って機体を反転させる。それから、赤黒い蟲の波より発する地鳴りを背に、先行して逃げるディーン達を追い始めた。



 光陽煌めく砂海は熱く、吹き抜ける熱風もあって、パンタルの装甲に付着した蟲の血を蒸発させていく。外気温は装甲越しに伝わり、機体内部の温度を上げて、搭乗者に一層の消耗を強いる。殿として後方を行くクロウも熱のこもった荒い息を吐きながら、為すべきことを為すべく動く。

 今もグラディの指示に従い、後方を振り返って迫り来る蟲の群れとの距離を測り、進行方向や群の状態を確認する。彼が当初想定していたよりも前を行く四人の速度は遅く、群れとの距離が徐々に詰まり始めていた。

 クロウはより大きさを増した蟲の蠢きを目に捉え、総計六百以上の脚が踏み鳴らす重音の響きに耐えながら、報告の声を上げる。


「群れまでの距離、大凡で……千、五百。後、一部の蟲が群れから離れて行ってます」

「数は?」

「南東に十から二十、西に三十程です」


 クロウの報告を聞いたグラディは微かに顔を顰める。群れから蟲が離脱するのは襲うべき相手、つまりは人を見つけた時と相場が決まっている為だ。

 蟲に襲われるかもしれない者達を守るどころか警告すら出せないことに、グラディは忸怩たるものを覚える。だが、感情は表には出さず、黙して前方を見据えた。


 途端に、皺が刻まれた表情が更に険しくなる。


 五百リュート先を行く四機の内、二機が足を止めていたのだ。


「エンフリード、問題が起きたようだ」

「え? ……えぇ!」

「まずは合流する。続け」

「は、はいっ」


 クロウ達が機体を走らせ、立ち止まっている二機に近づいていく。すると、一機が両腕に人らしき影を抱えて再び走り始めた。一方、まだ残っている一機の周辺にも人影が見える。

 更に近づいた所で、クロウは人影が赤い外套を纏い、手にシャベルや布袋を持つ姿恰好から、十中八九、グランサーだろうと判じた。

 そのグランサーと思しき人影の一つがクロウ達に気付き、それに応じるように、教二の文字を肩に刻んだ機体が振り返った。間を置かず、ディーンの声が届く。


「おやじ殿、ちょいと問題です」

「説明しろ」

「ここから北西に行った場所に、まだ何人かいるそうなんですよ」

「なぁ、あんたら機兵なんだろっ! だったら助けてくれよっ! あいつら、もうちょっとで借金を全部返せる所まで来てるんだっ!」


 ディーンの声に続く形で、グランサーの一人が声変りを迎えていない若い声を張り上げる。

 クロウはグラディの後ろで話を聞きながら、商会所属のグランサーが長年の苦労の末、自身の身柄を買い戻す直前となって、少しでも遺物を得る確率を高めようと遠出をしていたのだろうと、概ねの事情を推察する。


 だがしかし、クロウの若さが同情よりも前に、相手の物言いに不快感と反発を覚えさせた。


 無論、クロウとて、相手が切羽詰った状況であり、必死なのも十分にわかっているし、現状、残された者達を助ける、或いは、守る事ができるのは自分達だけしかいないのもわかっている。そもそも、それが魔導機に乗る者の義務であることも……。

 けれども、幾ら機兵だとはいっても、様々な感情を持つ人であることには変わらない。その相手に、何故、さも当然のように、簡単に命を懸ける事を強いる事ができるのかと。例えそれが、魔導機や機兵に対する信頼から出てきた物だとしても、実際に命を懸ける事になるクロウには納得できなかったのだ。


 内心の思いは自然と表へと姿を現し、少年の表情を不機嫌なものへと変じさせる。が、話は彼の思いを外に置いて進んでいく。


「ディーン、この者達を運んでエフタへ戻れ。俺とエンフリードで何とかする」

「え? い、いやいや、おやじ殿、ちょっと待ってください。ここはエンフリードを戻して、俺が行った方が確実でしょうよ」

「却下だ。老い先短い俺はともかくとして、安心して後を任せられる貴様に万が一があっては、今後、教習所の指導体制に不安が出る。貴様もわかっているはずだ。一定の力量と見識を持った機兵を継続して輩出する事の重要性を」

「ぐっ、そ、そう来ますか」


 ディーンは歯噛みと共に声を漏らす。それに覆いかぶせるように、グラディが言い募る。


「ディーン、問答の時間が惜しい。行け」

「くそっ、……了解です。エンフリード、増援の当てはあるからな、自棄にだけはなるなよ」

「わかりました。気を付けます」


 クロウが乾いた声で答えると、ディーンは保持していた大剣を大地に突き刺す。それから、何事かと目を見開く二人のグランサーに近寄り、一腕一人といった具合に抱え上げて胴体部に押し付ける。その際に、二人の口から苦痛の呻きが漏れるが、ディーンは気に止める様子もなく、むしろ強い声で脅しつけた。


「おい、坊主ども、俺が止まるまで歯を食いしばって暴れるなよ? 下手に落ちたら死ぬからな」


 返事は聞かず、ディーンの機体は走り出した。クロウがその後ろ姿を見送っていると、蟲の群れへ目を向けていたグラディが静かに告げる。


「急ぎ見つけるぞ。距離があれば、逃げ切れるやもしれん」

「……はい」


 不快感を持て余していたクロウは僅かに返事が遅れる。だが、グラディは咎める事はなく、まだ人が残っているであろう方向へと走り始めた。少年もまた追随する。


 後背より迫る轟きと機体が疾駆する際に奏で出す響きを聞きながら、クロウが足を動かしていると、前方を行く機体より寂び声が聞こえてきた。


「エンフリード、先の決定が不満か?」


 僅かに逡巡するが、クロウは素直に胸の内にある思いを答えた。


「何故、自分が見ず知らずの者の為に命を懸けるのか、と思う気持ちがあります」

「それが公に力を持つ事を認められた者の義務であるからだ、では納得できないか?」

「前もっての話では納得したつもりでした。けど、実際に体験してみると、どこか腑に落ちません」

「ふん、正直だな。しかし、貴様の思いは理解できる。見知った者ならばともかく、見知らぬ者の為に、何故に自分がと感じる方が自然だといえるし、厭う心が生まれるのも無理もない話だ」


 短い沈黙の後、幾分か厳しさが増した声が発せられる。


「だが、それでも課せられた義務は果たさなければならない。エンフリード、何故、免許保持者に義務が課せられているか、覚えているか?」

「それは、社会に力を持つ事を認められているからです」

「そうだ。この社会との約は必ず果たさねばならん。なぜなら、蟲共に命を脅かされる現在において、免許保持者……機兵が人を守るというのは、安定した社会を成り立たせる為の土台、相互信頼を支える一翼でもあるからだ」


 クロウはただ黙してグラディの言葉に耳を傾ける。


「人が集まって社会が形成する事は、当たり前のように見えるかもしれん。だが、その実は脆く、簡単に崩れるものだ。これが維持できているのは、各人それぞれが共通の規範を守りながら、日々の生活を営み、信頼を積み重ねているが故だ。逆に言えば、約や規範を守らぬ事で生じる不信は、社会に対する不信を生み出して、安定した日々の営みを揺るがす。いや、下手をすれば、崩してしまう事もありえるだろう」


 進路上の瓦礫を乗り越え、一呼吸。


「約を守る事は社会を守る事に繋がり、社会を守る事は人の生活を守る事と同義だ。そして、人の生活の中には貴様自身の生活も含まれる。決して、見知らぬ他人の為だけではない。巡って自身の為である。どうだ、これでも己の役目を果たすべきだとは思えぬか?」

「わかってはいます」


 クロウの不承不承といった苦い声を聞いて、初老の機兵は時の摩耗を経た遥か過去を思い出し、少年の不満が若さ……経験の浅さや感情より来たものであることを悟る。グラディは口元を緩めるが、声に出した言葉は厳しかった。


「ならば、それで自分を納得させろ。余計な事に気を取られる程、貴様に余裕があったか?」

「っ、そう、ですね。わかりました」


 自身の無様さを自覚し、クロウは赤面して答えた。



  * * *



 クロウはグラディに従って走りながら、話にあった者達を見つけるべく周囲に目を配る。

 辺り一帯は巨大な瓦礫が転がっている事に加え、外観を残している廃墟が多く、視界の通りが悪い。クロウは探し人を発見できないことに苛立ちを覚えてしまう。けれど、先の会話で自身の状態に気付いた事もあって、昂った感情を吐き出すべく、努めて深い呼吸を繰り返した。


 そして、気分転換する目的もあって、クロウはグラディに話しかける。


「中々、見つかりませんね」

「この辺りは隠れる場所が多いようだ。蟲が近づいた事に気付いて、息を潜めているのだろう」


 クロウも自身がグランサーとして今の状況に置かれたならば、その選択を選ぶであろうだけに頷き、人が隠れられそうな物陰や蟲が侵入できなさそうな空間へと視線を向ける。しかし、赤錆に彩られた光景ばかりが目に入ってくるばかりだ。

 ままならない現状に焦燥を感じつつ、蟲の群れの動きを探る為に、後方へと向き直る。群れの大部分はエフタ市へと向かっており、クロウ達を追ってきているのは、十から二十といった程度であった。

 群れが追ってこない事には安堵するが、二十近い蟲が追ってきている事に違いはない。それだけでも十二分な脅威となる数であるし、現実として、全周を包囲されてしまえば、頑強な顎や鋭利な牙の餌食になってしまうのが落ちである。


 ラティアに囲まれる状況を想像して、クロウは独り息を呑む。その最悪の事態だけは何としてでも避けたいと考えた所で、視界の隅で閃光が走った事に気付いた。


「教官!」

「閃光弾の光だな。急ぐぞ」


 クロウが返事をする前に、グラディの機体が駆け出す。クロウもまた追従して行くと、外壁の大部分が残っている廃墟近く、巨石めいた大きな瓦礫が散在する場所で、三匹のラティアに追われるグランサーを認めた。

 そのグランサーは必死に走って逃げているものの、相手が四リュート近い体躯を持つラティアだけに、今にも追いつかれそうな状況であった。


「前は俺が急ぎ潰す。貴様は連中の注意を引いて牽制しろ」

「わかりましたっ」


 グラディは遮蔽物を利用して姿を隠しながら、グランサーに一番近いラティアを目指して足を速める。一方のクロウはラティアの注意を自分に向けるべく、あえて開けた場所より接近を図った。


 けれども、ラティアの注意は逃げるグランサーから逸れない。


 ならばと、彼は両手で持っていた大鉄槌を左手で保持し、開いた右手で手の平程の瓦礫を拾って、一番近くにいるラティアへと思い切り投げつけた。

 基礎訓練での地道な反復の成果が出たようで、空を穿つ瓦礫は一匹の側頭に命中して甲殻を砕いた。一瞬の後、頭部より緑の鮮血が吹き出して、悲鳴に似た響きが上がる。

 その耳障りな響きに、クロウは思わず顔を顰めるが、他のラティアには違う意味合いがあったようで、全てのラティアの動きが止まった。そして、三匹のラティアは二本ある触角を頻繁に動かした後、横槍を入れた相手へと頭部を指向させ、六本の脚を器用に動かして方向転換を行う。

 三匹がほぼ同時に自分へと頭を向け、半包囲するかのように動き始めたのを見て、クロウの心身は恐怖に怯え震える。

 しかし、彼は腹に力を入れると、無理矢理にも口元に笑みを浮かべて、恐怖に立ち向かう。引き攣り気味で余人からは見れた代物ではなかったが、浮かべた笑みは少年を支える力となった。


 クロウはゆっくりと接近し始めたラティアからの圧力に耐える。汗が止めどなく顔や首筋を流れるが、不快に思う余裕もない。ただ、攻撃を仕掛ける、或いは、攻撃を回避する為に、三匹の様子に気を配る。


 十リュート、五リュートと距離が詰まり、クロウの鼓動は激しく高鳴る。


 次の瞬間。


 クロウから見て左手にいたラティア、その頭上に影が差したかと思うと、両刃の大戦斧が頭部を断ち割り、グラディの機体が降り立った。


「叩き潰せっ!」


 教官の檄に動かされる形で、クロウは右手のラティアへと突貫し、頭頂部にある無機質な大目玉だけを見つめ、大鉄槌を全力で振り降ろす。

 それとほぼ同時に、ラティアの開いた顎がクロウの機体を捉え、牙が機体胴部へと食い込んだ。クロウの耳に圧力によって装甲が切り破られていく不快な音が聞こえてくる。


「あぁぁぁあああああああああっっ!」


 が、強力な牙がクロウの機体を上下に分割する前に、大鉄槌が鈍い音と共に頭部の大部分を破砕し、顎を動かす筋をも引き裂く。否、過剰な力を与えられていた槌頭は頭部そのものを弾けさせ、左右に割るように吹き飛ばしていた。

 破砕部より緑血が溢れ出し、ラティアの巨体が沈む。それに引き摺られる形で、胴体に食い込んでいた牙もまた赤砂の中へと落ちて行った。


 クロウは荒く息を吐き出しながらも、音を頼りにグラディが戦闘を行っているであろう場所へと機体を向ける。丁度、グラディの機体が二匹目のラティアの頭部を断ち落とした所であった。


 グラディは機体を回転させて周囲を警戒しながら、常と変らぬ声でクロウに話し掛けてきた。


「エンフリード、一撃でもって屠った事は評価する。だが、鉄槌が持つ取り回しの良さを活かせておらん。武器の特性にあった攻め方を心がけろ。いちいち命を賭けて戦っていては命が幾つあっても足りんぞ」

「……気を、付け、ます」

「ならいい。蟲共が寄ってくる前に動くぞ」

「はい」


 クロウは息を整えながら答え、グラディが潰したラティアへと目を向ける。左脚全てが切り払われており、そこから攻めた事をクロウに教えていた。

 彼は死骸を見つめ、得心した様に一つ頷き、大鉄槌を一振りして血糊を飛ばす。その際、感触に若干の違和感を感じて目を向けると、頑丈な造りの柄が反りを持ったように曲がっていた。


 もっと落ち着いて動かないと死ぬかもしれない。


 クロウは曲がった柄を見つめながら、冷静さを保って動く事の大切さを胸に刻みつける。その一方で、グラディは座り込んでいるグランサーへと機体を近づけて、ゆっくり話しかけた。


「この場には、何人いる?」

「な、七人くらい、い、い、い、いた、と思う」


 震え声での答えを聞いたクロウは途方に暮れる。パンタルで運んで逃げようにも、一機当たり二人が限度であったからだ。これは増援が来るまでの持久戦になりそうだと、少年が天を仰いでいる間にも質問は続く。


「その者達が、どこにいるか、わかるか?」

「あ、あっちに、隠れられそうな場所があったから、そこに隠れようってなんったんだけど、俺の仲間が足りなくて、そ、それで、捜しにいったら……、た、たべられてて、い、いたいいたいって、ないて、さけんでっ、おれに、た、たすけてって、てをのばしてっ! それでっ、それでっ!」


 グランサーは半ば錯乱したように話し始める。その内容から、クロウは幼少の記憶を思い出して表情を曇らせていたが、後方よりラティアが近づいてきた事に気付き、グラディに知らせる。


「教官、蟲が近づいてきています」

「距離は?」

「大体で、五百程です」

「わかった。一先ず、この者達が隠れたという場所に行く」


 クロウは現状を鑑みて、一つ懸念を示す。


「それだと、蟲を誘導してしまいませんか?」

「ふっ、既に蟲共がいる状況では今更の話だ。後の方針は隠れたという場所次第で決める」

「……場所次第」

「そうだ。蟲が侵入できないような場所であれば、別の場所へ誘引を図り、蟲が入り込んできそうな場所ならば、増援が来るまで我々で守る」

「わかりました」

「よし、エンフリード、貴様はこの者を抱えろ。すぐに移動する」

「はい」


 クロウは顔を青くしているグランサーを左腕で抱え上げる。それから、蟲の目から逃れるべく遮蔽物の陰に隠れながら、グラディと共に隠れ場所に向かって動き始めた。



 グランサーに案内されて辿り着いた場所は外壁が残る廃墟であった。

 人工石造りの外壁は二リュート程の高さがあるものの、崩落する等して途切れ途切れになっており、蟲が入り込めそうな場所は多い。この頼りない防護壁を見て、クロウは項垂れるも次の言葉に希望を持った。


「こ、この中に、もうひとつ壁があって、その内側に隠れてる」


 二機のパンタルは背後や周辺に注意を向けながら、崩れた壁の合間から中へ入る。話にあった通り、約五リュート先に高さ三リュート近い壁が囲いをつくるように立っていた。よく見れば、壁に一か所二リュート幅の切れ目がある。その切れ目に向かって歩きつつ、グラディがグランサーに質問を始めた。


「壁の切れ目はここだけか?」

「あ、ああ、そこだけ」

「天井はあったか?」

「なかったけど、地下に降りる階段があって、そこに」

「階段の奥はどうなっていた?」

「と、途中で崩れてて、奥にはいけなかった」

「崩れた場所までの長さは?」

「え、えと……、ご、五リュート程だったと思う」

「階段の幅は?」

「た、たぶん、二リュート位」


 二リュートはラティアが通れる幅であった。故にグラディは決断する。


「エンフリード、増援到着までここで守りを固める」

「陣形は?」

「貴様は壁の外側……切れ目の前に陣取って時間を稼げ。内側に引く時機は貴様の判断で構わん。俺は内側で壁を乗り越えてくる連中に備える」

「わかりました」


 クロウは素直に了解する。全周を警戒するよりも、後方を気にしなくて済む場所の方がありがたかったのだ。

 切れ目前まで来たクロウは保護していたグランサーを降ろす。その際に垣間見た壁の内側には、確かに地下に降る階段があった。グラディがグランサーと共に内側に入ろうとした所で、爆発の重い響きが遠方より聞こえてくる。


「市軍が仕掛けたようだな。……エンフリード、いましばらくしてから、位置を知らせる信号弾を上げる。当然、蟲に位置を気取られることになるだろう。心しろ」

「了解です」


 クロウは返事をした後、暑さと緊張で疲弊した身体に鞭打ち、大鉄槌を両手に持って構え、外壁の隙間に目を向けながら、静かに耳を澄ます。


 彼の耳に聞こえてくるのは、不連続に続く乾いた響きと時折生じる重い爆音、吹き抜ける砂海の風に乗った砂塵が壁に当たる音。そして、ラティアの脚が砂地を踏みしめる音。決して遠ざかる事がない足音に、銃火の響きに釣られるかもしれないという甘い考えは消え、彼は三度目の戦闘を覚悟する。

 とはいえ、信号弾を上げない内から見つかって、戦闘になるのは勘弁だと思うのは当然である。故に、クロウは息を潜めて、出来うる限り物音を立てないように努める。

 この努力が実ったのか、はたまた、巡り合わせが良かったのかはわからないが、彼の視界に蟲の姿は現れることなく、時間は過ぎていく。


 そして、乾く喉を潤す事数回。


 遠方の戦闘騒音が静かになっていき、クロウは時が近づいてきたことを知る。自然、彼の鼓動が速まっていけば、胸騒ぎに似た不安感も広がっていく。

 命を賭した戦闘を二度経験したとはいえ、これ位はなんでもない等と嘯ける程、クロウは強くはない。ただただ生き残る為に、心身を侵す緊張を解くべく、何度も深呼吸を繰り返す。


 クロウが四度目の深呼吸をした頃、唐突に射出音が聞こえ、数瞬の後、乾いた炸裂音が響き渡った。赤い輝きが蒼天に軌跡を描いて落ちていく。その赤光の下、彼は大鉄槌を握る手に力を込めた。


 彼の耳に入ってくる足音は徐々に大きくなり、幾つかある外壁の隙間、その一つより何かを探すように左右の触角を動かすラティアが顔を覗かせた。クロウは頭部に並んでいる赤い目玉に一撃を加えたいという誘惑に駆られるが、我慢して更に周囲に目を配る。


 そのラティアはクロウのパンタルへと頭部を指向させながら、ゆっくりと壁の内側に入る。その後に続くように更に一匹、また一匹。クロウが近づいてくる脅威の姿に息を呑んでいると、別の隙間から一匹、外壁を乗り越えて一匹と、ラティアが集まってきた。

 半包囲する形で三方向よりじりじりと巨大な蟲が迫る。クロウは攻めたとしても一匹を潰した段階で、袋にされて潰されると判断し、どこまで通じるかはわからなかったが、大鉄槌と機体の動きでもって牽制することにした。


 右方の蟲の脚が動けば、大鉄槌の柄頭を向け、左方の一匹が身動ぎすれば、機体正面を向ける。


 クロウにとっては幸運なことに、牽制が通じて三リュート程の距離での睨み合いが続く。が、少年に掛かる負担はこれまでの比ではない。

 しかも、その間にもラティアの流入は止まらない。次々に姿を現して増えていき、遂には二十を超える蟲が半円を描くように十重二十重と取り囲む。自分一人を囲むには多すぎる数に、クロウは思わず笑い出したくなる。けれども、実際に笑う事は出来ない。そんな余裕はないのだ。


 クロウの心身が消耗するのと比例するかのように、最前列のラティアとの距離が徐々に縮まっていく。そして、彼我の距離が二リュートを切る。時間間隔が狂ったクロウには、どれくらいの時間を稼げたかはわかなかったが、最早、限界である。

 張りつめた糸が一息で切れる状況に至り、クロウは内壁内へ下がる事を決めた。切れ目内側に陣取り、入り込んでくる所を叩くことにしたのだ。


 クロウは余計な事は考えずに、大鉄槌を横薙ぎに鋭く一振りする。その反動を利用して機体を反転させ、切れ目に飛び込んだ。


 背後より牙が閉じる風切り音やラティアが壁に衝突する鈍い音が伝わってくる。けれど、クロウは気にせず壁の影に回り、早速、入り込んできたラティアの頭部へと得物を振るった。


 一撃目で巨大な目玉が弾け、二撃目で頭の半分が潰れる。


 三度目の打撃で命を叩き潰したという、当事者にしかわからぬ手応えを感じ取ると、今度は今し方潰したラティアと壁に挟まれて引っ掛かり、身動きが取れなくなった別のラティア、その頭部を殴りつけた。槌頭は鮮やかな緑血を引きながら、蟲の甲殻を砕き、更なる血飛沫を生み出す。


 機体を鮮緑に染めながら、クロウは只管に大鉄槌を打ち振るう。その度に、全身の筋肉は悲鳴を上げ、心臓は破裂しそうな程に激しく脈打つ。限界近い少年を突き動かすのは復讐心ではなく、ただ生き残る事を求める本能。生存には蟲の排除が最善だと断じた闘争本能だ。


 二匹目を潰し、三匹目の牙を砕いて叩き伏せる。尚も動こうとする頭を機重で踏み潰し、四匹目の頭頂を打ち砕く。四匹目を踏み越えてきた五匹目の顎に横薙ぎの一撃を与え、返す一振りで側頭を叩き割った。


 そこでようやく、ラティアの侵入が止まる。


 クロウは荒く乱れた息を発しながら、切れ目を睨みつけて動きがないか観察を続ける。そんな彼に背後から声がかかる。


「よくやった、エンフリード」


 壁の内側で守りについていたグラディだ。彼の機体の周囲にも、壁を乗り越えてきたラティアの躯が四つ転がっていた。背後の事を一切考えていなかったクロウは返事が遅れる。


「あ……、は、い」

「そろそろ、市軍の砲撃が来るはずだ。今少し辛抱して、引き続き警戒しろ」

「わ、わかり、ました」


 息を整えながら頷き、ゆっくりと後退して蟲の死骸で埋まった出入口から距離を取る。その際、視界に入った大鉄槌は過負荷を強いられた為か、柄の反りがより酷くなっていた。戦闘中に折れるのは不味いと、クロウは予備の手斧と交換しようと腰に手を伸ばす。



 突如、壁の向こうで爆発が生じた。



 腹に響く轟音と共に、蟲の断片が入り混じった砂塵が吹き上がり、地面が振動する。


「ぬおぅぉおっ」


 この突然の出来事に、クロウは吃驚の叫びを上げ、左手の大鉄槌を取り落としてしまい、慌てて右手の手斧を握りしめた。


「ふっ、後、四、五発は来るぞ」

「……えと、誤射は、しませんよね?」

「さて、それは砲手の腕次第だな」


 グラディの無情な言葉に、なんとか生き残れそうなのにと、クロウは涙目で絶句する。その間にも次々に砲弾が飛来し、壁の外で激烈な華を咲かせる。


「砲撃が終わり次第、市軍の機兵隊が来る。だが、最後まで油断するな」

「はい」


 と答えたものの、砲撃によって面前の脅威が排除されつつある中、増援が到着すると聞いては、これまでクロウを支えていた気力も弱くなる。誤射への恐れを抱きつつも、僅かばかりに肩の力を抜く。途端に、心身の疲れが表に出ようと暴れ始めた。簡単に言えば、あくびである。

 気が抜けて思わず出かけたあくびを、クロウは噛み殺そうと口を閉ざす。が、これまでにない強烈な生理欲求には勝てず、目に涙を浮かべながら、大きく口を開けて息を吸い込んだ。



「ぅッごふぁっ!」



 それは戦場において、稀に発生する凶事。


 クロウ達を救出するべく到来した市軍部隊において、最大戦力であるバルド級小型魔導船より行われていた支援砲撃、最後の一発が内壁の一画に着弾。環境による風化もあって、人工石の壁は大きく損壊し、爆風と共に断片を周囲にまき散らす。

 この際、断片の一つ、三十ガルト大の頑強な石塊がクロウのパンタルに命中。左上腕を破壊して胴体に打ち当たり、その衝撃でもって機体をなぎ倒した。


 結果、搭乗者たるクロウは疲れ切っていたこともあり、突発的な衝撃に抗しきれず、一瞬で意識を刈り取られた。そして、これがクロウにとっての、初陣の終りであった。


 とにもかくも、気絶したクロウは砲撃が終わった後、救援に来た市軍機兵隊によって、グラディや隠れていた五人のグランサー共々回収され、エフタ市へと運ばれたのだった。



  * * *



 市軍部隊がエフタ市近郊に展開して、討ち漏らしたラティアの掃討が行われる中、クロウ達を乗せたバルド級小型魔導船がエフタ港に入港する。船は港内で俊敏に回頭すると船尾より岸壁に近づいていき、ゆっくりと接岸した。

 岸壁の上、先に帰還していたディーンと三人の教習生達、更には万が一に備えて魔導機回収車を伴って待機する整備班の面々が見守る中、船尾に設えられた斜路が降りる。港湾作業員と船員が固定作業を行う中、グラディが降り立った。


 集まった者を代表して、ディーンが先達に話しかける。


「おやじ殿、無事で何よりです。目的のグランサーは保護できましたか?」

「五人保護し、市軍に委ねた」

「そりゃよかった」

「貴様らが運んだ負傷者はどうなった?」

「市軍が市病院に運びました。命は助かりそうです」

「なら、いい」


 グラディの頷きに相槌を打ちつつ、ディーンが周辺を見回した後、真剣な表情で尋ねた。


「ところで、エンフリードの姿が見えませんが?」

「気絶しおったからな、今は休ませている」

「は?」

「最後の最後で、砲撃の余波に巻き込まれた。機体左脇に跳ね飛んだ瓦礫を喰らって横転、気絶だ」

「……うは、そりゃあ、不運としか言いようがないな」

「むしろ幸運だな。左腕に当たって、勢いが落ちていなければ、胴体を貫通していただろう」


 そういった事例を見聞きしてきただけに、ディーンは苦笑いを浮かべるが、クロウの機体が倒れた直後、被害状況を直接確認していることもあって、グラディの表情に笑みはない。

 ディーンの後ろで話を聞いていた三人や見習い整備士達もまた、クロウが遭遇した状況を想像して、揃って顔を青くした。中でも特に四番機付整備士の狼狽が酷かったが、老整備士達によって大丈夫だと諭され、落ち着かされている。


 後方のざわめきを聞き取ったディーンはグラディに提案する。


「ここで話していると市軍にも迷惑になりますし、先に機体を降ろしましょうか」

「ああ、回収車と作業員の乗り入れ許可は取ってある。俺とエンフリードの機体を運び出せ」

「了解」


 ディーンが後方の整備班に合図を送り、教習生達にも機体とクロウの様子を見てくるように指示を出す。直に回収車が動き出し、教習生や見習い達が船上へと向かう。その様子を見やりながら、ディーンは幾分声を落として尋ねた。


「市軍への礼は?」

「今は忙しかろう。今夕或いは夜に、司令部に顔を出すつもりだ。貴様も付き合え」

「うへぇ、堅苦しいのは好きじゃないんですけどねぇ」

「顔つなぎの一環だ。甘んじて受けろ」

「へいへい、わかりましたっと。あー、そう言えば、武器の回収にも行かんとなぁ」


 グラディとディーンが話をしながらも全体の作業に目を配る一方で、船上に上がった三人の教習生と見習い達は駐機態勢で固定されたクロウの機体、その惨状に目を見張る。

 機体各所は返り血の暗緑に染まり、左腕は上腕半ばで断ち切られている。また、その内側の胴体へと目を向ければ、焼成材装甲を割り砕き、内部の鋼材装甲を二十リュート大に凹ませる形で、クロウに降りかかった不運の痕跡が残っていた。


「これは……、酷いな」


 レイルが顔を顰めながら呟くと、それに応える声があった。


「だよねぇ。俺、ほんと、よく生きてたわ」


 機体近くでへたり込むように甲板に座り込んでいたクロウだ。胡坐をかいた彼は頭部防護具を外して、まだ湿っている赤髪を晒し、汗で変色した機兵服の胸元をだらしなく開いて、疲れ切った風情を醸し出している。


「気絶したと聞いたが、大丈夫なのか?」

「一応、船の衛生官が見てくれたよ。まぁ、大丈夫らしい」


 レイルの疑問に気怠い声で答えるも、大きく窪んだ目元や少々虚ろな瞳が、クロウの疲労を如実に語っていた。その姿に思う所があったのか、ジルトは皮肉を言う事もなく、クロウの帰還を祝する。


「まぁ、色々と大変だったようだけど、君も無事に帰って来れてよかったじゃないか」

「おぉ、ありがとうよ、ダックス。でも、殿って、マジで身体しんどくて、不安や焦りが心に来るっていうか……、ほんと、やる破目になったら、色々と覚悟した方がいいって言っとくわ」

「あぁ、心しておくよ」


 神妙な顔で頷いたジルトの隣で、テオが真剣な表情で機体脇の足元を見つめている。視線の先には、酷使によって柄に反りが生じた暗緑色の大鉄槌が置かれていた。


「クロウ君、これ、柄が曲がっちゃってるよね?」

「あぁ、うん。あの後、更に二回やってね。気付いたら、曲がってた」


 柄が曲がるって、どんな戦闘だったのだろうと、テオが頬を引き攣らせていると、回収車に乗っていた腹が大きい老整備士がなんでもないように話しかけてきた。


「おいおい、坊主どもにゃあ、まだ物珍しいかもしれんが、一戦終わると、これ位は起きて当たり前だわな。ってか、そこにいられると作業の邪魔になるわい。ほれ、整備班も動け動け。先方の都合もあるさね」


 この声に見習い整備士達が一斉に動き始め、教習生達も端へと寄る。クロウもまた、作業の邪魔にならないように、疲れた身体に喝を入れて立ち上がった。


「エンフリードさん」


 それは少女の声。クロウが導かれるままに顔を上げると、エルティアがいた。眼鏡越しに見える目はほんの少しだけ赤かった。


「はは、ラファンさん。なんとか、無事に帰ってこれたよ」

「はいっ、よかったです。よかった、本当に……」


 微かに声を震わせた機付整備士の姿に、クロウは生きて戻ってきたことを実感しつつ、口を開く。


「あー、でも、機体はこんなになっちゃたんで、その、修理の方をよろしくお願いします」

「ええっ、任せてください! ちゃんと直して見せますから!」


 エルティアは表情を綻ばせて大きく頷いて見せた後、クロウの機体に近寄って他の見習い達と共に作業を始めた。その際、女性見習い達から何事か言われて、からかわれた様だが、丁度、熱風が吹きつけた事もあって、クロウの耳には届かなかった。


「クロウ君、レイリーク教官が、機体の回収は整備班に任せて、教習生は教習所に戻って、ルシアさんから問診と診察を受けろだって」

「あ、うん。わかったよ、テオさん」


 クロウは起重機に吊り上げられようとしている自機に一度目を向けた後、教習所に戻るべく歩き始めた。



 教習生達が教習所に向かう姿を見送りながら、ディーンが傍らに立つグラディに尋ねる。


「ところで、エンフリードの野郎はどんな感じでしたか?」

「初陣だけに蟲への対処が甘い。が、状況への理解力と対応力は一端の機兵並みだったな」

「おやまぁ、おやじ殿が褒めるとは珍しい」

「ふん、本人がいなければ、正当な評価位する」

「ははっ、陰口ならぬ、陰評価って奴ですか?」


 ディーンが軽口を口にしながら、何気なく脇に目をやった所で目を見開いて口笛を吹いた。


「どうした?」

「いや、ちょっと、珍しいお客さんがね」


 グラディが訝しげな表情を見せつつ、ディーンの視線の先へと目を向けると、港湾門方向より、黒髪の秘書を従えたセレス・シュタールが近づいてくる所であった。

 青髪の麗人に気付いたのはディーンだけではなかったようで、近くにいた男達、市軍の兵や男性見習い、港湾労働者達が気を取られ、作業の手を止めて見つめている。もっとも、当人は多くの視線を集めていることを気にしていないのか、目的の人物、つまりはグラディだけを見つめて進んでくる。


「おやじ殿、どうも作業が滞ったみたいなんで、ちょっくら監督に行ってきます」


 ディーンは口元をにやけさせながら態の良い口実を言い放つと、船上へと向かう。残されたグラディは困惑を押し隠すように気難しい顔を表に浮かべ、面前にやってきた戦友の娘であり、自身にとっても娘同然の存在に苦言を呈した。


「馬鹿者が、非常事態だというのに、連合会の重役たる者が避難対象区画に来るな」

「まぁ、グラディ小父様、私、これでも魔術士ですのに、酷い仰りようですね」

「当たり前だ。主に甘いルティアスでも叱る」

「ふふ、かもしれません。ですが、迷惑にならぬ程度に現場に赴き、その場の空気を感じ取り、現実を見知る事も大切だと、私に教えたのは小父様です」

「む……」


 確かに言った覚えがあっただけに、グラディは言葉に詰まる。しかし、それでも尚、表情を強くして言い募る。


「例えそうであっても、主の代わりになれる者はいないのだ。重々に自重しろ」

「私が教習所の担当役員であり、最終試験の最中に蟲による襲撃があったと聞いて、状況を知りたいと思ったとしても、ですか?」

「ああ、そうであってもだ。報告が届くまでどっしりと構えて待ち、大局的な視野でもって状況に応じた判断する事が上役の役目だ」

「確かにその通りでしょう。ですが、私は時と状況に応じて、素早く動く事も大切だと思っています」

「……ふぅ、要職に就いて、少しは大人しくなったかと思ったが、主のお転婆は変わらんな」

「座して待つだけが、女の在りようではありませんので」


 しれっと言い切ったセレスに、グラディは参ったと言わんばかりに首を振り、ここに顔を出した用件へと切り込んだ。


「それで、本来の用件は?」

「被害状況の確認と面倒をお願いしたエンフリード殿が無事であったかの様子見です」


 反撃の手掛かりと手に入れたとばかりに、グラディは僅かに口元を緩める。


「やはり色気づいていたか」

「あの……、小父様? ご期待に沿えずに申し訳ありませんが、彼の人への措置はある方から頼まれてのことなのです」

「何? 主がそのような対応をするとは、珍しいな」

「ええ、今回の措置は私にも利があると唆されました。それで、どうですか、彼の人は」


 セレスの言葉は些か偽悪的な物言いであったが、後ろ暗さを感じ取れなかった為、グラディは流して答えた。


「悪くはない。調子に乗って馬鹿をせず、経験を重ねれば、早々、死ぬことはない腕だ」

「そうですか、辛口の小父様がそう評価するならば、相応の技量なのですね」

「ふ、気になるのか?」

「……小父様、もう一度言っておきますが、彼の人への優遇は、ある方に、お願いされてのことです」

「わかったわかった。では、今度顔を出す時は、主にらしくない事をさせた者も連れてこい。そこまで強調されると、今度はそちらが気になりだした」

「ふふ、わかりました。先方の都合を聞いておきます」 


 セレスはグラディと小人を引き合わせた際の事を思い、珍しくも悪戯めいた笑みを浮かべて頷く。その後、二機の魔導機が回収車に乗せられて、教習所に引き上げる段になるまで、今回の襲撃による被害状況や二人は互いの近況、大砂海域や他地域の状況、新たな魔導機用防具等々について話し続けた。



  * * *



 一夜明け、斜陽節第二旬二十日。

 前日、エフタ市周辺で発生したラティアの襲撃及び撃滅戦において、軍民合わせて二十人以上の死傷者及び行方不明者が出ているのだが、常の休日とあまり変わらず、市内は賑わっている。

 市民生活に表立った動揺が出ていないのは、大多数の者が蟲の襲撃を時に起こり得る災害、火災のような事象として認識している為だ。見方を変えれば、襲撃は災害であると位置づける事で一般化し、甲殻蟲に対する恐怖を鈍らせているだけと取れなくもないが、それは置く。


 市内が常日頃と同じ様子を見せているのに対し、港湾地区は砂海と直接繋がっているという環境もあって、市軍機兵隊が出張っての警戒態勢が敷かれている。とはいっても、半分は市民向けの形式的な物であり、それ程の緊迫感はない。

 地区外れにある魔導機教習所も先日の騒ぎがなかったかのように、平素と変わらぬように見えるが、少しばかり様子が違った。というのも、魔導機搭乗本式免許教習の最終日を迎えていたのだ。


「どうにか、終わったね」


 本館の一室、前日説明や講義が行われた部屋で、どこか気が抜けた顔でテオが静かに呟いた。


「ああ、終わった。大きな仕事を一つ、終えた気分だ」


 その声に応じたのは、普段と変わる事がないレイルだ。


「何を言っているんだ、君達は……。魔導機乗りとしての始まりだよ」


 そんな二人の声に異を唱えたのはジルトであった。銀髪が艶だっている彼は更に言葉を重ねる。


「新しい生活、新しい人生の始まりだというのに、後ろは見ず、先を見つめたまえ」

「おぉ、良いこと言うなぁ」

「ふふん、当たり前だ」


 すかさず入ったクロウの合いの手に、ジルトは調子に乗って胸を張った。


 彼らは横並びの一列、機体番号順に自然と座り、教官達が来るのを待っている。というのも、これから免許教習を締め括る修了式が行われるのだ。


 先日は、ルシアより問診や診察を受けた後、陽も傾かない内から早々に休まされた事もあって、どの顔にも疲労の色はない。昨日の段階で最終試験の合格と教習の修了を言い渡されている為、心も爽やかである。

 その為か、それぞれの表情は明るく、午前中に行われた写真撮影や書類作成といった雑事も恙なく進める事が出来ていた。


 不敵な表情を隠さないジルトに、クロウが話しかける。


「お前さん、なんか今日、ほんとに元気いいなぁ」

「ああ、今ならば、教官達にも勝てそうな気がするよ」


 と、そこに三人の教官が入ってきた。途端、ジルトの威勢良さはどこかへと消え、澄ました顔で大人しくなった。この変わり身の早さに、他の三人が思わず苦笑していると、それをディーンが拾い上げた。


「ん、揃って不気味に笑ってるが、どうしたんだ?」

「いや、不気味って……」


 クロウが思わず突っ込むと、ディーンはにやりと笑って続ける。


「そりゃ、お前、部屋に入ってみたら、数人の男が声も出さずに笑ってたなんて、気持ち悪い以外に言いようがないだろう」

「う、確かに」

「ま、原因がダックスってことだけは直ぐ分ったけどな」


 と、ここまで話して、他の教師陣より向けられる視線に気付いたのか、ディーンは肩を竦めて、前に立つ他の二人の横に並んだ。すかさず、この場でただ一人の女、ルシアが一つ咳払いして口を開いた。


「これより、魔導機搭乗免許教習の修了式を始めます。早速ですが、修了証を授与しますので、名前を呼ばれた方は前に出てください」


 この声に合わせるように、ディーンが一歩前に進み出た。それを認めると、ルシアは一つ呼吸を置き、名前を読み上げる。


「レイル・ウォートン」


 応じてレイルが席を立ち、三人の前に進み出る。すると、ディーンがルシアより受け取った一枚の紙を手渡した。


「ウォートン。心身共に安定し、状況に応じて適切に動けるお前に指摘する事はない。ただ鍛錬だけは怠るな」

「ありがとうございます」


 レイルは落ち着いた声で礼を言うと席に戻る。


「テオ・トルード」

「は、はい」


 テオはルシアの声に動かされ、前に出る。その彼に、ディーンが先と同じく一枚の紙を手渡す。


「トルード。機体制御技術に言う事はないが、戦闘にあっては慎重すぎるように感じられた。普段はそれでいいんだが、この先、お前が率先して動かなければならない時もあるかもしれん。そういった時は、勇を振るって前に出られるように努めろよ」

「わかりました」


 その声と共にテオは頭を下げ、席に戻った。


「ジルト・ダックス」

「はい」


 ジルトはルシアより声がかかると、即座に動いて前に出てくる。そんな彼の様子に、軽い笑みを浮かべながら、ディーンがこれまでと同様に紙を手渡す。


「ダックス。お前が勇敢であろうとして己を奮い立たせ、困難に面して努力してきたことは大いに認められることだ。冗談を抜きにして、評価に値する。しかし、それが却って空回りを生み出すことが多いように見受けられた。勇敢と無謀は違う。この意味をしっかりと考えて、行動するようにしろ」

「はい、しっかりと留意していきます」


 ジルトの声にいつもの傲然さはなく、真摯に満ちた態度で頭を下げると、席に戻る。


「クロウ・エンフリード」

「はい」


 クロウがルシアの声に導かれるように前に出る。その彼に、ディーンは紙を一枚手渡した。上質の紙には魔導機搭乗免許教習修了証の文字とクロウの氏名が大書されていた。


「エンフリード。お前が初陣で色々と経験したように、戦場では何が起きてもおかしくない。今回、運に見放されて、砲撃の余波で一撃を喰らったようにな。だからこそ、言う。運という不確定な要素に負けないように、弛みなく腕を磨き続けろ。多少の不運は、笑って蹴散らせるようにな」

「はい、ありがとうございます」


 クロウはディーンに対し、丁寧に頭を下げてから、席へと戻る。


 教習生、いや、修了生達が全員座った事を確認すると、ディーンは一歩下がり、ルシアが一歩前に出て、再度話し出す。


「修了証はあなた方が本教習で免許を保持するに足る技量を収めたことを証明する物です。免許を紛失した際、再発行手続きに必要となりますので、大切に保管してください。次に免許証の交付についてですが、修了式終了後に別室にて行います。その際、受領証書に捺印して頂きますので、予めご了承ください。また、機体の譲渡を求められる方は、別途手続きが必要となりますので、免許証交付の際に申し出てください。……最後となりますが、みなさん、教習修了、おめでとうございます。これからのご活躍に期待しています。私の方からは以上です」


 以後の手続きについて説明し、修了生達を祝すると、ルシアは後方へと下がった。そして、グラディが前に進み出る。


 白髪の老教官は修了生の顔を、それぞれが成長しているかどうかを確認するように、一頻り眺める。それから、満足したことを示すように一度だけ頷き、口を開いた。


「本教習を無事に修めた貴様らは、これより魔導機搭乗免許を保持し、機兵となる」


 寂びた声が朗々と響く。


「言うまでもなく、機兵とは人類を甲殻蟲の脅威より護る盾である。己を人類の盾であると自任する心、その信条に背かぬ意地が、機兵を機兵たらしめるのだ」


 皺が刻み込まれた顔に、更なる皺を刻み、老機兵はより厳かに諳んじる。


「そして、機兵たる者は、どこまでも不屈でなくてはならない。どのような絶望的な状況にあっても、貴様らの背に守るべき者が、貴様らの背を見つめる目がある以上、貴様らは決して挫けることは許されん。最後の最後まで粘り強く戦い、死力を尽くして抗うのだ。人は決して蟲に屈しない。その事を身をもって示し、斃れたとしても血と躯でもって残す。それが機兵に与えられた使命だ」


 そこまで言うと、グラディは口元を緩め、声音をやや和らげて言った。


「その使命から背かぬ限り、この先をどう生きるかは、貴様ら次第だ。後々になって、後悔をしないように生きろ。俺からは以上だ」


 自然、四人の修了生達は立ち上がり、背筋を伸ばすことで応えた。



 かくして、三百六十一期生は汗涙の揺籃より巣立つ。

 世に出る若人達の前途を祝するように、曇りない空には光陽がその輝きを放っていた。





 2 老機兵は不屈を謳う 了

12/08/19 表現修正。

12/08/25 誤記修正。

13/11/15 語句修正。


 以下、何とか二章を書き上げた、作者のあとがき

 適当に広げた風呂敷を包むのは難しい作業だという事を実感したでござる。

 ぷろっとをうまくねれるようになりたいす。

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