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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
2 老機兵は不屈を謳う
17/96

七 砂塵塗れの初陣

 斜陽節。

 一年四節において、天に輝く光陽が勢いを衰えさせていく時節であり、甲殻蟲が活発化する夜闇が深まっていく時期である。それ故に、光明神が広く信仰されるノルグラッド山脈以南の人類支配地域、特に同盟においては忌み嫌われているのだが、砂礫広がるゼル・セトラス域では少しばかり事情が異なる。

 なんとなれば、ゼル・セトラス域では一年の内で最も暑さが和らぎ、北より程良い涼風が吹き付ける為だ。他地域の者は眉を顰めるであろうが、年中、砂海の暑さに辟易しているゼル・セトラス域の住民は、自然と斜陽節を歓迎するようになる。人が寒さより暑さに対して弱い以上、どうしようもない事なのだ。


 魔導機教習所で教習を続けているクロウ達も、斜陽節の深まりに合わせるかのように深化していく訓練を経て、魔導機をより上手く、より巧みに操れるようになっていく。

 どれ位上手くなったかを具体的に言えば、教官相手の戦闘訓練で拮抗する、とまでは流石にいかないものの、一撃二撃は攻撃を耐えて反撃するしぶとさと相手の攻撃範囲を見計らった位置取りを身に着け、易々と撃破されなくなったのだ。為す術もなく撃破されていた当初期を考えると確実な進歩である。

 また、操縦練度の向上に伴って、単機での習熟訓練や戦闘訓練が主だったのが、複数機での共同訓練も行われるようになった。この共同訓練は、機兵として最低限覚えなくてはならない基本技能の習得が主目的である。

 機兵として必要となる基本技能を簡単に例示すると、限られた視野を補完し合って互いの死角を失くす連携の基本や隠密行動時における手信号での意思疎通の仕方、危地での休息方法、撃破された魔導機内から味方を助ける方法等々といったものだ。

 そして、これらの技能を確実に習得させる為、また教習の最終試験に備える為、教習第三旬目以降は安全な教習所から港湾出入口付近の砂海、つまりは市外へと訓練場所を移して、緊張感を一層高めるようになった。

 この市外での訓練では、より実際の運用状態に近い状態で砂海に展開して、単機での安全確保、複数機での連携法、蟲を発見した際の情報伝達手順、蟲から不意打ちを受けた際の対処法といった、場の状況に応じた動き方が主に行われている。


 こういった具合に訓練の日々は過ぎて行き、斜陽節第二旬十八日……最終試験前日である。

 明日が最終試験という事もあって、常の訓練よりも軽い内容、各機の連携や各種想定に基づいた対処法の確認といった訓練が実施され、それも無事に終わりを告げた。

 普段ならば、教官との戦闘訓練で一日の教習が〆られる所だが、機体を万全の状態にする為に行われず、夕焼けの運動場で、教官達からの訓示が行われることになった。

 もっとも、訓示とはいえ、特に大声でもって発破を掛けるようなことはない。青年教官は軽い調子で初陣で生き残れば一人前だと嘯き、初老の教官は淡々した調子で常の訓練通りに動けと告げたのみである。

 最終試験に向けて気合を入れていただけに、教官達の簡単な訓示を聞いたクロウ達四人は、些か肩すかしを喰らった気分に陥ってしまう。


 少年達の表情から彼らの心境を察したのか、ディーン・レイリークが無精髭を撫でながら笑った。


「ははっ、お前らは初陣だけにまだわからんだろうが、蟲共との戦闘っていうか、命のやり取りってのは、一般人から見れば非常だが、機兵にとっちゃあ日常の延長に過ぎんのよ。……ま、お前らも、直にわかるようになるさ」


 この物騒な言葉に、レイル・ウォートンは右眉を微かに上げ、クロウとテオ・トルードは口元に乾いた笑みを浮かべ、ジルト・ダックスは不敵に頷いてみせた。すると、教習生達がそれぞれに浮かべた顔を認めたグラディが静かに言い放つ。


「だが、それも明日の試験を無事に乗り越えることができればの話だ。予め言っておく、貴様らが明日という日を五体満足に生き残れるかどうかは、他の誰でもない、貴様ら自身の力量次第だ」


 グラディは鋭い目で四人の顔を見渡して続ける。


「そして、貴様らの力量とは、この教習所で行った日々の訓練で培われた物である。そして、訓練で得た物を十全に発揮する為には、当然、訓練通りに動くしかない。……結局の所、訓練が足りなかった者が死に、必要に足りた者は生き残る。ただ、それだけのことだ」


 教習生達は老教官の言葉を聞き終えると、示し合わせた訳でもないのだが、ほぼ同時に背筋を伸ばした。



 教官達を見送り、食堂にやってきたクロウ達は場合によっては最後の晩餐となる食事を終えた。例の如く一つの食卓に顔を揃え、思い思いにくつろぐ。特に会話を交わす事もないが、それぞれがそれぞれに合った形で息を抜いている。

 だが、表面的には息を抜いているように見えても、内実はそうではない。ただ一人の例外もなく、明日の最終試験を思い、初実戦の場を想像し、心を強張らせていた。幾ら厳しい訓練を経てきたとしても、実戦においては己の命が懸かるだけに、心身に感じる負担も大きくなり、今まで感じた事がない緊張を強いられているのだ。

 彼らがその緊張を表に出さないのは一種の意地とも言えるし、少々矛盾しているかもしれないが、厳しい訓練を乗り越えたという自信が平静を取り繕う表層を支えているとも言える。


 椅子に座り、ボンヤリと天井を見上げているクロウもまた、明日に迫った実戦を思い、内心に生じた不定形な焦燥を、腑が落ち着かない漠然とした不安感を持て余している。

 昨日までならば、差し入れを理由に格納庫に出向いて、整備作業を見学することで気分を紛らわせることができたであろうが、今夜だけはよく睡眠をとるべきだと機付整備士に言い含められた上、整備教官からも徹底的に整備するからと出入りを禁止された為、それもできない。


 今、彼が胸に感じている不安感や焦燥は、グランサーとして市外に出て遺物を探している時に感じる物とは異なる。やはり、蟲を避ける事に気を使って生じる物と、蟲と正面切って戦う事を思って生じる物とでは、内包する質が違うのだ。


 そして、胸をざわつかせる不安、恐怖、焦燥、興奮といった情動は、クロウの心奥で眠りについている、彼自身も自覚しきれていない物を揺さぶり起こそうとしていた。


 それは復讐心という名の滾り。


 帰る場所を失った幼少期に生み出され、十年という時の中で精錬された、熱く暗い滾りである。


 クロウは意識しないまま、心身に篭り始めた熱を吐き出すかのように、大きな吐息をつく。それを見たジルトが銀髪を弄るのを止め、クロウの行動を小馬鹿にするように笑った。


「なんだ、どうしたんだい? まさか、今から緊張でもしてるのかな?」

「そうだな、正直に言って、緊張してる。お前さんは違うのか?」


 常のように受け流すと思っていただけに、反問を受けたジルトは瞬間動きが止まる。が、すぐに気を取り直したように、声を張り上げた。


「はっ、君でもあるまいし、僕が緊張するわけがないだろう」

「おぉ、流石だな。俺とは出来が違う」

「ふふん、当然じゃないか」

「だよなぁ。いっつも勇敢でどんな時でも、真っ先に先頭を行くもんなぁ」

「その通りだ。君のように、たかが蟲を相手にする程度で尻込みなんてしない」


 その時、二人のやり取りを見ていたレイルとテオは、クロウの口元が一瞬だけ笑みを形作るの見た。見間違いかとテオが目を擦る一方で、レイルは先を読んだのか、早くも苦笑を刻んでいる。


「うんうん、だから、明日の先陣はダックスの一択だよな」

「む、いや、それは」

「わかってるわかってる。教官が決める事だって言いたいんだろ?」

「そ、そうだ」

「だから、俺、ダックスこそが先陣にふさわしいって、明日の出撃前に、レイリーク教官に進言するよ」


 クロウは自身の言葉に満足した風体を装い、何度も頷いた後、レイルやテオへと話を振った。


「なぁ、二人とも、俺の意見に同意してくれるよな?」

「え、そ、そうだね。……僕は、特に異論もないし、賛成するよ」

「レイルさんは?」


 クロウとレイルの目が合う。

 レイルはここで話を潰すつもりでいたが、これまでの訓練で一定間隔を持って展開しながら行動していることから、教官達が先陣云々といった教習生の意見を採用する確率は低いだろうと判断し、そう悪い方向へは流れまいと、クロウの話に乗る事にした。


 結果、話は赤髪の少年が意図する流れに沿って進む。


「むっ、古来より先陣を務めるというのは名誉なことなのだが……」

「いや、レイルさんがこの中で一番の腕なのは承知してるんだけど、なんていうかさ、やっぱり、ここは勇猛果敢で、勢いを味方にするジルトこそが先陣を切るべきだと思うんだ」

「ふむ、確かに、ジルトは勇敢で、初手で勢いに乗るのが上手いな」

「でしょ? だから、全員が心に勢いに乗る為にもいいんじゃないかな?」

「なるほどな。……少々惜しいが、ここはジルトに先陣を譲ろう」

「なっ」


 まさかレイルが賛成するとは考えていなかったのか、ジルトが戸惑ったような声を上げる。が、クロウはジルトに発言を遮るかのように話を繋ぐ。


「ありがとう、二人とも。俺の意見に賛同してくれて」

「あはは、気にしなくてもいいよ、クロウ君。実際、ジルト君は度胸があって勇敢だし、文句なんてないよ」

「そうだな。……明日は頼むぞ、ジルト」

「ぬ、ぬ、ぬっ、ま、任せておきたまえっ! この僕が君達を引っ張ってやろうじゃないかっ!」


 クロウが他の二人を巻き込み、意見を纏めてしまった為、引くに引けなくなったジルトが己を奮い立たせるかのように立ち上がり、大声で宣言する。その立派な姿に、クロウは故意に、テオは自然に拍手を送り、レイルも感心するように大きく頷いた。


 三人でジルトの勇敢さを褒め称え、明日の試験もこれで安泰だと一頻り持ち上げた後、テオが免許を取った後の事を持ち出したことで、場の話は緩やかに切り替わる。


「明日の試験が上手くいって、免許を取れたら、みんなはどうするの?」


 テオが訓練を経ても尚、大きな変化が見られない丸顔に柔らかな笑みを浮かべ、おっとりとした雰囲気を漂わせながら尋ねる。この言葉にまっさきに反応したのは、やはりと言うべきか、三人から持ち上げられて、機嫌が良さそうなジルトであった。


「おいおい、そういった事を聞く時は、自分から言う物だ」

「え、そうなの?」

「ああ、その方が相手も話し易くなるものさ」

「そうなんだ。……じゃあ、僕から言うから、みんなも教えてくれる?」


 テオの声に応じて、他の三人が頷く。それを見た丸顔の少年は改めた調子で話し出す。


「僕はね、開拓地に帰って、自警団を作るんだ」


 そう言いながら、テオは自身や家族が住んでいるゼル・セトラス大砂海南方域にある小さな開拓地を、荒涼とした砂海の中に作られた緑の小島を思い出す。

 テオの家は彼より三代前、つまりは祖父母の代に他の数世帯と共に、かつては川が流れていたことを示す河床跡付近に入植し、地下を流れる伏流水より水を汲み上げて、周辺の荒地を徐々に開拓してきた。

 彼ら自身の頑張りと母体市の確かな支援もあって、開拓地は順調に発展し、今では居住地周辺に頑丈な防壁が作られ始め、新たに入植を希望する者が現れる程に大きくなった。このまま何事もなく発展した場合、後二、三年もすれば、母体市から開拓地の一段上の管理区分、郷の認定を受ける事も可能な位である。

 けれども、開拓地が拡大発展することは、母体市からの援助が減らされることも意味している。簡単に言えば、駐留していた母体市の軍部隊が撤退する為、開拓地を自分達の手で守らなければならなくなるのだ。

 当然のことながら、何の手当てもしなければ、常駐する戦力が存在しなくなり、賊党の類に狙われやすくなってしまう。そういった事態に陥らないように、防衛戦力として警備隊を新設し、新たな護り手として傭兵を雇ったり、母体市に要請して軍属を送ってもらったりするのだが、やはり、開拓地住人が信頼するのは居を同じくして、開拓の苦労を分かち合ってきた仲間である。

 開拓民が寄り集まって今後の対応を話し合った結果、警備隊に一定の影響力を持つ為に住民の中からも人を送り込むべきだという結論に達し、その前段階として自警団を結成することを決定する。そして、自警団の中核となるべく、魔導機搭乗免許を取得することになったのが、初期入植組第三世代の中で唯一適齢の男だったテオであった。

 かくして、テオは開拓地を離れ、魔導機教習所があるエフタ市へとやってきたのだ。


「なるほど、テオさんは自警団を作る為に」

「うん。やっぱり、魔導機があるのとないのとでは、全然違うしね」


 クロウはテオの話を聞き、自身の夢を実現させる為にも、限定から本式へと移ったのはそう悪い話ではなかったことを改めて実感した。加えて、クロウの取得免許についてお節介をしたであろう、小人の少女に感謝の念を抱く。


 クロウが内心で感謝している間にも、テオの後を受ける形で、ジルトが口元に不敵な笑みを湛えて口を開いた。


「僕は北部で一旗上げて、名前を売るつもりだ」


 ジルトは内心に潜む不安や恐怖といった物を尊大な面皮で覆い隠し、これから歩もうとする道に尻込みを感じている己に、もう実家には戻る事はできないんだと叱咤する。

 ジルトはゼル・セトラス大砂海西方域の中心都市ザルバーンに店を構えた、それなり大きい商家の出である。もっとも、後継ぎ息子といった存在ではなく、八人いる兄弟姉妹の下から二番目で、しかも妾腹の子であった。末子に近くかつ妾の子ということもあって、実家の経営に関わる事も、相続の対象になることもなかったが、それでも恵まれた環境で健やかに育っていた。

 だが、それも妾であった彼の母が流行病で死ぬまでである。彼の母が亡くなってからしばらくして、本腹の兄弟達から執拗ないじめを受けるようになったのだ。まだ十代になったばかりだったジルトには独り立ちできる程の力量も実家から逃げ出す勇気もなく、以後五年に渡って続く陰湿ないじめに耐えるしかなかった。

 そんな状況に転機が訪れたのは、今年に入ってから。ジルトが兄弟達からいじめを受けている事を、彼の父、現当主が気付いたのだ。

 妾腹の事はいえ己の子である。彼の父は家内に波風を立たせずにジルトを守る為、腹心と相談して、ある決断を下す。それはジルトにを家から出して、何らかの援助を行って独り立ちさせる事。

 これは実質的に家から放逐する事と変わりないのだが、ジルトは生かさず殺さずの生き地獄から逃れられる上、資金援助によって独り立ちの機会を与えてくれた父に感謝した。

 そして、彼が独り立ちする手段として選んだのは、様々に潰しが効く機兵であった。


「北部か。あの辺りは蟲が多いと聞くから、仕事の口には困らんだろうな」

「ああ、その通りだよ」


 同じ班員として苦しい訓練を共にし、競うべき相手としても申し分なかったレイルの言葉に、ジルトは大きく頷いた。それから、改めて調子でレイルに問いかける。


「それで、君はどうするんだい?」

「俺か? しばらくは恩人の商船で護衛をするつもりだ」


 レイルはジルトの声に応じつつ、ここに至るまでの過去を軽く振り返った。

 彼はゼル・セトラス大砂海域よりさらに東方に位置する領邦国家群、その中の一つの生まれである。特にこれといった問題もなく、両親の下で健やかに成長した彼は、成人扱いとなる齢十四歳で市軍の兵士となる事を選んだ。

 入隊したレイルは恵まれた体格もあって順調に出世を重ねていたのだが、ある問題にぶつかって行き詰ってしまう。彼が直面した問題、それは身分制である。

 彼の住む市では、市政運営を担う貴族階級、市軍の要職を担い機兵となる機士階級、住人の大部分を占める平民階級といった具合に、身分制が敷かれており、それぞれの身分によって就ける職分に制限が設けられていたのだ。そして、この身分制は市軍内でも、否、市軍内でこそ、より厳格に適応されていた為、平民階級の彼は兵卒以上になることができず、機兵になる道すらも閉ざされていた。

 この身分制という壁を前に、レイルは思い悩む。というのも、身分制で職分に制限が設けられているのは、軍の階級と行政の要職に関してだけであり、それ以外は何の不都合もない上、彼自身も市政に不満がなかった為だ。

 自分一人の都合で上手く回っている社会に逆らい、混乱を引き起こす必要があるのかという思いと、制限なく正当に評価されたいという思い。この両者の狭間で揺れ動き、一人鬱屈していた彼に新たな道を示したのは、職務中に知り合ったゼル・セトラスを東西に往来する交易商人であった。

 若くして商船主となった商人はレイルに言った。物事を一都市だけで考えるなんて小さい事をせず、広い視野でもってどこまでも大きい夢や野望を持つべきだと。この言葉を聞いた彼の中に、一つの欲望が芽生える。

 その欲望とは、この世界に対して、自分自身の力がどこまで通用するか試したいという思い。その望みは時を経るにつれて大きくなっていき、二十歳になるに至って渇望となった。最早、自身の願望を抑えきれない事を悟ったレイルは、親兄弟を説得した後、市軍を辞した。

 そして、彼が個人として立てる力を、最初の足掛かりを得るべく、先の商人を頼って、この地にやってきたのだ。


「恩人の商船?」

「ああ、資金援助を受けたものでな。少しは借りを返そうと思ってる」


 レイルはテオの疑問に答えると、その目をクロウへと向けた。年長者の視線に促され、クロウも今後の予定を口に出す。


「俺はここに暮らしているからな。しばらくはここで仕事を探して金を稼ぐよ。で、余裕ができたら、改めてどうするかを考えるつもり」

「なんだ、えらく適当じゃないか」

「いやいや、お前さん、適当とか言うけど、個人で魔導機を運用しようと思ったら、維持管理とかに、色々と入用になるんだぞ? なら、伝手が使える場所で金を稼いで生活を安定させてからでないと、せっかく手に入れた魔導機を売る破目になるよ」

「む、言われてみれば……」


 クロウの言い分に理を感じたのか、ジルトは押し黙った。そこに、クロウの言葉に乗る形で、テオやレイルも口々に話し出す。


「うん、確かに、クロウ君の言う通りだね。もし、自警団で維持管理を受け持ってくれなかったら、大変だったと思う」

「だろうな。俺もそういった面も考えて、恩人の船に乗ることにしたんだ」

「むむぅ……、なら、僕も、何らかの組織……、例えば、傭兵団や機兵団にでも、所属した方が有利か?」

「確かにそういった組織だと、魔導機の維持管理を持ってくれる所もあるだろうが、個々人の裁量は制限され、仕事も自由に選べなくなる。まぁ、実際の所は所属する組織次第だろうから、団則や規則といったものを詳しく調べてから決めるべきだな」


 レイルに続く形で、クロウも意見を述べる。


「で、個人の場合だと、その逆だな。自分で仕事を選べるけど、魔導機の維持管理は自分持ちになる。あ、後は、どんな行いでもその全てが自分の責任になるって所かな?」

「むむむ、どうするべきか」


 ジルトは難しい顔で腕を組むと、今後の方針について、考え始めたのだった。



 教習生達が食堂で免許取得後について語り合っている頃、本館の会議室の一つでも三人の教官達が明日の試験について話し合っていた。


「規定の通り、市庁と市軍へ試験実施に関する連絡を行いました。いつものように、試験区画方面に注意して目を配ってくれるはずです」


 教習においては主に裏方を務めているルシア・パーシェスが発言すると、残りの二人、グラディとディーンは了解を示す為に揃って頷く。ついで、ディーンが顎の無精髭を撫でながら口を開いた。


「やっぱり、実戦だと何が起きるかわからんからなぁ。市軍の支援態勢ができているとこっちも助かる。懇ろに感謝しておいてくれ」

「ええ、感謝しておきました。もっとも、ついでとばかりに口説かれてしましたが」

「なぬ?」

「もちろん、そちらは丁寧に砕いておきました」

「……おいおい、怖いな」

「ふふ、冗談です。相手の担当者は女の方ですから」


 自身の言葉に応じて、真向いに座るディーンが表情を変化させるのを見て、何か満足するものがあったのか、ルシアの声がかすかに弾む。実に微妙な空気に対して、グラディが茶々を入れに来る前にと、青年は話し出す。


「ま、何にしても、今期の連中も期間内に半人前にできたんだ。想定外の事態で潰されるのは、俺としても頂けないからな」

「そうですね。後、再確認の為に言っておきますが、何らかの支援を市軍に求める際の信号色は、損傷機等の回収支援は黄、緊急事態による援軍要請は赤、手におえない蟲が出た場合は黒です」

「了解。回収支援が黄、援軍要請が赤、大量の蟲が黒、だな」


 ディーンはルシアの言葉を反復し、後で格納庫に信号弾と射出装置の点検に行こうと考えていると、厳しい顔で黙しているグラディの姿を認めた。この白髪の教官は常日頃から寡黙であるが、今日は特に口を開かない。

 その事を不審に思ったディーンは、何らかの問題か懸念があるのかもしれないとも考えて、はす向かいに座っているグラディに話しかけた。


「おやじ殿、何か問題でもありますか?」

「問題がある、という程ではない。ただ、先旬、帝国の連中が暴れて、結構な数の蟲共を駆逐しただろう」

「ええ、って、あー、もしかして、周辺で適当な数の蟲共が見つからないと?」

「ああ、その可能性もある。加えて、遊撃の連中が巣を一つ潰しているからな」


 そう言ったグラディは様々な可能性を思い浮かべながら、より一層眉間の皺を深くする。そして、厳しい表情のまま、二人に告げる。


「時と場合によっては長丁場になる可能性もある。故に規定量よりも多めに水を持たせたい。今からで悪いが、手配を頼む」

「了解、整備に飲料水槽を二つ程増やすように言っときます」

「わかりました」


 こうして最終試験前夜は多少の慌ただしさを含みながら過ぎていった。



  * * *



 明けて最終試験当日。

 夜明け前から準備を始めていたクロウ達は、光陽が東の空で輝き始める時分には、格納庫に集合していた。

 機兵服を着込んだ四人の教習生は、教習が始まった三旬前と比して、明らかに身体つきは逞しくなり、顔付きもまた凛々しい。

 そんな彼らの前に、機兵服姿のグラディとディーンが並び立つ。両者の身体は教習生以上に鍛えられている上、片や歳経た事で育まれた厳かな表情を、片や青年特有の力強い不敵な表情を浮かべている事も相まって、見る者に歴戦の風格を感じさせた。

 その二人の内の一方、年長者のグラディが教習生四人の顔を、そこに浮かんでいる表情を一つ一つ検めてから、淡々とした声で告げる。


「これより最終試験を行う。本試験の内容及び合否判定基準は簡単だ。市外に出て蟲共と交戦し、五体満足に生き残る事ができれば合格となる。今日に至るまで、貴様らを指導してきた教官としては、殊更、貴様らに言う事はない。ただ全力を尽くせ。以上だ」

「よし、搭乗に掛かれ!」


 グラディの声が途切れた直後、ディーンがクロウ達に号令をかける。彼の張りがある声に従い、少年達が自機の下へ駆けていく。クロウもまた己の乗機である四番機へと走り寄る。


「エンフリードさん、機体点検及び整備は全て終わっています。機体各部に異常はありません。後、予備兵装はいつものように、左内腕部に短刀、腰部に手斧です」


 駆け寄る彼に四番機の機付整備士、エルティア・ラファンが凛とした声で告げる。それに頷いて応えつつ、クロウは眼鏡の少女に話し掛けた。


「なら、ラファンさん、最終確認を」

「了解! 最終確認を開始します!」


 クロウは予め開け放たれていた開口部から機内に潜り込み、身体の固定作業を開始する。まずは太腿と脹脛を固定し、脚部開口部を閉ざす。それから、胴体を四点ベルトで固定して、下腹部の開閉部を閉ざした。この動きに応じて、エルティアが常の聞き良い声が信じられない程の大声をあげる。


「両脚開口部及び下腹部の正常閉鎖を確認!」


 それを受けて、クロウもまた、唯一開いたままの上半身部より、正面に立つエルティアに声を掛ける。


「了解。三六一四、起動を開始する。出力通常」

「三六一四、起動確認!」


 クロウが出力制御装置を操作して機体を起動させると、両足に感じていた重みが消えていく。足の感覚がほぼ自身の身体を動かす時と変わらなくなると、片方ずつ軽く膝を曲げて動かしてみる。


「液漏れ、装甲部破損、関節不良なし! 両脚の正常作動を確認!」


 その声を受けて、クロウは両腕の制御籠手を装着、肩背に位置する機体との接合部を機体側へ押し込んで、籠手の動作制限機能を解除する。


「両腕の動作制限を解除。可動範囲注意」

「両腕の動作制限解除を確認! 可動範囲注意!」


 それから両腕の可動部が動くかを確かめる。肩、肘、手首、五本の指と、全ての動作系が良好な反応を示している事を確認してから、外のエルティアに声を掛ける。


「左右共に操作感覚に異常なし」

「液漏れ、装甲部破損、関節不良なし! 両腕の正常作動を確認!」


 はきはきした声を聞きながら、最後に下腹部に設けられた各部の油圧計や魔力残量計、魔力出力計といった各種計器に目を向けて、全てが適正値を示している事を確認して告げる。


「全計器適正範囲内。全機関異常なし」

「全計器適正範囲内、全機関異常なし!」


 エルティアはクロウの声を復唱すると、再び機体に近づいてきて、機内に収まった少年を見上げる。そして、少しばかり言葉に迷った後、できる限りの笑顔を見せて大声で告げた。


「エンフリードさん! ちゃんと無事に帰ってきてくださいね!」

「うん。ありがとう、ラファンさん」


 クロウは咄嗟に気の利いた言葉や笑顔を返せない自分に呆れつつ、ただ真剣な表情でしっかりと頷き返した。その瞬間、束の間だが、エルティアはクロウを見つめながら、驚き呆けるように口を半開きにする。が、直に我に返り、機体脇の安全地帯へと下がった。

 クロウは改めて周囲に人がいない事を確認した後、機体の腕を操作して、跳ね上げった上半前面部を降ろす。前面部は完全に降り切ると、機体側の固着錠が作動し、鈍く重い金属を響かせて固定した。

 密閉され暗くなった機内で、クロウは外部との隔絶から来る心細さや先に待ち受ける実戦への恐怖を抑える為、大きく息を吐き出す。一方、機外ではエルティアが再び機体に駆け寄り、膨らんだ前面部がしっかりと機体に装着されている事を確認して声を上げた。


「上半前面部の固定を確認! 三六一四、出撃準備完了!」

「三六一四、出撃の許可は出ている! 固定を解除しろ!」


 全体を監督する整備教官がエルティアの声に応じて、野太い声で指示を出してくる。その指示に従い、エルティアは機体脇の鉄骨柱に設けられた懸架制御盤に張り付いた。


「出撃許可了解! 三六一四、固定を解除します!」

「了解」


 機体を固定し支えていた懸架から音が響き、クロウは自機が自由を得た事を感じ取る。それと同時に、頑丈で強力な鎧を身に纏ったという安心感、或いは、己が誰よりも強くなったかのような不遜な全能感に似た感覚が湧き起こってくる。結果、昨夜から心中に満ちていた不安や恐怖が腹の底へと追いやられ、代わって若干の興奮とそれを上回る緊張が胸の内に広がっていく。


「固定解除完了! いつでも行けます!」

「了解。三六一四、出撃する」


 クロウは機体脇に立っているエルティアや搭乗を静かに搭乗を見守っていた四番機班に対して左手を軽く振った後、近くにある武器立てより一番手に馴染んだ武器……大鉄槌を手にして、ゆっくりと歩き始めた。



  * * *



 クロウ達は思い思いの武器を手に、二人の教官に率いられる形で教習所を出ると、道路を挟んで広がる停船区画へと降りていく。途上、造船所の作業員や港内に停泊中の魔導船で作業する船員達が目を向けてくるのがわかるが、そちらに気を回す余裕はない。一列縦隊を組み黙々と歩いて、港湾地区を囲み込むようにそそり立つ市壁、その合間に設けられた出入港路を通り抜け、市外へと出る。


 市壁の外はクロウにとっては馴染みのある光景、赤砂で覆われた砂漠と天高い蒼穹が広がっていた。


 グランサーであった彼には見飽きた風景であるが、三枚の展視窓越しに見る世界はどこか異なっているように見える。光陽の日差しは強くなり、機内は早くも蒸し暑くなってきた。空調から出る温い風は幾らか空気を撹拌するが、根本的な解決には至らない。

 クロウは身体から汗が滲み出すのを感じながら、教官機に続く形で歩く。そして、ある程度市壁から離れた所で、先を歩くグラディ機が手信号で指示を出してきた。指示内容は、散開、扇隊形、左翼より、一番(レイル)三番(ジルト)教二番(ディーン)二番(テオ)四番(クロウ)である。

 クロウは指定された通りに動いて、扇の一番右側、左の展視窓にテオが乗る二番機の姿を収める位置に収まり、前方と右方へ意識を配る。しばらくして、隊形が整ったと判断したのか、再びグラディが手信号で前進の指示を出した。


 クロウ達のパンタルは一定の調子を刻みながら、グラディ機を追い越して進む。向かう方向は北である。

 訓練通りに前方と右方に意識を向け、視界の隅には二番機を収める。また時折、左方に位置する二番機との間隔を調整しつつ、砂礫と瓦礫を踏みしめて歩く。伝声管より入り込む音に耳を澄ませ、前と右方に視線を走らせる。

 これらは全て、今日に至るまで行ってきた訓練と変わりない行動である。けれども、右展視窓に見えていた市壁が見えなくなると、途端に不安がせり上がり、落ち着きが失われていく。

 彼は俄かに強くなった鼓動を鎮めるべく、生唾を呑み込む。それから、耳に聞こえてくる音に不審な音がない事を意識して、周囲には蟲が存在しない事を、また両手で持っている大鉄槌を軽く動かして、蟲を前にしても戦える力がある事を、心中で己に言い聞かせた。

 しかし、訓練時と同じ対応をしているにも関わらず、クロウの心は平静を得るどころか、緊張が高まる一方であり、呼吸は少しずつ荒くなっていく。それと同時に、これが日常の延長になるとは信じられないという思いを抱いて、眉間に皺を寄せた。

 曇り顔のクロウは大きく熱のこもった息を吐き出し、口元近くに延び出ている吸い口を吸う。甘味ある水にはまだ冷たさが残っており、口内を潤す共に熱くなった臓腑を一時的に冷やす。だが、それも一時だけである。


 蒸し暑さと緊張とが相まって、常以上に心身の消耗が激しい。その事を自覚して、クロウは更に顔を顰めながらも、赤と青で構成された世界に視線を走らせた。

 大地には大小の瓦礫と数多の砂礫が満ちている。時折、建築物の名残である廃墟が見えるが、それも数えるほどに過ぎない。そして、彼方にある地平線より上方は雲一つない蒼天だけが広がっている。


 代わり映えしない光景や吹き抜ける風音を見聞きしながら、五分、十分と時が過ぎていき、その間もただただ歩き続ける。


 その歩みの最中、時折、砂海上に動く影を見つけ、確認の為に全体の歩みが止まる。目を凝らしての確認作業の結果は、砂海で作業するグランサーか見間違いである。

 この確認作業も一度や二度程度では大したことではないが、酷い暑さの中を二時間近く歩き、数が重なると話は違う。確認を繰り返す度に緊張と緩和を強いられる以上、心身の消耗が激しくなる。


 クロウが命を懸ける実戦と訓練との違いを身と心でもって実感し始めた頃、これまでも何度かあったように、二番機の歩みが止まり、クロウの足も条件反射のように止まった。

 彼は足を止めると同時に、前方と右方へ注意を向ける。そして、変わったモノや動くモノがないと判断した後、微かに機体の方向を調整して、二番機を始めとする他の機体がある左方へと視線を向けた。


 見れば、二人のグランサーが先頭のディーン機に接近している所であった。彼らの動きには明らかに切迫した感があり、何かが起きている事を、クロウに教えていた。



 ディーンはこちらに向かって、息せき切って駆けてくるグランサー達に目を向け、来るべき時が来たのだと判断した。同時に後方のグラディ機が近づいてくる足音を耳にして、先達も同じ判断をした事を知る。


 程なくして、ディーンの機体に近づいたグランサー、教習生と同年代の少年が足を縺れさせながら、荒い呼吸の中で大声を張り上げた。


「た、助けてくれっ! む、蟲がっ! ラティアがっ!」

「落ち着け、見た数は?」

「さ、三匹っ!」


 最低でも三匹以上いると推定しつつ、ディーンは言葉を重ねる。


「方向は?」

「あ、あっちだっ! それと、他にも逃げた奴がっ!」

「……何人だ?」

「さ、三人っ!」

「わかった。俺達はこのまま蟲共の駆除に向かうから、お前さん達はこのままエフタに走れ。そして、市軍の詰所に駆けこんで、話を聞いてもらえ」

「あ、ああっ、わかった!」


 二人のグランサーはふらふらになりながらも足を動かして、遠方に尖塔が見えるエフタ市を目指して、再び走り始めた。その間に、ディーンは少年グランサーが指差した方向……、北西へと目を向ける。が、目立った動きは目に入らない。その事からそれなりに距離があるかもしれないと推し量っていると、背後からグラディの声が聞こえてきた。


「ディーン」

「ええ、聞いての通りです、おやじ殿。ちょっとばかり距離がありそうなんで、静黙制限の解除と戦闘出力への変更、及び、駆け足による前進を進言します」

「ああ、認めよう。……各機に告ぐ! 静黙制限を解除! また、機体出力を戦闘状態へ移行しろ! 蟲共のいる場所まで駆け足で向かう! 心しろっ!」


 教習生達から声による応答が届く間にも、ディーンとグラディもまた機体出力を戦闘状態へと上げる。


「隊形はこのまま! 強襲となる! いつでも得物を振れるようにしておけ! 全機前進! 駆け足!」


 五機のパンタルはグラディの指示に従い、北西に向かって走り始めた。少し遅れる形で、グラディの機体が続く。

 パンタルは鈍重な見た目に反して、歩いていた時の倍以上の速さで、砂礫の中を疾駆する。大地を踏みしめては各関節部から音を響かせ、時に瓦礫を踏み潰し、砂礫の小山を乗り越えて、前へ前へと。


 クロウもまた、他の者達と同様に足を速め、砂海を突き進む。砂海特有の不整地を走るが、大鉄槌を保持する上体がぶれる事はない。

 そのまま五分程走り、遠方に蠢く姿を捉えた。四リュート近い体躯を持つ赤錆色の蟲、三対六本の足で動き回り、巨大な頭部に長大な触角と七つの目、強力な牙を持つラティアだ。


 その数は五。


 それらは一所に集まっておらず、いくつかの場所に分かれて、しきりに触角を動かしていた。


「おいっ、左から割り振って一人一殺だ! 今の速度を活かせる奴は活かせ! 気合を入れろよっ!」


 ディーンの叱咤が聞こえてくるが、クロウに応じる余裕はない。ただ、己に割り当てられたラティアに焦点を絞り、ひたすらに駆けた。傍から見れば暴走しているように見えなくもないが、彼の理性は溶けることなく正常に働いている。


 標的のラティアまで、目測で千リュート。


 クロウは行き足を速め、荒くかった息は更に激しくなり、大鉄槌を握る手に力がこもる。


 大凡で六百リュート程。


 残っていた緊張は湧き出た滾りの中に消え、熱くなった血潮が全身を駆け巡る。


 残り三百リュート。


 ラティアの触角が反応し、クロウが迫る方向へと頭部の向きが変わった。


 残り百。


 鼓動は激しく、待ち受けるラティアの動き全てが遅く見え始める。


 五十。


 無機質な赤眼が光陽の光を反射し、二本の触角が揺らぐ。


 十。


 両目を見開いたクロウの口から雄叫びが上がった。


 八。


 ラティアの大きな顎が開き、牙が光る。


 五。


 踵を砂地に打ち込み、全力制動。


 三。


 面前で顎が閉じた。


 一。


「ッぁっ!」


 足元から巻き上がった砂塵の中、クロウは大鉄槌を振り上げる。勢いのついた鉄塊は目前にあるラティアの頭部を、牙もろとも前半分を弾き割った。


 蒼天に緑血や肉片、甲殻の断片といったモノが盛大に撒き上がる。


 クロウは更に二撃目を繰り出そうとするが、勢いが残っていた機体は止まり切らずに前へと流れ、砕いたラティアの頭部に衝突してしまう。


「がぅっ!」


 その瞬間、ラティアの半ば砕けた頭部が激しく振り回され、緑血に塗れたクロウのパンタルは左へと弾かれた。機体は横転しかけるが、クロウは目線をラティアから切らぬまま、態勢を立て直そうとする。だが、暴れるように動き回るラティアの脚の一本に接触し、更に後方へと撥ね飛ばされてしまった。


「ぅっく!」


 接触した腕部装甲が割れる音。伝わった衝撃がクロウを襲う。

 けれども、彼は歯を食いしばって耐え、飛ばされた勢いを利用して機体の制御を取り戻し、態勢を整えた。そして、再度大鉄槌を構え、標的であるラティアを見据える。


 ラティアの頭部、粉砕箇所より夥しい緑血が滴り落ちる。しかし、一向に弱る気配を見えず、むしろ凶暴な気配が膨らんでいるように、クロウは感じた。


 どう攻めようかとクロウは考えようとするが、考える前に身体が反応して、頻繁に頭部を振る隙を見計らって踏み込み、左前脚の付け根部分に大鉄槌を叩きつけた。甲殻を打ち砕いて身体の一部を抉り取り、破片と共に緑血が吹き出す。

 明らかに動きが鈍った所で、返す形で頭部と胴体の接合部、その付け根へと鋼鉄の頭を振り上げる。甲殻が割れ砕ける感触が伝わり、甲殻の欠片と共に大量の緑血が零れ落ちた。

 ラティアが苦しそうに頭部をもたげた瞬間を見計らい、一息に跳び退いて距離を取る。強靭な生命力によるものか、まだラティアは動く。その様子をクロウはどこまでも醒めきった目で見据え、次に攻める箇所を探す。


 不意に、ラティアの動きが止まった。


 動きを注視していたクロウの全身に悪寒が走り、本能のまま左へ横跳ぶ。直後、機体の右横をラティアが突き抜けた。

 即座に機体を反転させ、クロウは未だに潰し切れないラティアを視界に収める。今の突進で左前脚がもげたのか、赤砂の上に緑血に染まった脚が一本。その痙攣する脚、その関節部をあえて踏み潰し、彼は大鉄槌を横手に構えた。


 そして、前脚を失って踏ん張りが利かなくなった左方……クロウにとっての右側から回り込むように再度接近を図る。このクロウの動きにラティアが付いていけなくなった所で、一足で踏込み、槌頭を頭頂部に残った巨大な単眼へと振り降した。


 ガラスを砕くような感触と共に、緑血が天高く吹き上がる。


 この一撃に確かな手応えを感じたが、まだ安心はできないとばかりに、クロウは鮮緑に染まった大鉄槌を油断なく構えながら再び下がった。

 そのクロウの目前で、ラティアは全身に幾ばくかの痙攣を起こした後、残る脚を全て折って大地へと沈んでいった。先の一撃は深々と頭部にめり込み、ラティアの中枢脳を破壊していたのだ。


 赤い砂塵が舞う中、大地に倒れ伏したラティアを見つめたまま、クロウは今更のように荒い息を繰り返す。彼の胸には蟲を潰したことの満足感といったモノはなく、ただ生き残れたという安堵だけが満ちていた。

 それから、蟲以外の周囲へと意識を向け始めた所で、両手両足が微かに震えている事に気付く。が、それも呼吸を繰り返す内に静まっていった。


「エンフリード、及第だ」


 聞き馴染んだ寂びた声を聞いて、クロウは我を取り戻す。彼が声が聞こえてきた方向へと機体を向けると、グラディのパンタルが周囲を警戒していた。グラディは教え子がこちらを向いたことに気付くと、更に続ける。


「二番機はまだ戦闘中だ。蟲の側面に回り、牽制を入れて支援してやれ」

「あ……、はい!」


 グラディの指示に従い、クロウは二番機が戦闘を行っている場所を探し、視線を巡らせる。その際、戦闘中、周囲の状況がまったく目に入っていなかったことに気が付いた。この恐ろしい事実に、少年が全身より冷たい汗を流していると、グラディの微かに笑いを含んだ声が聞こえてくる。


「エンフリード、次は貴様の背後を守る者がいるとは限らん。以後、周囲にも十分に注意を向けるようにしろ」

「わ、わかりました」


 見えていないだろうが、首を何度も動かして答えてから、クロウは二番機が戦っている場所を目指して、機体を動かし始めた。


 クロウが去った後、グラディは周囲を警戒しながら、戦闘が続いている場所へと向かう。その口元には微かな笑みが浮かんでいた。


 老練の機兵が笑みを浮かべる理由、それは久方振りに常軌を逸する馬鹿を見た為である。


 攻撃方法が強襲であるとはいえ、馬鹿正直に、真正面から蟲へと突撃できる者は、一人前の機兵でも中々にいない。否、恐怖によって我を失った者であればできるが、そういった者は蟲に殺されるのが常である。

 本来、機兵が蟲と相対する時は、教習所で教え、また他の三機が選択した様に、蟲の動きに堅実に対応して、確実に潰していく方が正しい。戦闘経験のない初陣であれば、まず間違いなく、こちらを選ぶのが普通といえる。

 にも拘らず、直前にディーンの煽りがあったとはいえ、初陣で突撃を敢行し、恐慌に陥って殺される事もなければ、特別な支援も得る事もなく、確と蟲を叩き潰したとなれば、人としての一線を既に越えているとも、確立された定石に従わない馬鹿ともいえよう。


 だが、グラディはそういった馬鹿を機兵の血を騒がす存在として認識しており、個人的には気に入っていた。


 これから先どう成長していくか楽しみだ、との思いを抱きながら、グラディは戦域全体に目を配る。戦闘は教習生優勢のまま推移していた。

 ディーン機が初撃で蟲を切り割った後、両脇の二番機と三番機を守る形で周囲を警戒している事に加えて、一番機が堅実で落ち着いた攻撃で蟲を潰してから、隣の三番機を支援している。更に、二番機も四番機が牽制支援に回った事で蟲を圧倒し始めていた。


 グラディは滅多な事は起きないだろうと判断し、周辺の警戒を行うと共に生存者の捜索に当たる事にしたのだった。



  * * *



 しばらくして、短くも激しかった戦闘が終わる。

 一連の戦闘で全てのラティアを殲滅したのに対し、教習生達はジルトが戦闘の恐怖と勝利の興奮で精神が不安定になっている以外は、大きな被害が無かった事から上出来である。四人は無事に初陣を果たしたと言えよう。

 だが、ラティアの群れに襲われ、逃げ切れなかった者達は悲惨な状態であった。話にあった三人の内、一人が死に、一人が片腕を喰われて重傷、もう一人も右脚を骨折していたのだ。


「ぁ、み、みず……」

「水はある。だから、ゆっくりと飲むんだ」


 搭乗口が開放された二機のパンタル。それが生み出す影の下で、クロウは横たわった重傷者、肘より先を失った同世代の少年の頭を支え、その口に水筒を当てて傾ける。止血帯による圧迫で出血は止まっているが、まずい状態であるのは明らかであった。


 クロウにとっても、この光景は自身に起こり得た物だけに他人事とは思えず、その表情は厳しい。


「な、なぁ、助かるのか?」


 もう一人の負傷者、骨折した右脚をあり合せの物で固定した少年が重傷を負った少年を見つめ、不安そうな声で聞いてくる。経験浅いクロウは安易な気休めを言う事ができなかった。


 クロウが重傷者の看護をしている周囲では、四機のパンタルが全周囲を警戒するべく、四角形を形成して外を向いている。

 その内の一機、大戦斧の斧頭を大地に突き立てた機体に、生存者達の応急治療に当たっていたディーンが近づく。彼の顔には普段の余裕めいた表情はなく、それが重傷者の状態を物語っていた。


 無精髭の青年は機体の横に並ぶと、周辺を警戒している先達に報告する。


「おやじ殿、腕をやられた奴なんですけど、血は何とか止めました。ですが、即急に治療をしないと、かなりまずい状態です」

「急ぎ運べば、助かるか?」

「はい」

「では、市軍と我ら、どちらが早い?」

「俺は運ぶ方が早いと判断します」

「わかった。担当の割り当ては?」

「死んだ奴には悪いですが回収は後回しにして、機体制御が一番安定しているトルードに重篤者を、ちょっと精神が不安定になっているダックスにはもう一人を運ばせます」

「妥当だな。……前方警戒は貴様とウォートン、殿は俺とエンフリードだ」

「了解。さっそ……く?」


 唐突に言葉を切り、ディーンが鋭い目で北東を睨む。その様子に気付いたグラディもまた両目を窄め……、大地に蠢く存在を認めた。


「惹かれて寄ってきたか?」

「……にしては、かなり数が多いですね」

「となれば、揺り戻しか、足掻きの一群、といった所か」


 グラディが口にしたのはラティアが持つとされる習性だ。

 揺り戻しとは、ある地域でラティアが駆逐された後、その地域に周辺域のラティアが押し寄せる現象であり、足掻きの一群とは、帰るべき巣を失ったラティアが小集団を作り、周辺の人里を襲う現象である。


 グラディの言葉を耳にして、ディーンは困惑の色を浮かべて反問する。


「揺り戻しは納得できますが、足掻きの一群はあり得ますかね? 聞く限り、遊撃の連中が潰した巣はかなり遠いはずですよ?」

「わからん。が、現実として蟲共が迫っている。ディーン、問答は後だ。急ぎ引き揚げるぞ。一分で支度しろ」

「っと、了解です」

「後、赤と黒、両方上げろ。どちらにしろ、あの数は掃討する必要がある」

「わかりました」


 ディーンは看護を行っているクロウに対し、至急、機体に搭乗するよう大声で指示を出しながら、自機へと走る。その珍しくも切迫した声音を聞きながら、グラディは口元を引き締めて、赤黒い波を見据える。


 陽炎立つ砂海。

 揺らめく熱気を突き破るように、ラティアの一群が迫って来ていた。

12/07/28 誤字修正。

13/11/15 語句修正。

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