五 胎動する時代
爛陽節最後の日となる第四旬二十日。
エフタ市においては五の倍数日が休日に定められていることもあり、飲食店が軒を連ねる繁華街や各種小売が立ち並ぶ商店街では家族連れや友人連れが練り歩き、理美容の店や公衆浴場は社交の場となり、緑豊かな街路や緑樹帯では恋人同士が肩を寄せ合って語らう、といった具合に、市井は平日以上の賑わいを見せている。
もっとも、何事にも例外はつきもので、港湾区画に位置する魔導機教習所では変わらず、午前の訓練が行われていた。
二人の教官が見守る中、クロウ達四人の教習生が周回走路を黙々と走っている。以前と違い、彼らの身体には焼成材で作られた、重量二十ロット(※ロット:重さの単位。1rt=1㎏)になる黒い防護具が装着されている事もあり、一歩一歩に重みがあった。
走り続けている四人の様相を注意深く観察していた無精髭の青年教官は、傍らに立って教習生達の挙動を見据えている白髪の先達に小さな声で話し掛けた。
「おやじ殿、そろそろ、いいですかね?」
「ああ、この位でいい。後は、精々、甘い餌をぶら下げて、期待を持たせてから、突き落としてやろう」
「はは、これはまた酷い事をなさる」
「なに、恨まれるのは慣れているからな」
確かに、この人から鬼のような訓練を受けてた時は、俺も恨んだものだ、等と考えつつ、青年教官ことディーン・レイリークが大声で告げた。
「長距離終了! 四人とも駆け足で集合しろ!」
ディーンの指示に従い、四人の教習生が駆け寄ってくる。彼らの身体つきは身に着けた防護具を差し引いても、二十日前の初日より一回り近く大きくなっていた。
その四人が一糸乱れぬとはいえないが、横一列になって二人の前に並ぶ。すると、ディーンの隣に立つ老教官グラディ・ローディルが居並ぶ顔を確かめるように睨み、口を開いた。
「本日午前の訓練はこれで終了とする。防護具を片付けた後、昼食までディーンの指示に従って行動しろ」
「ま、そんな訳だから、手早く片付けて戻ってこい。ま、安心しろ、悪い事じゃないさ」
いったい何事だろうと訝しみ、また嘘くさい物言いだと怪しむ気配を見せつつも、四人は指示に従って本館に向かう。警戒心が滲み出ている少年達の様子に、ディーンが思わず口元をにやけさせる。彼は今日という日に至るまで、五日、十日、十五日と、半日は休みがあるとも取れるような物言いをして、少年達に期待を抱かせては打ち砕いてきたからだ。
「連中、警戒してますなぁ」
「経験から学ばない者よりも、遥かにマシだろう」
「なら、格闘訓練で負けるとわかっていても、怖じ気る事も無く、何度でも立ち向かってくる奴らは?」
「馬鹿者だな」
グラディは容赦のない評価を口にするが、その口元は親しい者にしかわからぬ程度に緩んでいる。
それを見て取ったディーンが笑みを含んだ視線を送ると、グラディは表情を殺し、後は任せると言い残して、本館へと去って行った。
身軽になった四人が戻って来ると、ディーンはただ付いてくるようにとだけ言って歩き始める。その足が向かう先は運動場の奥にある格納庫だ。向かった先が先だけに、少年達はそれぞれに期待を抱いたり、身構えたりしながら後に続く。
焼煉瓦で造られた格納庫は、高さ五リュート、運動場に面する間口が六十リュート、市壁近くまで至る奥行きが三十リュートで、間口の壁には高さ三リュート、幅五リュートの鉄扉が四つ並んでいる。これら四つの鉄扉の内、向かって右側二つが完全に開け放たれており、中の暗がりからは幾つかの作業音に交じって、指示を出す大声が響いてきた。
そんな格納庫まで後少しという所で、先頭を行くディーンが肩越しに振り返りながら口を開く。
「今からする事なんだが、明日から実機を使った教習に入るから、お前達が乗る機体を割り当てようって話だ。それと機付整備士……、あー、お前達の機体整備を担当する責任者とも引き合わせる。朝の講義で何度も言ってきたが、魔導機整備士はお前達が乗る魔導機を維持管理してくれる支えであると同時に、命を預ける相手と言い切れる位に重要で大切な存在だ。そこに留意して付き合えよ」
ディーンより告げられた言葉を耳にし、その内容を理解すると、クロウはようやく機体に触れることができるといった思いを抱き、ホッと息を吐く。彼と同様に、テオとレイルも程度の過多こそあるが、安堵の色を滲ませる。そして、残るジルトだが、彼だけは何を想像したのか、ただ一人、口元に不敵な笑みを浮かべた。
一人だけ異なる反応を見せているジルトに、ディーンはこいつは大物なのか馬鹿なのかと、瞬間悩むが、今は仕事が先とばかりに足を進め、左側の開いた出入り口より格納庫に入った。
格納庫に入り、まず目につくのはトラス構造の鉄骨柱群だ。
鉄骨の柱は、奥に向かっては五リュート間隔、左右には十リュートないし五リュート間隔で規則正しく並んでおり、高く天井まで至って梁を支えている。
また、鉄骨柱群は魔導機を保持する懸架、その支柱の役割も同時に果たしており、高さ三リュート程の場所にはトラス構造の鉄骨梁が縦横に組まれている。
物珍しさもあって、クロウが鉄骨梁や格納庫内を眺めていると、出入り口近くで立ち止まったディーンの声が聞こえてくる。
「お前らが乗るのは、あれだ」
ディーンが指し示したのは、出入り口から奥へと延びる通路の左側。四機のパンタルが通路に正面を向ける形で横並びになっていた。四機はそれぞれ鉄骨梁から延びた固定具によって懸架されており、静かに佇んでいる。
直線と曲線でもって武骨さを醸し出している機体の足元では、年嵩の整備士と数人の整備士見習いが脚部の装甲を外して、内部の魔力配管や油圧機構を点検整備していた。
教習生達がその様子を興味深く見ている間に、ディーンは通路の真ん中に立って、見習い達に目を配っている同年代の整備教官に声を掛けた。
「どうも、三百六十一期の連中を連れてきました。毎度ですが、これから世話になります」
「おう、こっちこそ、よろしく頼むわ」
灰色の繋ぎを着た整備教官は被っていた帽子を取りながら、ディーンの背後に並ぶクロウ達を値踏みするように目を向ける。ぎょろりとした目を持つ、悪相に近い強面からじっと見据えられることに四人が居心地の悪さを感じ始めた所で、整備教官がディーンに笑いかけた。
「いつもの事だが、イイ面構えになってるな」
「ま、折れずに第一旬目の訓練を乗り越えましたからね。多少の事じゃ、挫けないとは思いますよ」
「なら、後は実機に乗せて磨き上げるだけってか?」
「ええ、明日からの実機訓練でね」
「はは、でも、程々に頼むぜ? 初日から徹夜は勘弁だからな」
「それは俺よりもおやじ殿に言ってくださいな」
整備教官はグラディの教練が容赦ない事を知っているのか、それならば仕方がないとばかりに肩を竦めて見せた後、見習い達に集合するように大声で呼びかけた。教官の太い声に応じて、三々五々、年若い顔が集まってくる。
一方、年嵩の整備士達は見習い達の様子を楽しげに見ながら、出入口が開いた隣の筋、通路に沿って並び立つラストルの下へと移動し始めた。
実の所、クロウ達が整備士見習い達について、知る事は少ない。
精々、二十人程度の集団であり、男女比が八対二位で、灰色の繋ぎに見習いの証である緑の腕章を付けているといった程度である。そして、見習い達もまた、教習生について知っている事は少ない。
今日に至るまでの二十日間、同じ宿舎で寝泊まりしていたにもかかわらず、両者の間にこれといった交流が無かった理由。これは単純に、両者共に忙しかった為だ。
クロウ達は日々の訓練で心身ともに疲れ切っていたし、見習い達もまた講義や実習に忙殺されたこともあり、朝食や昼食の席で顔を合わせたり、廊下や便所ですれ違ったりした折に挨拶を交わす程度で、親しく交流するような余裕がなかった次第である。
その結果として、双方、相手の顔を見知っているも名前は知らないという、なんとも形容しがたい妙な気分を抱きながらの対面となった。
もっとも、ディーンは素知らぬ顔で四人の教習生に飄々と言い放つ。
「さて、お前達お待ちかね、かはわからんが、各自に機体を割り振る。入口より順に、一番機レイル・ウォートン、二番機テオ・トルード、三番機ジルト・ダックス、四番機クロウ・エンフリードだ」
「聞いたな、クレストル、イルーク、ボルタス、ラファン。機付整備士としての初仕事だ。担当機に乗る教習生にパンタルについて、説明してこい。残りは明日から使うラストルの整備だ」
「という訳だから、機付整備士に実物を見せてもらいながら説明してもらえ。それと自己紹介に関しては、各自でやっとくようにな」
ディーンと整備教官が互いの発言を受けながら、交互に出した適当な指示を受けて、若者達は少々の困惑を抱えながらも動き出した。
名を聞かされても、誰が誰なのかわからないクロウは、とりあえず、四番機に顔と足を向けて、機付整備士が気付いてくれることを期待する。その彼の期待は裏切られず、直に一人の整備士が近寄ってきた。
「えと……、四番機に乗る、クロウ・エンフリードさん、ですか?」
「あ、はい、どうも、クロウ・エンフリードです」
クロウに恐る恐る声を掛けたのは、黒髪を肩口で切り揃えた黒縁眼鏡の少女であった。
クロウも顔だけは知っている少女であったが、その繋ぎに包まれた身体は、女であることを周囲に知らしめるかのように、胸と臀部が強く自己主張している。が、全体の印象で見ると、少々ふっくらとし過ぎているようにも見えた。
眼鏡の少女はクロウの前に立つと、何か気合を入れるかのように口元を引き締め、突然、少年に大きく一歩近づいた。そして、何かを探る様に、二十ガルド程の距離で、じっと見上げてくる。
眼鏡越しに見える少女の緑瞳には強い光が宿っており、見る者に意思の強さを感じさせる。また、瞳の上にある眉根は、最低限の手入れしかしていないのか、少しばかり太目である。そして、これら色濃い両者は確と結ばれた口元と相まって、少女に生真面目な印象を与えていた。
もっとも、クロウは少女の容姿をまじまじと見る余裕はなかった。彼は年頃の少年らしく、別の方向で大変だったのだ。
なんとなれば、いきなり距離が近づいた事で、少女が放つ芳香が鼻をくすぐった事に加え、長い訓練漬けの日々で禁欲生活が続いていたこともあり、否応なく目に入ってくる少女の薄褐色の肌に艶めかしさを感じてしまったのだ。
クロウが何事かと困惑すると同時に、少女の健全な色香に惑わされそうな己を戒めていると、少女が落ち着きのある凛とした声で切り出してきた。
「私はエルティア・ラファンです。四番機の機付整備を担当します」
「え、ええ、これから、よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ。……それで、突然なんですが、エンフリードさんは、女が魔導機を整備するのは、おかしい事だと思いますか?」
「……はぁ?」
突然出てきた質問の意味が理解できず、クロウは間抜けな声を上げる。
と、その気の抜けた声につられるかのように、少女も己自身の行動を客観視したのか、慌てたように一歩下がり、顔中を赤く染めて、弁明するように捲し立て始めた。その声には、先程までの凛とした響きはない。
「あ、いえ、その……、お、女が、魔導機を整備することって、変なことだと思いますか、と、と、聞きたかっただけでして、そのっ」
「え、えーと、特に変だとは思いませんけど、それがなにか?」
「あ、そ、そうですか、よかったです。じ、実は、講義で、お、女に整備されるのは嫌だっていう人も、中にはいると聞いていたものでして、そ、その、最初に、それだけははっきりと聞いて、心構えをしようとずっと思ってまして……、その、うぅ、す、すいません」
「そ、そうだったんですか。あー、えー、さ、さっきみたいに、いきなり顔を寄せられるとこっちも驚くんで、できれば、ああいった事は控えてくれた方がいいんですけど」
「ううぅ、ごめんなさい! わ、私、何かに集中すると他の事に意識が行かなくなってしまって、絶対に直せって教官にも叱られるんです。で、でも大丈夫です! 整備作業では、そういったことはなくなりましたからっ!」
熱を込めて力説するエルティアを前にして、クロウが少しばかり不安に感じたのは言うまでもなかった。
ちなみに、クロウの後方では、二人のやり取りを見ていたディーンや他の女性見習い達が笑いをこらえ、男性見習い達はまた変な方向に暴走したかと呆れ、整備教官は天を仰いでいた。
とにもかくも、自己紹介を終えたクロウとエルティアは並んで格納庫奥に置かれた四番機の元に向かう。
「エンフリードさんも講義で習っていると思いますけど、一応、パンタルについて、話しておきますね」
という言葉と共に始まった、少女の説明を伴いながらである。
「パンタルの正式名は戦251-4改、二百五十一年式魔導陸戦機四型改です。これは共通暦二百五十一年に組合連合会が初公開し、ゼル・セトラス域の各市が正式採用したことに由来します。後ろの四型というのは、今に至るまで改修を行った回数、改は小規模改修の有無ですね」
クロウはつい先程まで醜態を見せていたとは思えないエルティアの淀みない話しぶりに感心する。きっと立ち直りが早い人なんだろうな、等と考えつつも、続く話に耳を傾ける。
「機体の全高は胸部装甲を上げた状態で二百六十ガルト、装着した状態では二百十ガルトになります。また、本体重量は六百ロット、運用状態では装備品によりますが、大凡で七百から七百五十ロットの間になります。機体の操縦は半追従形式を用いて行われ、腕部の操作は胸部内の追随機構で、脚部は搭乗者の足の動きがそのまま反映されます」
そうする内に、クロウが乗ることになる機体が近づいてきた。右肩に三六一、左肩に四と数字が黒色で描かれている。
二手二足の人型兵器パンタルは頭部を持たない。その上、上半身と下半身とを比すれば、腹部より上が大きく膨らんでいて、人型としてみれば歪な部類に入る。こういった姿形に加えて、装甲も赤錆色であるから、鈍重な印象すらある。
だが、その代わりに、生身の人には出すことができない存在感、或いは、機械が持つ力感が滲み出ていた。
「装甲は成形された強化焼成材と鋼材の積層構造で、正面胸部から胴部までは厚さ十ダルト(※ダルト:長さの単位ダル・リュートの短縮形。1dlt=1㎜)、その他の部位は五ダルトになっています。本当は、もっと装甲が厚い方がいいんですが、機体重量の関係でこれが限界だそうです。あ、後、これに付け加えておきますと、過去には、魔刻板を使用して装甲を軽量化することも考えられたそうなんですが、生産面でも運用面でも、費用対効果が合わないと判断されて、見送られていたりします」
クロウが初耳な話になるほどと頷いていると、エルティアが機体に近づき、彼を手招きする。近づいていくと、少女は装甲が外された脚部内に収められた太い配管を指し示した。
「パンタルの動力は魔力ですが、それだけで全てを動かすには運用面で苦しい面があります。ですから、魔力で動く関節部を補助する為、また部分的な力を出す為に、骨格に沿う形で油圧機構が組み込まれています。簡単に言えば、人の筋肉に相当する仕組みですね。それと、骨格部ですが、搭乗者を保護する意味合いもあって、外側に主な骨組みが作られています。この外側に骨格を持つ構造が、魔導機が外骨格装甲とも呼ばれる由縁にもなっています」
相槌を打っていたクロウは、エルティアに導かれるまま、機体後部に回る。すると、腰部の吸排気口らしき三つの穴、背部にある蓋らしき物を指し示して、少女は話を続ける。
「腰背部には熱交換器の他に、二つの復魔器と六つの魔力蓄積器が収められています。まず、熱交換器ですが、動作に伴って機体各所で発生する熱を放出する為の物です。けれども、これはそれ程には使用されません。というのも、復魔器が機体内外の熱を高効率で魔力に転換するからです」
エルティアは一度語を切ると、クロウに目を向けて、話を聞いているかを確かめる。もっとも、クロウはこれまで実物を間近で見る機会がなかった事もあり、彼女の動きに気づかないまま、興味を持って吸排気口を覗き込んでいた。
そんな少年の様子に、エルティアは相好を崩しつつ、説明を再開する。
「パンタルに装備されている復魔器は、一基当たり最大で七百五十ザルツ(※ザルツ:魔力の単位。1Z=1rtの質量を持つ物体を毎秒1lt動かせる力)生成できます。これが二基ですから最大で千五百ザルツとなり、通常出力の千ザルツを上回る魔力を生成できる事になります。……けれども、これはあくまでも書類上の数字でして、実際の通常出力時に生成できる魔力量は大凡で二百から八百程なので、賄いきれないのが現実です。ですが、機体を最少魔力消費状態……休止状態にすると、時間こそかかりますが、魔力を回復させることが可能です。この事実を踏まえると、魔力蓄積器と並ぶ重要機関だと言えます」
と、ここでエルティアがクロウに近づき、その横に並んで吸排気口を覗き込む。
「ちなみにですが、この復魔器は、往時の組合連合会が、帝国のゴラネス系列が使用しているような大容量魔力蓄積器を開発できず、それでも少しでも稼働時間を延ばそうとして生み出した、一種の代用品だったそうです。それが四度の改修でより強化されていって、パンタルの機体特色になるというのも、面白い話ですよね」
確かにと、クロウが頷く。エルティアは同意を得た事が嬉しかったのか、声が若干弾み始めた。
「次にパンタルの主動力源となる魔力蓄積器です。これは容量五千アウザルツ(※アウザルツ:魔力の単位。1aZ=1000Z)のミスラティン合金製魔力蓄積器が六つ搭載されています。位置的には、背中のこの蓋……、魔力補給栓なんですけど、これの左右に対照になる形で載せられています。お爺ちゃ、じゃなかった、整備班の人達から聞いた話だと、最後の装甲代わりになるから、背部は意外と頑丈だとも言ってました」
だったら、背中を見せて逃げることもできるかもしれない等と、クロウが身も蓋もない事を考えている間にも、整備士見習いの話は続いている。
「この魔力蓄積器と復魔器を合わせた事で、パンタルの連続稼働時間は通常出力で大凡十五時間、戦闘出力では二時間程になりました。仮に復魔器が機能していない場合だと、稼働時間は半減するそうですから、復魔器の点検整備は特に重要なんです。エンフリードさんも魔力の減りが早いと思ったら、復魔器系が故障したと考えてくださいね?」
クロウはエルティアから注意を受けた事で、朝の講義で教えられていた事だと思い出し、心得たとばかりに大きく頷いた。
こういった具合に、クロウが一つ一つの説明にしっかりと応じたり、それ以上の熱心さで機体構造を注視したりする為、エルティアの説明はより一層の熱を帯び、昼休憩に至るまで途切れることなく続いたのだった。
* * *
クロウがエルティアから熱意ある説明を受けている頃。
市中心部の喧騒から離れた市壁沿い。エフタ市の場末こと第四魔導技術開発室では、休日返上で斥力盾の開発が進められていた。
開発室奥にある間仕切りの一つ。ミソラとシャノンが使用する作業場では、作業台の上に立つミソラと眼鏡の青年ことロット・バゼルが斥力盾と機体側との接続について話し合っている。
「んー、今の段階では、機体との接続は難しいってこと?」
「はい。今少し時間をいただいて、機体側の設計から何とかしないことには……」
「いいわけはざいあくとしりたまへー、というのは冗談だけど、やっぱり難しいものなの?」
「ええ、盾側は機体側との接続機能込みで設計できましたが、やはり、現行魔導機のパンタルが対応できないといいますか……、仮に本体側に接続機能を組み込もうとするならば、それ相応に、魔力配管や装甲を弄る必要があるんですよ」
「ありゃりゃ」
「元よりパンタルは、五十年以上に渡って、第一線で使われてきただけあって、信頼のおける良い機体です。既に完成しているといえる程に」
ミソラはバゼルの言いたい事を察して、その意を口にする。
「完成している、ってことは、既に拡張の余地がないの?」
「ええ、そういうことです。なにしろ、四回の大掛かりな改修に加えて、小規模な改良を何度も重ねていますからね」
「ふーん、そうなんだ。……でも、五十年って結構長い気がするんだけど、新型機は作らないの?」
「聞く限りですが、技術的な限界があって、ほとんど企画段階で止まっているみたいです。それに、現行機でも不都合が無いといいますか、現場がこの機体で良いと、言ってきている事情もあります」
「むー、それはちょっと現場に甘えちゃってるんじゃない? もっと開発側も、現場の犠牲を減らす努力をしなきゃならんでしょ。それに機体が完成しているっていっても、今現在の時点ででしょ? 現場が体を張って、今現在を維持してくれてるなら、後方の私達は先の事も考えなきゃ」
「開発室に身を置く者として、耳が痛いお言葉ですね」
バゼルは眼鏡を外して苦い笑みを見せるも、直に掛け直して話を続ける。
「とにかく、もし仮に、現行のパンタルにこれ以上の拡張性を、外付け装備への対応を望むならば、大改修、もしくは再設計をする必要があると思われます」
「再設計かぁ、話が大掛かりになってきたわねぇ。お手軽じゃないわー」
「はい、お手軽じゃありません。ご理解いただけましたか?」
「ええ、今現在の開発方針に沿っていないってことはねー。……まぁ、斥力盾の開発が上手くいった場合、こういう案も考えたんだけどって、セレスにお伺いでも立ててみるわ。で、それが通った時は、本職に任せる辺りかしらね」
「それがいいと思いますよ。私も魔導機は専門ではありませんし、自分の研究開発がしたいですから」
「あら、もしかして、無駄なことをさせたから、怒ってる?」
バゼルは優男めいた顔に軽やかな笑みを浮かべると、少々ばつが悪そうな顔をする小人の上司に言った。
「いえ、無駄ではありませんでした。これはこれで、後の開発に活かせそうな貴重な勉強になりましたよ」
「そう。なら、悪い考えじゃなかったって思っておくわ」
「ええ、そうしてください」
ミソラがバゼルの言葉に頷き返していると、出入口側から野太い声が響いてきた。
「おい、室長、どこだ」
「んん、何かしら?」
「こっちの話は終わりましたし、行ってみてはどうです?」
「そうね」
バゼルに促されるままに、ミソラは背中に光翼を展開して宙に浮かび上がり、出入口に向かって飛んで行った。それを見送った青年は、その自由に空を飛ぶ姿に思わず、感嘆の溜め息を漏らす。
「やはり、いつ見ても素晴らしい」
彼はそう小さく呟き、小人の後を追うのだった。
ミソラが出入り口に向かうと、赤い縮れ毛を持つ厳つい男、ウディ・マディスが立っていた。常に厳めしい顔をしている筋骨逞しい男なのだが、その彼が珍しくも荒くれ然とした顔に困惑の表情を見せている。
マディスの前まで飛んで行ったミソラは、彼が浮かべた珍しい面持ちを認め、首を傾げながら尋ねた。
「どうかした?」
「室長、あんたに客だ」
「客?」
「ああ」
と頷き、マディスが己の背後を目で示す。そこには、白衣を身に纏った青髪の麗人と黒髪の女性秘書の姿があった。ミソラは白衣によって肌の褐色が際立つ麗人、セレス・シュタールに向かって手を振ると、口元にいやらしい笑みを浮かべて、マディスの不自然さを揶揄する。
「……なに、美人さんにあてられたでもしたの?」
「ばっか、違うわぃ。初対面でびびられなかったから、調子が狂っただけだ」
「あはは、そういう事にしておいてあげる」
「ふん、おらぁ、試験に戻るぞ」
「あいあい。事故と怪我はないようにね」
「わかってらぁ」
ふんと荒い鼻息を一つ吹くと、マディスは試験を行っている建物脇の街路へと戻って行った。マディスが足早に去ると、来客の二人がミソラに近づいてくる。そして、二人の内、前方に立つセレスが澄ました顔で声を掛けてきた。
「調子はどうですか?」
「ぼちぼちね。でも、今日はどうしたの?」
「いえ、最近、仕事をし過ぎだと秘書に注意されまして、視察という名目で息抜きを」
「あー、なるほど、仕事のし過ぎ、ねぇ」
ミソラはセレスの言葉を受け、ちらりと秘書を見やると、慇懃に頭を下げてきた。それに軽く頷く事で応じながら、セレスに注意を促す。
「なら、仕事量を減らすか、男遊びでも覚えるか、愚痴を言える相手でも見つけた方が良いんじゃない?」
「仕事量を減らすことは常に心がけていますが、どれも重要な案件ですから減らす訳にもいきませんし、今の所、男性には興味ありません」
「あらら、そんなこと言ってると、世の女を敵に回すわよ?」
「それは少し怖いですね。ですから、そういう困った事にならないよう、愚痴をぶつけても笑って流しそうな人の所に来たのです」
「わーい、過大な評価がうれしいわー。ま、こんな所じゃなんだし、中に入って。むさ苦しくて暑いけどね」
「では、お邪魔させていただきます」
ミソラはすれ違ったバゼルに、試験で何か問題があったら呼んでくれと言うと、中央アーチ柱の傍らにある休憩所に二人を案内する。
休憩所の真ん中に鎮座する机は会議卓にもなる為か、物が置かれておらず綺麗だ。が、その反動なのか、周囲の床には丸まった紙ごみや持ち帰り弁当の器、空水筒といった物が散らかっていた。
「あー、汚くてごめんねー。男衆がずっと泊り込んでいてさー。いつもはシャノンちゃんが気を利かせて、片付けてくれるんだけどね」
「ミソラ様、差し出がましい申し出だと思いますが、これらを片付けてもよろしいですか?」
ミソラは表情を隠しきっている秘書からの申し出を受けると、言い訳の為に動かしていた口を止め、その上司であるセレスに目を向ける。セレスは軽い苦笑を浮かべて、首を縦に動かして見せた。
「ごめん。それなら、お願いしてもいい?」
「はい」
「ゴミ箱はそこに、掃除道具はあそこにあるわ」
「では、しばらくの間、別の場所でお待ちください」
そう言われた為、ミソラはセレスを更に奥にある自身の作業場へと案内する。休憩所と違って、ミソラ達の作業場はごみ一つなく綺麗に整頓されており、清潔感がある。ミソラは作業場にある背凭れ付の椅子、普段はシャノンが使用している席に、セレスを座らせた。
「うぅ、格好悪い所を見せたわ。男衆には、もっと綺麗に使うように言わなきゃ駄目ね」
「いえ、構いませんよ。私の兄も無精が酷いので、ああいう光景には慣れていますから。……ところで、先程から、フィールズさんを見かけませんが?」
「うん、実はシャノンちゃん、経水の痛みが酷いみたいなのよ。だから、今日は家でお休み」
「そうですか」
セレスは怜悧な表情を崩し、同情するような顔を見せる。また、その際に、彼女が痛みを耐えるかのごとく眉根に皺が寄せたのを見て、ミソラは事情を察したように尋ねた。
「もしかして、セレスも重いの?」
「少々重いかもしれません」
「無理しちゃだめよ?」
「ええ、そういった日だけは、早めに仕事を切り上げています」
ミソラはセレスの話を聞きながら、先の秘書が頭を下げた際に垣間見せた困った表情を思い出し、話半分かそれ以下だろうと判断する。もっとも、その考えは表には出さず、流れのままに話を進める。
「それならいいんだけどさ。頑張ってても倒れたら元も子もなくなるんだし、お互い、気を付けましょう」
「そうですね」
そう応じてセレスは頷くと、次いで語を紡がせた。
「そう言えば、先程、試験と言っていましたが、街路にあったラストルと関係しているんですか?」
「ええ、装甲の試作品があがってきたから、それと本体を組み合わせて、斥力場の効果を調べているの」
「ああ、経過報告にあった耐用試験ですね。……ですが、街路での試験とは書いてませんでしたが?」
「いやー、それが屋内でやろうと思ったんだけど、なんか色々と危なそうだったから、外に場所を移したのよ」
「……では、仮に街路を壊した場合は、原状復帰でお願いします。市の方には私から言っておきますので」
「りょうかいしましたー」
セレスはミソラの軽い返事に若干の不安を感じるも、下手な真似はしないだろうと気を持ち直し、改めた様子で問いかけた。
「それで、開発は上手くいきそうですか?」
「うーん、朝の試験結果だと、ある程度は確実に緩和できているし、角度によっては逸らすこともできてるわ。でも、衝撃や圧力は殺し切れないから、脚部を横薙ぎにされた場合なんかだと、機体に当たる前に支えきれなくなって、足払いされるみたいに引っくり返るんじゃないかって、問題が出てきちゃってねー」
なんでもないようにミソラは進捗を伝えるが、耳にしたセレスは僅かばかり息を詰め、ゆっくりと尋ねる。
「……ということは、切断が防げる?」
「うーん、入ってくる角度や部位によっては、だけどね。でもさ、戦場で引っくり返ったら不味いでしょ?」
「いえ、それでも、一撃で戦闘不能になるよりは、遥かにマシです。一生物の怪我を回避して、生き残る機会も与えられるのですから」
「うーん、なら、今後も開発継続して、完成品を見てもらってから、改めて判断してもらうわね」
セレスはミソラの言葉に応じて頷くと、ふっと息を吐く。その吐息には少し疲労感が含まれていた。それを敏感に感じ取ったミソラは、セレスの近況を尋ねるべく口を開いた。
「なんか、そっちは大変みたいね。問題でも起きた?」
「有体に言えば、問題は常に」
「ふーん、例えば?」
「……この砂海域内では、ここ中央部や南部は安定しているものの、西部では帝国脅威論が不自然なまでに広がっていますし、北部では甲殻蟲の一群が都市に迫り、小規模な衝突が断続的に発生しています。また、東部では麻薬の流通量が増え始めている上、東方領邦から大挙して押し寄せた難民と既存の住民との間で起きている種々の軋轢が深刻化しています」
「はー、域内だけでも、問題は結構あるのね」
「ええ。ここ最近の朗報は、旅団の第三遊撃船隊が北東部にあったラティアの巣を攻撃して、女王の撃破に成功した位です」
解決より未解決が多く、問題ばかりが積み重なっていく状況かと、ミソラは内心で唸る。だが、そういった感想は口には出さず、セレスに更なる続きを促した。
「なるほどねぇ。じゃあ、域外は?」
「帝国と同盟の紛争が終結しましたね」
「あら、それはいいことじゃない。国力差で帝国の勝ち?」
「ええ、その通りです。ですが、新たな問題がその後に起こりました」
「う、うん?」
新たな問題という不穏な言葉に、ミソラは小首を傾げる。
「紛争終結後、帝国が抱える常備軍……、機士団や機兵隊と一般に呼ばれているのですが、そこから大量の除隊者が出たのです。手の者や在帝国支部、渉外担当が伝えてきた情報では、全体の半数以上に上るとか」
「う、うわぁ、それって、もう、組織が崩壊してない?」
「ええ。実際、この異常事態が帝国全土に伝わり、社会全体が動揺して、大きな混乱が広がっているようです。最新の報告では、社会の動揺を収める為、皇帝が動き、都市及び周辺域の治安維持を専門とする郷土防衛隊なる組織を新たに設けて、機兵達の引き止めを図っているそうです。ですが、所属する者は離脱者の半分程度に止まっているとのこと」
「はー、残りは?」
「完全に軍務から離れるか、余所に流れるか、といった所ですね。この事態を受けて、元老院では軍務を担当する軍事委員会に対し、責任を追及する声も上がっているとも報告にありました」
ミソラは作業机の上に腰を下ろして胡坐をかくと、腕組みして質問する。
「でも、そんないきなり大量離脱するなんて、普通なら考えられない事なんだけど、原因は何なの?」
「対人紛争で機兵が使われた事への不満、怒りが噴出したのでしょう。なにしろ、大部分の機兵は甲殻蟲に対抗するという己の役割を自覚し、人類の盾である事を自任し、また誇りにしています。それを、機兵達がそれぞれに見出している自分達の存在意義を、帝国の上層部、特に元老院が蔑ろにした結果、今の事態に繋がったのではないかと、私は考えています」
「うーん、でもさ、結果として、国の安全保障を投げ出したら、本末転倒じゃない?」
「ええ、だからこそ、そうならないように、皇帝が機兵達に郷土防衛隊という場を用意したのでしょう」
そして、郷土防衛隊を治安組織の延長に据える事で己の管轄下に置き、実力を持つことで、元老院の行き過ぎた行為を牽制する為に、或いは、今の事態になるよう皇帝が裏で機兵達を煽った可能性もある、という言葉は胸中に収め、セレスは続ける。
「仮に機兵の不満を抑えつけたとしても、士気が低下するのは目に見えていますから」
「なるほどねー」
「ですが、この帝国での騒動が同盟にも影響してしまいまして……」
「へ?」
「帝国が対外威圧に使用していた機士団や機兵隊が大きく弱体化したことで、同盟内の対帝国強硬派が報復措置を取れと声高に叫んでいるのです。今の所、穏健派が人同士で争ってはならないと自重を求めていますが、予断を許さない状況です」
「……まー、自国の益を求めるのもそうだけど、余所からのちょかいには相応にやりかえすってのも、外交の基本だしねぇ。下手すれば、戦争になってもおかしくはないわね」
セレスは首肯する事で同意を示し、椅子の背に身体を預けて、口を開いた。
「加えて、領邦国家群においても帝国の影響力が低下した為か、一部の都市で不穏な動きが見えますし、交易路で賊党の襲撃が相次いでいます。特に賊党の被害が酷く、友邦から我々に対して救援要請が届く程です」
「うわー、なんか、情勢が一気に動き始めてるって感じね」
「えぇ、二旬前の平穏が懐かしいくらいです」
ミソラは二旬前という言葉を聞くと、ある事実にはたと気づき、神妙な顔で切り出す。
「言っとくけど、私が起きた所為じゃないからね?」
「もし、そうであったなら、私もあなたに今の状況を鎮めるように言えて、気が楽だったのですが」
麗人の冗談めいた物言いに、ミソラもまた応じる。
「あはは、もしそうだったら、私を起こした責任を取ってもらう形で、クロウも道連れにしてやるわ」
セレスはミソラの理不尽な物言いに、小人に振り回される少年の姿が何故か想像できてしまい、この場にいない少年に同情する。
「彼の人も大変ですね」
「いいのいいの。女に頼られたら、それに応じて走り回るっていうのが、良い男ってものよ」
「では、男性が女性に頼ってきた場合は?」
「場合によりけり。時に激しく尻を蹴飛ばして、時に際限なく優しく抱擁するの。それが良い女の最低条件ね」
胸を張っての主張に、セレスの口元に力の抜けた笑みが浮かんだ。
* * *
機付整備士や見習い整備士達との親睦を兼ねた昼食が賑やかな内に終わり、四人の教習生達は予めディーンに指示されていた通りに、運動場へと戻ってきた。
彼らの表情は明日からの実機訓練を思ってか、一様に明るい。特にクロウと同班のテオはパンタルの実物に触れた為か、気分を高揚させている。
「パンタルに触ったのは初めてだったけど、やっぱり力強いね」
「確かに、ただ見ていた時と違って、実際に手で触ってみると、力強さがあった」
クロウがテオの楽しげな声に応じると、茶髪の少年は引き締まったが故に、丸さが目立つ顔に愛嬌のある笑みを浮かべて頷く。
「うん、そうだよね。この教習を受け始めてから、始めて明日が楽しみになったよ」
「はっ、精々、落ちこぼれないように気を付けたまえ」
「いや、お前が言うな、お前が」
テオの無邪気な声に、ジルトが気取った風に絡み、クロウがその言葉に返しを入れる。その三人を残る一人であるレイルが口元を緩めながら眺めていた。
和気藹々とまではいかないが、調子を上げている四人の所へ、グラディがディーンを従えてやってきた。
白髪頭の教官は静かになった四人の前に到着するやいなや、開口一番宣した。
「これより第一旬目最終訓練を行う」
それから一頻り、各々の顔を見て回るが、その視線は変わらず鋭く、見る者に威圧感を感じさせた。彼は全員の表情を検めると、皺が刻まれた顔は口元を歪ませて、寂びた声でゆっくりと告げる。
「喜べ。今回は特別に、貴様ら自身に、訓練を選ばせてやろう」
ただ、それだけの言葉でしかないにもかかわらず、クロウの背中に悪寒に近い震えが走り抜ける。もっとも、嫌な予感を感じたのはクロウだけではなかったようで、他の三人もそれぞれにうそ寒い表情を見せていた。
「選ぶのは、甕とシャベルの二つだ。どちらでもいい、好きな方を選べ」
クロウが突き付けられた選択肢に、そこはかとない不安を抱いていると、レイルが一歩前に進み出て口を開いた。
「では、甕を」
「……なら、同班の誼だ、僕も付き合ってやろう」
ジルトが強がりを口にしつつ、レイルについていく。それを横目で見ていたクロウだが、やはり甕は三日目以後も幾度か運ばされた汚物甕を思い出してしまい、自然と口が動いた。
「俺はシャベルで」
「僕もシャベルで」
テオもクロウと同じことを連想したのか、甕を避けた。四人が班毎に綺麗に分かれた事に、グラディがふっと笑う。が、それも見間違えのように見える程度の速さで消える。
「では、ディーン、甕を担当しろ。俺はシャベルを見る」
「了解です。おし、お前ら、付いてこい」
「貴様らも俺に付いてこい」
二人が言われるままについていくと、辿り着いたのは格納庫脇の空き地であった。空き地には、六十ガルト程の柄を持つシャベルが四本、地面に突き立っていた。
「どれでもいい、一本持って、そこらを掘れ。俺が良いと言うまでな」
クロウとテオは、これからやる事の意味は分からずとも、碌なことではないことだけは想像できた。
そして、二人は穴を掘る。
炎天下、ただひたすらに、大地に刃を突き立てては外へと放り出すという動作を黙々と繰り返す。いつしか穴は深くなっていき、腰に至った所で、微動だにせず監督していたグラディが新たに指示を出す。
「よし、止め」
少年達は揃って、これで解放かと考えたが、それは直ぐに潰えた。
「次は、今掘った穴を埋めろ」
瞬間、クロウの脳は言われた事を理解することを拒否し、ただ、まじまじとグラディの顔を見つめる。
「何をしている、俺は埋めろと言った」
平素の如く変わりのない声での指示に、クロウは不快感を感じつつも、穴より這い出て外に出した土を穴に放り込み始める。程なくして、穴の傍らにあった土が消え、若干の窪みを見せる程度になる。
「よし止め。穴を掘れ」
テオの顔が引きつり、クロウもまた内心で毒づいた。
こうして同じことを繰り返す事、十数回。光陽も西へと傾き始める。
延々と続く穴掘り穴埋めという単純作業に、鍛えられた二人の身体は耐え抜いていた。けれども、心はそうもいかなかったようで、シャベルを動かすテオの目は虚ろになり、穴に土を放り込むクロウの顔からも表情が消えている。
無表情になったクロウの心中には、何故、こんな事をしているのだろうと言う疑問が心中に溢れ返っている。そんな彼の視界の片隅に、レイルとジルトが運動場の端で大きな甕を押している姿が見えた。
彼らもまた黙々と大きな甕を押しているが、その足元には甕が土を押し退けた事でできた縁が二筋、一直線に盛り上がっていた。
「おい、よそ見をしている暇があるなら、さっさと埋めろ」
その一声で、クロウの中に満ちた疑問は瞬時に怒りへと転換され、クロウはシャベルの取っ手を力一杯に握りしめて、グラディを睨みあげる。だが、グラディは少年の強い眼光を鼻で笑い、ただ一言告げた。
「ふん、免許はいらんのか?」
歯を砕かんとばかりに食いしばって、心身で吹き荒れる激情を噛み殺し、柄を握りしめたシャベルの刃を大地に突き立てた。そうすることで、クロウは僅かなりとも満身に溜まった怒りを放出したのだ。
「早く作業を続けろ」
もっとも、免許を盾に取られた以上、理不尽な言葉に逆らうことができず、少年は不本意ながらも従った。
穴を掘って埋める。
ただそれだけを繰り返し続けている内に日が暮れ、深い闇が周囲を包む夜が訪れた。
頼りない星光の下、二人は延々と土を掘り出し埋め戻し続けている。怒りを感じるのも、意味を考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、ただただ、穴を掘って埋めるのが仕事と言わんばかりに、何度も何度も繰り返し、同じ作業同じ動作を延々と繰り返す。
「聞け」
唐突に……、埋めろ、掘れ、と命令を繰り返していた、グラディが口を開いた。精神が摩耗した二人は、のろのろと、声が聞こえた方向へと顔を向ける。だが、夜闇によってグラディの表情は隠されていた。
「作業の手を止めずに聞け。貴様らが今やっている作業は、ただ穴を掘って埋めるだけの作業は、はっきりと言ってしまえば、無意味な作業であり、東方のある領邦において、体制に反抗的な者に対して、使われている拷問だ」
微かに働いた理性が、クロウの心に反発を起こさせる。そんなもんをやらすなと……。
だが、その思いを口に出す気力はなく、グラディの言葉に意識を向ける。
「実際の拷問では、理不尽な難癖をつけて適当な罵声を浴びせつつ、所定の行動以外は許さないようにして、連日繰り返すそうだ。ふん、心身を鍛えた貴様らですら、たった一日で根を上げかけているのだ。どのような者であれ、心を摩耗させ、精神を壊されるだろうな」
そう告げたグラディの声には、心底から馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、侮蔑が色濃く混じっていた。
「貴様らも実際にやってみて、他人に理不尽な行いを強いられる不快さ、どこにも持っていくことができない憤懣の重み、そして、意味のない事をさせられるという果てしない徒労感を味わい、これが如何に馬鹿げた事であるか、身に沁みてわかったはずだ」
クロウが横目でテオを見ると、彼は虚ろだった目に微かな光を宿しながら、グラディに目を向けている。
「時として、世の中には、今、俺が貴様らに無意味な事を強いているような、理不尽な事がある。そして、この理不尽を人に強いるのは、どのような姿形であれ、力だ」
寂びた声に熱はなく、どこか達観した響きがあった。
「今しがた、俺が持つ権限という力でもって、貴様らを抑えつけたように、それが武力であれ、財力であれ、権力であれ、力があれば、その行いが理不尽であっても、人を圧し、屈服させることができる。それが人の世の現実だ。実際、俺に理不尽を課せられた、今の貴様らならば、嫌という程にわかるだろう」
クロウは胸中に怒りや不快感が滞留させているものの、グラディの言葉には道理を感じていた。
「力でもって、人を屈服させて従える事、人を足蹴にして見下す事、人を思い通りに動かす事、存外に気分の良い物だ。或いは、麻薬にも似た快感があるかもしれん。だが、それは人の不快感の上で成り立つ、歪な悦びに過ぎん。事実、貴様らも感じたはずだ。力でもって理不尽に屈服させられ、抑圧されることの不快感を。その不快感と共に反発、怒り、悔しさ、恨み、憎しみ、諦め、馬鹿馬鹿しさ、無力感……、言葉では言い表せない様々な感情を体感しただろう」
淡々とした声が少年達の耳に入り込んでいく。
「貴様らが明日より触れる魔導機もまた、今日、俺が貴様らに強いたように、それをもって、人に理不尽を強いることができる力だ。貴様らは自覚せねばならん。仮にこの教習を乗り越え、搭乗免許を得る事ができた場合、一個人として、大きな力を持つ事を。その力が時として、人を圧する凶器になり得る事を」
グラディはここで一呼吸置き、今までにない厳かな声で二人に告げる。
「覚えておけ。元来、力とはただそれだけでは意味を為さんものだ。それを繰る者の意思を得ることで始めて、人を守る力にもなれば、人を圧する力にもなることをな」
そう言うと、白髪の教官は訓練の終了を宣した。
「第一旬目最終訓練はこれで終了する。明日より実機による訓練を開始するが、朝はこれまでと変わらん。従来通りに動け。それと、今、貴様らが掘っている穴は、最後までしっかりと埋めておけ。……以上だ」
クロウ達が条件反射するように礼の挨拶を述べると、グラディはそれ以上は何も言わずに去っていった。穴の中より、その後ろ姿を見つめるクロウは、無意味な作業で溜まっていた鬱憤が意味を与えられてしまった事で行き場を失くしてしまい、複雑な表情を浮かべた。
しばらくの間、クロウは胸中で渦巻く混沌とした感情をどうするか扱い兼ねていたが、どうにも吐き出す訳にはいかず、仕方なく受け入れ始めた。
彼が大きな溜め息と共に未消化の感情を心に溶かしていると、同じく穴の中でぼんやりとしていたテオが不意に呟く。
「クロウ君」
「ん、どうかした?」
「なんていうか……、力を持つのって、大変な事なんだねぇ」
「……らしいね」
クロウは一つ頷き、更に語を重ねる。
「本当、どうにも重いもんみたいだ」
その囁きに近い声は、静かに闇夜へと紛れ込んでいった。
12/08/03 一部語句にルビ。
18/10/03 誤字修正。




