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魔導黎明記  作者: 綺羅鷺肇
2 老機兵は不屈を謳う
14/96

四 汗涙の教練賛歌

「ぬ、ぐぅぁっ!」


 朝、寝台から起き出そうとしたクロウは、顔を除いた全身から生じる重い痛みを受けて、思わず喚いた。

 前日、前々日に引き続き、今日もまた酷使される事となる筋肉が揃って上げる悲鳴を聞きながら、少年はゆっくりと上体を起こす。腹に一枚だけ掛けていた夜具が膝に零れ落ちるが、今の彼にはそれを直す気力すら湧かない。

 彼に気怠さをもたらしている、身体の随所に滞留している微熱がこのまま寝ていた方が良いと暗に告げてくる。だが、朝食前に行われる魔導機の構造と仕組みに関する講義がある為、再び床に就く訳にもいかないのだ。


 クロウは寝間着に染み込んだ汗を不快に思いながら、疲れ切った目で傍らの机を見る。机上の置時計は朝六時を指し示しており、講義まで後一時間、朝食及び日の出まで後三時間程である事を彼に教えていた。


 まだ、三日目。


 そんな言葉が彼の脳裏に過ぎる。


 それと同時に、クロウは訓練という名のこれまで経験したことがない苦行で、自身の心が弱っている事も自覚する。

 なにしろ、厳しい光陽の日差しの下、監督する教導官に言われるまま、腕立て、腹筋、背筋等々を立て続けにこなし、終わりの見えない長距離走を全力で走り続け、魔導機で使用される四種類の武器……戦鎚、戦斧、大剣、鉄棍の基礎形を覚える為、素振りを延々と繰り返し、最後に教官との一対一での格闘訓練をするのだ。


 グランサーという仕事柄、暑さに耐性があるクロウや見るからに鍛えている黒髪の青年レイル・ウォートンはともかく、クロウと同じ班となり、今も隣にある寝台で死んだように眠っている小太りの少年テオ・トルードは初日の朝、長距離走の途中で吐き、色白の少年ジルト・ダックスも午後から行われた素振りの最中、前のめりに倒れて、吐瀉物をまき散らしている。


 その時の凄惨な光景を思い出し、俺もいつかはああなるかもしれないと慄きながら、クロウは溜め息すらままならない身体を少しでも解し、今日の訓練に備えるべく、柔軟体操を始めた。

 痛みに呻きつつ、無理なく時間を掛けて、各所をゆっくり伸ばす。すると、時間と共に全身の血流が良くなっていき、強張っていた筋肉が徐々に解れていく。


 クロウが敷布の上で静かに身体を動かしていると、テオ・トルードが声にならぬ呻きと共に目覚めた。


「ぅぐ……、クロ、ウ君、お、おはよ、う、ご、ざいま、す」

「ああ、おはよう、テオさん」


 初日の班分け後、二人は簡単な自己紹介と共に、年少のクロウがさん付け、年長のテオが君付けといった具合に、それぞれに呼び方も定めたのだ。もっとも、小太り気味な少年はその気弱な性根からか、早くも言葉が砕けたクロウと違って、言葉遣いは丁寧なままである。


「まだ少し時間に余裕があるから、柔軟をしておいた方がいいよ」

「う……ん、そう、するよ」


 テオは覇気のない声で答えると、クロウに倣い、緩慢な動作で柔軟を始める。


「今日も、昨日と同じこと、するんだよね」

「多分」

「僕、耐えられるかな?」

「これは聞かされた話だけど、そういう事を言える内はまだ大丈夫らしいよ」


 テオはクロウの答えに目を丸くする。それから得心した様に軽く頷いて、柔軟に集中し始めた。



 二人は柔軟体操で噴き出した汗を始末した後、支給されている運動着に着替える。綺麗に洗濯され、清潔感のある運動着なのだが、これから始まる訓練を連想させることもあって、その表情は複雑である。


 それはともかくとして、二人は講義に参加すべく、割り振られた寝室を出た。


 柔軟体操をした事で起きた頃よりも若干マシになったものの、身体は重く動かす度に痛みが走る事には変わりはない。自然、足を引き摺る様にして、魔導灯の青白い光で照らされた廊下を歩いていく。


 港湾区画の外れに位置する魔導機教習所は、講義室、教官室、救護室、会議室、事務室等々がある二階建ての本館、クロウ達が寝泊まりする寝所や食堂、浴場といった施設がある三階建ての別館、魔導機を格納整備する大型格納庫、体力を練成し、魔導機を動かす為の運動場の四つで構成されている。

 中々の規模の割に、本式免許教習を受講するのが四人しかおらず、クロウが当初受ける予定だった限定免許教習の受講者もまた少ない。その為、施設を有効に活用できているようには思えないが、実の所、教習所で行われているのは魔導機教習だけではない。


 魔導機を支える側の人間、魔導機整備士の育成も併せて行われているのだ。


 魔導機は外骨格装甲、いわば、補助動力付きの甲冑である。

 たとえ、動力源が魔力とはいえ、搭乗者が魔導機を動かす為の追従機構が組み込まれているし、力を生み出す為に機械的な仕組みを併せ持つ箇所も多い。

 その上、戦場に出る魔導機であれば、武人の蛮用という言葉がしっくりと来るほどに乱暴に扱われるし、簡易機であっても作業現場で酷使され、想定外の使い方をされる事もあるのだ。当然、常日頃からの保守点検整備も欠かせなくなってくる。

 そして、この保守点検整備を主に担うのが、先に挙げた魔導機整備士と呼ばれる者達である。魔導機の構造から採用されている仕組みまで、その全てを知り、点検整備できる彼らの下支えがあってこそ、はじめて魔導機は運用できるのだ。これを育成するのは、当然と言えるだろう。


 そんな訳で、クロウ達が宿泊している別館では、魔導機整備士の資格を手に入れる為、各市各開拓地よりやってきた者達も寝泊まりしている。

 夜遅くまで実習を行っている整備士の卵達を起こさぬよう、二人は全身の筋肉を苛む痛みを耐え忍びながら、息を潜めて歩き続ける。

 実際の所は、話をする余裕もないというのが本当なのだが、それは置いて、二人は部屋がある二階より一階に降り、そのまま別館より本館へと移動する。両者をつなぐ渡り廊下から垣間見えた空はまだ暗いものの、東方の空が白み始めていた。

 朝の光に一日が始まる事を改めて認識し、クロウは幾分か気分を滅入らせながら、人気のない廊下を進む。本館もまた別館と同じく静けさの中にある。その静寂を破る様に足音を響かせて歩く事しばし、彼らは前日説明会で使用した部屋に入った。


 部屋には既に教官のディーン・レイリークが入り、説明に使用する魔導機が描かれた絵図を壁に引っ掛けている所であった。ディーンは入ってきた二人に気付くと、軽薄さを感じさせる笑みを口元に浮かべて、声をかけてきた。


「よぅ、おはようさん」

「おはようございます、レイリーク教官」

「おはよう、ございます」


 クロウとテオは揃って挨拶を返す。そんな二人をじろじろと見ながら、ディーンは一つ頷いて口を開く。


「三日目にもなると、なかなか、いい面になってきてるな」

「あー、まだ二日だけど、散々に絞られましたから」

「僕は、全身に、大きな錘が、こびり付いている感じがします」

「ははっ、そうだろうさ。でも、まぁ、後、二、三日もすれば、慣れるだろう」

「それまでは?」

「これも貴重な経験と思って、精々苦しめ」


 この無情な言葉に、クロウは天井を仰ぎ、テオは肩と首を落とす。


 ディーンは二人それぞれの反応を認めながら、おやじ殿お得意の生かさず殺さずだなと、内心で一人笑う。そこに別室で寝泊まりしているレイル・ウォートンが入ってきた。彼は落ち着きのある声で、担当教官に挨拶する。


「おはようございます」

「おう、おはようさん。……白いのはどうした?」

「時間が迫ってましたので起こそうとしましたが、起きる気配と時間がなかった為、そのままに。……やはり、今からでも起こしに行った方がよいでしょうか?」

「いや、ここは軍じゃねぇし、奴もガキじゃねぇんだから、別に構わんさ。この講義を受けず、後々になって、奴が不利益をこうむっても、それは奴自身の責任だ」


 そう言い切ったディーンに対し、レイルは何かを言おうとするが、それを遮る様に無精髭の男は言葉を重ねる。


「いいか、これだけは言っておく。ここは仲良し小好しをする場所でもなければ、命令と規律でもって縛る軍でも一々お優しい学校でもない。甲殻蟲や賊党と戦えるように、魔導機を操縦できるようにする教習所だ。やる気のない奴、付いてこれない奴に構う事はねぇよ」

「本当にそれでいいのでしょうか?」

「はは、優しいねぇ。だが、それはこの教習所で教える事じゃない。ここはあくまでも、魔導機を動かしたことがない奴を、一人前の戦士に仕立てる場所だ」


 と、ここで何かに気付いたように語を切り、改めた口調で語り出す。

 

「そもそも、お前達はな、この教習を無事に乗り越えて免許を取った場合、個々人で魔導機と武器の保有を公的に許された存在、いわば、社会的に認められた傭兵とも呼べる存在になる。そのお墨付きを与えるのが、この砂海域だけじゃなくて、他国にも影響力を持つ組合連合会である以上、弱い奴は絶対に表には出せん。……そう、最低限、独りで立てるだけの強さが、孤軍でも戦い抜こうとする気概を持つ強さが必要なのさ」


 ディーンはそれぞれの顔に目を向けると、ふっと笑う。


「それにな、考えても見ろ。ここの訓練も乗り越えられないような奴が、死線の上で楽しく踊り狂う実戦に耐えられると思うか? 俺の経験から言わせてもらうと、どれだけ訓練をやっても命が懸かるってだけで厳しいんだぞ? 無理に決まってるわな。というか、すぐに死んじまうのは目に見えてる。……そして、その時に、一人で死ぬだけならまだしも、周囲を巻き込むってこともあるんだぜ? 俺なら、そんな事態にならないようにする為に、ここで撥ねる」


 ついで、無精髭を撫でながら、頬を歪める。


「とは言っても、訓練に何度も躓いて、どれだけひぃひぃ言っても、なんとしてでも喰らいつこうとする奴なら、見所があるから、一人前になれるようにこっちも対応をする。けどな、それ以前に、自分の面倒も碌に見られない奴は、元より、機兵たりえない。そういう奴は撥ねるだけだから、温情なんて言葉も不必要なのさ。……分かったか、白いの。お前に言ってるんだぞ?」


 ディーンの言葉を受けて、三人が彼の目線を辿って後ろを振り返る。出入り口に立ったジルト・ダックスが青白い顔でディーンを睨みつけ、甲高い声で吠えた。


「わ、わかってる! 今日はたまたまだっ!」

「おう、それなら結構なことだ。ほれ、さっさと入れ。とっとと講義を始めるぞ。……今日は昨日の復習、魔導機を構成する部位名称と働きについてからだ」


 ディーンはジルトの険しい目線を鼻で笑うと、教習者達に椅子に座るよう示し、講義を始めた。



  * * *



 別館の食堂で黒パン、具のないスープ、乾酪、粉乳で構成された朝食を食べ終えると、四人は運動場に出る。二百リュート四方の運動場には、まだ彼ら以外に人影はない。ただ、東の空を昇りつつある光陽が光をもたらすのみである。


 四人はこれから始まる訓練に備え、初日に教えられた通りに柔軟体操を始めた。一人でできるもの、二人組でやるもの、手、腹筋、肩、足、背中、腕、腰、太腿、首、背筋、足首といった具合に、実に様々な箇所を時間を掛けて解していく。

 柔軟体操をする間に、運動場の片隅に簡易魔導機ラストルが姿を現した。限定免許の教習で使われるのだ。四人は鈍い音を立てて動くラストルを羨ましげに、或いは、興味を持って眺めながら、一時間ほどかけて、柔軟体操を終える。すると見計らっていたように、初老の男グラディ・ローディルとディーンが姿を現した。


「よし、集合しろ」


 グラディが寂びた声で告げると、四人は足早く二人の前に集まる。


「今日も昨日と同じく、班毎に体力の練成を行う。ウォートン、ダックスはディーンの監督を受けろ。エンフリード、トルード、貴様らは俺に付いてこい」


 そう言うやいなや、グラディは別館に向かって歩き出す。クロウとテオは昨日とは異なる指示に一瞬戸惑うも、慌てて追いかける。もっとも、筋肉痛を抱える二人は足の速いグラディに追いつくことができず、振り向いた彼に鼻で笑われる事となる。

 クロウは表情には出さぬも胸の内で歯噛みし、テオは悔しさと羞恥の表情を隠す為に俯く。年若い二人が情けなさと口惜しさを感じている間に、目的地に着いた。


 行き着いた場所は別館近くの空き地。

 そこに設置されている車止めに固定する形で、一台の荷車が置かれていた。荷台には高さ一リュート以上ある巨大な陶(かめ)が四つ乗せられており、ロープで頑丈に固定されている。それらの(かめ)にはしっかりと蓋が為されているのだが、(かめ)そのものから汚臭が放たれており、二人の鼻を衝いた。


 つまるところ、積荷の陶(かめ)は便所に設置されている汚物溜めである。


「こいつがなんなのか、既にわかっているだろう。これから、こいつを処理場まで運ぶ。前はエンフリード、後ろにトルードだ。さっさと支度をしろ」

「え? こ、コドルは?」

「生憎と、貴様らが食う飯を買いに出している。なに、元は貴様らがひり出した物だ。自分達で責任を持って運ぶと言うのもおかしい事ではあるまい」


 そう言い切ると、グラディは人が悪い笑みを見せる。


「おい、こうしている間にも、貴様らが受けるべき訓練の時間が少なくなっていくぞ。機兵たる者、いかなる時も決断が早くなければならんのだが……、今の貴様らはそれを満たしているとは言えんな」

「く、クロウ君、やるしかないよ」


 どこか諦めに似た表情を浮かべ、人の良い少年は荷車の後ろに付く。クロウもまた、何故こんなことになったという疑問と腹の底から湧いた不満を押し込め、荷車の前方はロの字を描く枠の中に入った。


「おい、中身が中身だ、零すなよ? ……いや、別に零しても構わんか。その時は貴様らが零れ落ちた糞尿をかき集めて掃除するだけのことだからな」


 グラディの実に楽しげな声を聞き、クロウは歯を剥きかけるが奥歯を噛みしめて耐えた。



 グラディの先導の下、クロウとテオは満身の力を込めて、汚物が乗せられた荷車を動かす。

 目的地はエフタ市近郊にある郊外施設。エフタ市より東方一アルトの場所に建てられた下水処理兼堆肥化施設だ。


「んんっぐっ!」


 二人が動かす荷車はゴム製の車輪ということもあって、意外と動かしやすい。だが、乗せられた物が物だけに勢いをつけるわけにいかず、逆に速度が出ないよう、二人は慎重に歩を重ねている。


「く、クロウ君! ちょ、ちょっと、傾きが不味いよっ! (かめ)が倒れるっ!」

「ええぇぇっ!」


 もっとも、二輪という荷車自体の構造に加え、積載物が(かめ)に入った液状物という事もあってか、重心が高く不安定で、二人の努力をあざ笑うかのように、前と後で大きく縦に揺れた。

 その度に、彼らは(かめ)が転がり落ちるかもしれないという恐怖に怯えながら、揺れを抑えようと腕に力を込めて必死に抑える。

 こんな具合に腕や肩に思わぬ負荷が掛かる一方で、荷車を動かす足腰にも常に負荷が掛かり続ける。そして、鼻には常に汚臭が入り浸る。


 延々と走っている時よりも心身ともに苦しい、とは、市壁循環道を経て、南大市門より外に出た際にクロウが抱いた感想である。


 だが、クロウはその考えがまだ甘かった事を思い知らされる。


 市門より外に出ると、道はあれども舗装が途中でなくなるのだ。

 市内では感じなかった微妙な凹凸が障害となり、更なる消耗を二人に強いる。また、光陽を遮るような建物もない為、強烈な日差しが体力と水分を奪っていく。

 そして、市壁の外という環境が漠然とした不安を、目指す施設が見えているのに中々近づかない事が焦りと苛立ちを、(かめ)より放たれる汚臭が蟲を引き寄せるかもしれないという恐怖を生み、その心から余裕を削り取っていく。


 クロウは歯を食いしばりつつも周囲に警戒の目を向ける。同時に緊張を抑える為、呼吸を落ち着かせようとするが、酸素を求める身体がそれを良しとしない。


 ただ汚物を運んでいるだけで、身も心も削れていく。


 この滑稽な事実に、クロウの心底に僅かに残っていた冷静な部分が笑い出しそうになる。

 いや、実際、口を開けて呼吸を荒げている彼の口元には引き攣りが、無様な笑みが浮かんでいる。もし、安全な場所ならば、罵声を上げながら狂ったように笑ってるかもしれない、そんな笑みだ。


 二人の様子をさり気なく観察していたグラディが、唐突に声を出す。


「貴様らは魔導機を操り、命を懸けて、蟲共と潰しあう存在になるのだ。この程度で……、たかだか、汚物を運ぶ位で平静さを失ってくれるなよ?」


 クロウはグラディの見透かした物言いに強い反発を覚える。その一方で、昂揚していた気分が醒めていった。


「機兵たる者、己の内に潜む不安を解き、常に冷静さを保って、現実の脅威に対処する能力を持たねばならん。今、貴様らが感じている漠然とした不安等は、現実にある脅威の前ではただの芥に過ぎん。覚えておけ」


 そう大きくないにもかかわらず、初老の男が発した寂びた声は良く聞こえ、少年達の脳裏に確と刻み込まれた。



 程なくして、三人は下水処理兼堆肥化施設に辿り着いた。

 施設は市壁の外ということもあってか、高さ二リュート程の外壁を周囲に巡らせている。焼煉瓦造りの外壁には小さな監視塔が数個設けられている事から、どこか砦を思わせた。

 エフタ市の市門をそのまま小さくしたような門を潜って中に入る。壁の内側には、幾つかの大きい平屋とそれより小さな建屋が数軒並んでいた。

 これらの施設群で都市で出た生ごみや下水、家畜の糞尿といった物を個体部と液体部に分離し、魔導機器や光陽の光熱を使って、液体部からは水等を取り出し、個体部は日を掛けて発酵させ堆肥化しているのだ。


 グラディは人気のない道を慣れた風情で歩き続ける。周囲を見る余裕もないクロウ達は、ただ、その後を黙って付いていく。そうする内に、開口部が広い建屋の一つに入った。


 建屋内はクロウ達が立つ地面と高さ一リュート程ある台状の荷役場の二つに分かたれていた。

 荷役場と地面との境界部は大凡一リュート置きに荷役場がせり出しており、凹凸を形成している。凹部には既に荷車が数台入っており、その前では御者に宥められたコドルが不機嫌そうに鼻息を吹いていた。

 一方、荷役場では数機のラストルが荷車から(かめ)を降ろし、奥に設けられた搬送帯に運んでいる。使用されている機体は港湾区画や教習所で稼働していた物と若干異なっており、搭乗者が頭を覗かせる開口部に補強材と共にガラスがはめ込まれていた。


「よし、そこの車止めに後ろから入れろ」


 クロウとテオはグラディに指示されるままに動き、凹部に荷車を押し込む。荷役場の高さは荷車の荷台より若干低いようで、車輪がある中央部より後ろ側が台上に乗った。


「固定ロープを外せ」


 グラディは二人の代わりに枠を押さえて言い放つ。

 二人はふらふらの身体を鞭打ち、僅かな隙間に手を入れ、荷台下の鉤に引っ掛けられたロープを外していく。それから、一本ずつまとめていき、使用されていた全てのロープをまとめ終える。


「よし、ロープを荷台において、枠を押さえていろ」


 二人が枠を押さえるのを確認すると、グラディが手を挙げて合図を送る。すると、一機のラストルがゆっくりと近づいてきて、汚物入りの(かめ)を器用に両手で持ち上げた。二リュート程の作業機械は荷役場奥の搬送帯まで運んでいって乗せる。それから、搬送帯近くに置かれている空の(かめ)を持って戻ってきた。

 同様の動作が繰り返される事、三回。荷台上の(かめ)が全て置き替えられると、グラディがぐったりとしている二人に言い放った。


「教習所に戻るぞ。(かめ)をロープで固定しろ。トルードが前、エンフリードが後ろだ。すぐに掛かれ!」


 最早、反発する気力もなく、少年達はただ小さく応えを返すのみだ。


 (かめ)の中が空になり、荷重が無くなったとはいえ、行き道で消耗しきった二人にとっては、帰り道も相当に厳しい物であった。



  * * *



 予期せぬ仕事を与えられ、心身を消耗させたクロウとテオが教習所に戻ると、本来の教習が始まった。


 まずは体力練成。

 二人はグラディに言われるままに、腕立て伏せを始め、懸垂、腹筋、背筋、倒立維持、屈伸運動と、丁寧にかつ数をこなしていく。当然のことながら、運動場の周回走路を黙々と走っている他班の二人を恨めし気に見る余裕もない。


「機兵たる者、己自身も支えられないようでは務まらんのだ」


 グラディの重い声が数を刻む度に、クロウ達の身体が、積み重なった疲労に喘ぐ全身の筋肉が、悲鳴を上げる。運動と日差しにより熱を帯びた身体から、汗が流れ落ちては乾いた地面を濡らしていく。

 途中でへばりそうになると容赦のない罵声が飛び、実際に崩れ落ちるとバケツに入った水が容赦なく降りかかった。


 己の身体を痛めつけるという苦行を終え、僅かな休憩で水分と栄養を補給した後は、長距離走である。


 長距離走では、グラディの監督の下、運動場に設けられた一周四百リュートの周回走路を走り続ける。

 この長距離走、一応は昼時で終わるという目安はあるが、明確な終わりは設けられていない。事実、二日目において、昼に終わるだろうと、高を括っていた教習生達の甘い幻想は叩き潰されている。つまり、いつ終わるかわからないという、走っている当事者にとっては決して笑えない状態で、延々と走路を走り続けるのだ。


「機兵たる者、いついかなる時も、どのような状態であっても、全力で動けるだけの体力が必要となる。ただ漫然と走っていては、何の意味もない事を知れっ」


 しかも、常に全力での走りを心がけなければ、グラディの罵声が飛ぶ為、呼吸と気が休まる時はない。


 この長距離走では休憩が設けられていない為、調整水入りの水筒を肩に掛けさせられる。走っている最中に、自分で水分と栄養の補給をする形だ。

 しかしながら、一息に飲むような真似をすれば、胃に負担が掛かり、結果、初日のジルトのように嘔吐する破目になったりする為、中々に飲み方が難しかったりする。


 幾度となく心が折れ掛け、それでも終了の声が出るまで走り切ると、午前の訓練が終わりを告げる。


 覚束ない足取りで、別館の出入り口に向かい、そこに用意されている水と手拭いで汗や汚れを拭う。それから、たとえ食欲がなくても、居合わせた整備士見習い達が思わず腰を引くような幽鬼の如き顔で、昼食を食べる。ちなみに、昼食は粉乳と乾酪で煮込んだパン粥と東方から輸入されている柑橘、檸檬入りの砂糖水であった。


 口を動かすのも苦労する食事を終えると、教習生達が心より待ち望んでいた時間、午睡の時間である。彼らは風通しの良い日陰に倒れ込み、午後の訓練が始まるまで、ただひたすらに、身体を休めるのだ。


「こ、このままだと、ふつうに、死ねる」

「く、クロウ、君、た、たしか、そ、そういう、言葉が、出る内は、まだ、いける、んだよ、ね?」

「う……、お、お、おしゃる、とおり、で……す」


 また、時に交わされる会話で、教習生同士の親交を深めたりもする。


 この三時間程の昼休憩を涙を流す程に惜しみながら終えると、午後の訓練が始まる。


 昼から夜にかけては、班毎に分かれての体力練成を兼ねた戦闘技術の体得だ。

 この教練では、今現在、ゼル・セトラス域の魔導機が装備する主兵装、大剣、戦斧、戦鎚、鉄棍の四種と近接格闘術、白兵戦技術について、教習生自身が自らの身体でもって、取り扱い方と基礎の形を学ぶ。至極、簡単に言えば、指導された通りに形に沿った素振りをするのだ。

 これは知識も経験もなく、いきなり魔導機で武器を振るうよりも、生身での経験を伴っていた方が機体を動かす際の想定が容易になり、その結果として、魔導機での戦闘機動の習得が早まる事が知られている為である。


 鬼教官の厳しい監督の下、クロウとテオは大剣を振るう。

 足腰と足の五指に力を入れ、肉厚で重い大剣を上段より真っ直ぐに振り下ろし、地面に接するギリギリのところで止める。体幹を始めとする筋肉が悲鳴を上げ、二人は歯を噛みしめた。


「機兵たる者、どのような得物でも最低限は扱えるだけの基礎が無くてはならん。実戦の場においては、特に漲溢のような非常時においては、補給が万全に為されるという訳ではないのだからな」


 二人にグラディの声に応じる余裕はない。二人がどのような状態か、良くわかっているグラディはまったく気にする事もなく、それぞれに指摘を入れる。


「トルード、貴様は止めが甘い。剣先が震えているぞ。エンフリード、貴様は力の入れ加減を考えろ。常に入れ続けるだけでは、身体が持たん。蟲の数にもよるが、戦闘は長期戦になる事が多いのだ。いざという時に訳に立たんようでは、身体を鍛えている意味はまったくないぞ」


 それができるならとっくにやっている、とは、指摘を受けた二人が抱いた感想である。


 こういった具合に、時に小休憩を挟みつつ、大剣、戦斧、戦鎚、鉄棍それぞれの基礎的な扱い方を熟した後は、近接格闘術の訓練だ。


 近接格闘訓練では受け身や関節技、手足での打撃の形といった基礎の反復練習を行い、一対一の組手で実際の使い方を肌身で体験する。


 この組手において、赤髪の少年は他人にとっては小さな、だが、彼にとっては大きな野望に燃える。それは、相手となる老教官に一撃入れる事だ。彼は溜りに溜まった鬱憤を晴らすべく、勇んで突撃する。


「あだだだだだだっ、ま、まいった!」

「近接格闘術は一見不要に思えるかもしれん。だが、関節技は人間だけではなく、節部を持つ蟲共にも通用する貴重な技術だ」

「がぁっ、それいじょうはぁ、お、おれる!」

「そう、機兵たる者、無手になったからといって、易々と諦めることは許されんのだ」


 もっとも、全ての攻撃を受け止められたり、避けられたりした上で、安易な攻撃で生じた隙に足払いで転ばされた挙句、後ろ手に組み伏せられて、関節技を極められるのが関の山である。


 それでもクロウは一撃入れる為に、拙い牙を剥く。

 打撃を喰らって身体にどれだけ痣を作ろうとも、関節技を極められてどれだけ涙目になろうとも、体勢を崩されて投げられ地面に叩きつけられようとも、何度も何度も、這い上がっては挑み続け、そして、完膚なきまでに負け続ける。

 光陽が西の彼方に沈み始める頃に至り、遂に精根共に尽き果て、立ち上がれなくなっても、目だけはテオの相手をするグラディの後を追い続けた。



 光陽の姿が完全に沈みきると、一日の訓練は終了する。

 場内に設置された魔導灯の青い光の下、グラディが厳かに宣した。


「本日の教練はこれで終了する。初日と比べ、貴様らの体力は明らかに向上している。だが、それでも並みの機兵の足元にも及ばん程度だ。それを自覚し、明日の訓練において、より一層奮起せよ。以上だ」


 クロウとテオは何とか立っているといった風情だが、それでも大きく声を揃えて礼を述べた。すると、グラディは人の悪い顔を見せる。


「しかし、貴様ら。格闘訓練で、この六十近い老いぼれを相手に一当てもできんとは……、自分で情けないと思わんか? それとも、後十年経って、俺が今以上に老いぼれなければ勝てません、とでも言って、俺を喜ばせるつもりか?」


 目に見えた挑発に、クロウは目を尖らせるも歯を食いしばって声を封じる。実際に負けている以上は、何を言ってもただの負け惜しみ、負け犬の遠吠えになる事を自覚しているからだ。


 そんなクロウの若い反応を目にし、グラディは口元に楽しげな笑みを浮かべる。が、彼は少年達に背を向ける事でそれを隠した。


「まったく、せめて明日には、一当て位はしてほしい物だな」


 そして、挑発にしか取れない愚痴を残して、本館へと去って行った。


 後に残された少年達だが、グラディの姿が本館に消えると、足元の大地が崩壊したかのように崩れ落ちた。二人は疲れ切った両手両足を投げ出し、大の字になって空を見上げる。夜闇に侵された空には、星が煌めき始めていた。

 クロウが輝きを増していく星々をぼうっと見ながら、訓練という苦行から解放された喜びとグラディに一撃も与えられなかった悔しさに浸る。その隣でテオが同じく放心した表情で空を見上げていた。


 その彼が唐突に口を開く。


「クロウ君」

「……ん?」

「どうして、クロウ君は……、どうして、格闘訓練で、あれだけ痛い思いをしても、立ち向かっていけるの? どうして、あれだけやられても、そこまで頑張れるの?」

「あー、それは……、正直、自分でもわからないというか……、いや、多分、単純に、いちいち挑発してくるあのオヤジに、一撃入れたいだけなんだと思う。一撃入れたら、一時とはいえ、苦しさを忘れて、スカッとしそうだからな」

「……そっか」


 クロウは質問の意味を問いかけようとする。けれども、当人がその意図を言わない以上は、己の好奇心を満たすだけの余計な詮索に過ぎないとも考え、疑問の言葉を呑み込んだ。その代わり、彼は現実的な提案をする。


「テオさん、そろそろ行こう。砂塗れだし、早い所、風呂入って汗を流したい」

「あ、うん、そうだね。そうしようか」


 勢いをつけて一気に立つ、等という芸当は当然できず、二人はのろのろと起き上がり、本館を目指して歩き始めた。



 クロウとテオは本館に赴き、救護室に詰めているルシア・パーシェルから簡潔な問診や触診を受ける。

 十代半ばより後半の少年達にとって、ルシアのような妙齢の女性に素肌を撫で回されるように触れられるというのは中々に刺激的な面があるはずなのだが、性的な感情は煽られる前に握り潰された。


「おうぇ、ぬぅふぁっ」

「……太腿、脹脛共に打撲だけで、骨には影響は出ていないようですね」


 邪まな感情を抱く以前に、情け容赦のない触診で脂汗をかき、涙目になるだけなのだ。


 そんなこんなでルシアから一頻り身体を弄ばれた後、鎮痛作用のある塗り薬と調整水入りの水筒、そして、着替えを渡されると、二人は逃げるように別館へと向かう。


「ねぇ、クロウ君。ルシアさんって、僕達が呻き声を上げると、嬉しそうな顔をしているように見えるんだけど」

「きのせいきのせい。ぜったいにきのせいだって」


 心身の疲れを他愛もない会話で紛らわせつつ別館一階に入ると、食堂の脇に備えられた浴場に足を向けた。

 孤児院で清潔さを保つように指導され、入浴の喜びを教え込まれたクロウにとって、入浴は悦楽の時である。気分程度に過ぎないが、彼の足取りは軽い。


 水が貴重なゼル・セトラス域において、入浴に使用できる水量は制限されており、邸宅や高級住宅、高級宿、一部の大工場、公衆浴場といった建物にしか備えられていない。加えて、入浴施設を保有したり、風呂付の物件に住む為には、特別税を納めなければならないとする市の規定もある。

 その為、この地域に住まう者達、特に市営の公衆浴場を利用する庶民にとっては、入浴施設は社会的地位の象徴であり、一種の高嶺の花となっていたりする。


 この教習課程で最も悦ばしい事は浴場を備えていることだ、等と、クロウが愚にも付かない事を考えている間に、浴場に辿り着いた。

 悦楽の時が近い事もあり、機嫌が回復しつつあるクロウは浴場の引き戸を勢いよく開けて、テオと共に入る。中の脱衣所には先客が二人。他班のレイルとジルトが運動着を脱いでいる所であった。


 下帯姿のレイルが入ってきた二人を見て、声をかけてくる。


「そっちも終わりか?」

「ああ、うん。さっき終わった所だよ」

「なんとか、今日も無事に、乗り越えられました」


 二人がレイルの質問に答えていると、白肌の各所に青痣を拵えたジルトは手拭い片手に引き戸を静かに開け、目を虚ろにしたまま、浴室へと入って行った。

 クロウはその様子を不気味な物を見るように見ていたのだが、レイルの視線を感じて、言い訳をするように口を開く。


「あー、昨日一昨日みたいに、いきなり戸を開けるな、って絡んでくると思ったけど、こなかったな」

「無理もない話だ。奴は今日、二度倒れたからな」

「長距離走と格闘訓練辺りで?」

「おしいな。格闘訓練ではなく、鉄槌の習熟訓練でだ」

「……大丈夫なのか?」


 クロウが真剣な顔で問い掛けると、一瞬、レイルは虚を衝かれたように目を丸くする。だが、直に男臭い微笑みを浮かべて応じた。


「パーシェル教官が多めに調整水を飲むように指導しているし、レイリーク教官も奴の容態には目を配っているようだ。それに、奴自身が根を上げていないのだから、まだ大丈夫だろう。……しかし、意外だな。お前は奴から目の敵にされているというのに」

「まー、いけ好かないって感じた奴でも、心配位はするさ。熱症が怖いのは知ってるからな」

「そうか。……おそらく、後、二、三日で元に戻るだろう。その時はまた相手をしてやってくれ」


 クロウは肩を竦めて応えると、レイルは更に笑みを深めた後、浴室に中へ入って行った。かと思うと、その後ろに、下帯姿になったテオも続く。


「え、ちょ、テオさん、いつの間に」

「あはは、クロウ君達が話している間にね。じゃあ、お先に」


 さり気に要領のいいテオに、クロウは乾いた笑みを浮かべ、己も服を脱ぎ始めた。汗が染み込み、砂塗れになっている運動着を洗濯かごに放り込み、下帯姿になって浴室に向かう。


 タイル張りの浴室は、身体を洗う流し場と蒸し風呂に分けられている。

 クロウが通っている公衆浴場ならば、湯を満たした浴槽もあるのだが、彼にとっては残念なことに、ここの浴場には、流し場中央に設置されている流し用の湯を溜めた大きな(かめ)だけだ。

 もっとも、身体にこびり付いた汗、臭い、汚れといった諸々を落とせるだけでもありがたいだけに、クロウが文句を言うはずもない。表情を緩めて、他の三人と同じく流し場で石鹸を泡立て身体や髪を洗い、暖かな湯で流す。


 身体を清めた後は、蒸し風呂である。

 流し場と薄い板壁で仕切られた蒸し風呂は、室内中央部に魔力を高熱に変換する魔刻板と掛け水が入った瓶が柵に覆われる囲まれる形で据えられている。その柵を囲むように六人から八人程が座れる座が出入口側だけを除いて設けられ、コの字を形成していた。

 示し合わせた訳でもないが、四人は次々に中に入り込むと、さっそく戸を閉め、レイルが水をかけ始めた。水が一気に気化する音と共に、内部に湯気が立ち込める。掛け水に混ぜられた香草の香りが清涼感をもたらし、訓練で疲れた若者達の緊張を解いて心身を癒す。


 暖かな湯気に包まれて暫くすると、早くもクロウの全身から汗が噴き出し、褐色の肌を伝って流れ落ちていく。元より緩みのない身体であったが、体力練成を経た為か、より絞られている。その隣で壁にもたれているテオも、まだ見た目は小太り気味ではあるが、初日よりも明らかに引き締まっていた。

 もっとも、彼らのはす向かいに座るレイルには及ばない。汗と水滴で照った彼の浅黒い身体は実に見事に鍛え上げられており、腹筋は割れ、手足の筋肉も自己主張するように筋が浮き上がっている。


 レイルが満足げな吐息をつきつつ、手拭いで顔を一拭きする。と、何かを思い出したように、クロウとテオに話し掛けてきた。


「そういえば聞いてなかったが、朝は何をしていたんだ?」

「えっと、肥を処理場まで運んでました」

「しかもじんりきでなー」


 レイルの疑問にテオが答え、緩み切ったクロウが少し補足する。すると、クロウ達の対面で腕組みをしていたジルトが俄かに口を挟んできた。白い肌に目立つ青痣が汗の照りと相まって、妙な艶めかしさを醸し出している。


「ふっ、君たちには、あい相応しい仕ごとじゃないか」

「おーおー、ふっかつですかー? ようやくへらずぐちがでてきたなー」

「だまれ。今日は少したい調が悪かっただけだ。明すはこんな無様な姿は見せない。ぜったいにな」


 クロウは強がり一杯のジルトの物言いを流し、生暖かい目を向ける。


「くっ、なんだ、そのひとを馬鹿にした目は」

「いえー、べつにー、まー、がんばれよー」

「くそっ、これだから、育ちのわるい奴はっ」

「はいはいー。あー、そういえばー、だれかさんがいってたよなー、そだちのいいやつぁー、そだちのわるいやつにー、おとったりしねーってなぁー」

「ぐぬぬぬぅ」


 心身を完全に弛ませたクロウといきり立つ元気もないジルトの少々間抜けなやり取りに、他の二人は呆れた顔を見せる。だが、その何気ない応酬で一日の訓練が終わった事を実感したようで、二人は知らず知らず表情を緩ませた。



  * * *



 教習生達が蒸し風呂で寛いでいる頃、人気の少なくなった本館は会議室の一つで、本式免許教習を担当する三人の男女が教習評価を行っていた。


 ルシアが訓練中の様相と食堂からの報告、教習後の簡易診断で得た情報を基に作成している個々人の健康状態を報告し終えると、ディーンに注意を促す。


「朝昼と食事を残している事に加え、今日の教習で二度倒れた事を踏まえますと、ジルト・ダックスへの負荷が大き過ぎると思われます。今少し、考慮して指導してください」

「わかった。気を付ける」


 失敗を自覚しているのか、ディーンは真面目な顔で素直に頷いた。ルシアはその様子を見ると、更に疑問を口にする。


「ディーン、昨日の段階で、ダックスは今日から落ち着くだろうと見立てていましたが……、いったい、何があったんですか?」

「あー、実は今朝方の講義でダックスが遅刻しかけたんでな。そんなんじゃ、機兵にはなれないって、奴を焚き付けたんだよ。そしたら、思ってた以上に負けん気が強かったみたいでなぁ。こっちの予想よりむきになって、ウォートンの野郎に対抗しようとしやがった」

「なるほど、ダックスの反応が、あなたの想定を超えていたと」

「そういうこった」


 ルシアも両者の間にかなりの体力差がある事を知っている為、それ以上は追及せず、対策を求める言葉で締めくくった。


「焚き付けるなとは言いません。ですが、両名の実力差を踏まえて、負荷を調整するようにしてください」

「わかった。以後は気を付ける」


 腕組みをしたまま、黙して二人のやり取りを聞いていたグラディが右の眉根だけを上げ、ディーンに対応策を質す。


「気を付けると軽く言うが、具体的にはどうする?」

「そうですねー、大事にならないように、注意して顔色や仕草、身体の動きを見て、ヤバそうなら救護室送り、って感じですかねぇ。まぁ、本音を言えば、余裕が見えるウォートンには前倒しで防護具を付けさせたい所なんですが、それをすると、絶対にダックスが自分も付けると言いかねませんので」

「いや、ダックスの状態に遠慮する必要はない。ウォートンには防護具をつけさせろ。もし、ダックスが自分も付けると言い出した場合は、鼻で笑ってやれ」

「ローディル教習長、それでは、また、ダックスがむきになる可能性がありますが?」


 グラディはルシアの意見に頷き、答える。 


「一向に構わん。限界を超えて挑んで、なんどでも倒れればいい。それでも這い上がろうと奮起するならば、それで良し。逆に心折れるなら、それもまた、奴にとっては貴重な経験だ。それに、挫折した者を再起させるのも教官の役目だからな」

「うわー、言うだけ言って、丸投げっすか?」

「そうだ。貴様も女の尻を追うだけでなく、教官として、給料分の働きをしろということだ」

「いやいや、女の尻を追いかけ回していたのは、旅団時代だけですよ」

「ふっ、そういうことにしておいてやろう」


 グラディは口元に微かな笑みを浮かべるも、直に厳めしい顔に戻して、ルシアに問う。


「それで、現状、訓練を厭っていると感じ取れる者はいたか?」

「私が目にしている範囲ではそういった気配は感じられません」

「まぁ、そういった感情が噴き出して来るのは、疲れが最高潮になる、明日、明後日あたりでしょうさ。精々、余計なことを考える余裕をなくしてやりましょう」

「ディーンの言う通りだと思います。ですが、死なない程度でお願いします。仮に教習中に死なれると、事故経緯の報告や停職手続きをしないといけませんから、色々と面倒なのです」


 ルシアが澄ました顔で吐いた不謹慎な冗談に、ディーンが表面的に引いて見せる。


「おお、怖い怖い。そうならないように、気を付けさせてもらいますよ。っと、おやじ殿、少し話を変えますけど、今日、整備の連中と話していたら、機付整備士の選任はどうするって話があったんですけど、どうします?」

「選任は整備教官に任せる。ただ、腕の保証だけは欲しいな」

「了解、向こうさんにはそう言っときます」


 機付整備士とは、本式教習で使用する個々のパンタルに付く整備担当責任者の事で、整備士見習いが当てらる事になっている。


 魔導機教習所で使用する魔導機、今挙げたパンタルだけに限らず、限定免許教習で用いられる簡易機ラストルも、整備教官の厳しい監督の下、整備士見習い達の手で整備されている。これは見習い達に実地での整備経験を積ませると共に、命を預かる整備者の責任を自覚させる為の措置だ。

 とはいえ、経験少なくと技術も低い見習いの整備で教習中に事故が起きては困るし、見習いでは手に負えない程の難整備や部品ごと入れ替える大修繕といった場合も時に出てくるので、教習所専属の経験豊富な整備班も控えている。

 もっとも、専属整備班……一線から退いた老整備士達が実際に整備するのは極めて稀な事で、ほとんどの場合は整備士見習い達の補助に回って、整備手順についての相談に乗ったり、現場に立ち会って整備方法の指導をしたり、整備状況の最終確認を共に行ったりするといった支援を行うだけである。


 グラディが付き合いのある整備教官や整備班の面々を思い浮かべつつ、ディーンに尋ねた。


「整備班の連中は、いつものようにお祭り騒ぎか?」

「ええ、毎度の如く、色めき立ってるますよ。今日の昼、格納庫に顔出した時には、搬入まで後五日、なんて標語が張られてましたよ」

「相変わらずだな」

「ま、魔導機が三度の飯よりも好きな人らの集まりですからねぇ、うちの整備班は」

「逆を言えば、それだけ魔導機について知悉しているという事だ。実際、整備不良はここ十年の間、起きていない」

「なら、今後も同様にお願いしたいもんですよ」


 そう言うとディーンは一度大きく伸びをして、ルシアに顔を向ける。


「特に、搬入に遅れとかは出てないよな?」

「今の所、そういった連絡は来ていませんから、予定通りに進むでしょう」

「なら、魔導機に乗ってもへばらないように、本腰を入れて、連中を鍛えることにしますかねぇ」


 ディーンが無精ひげを撫でながら言い放つと、グラディが同意するように頷いたのだった。



  * * *



 クロウ達は風呂から出た後、ニニュ胸肉の香草焼きを主菜とする夕食を食べ終わると、歓談する事も無く、部屋へと引き上げる。朝以上に重くなった身体を引き摺り、足を階段の段差分持ち上げるにも苦労しながら、二階にある部屋を目指す。彼らの中で特に変調がないのは、最後尾で三人見守っているレイルだけだ。


 その揺るがない姿を認めたクロウは誘惑に駆られ、レイルに質問する。


「レイルさん、訓練を上手く乗り越えられるコツはある?」

「今日の訓練のように、ただ鍛えるのみだな」

「今やっているように?」

「ああ、体力の練成は、地道な努力なしに成果を期待できんのさ」


 クロウは身も蓋もない返事を耳にし、体の重みが倍増した様に感じた。そして、嘆く。


「与えられるモノは多かれど、至る道程は多難を極める、ってことかぁ」

「ならば、挑める立場にあるだけ幸せに思え、と返しておこうか」

「……ごもっとも」


 レイルから現実という冷や水を浴びせられ、クロウは心より項垂れた。


 そうこうする内に、四人は宿所に辿り着き、簡潔な休みの挨拶を述べ合うと部屋に入る。薄暗い部屋はただそれだけで、クロウを眠りに誘う。


 睡魔のいざないを断れなかったクロウは、テオへの挨拶もそこそこに己の寝台に倒れ込む。


「テオさん、おやすみ」

「え? は、はやいね、クロウ君」

「うん、もう、む、り……」


 疲れ切った身体は睡眠を欲しており、まもなく彼の意識は眠りへと落ちて行った。



 こうして教習三日目が終わりを告げた。

 だが、これ以後も、次の教習段階である魔導機実機訓練に至るまで、体力練成の日々は続き、クロウ達の汗と涙がゼル・セトラスの大地に大量に流されることになる。

12/08/03 一部語句にルビ。


 以下、作者の戯言めいた後書き

 風呂場でのサービスシーンが物語に必要不可欠なのは確定的に明らか。

 ただし、そのサービスは読者が望んだモノとは限らない。

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