三 目標への漸進
赤髪の少年ことクロウ・エンフリードには目標がある。
それは十四年前の漲溢で蹂躙され、為す術もなく失われた故郷の復興。幼き日、父母や親しき隣人達を奪われた開拓地に戻り、再び人の営みを取り戻すこと。
言うまでもなく、なんの力も持たない一介の少年が掲げるには大それた目標である。
なにしろ、甲殻蟲や賊党の類が跋扈し、人を拒む荒野を拓くには、多大な金、資材、それに人材が必要となるし、その地に根付くにも膨大な時間が必要となる。当然、ただの個人が全てを賄うのは厳しいといえるだろう。
だが、それでも彼は、生まれ故郷に戻り、己の生涯を賭けて、再建する事を決意したのだ。
甲殻蟲によって破壊し尽くされた故郷より離れていく魔導船の上で……。
* * *
クロウは夢を伴った眠りから覚めると、寝台から身体を起こした。
今日は遺物拾いに行かない為、常よりも遅くまで眠っていたのだが、それが逆に災いしたのか、彼の目は直ぐに覚めず、その視界には少し霞がかかっている。
彼はぼうっとした顔で、半目のまま周囲を見回す。寝惚け眼に映るのは見慣れた光景。住み始めてほぼ三年となる、縦横三リュートを越えぬ広さの自室だ。過ごす時を重ねた事で、彼にとっては心から休める場所となっている。
クロウは睡眠を経た事で固まってしまった筋肉と未だ覚め切らない意識を覚醒させるべく、両手を天に伸ばし背筋を伸ばす。それから、一頻り身体を動かして各所の凝りを解すと、曇りガラスから入り込む光を眺めながら、まだ脳裏に残っている夢の内容を思い返した。
それは色褪せた一つの風景。
魔導船の後甲板に立って、離れていく故郷をじっと見つめている光景であった。
少年は過去の追体験ともいえる夢に懐かしさを覚えつつも、何も知らなかった幼き頃とはいえ、我ながら途方もない決意を固めた物だと、口元に苦笑を刻み込んだ。
故郷を離れて早十四年。
クロウは孤児院で受けた教育で、自分の境遇がありふれた物であるという、世界の厳しい現実を知っている。けれども、他人は他人、自分は自分という考えの下、父母の仇を取りたいという復讐心に加え、失われてしまった様々なモノへの執着や蟲なんぞに負けたままでいられるかという負けん気もあって、未だ故郷再建への想いはなくなってはいない。
事実、その想いを原動力として日々邁進してきた結果、幾分かの幸運もあったが、魔導機免許教習への申込みという形で僅かながらにも実を結び、彼を自身が掲げた遠い目標に一歩近づけさせたのだ。
クロウは冴え始めた目を寝台脇の机に向ける。
そこには魔導機搭乗限定免許教習資格証とクロウの氏名が書かれ、組合連合会の印が押された一枚の紙が置かれていた。
前日の朝早く、彼は組合連合会のエフタ支部に顔を出して、知り合いの職員ヨシフ・マッコールに魔導機限定免許の申し込み手続きをしてもらったのだ。
その際、教習料として六万ゴルダという大金が彼の懐より飛んで行ったが、免許が手に入る事を考えるとそう高いものでもない。
というのも、エフタ市のみならず大砂海域の諸都市が行っている市壁拡張工事や荒地の整地作業、港湾での荷揚げ、建物の建築工事、更には各市周辺に点在する開拓地での諸作業といった具合に、簡易魔導機を使用する仕事は数多く、市場が常々免許持ちの人手を求めている為である。
しかも、仕事によっては、クロウが後々必要とするであろう知識や知恵、各種技術を学んだり、問題への対処法を肌身で感じて習得できるかもしれないのだ。彼にとっては良い事尽くめといえるだろう。
目標に至るまで遥か遠く、免許取得すらもまだ叶っていないが、とりあえず、前に一歩踏み出せたことを実感し、少年は口元の笑みを陽性な物に変える。その途端、昨日より盛り上がっていた気分が復活し、気持ちが高揚してきて、今にも鼻歌を歌いそうな程になってしまう。
クロウは油断すれば、にやけてしまいそうになる表情を意識して引き締めながら、明日から始まる教習に備えての前日説明会と身体検査に赴く為、準備を始めたのだった。
クロウは外出準備を整え、買い置きの黒パンをぬるい水で流し込んだ後、部屋を出る。
彼が住むのはエフタ市中央地区より南東に位置する集合住宅団地だ。この団地にある集合住宅は、クロウのような単身者が住む一部屋物から家族暮らしが住む複数部屋物まで、居住人数別に幾種類か設けられている。
クロウが住んでいるのは先に挙げたように、単身者用に建てられた三階建ての集合住宅で、二階部分に部屋を借りている。
一旬の家賃は四千ゴルダ。もっとも、その内には、エフタ市に払う税金と水光熱代分の二千ゴルダが含まれているから、実質的には二千ゴルダとなる。
クロウが建物の端にある階段を降りていくと、この集合住宅の管理人、老境に入って久しい女性が建物前の街路に水を撒いていた。
色が抜け白くなった髪を短く纏め、褐色の肌に柔らかい皺を刻んだ老婦人はクロウが入っていた施設、組合連合会が直営する孤児院の院長の親しい友である。そういった縁もあって、クロウはこの老婦人に気にかけてもらっているし、彼も顔を合わせた際には挨拶を欠かさない。
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
老管理人は時を刻んだ柔和な顔に穏やかな笑みを浮かべて挨拶を返してくると、少し心配するような表情になり、更に続ける。
「この時間だと、今日も仕事を休むのかい? 昨日もお休みしていたようだけど」
クロウはこちらの行動をしっかりと把握されている事に内心で苦笑しつつ、疑問に答える。
「休むといえば休むといえばいいのかな」
「まぁ、珍しい。もしかして、体調でも悪いのかい?」
「あ、いや、俺、魔導機の限定免許を取る事にしたんで、これから身体検査と教習の説明を受けに行くところなんですよ」
「へぇ、そうなのかい、魔導機の免許を……。クロウ君、頑張ってるんだねぇ」
心配げな顔を消し、その顔に笑みを戻した老婦人を見て、クロウは金がある今の内に家賃の支払いを済ませておこうと思い立つ。
「それで、管理人さん、家賃の先払いをしておきたいんだけど、今いいですか?」
「はいはい、ちょっと待っててね」
老管理人は少年の言葉に頷くと金桶と柄杓を置き、階段脇の部屋に入る。それを見送ったクロウは周囲に目を向ける。
表の通りに繋がる三リュート程の路地に沿って、クロウが住む建物と同じ造りの建物が一定の間隔を持って規則的に連なっている。また、建物と建物の間から見える更に離れた場所には、一回りは大きい似たような建物が並び立っている。
路地は街路樹や緑地といった物がなく無味乾燥だ。加えて、数多くの建物の陰になっている為、日当たりも良くない。が、治安上の理由か、街灯だけはしっかりと備えられている。
そんな路地沿いの建物の壁には、おれ惨状や糞すじ共をぶっ潰せ、ジラシっと団ちょう最こーといった乱暴な落書きに加え、何とも言えぬ奇妙な絵が描かれている。
それらの意味がわからない、或いは、意味をなさない物に目をやりながら、いったい誰があんなものを書いているんだと、クロウが一人首を捻っていると、老婦人が紙や筆記具を持って戻ってきた。
「はい、お待たせ。それで、何旬分にするの?」
「三旬分でお願いします」
「はいはい。じゃあ、全部で一万二千ゴルダね」
クロウは懐の財布を取出し、千ゴルダ紙幣を十二枚数えて渡す。それを受け取った老婦人は一枚一枚、丁寧に枚数を確かめていき、最後に頷く。
「……はい、確かに。みんな、クロウ君みたいに、しっかりと払ってくれたら、楽なんだけどねぇ」
「他の人、払いが悪いんですか?」
「ええ、中にはねぇ、なかなか払ってくれない人も居るのよ」
そう言いながら、老婦人はクロウの名前や年節旬日、受け取った金額と内訳、爛陽節四旬目より三旬分の家賃である事を領収証と控えに手早く書いていき、最後に発行者の印を必要な箇所に押す。それから、領収証を控えから切り取るとクロウに手渡した。
「はい、三旬の間は無くさないようにね」
「わかりました」
クロウが若干軽くなった財布に領収証を収めていると、老婦人のボヤキが聞こえてくる。
「それにしても、払いが悪い人達って、市が滞納者に厳格なのを知らないのかしら」
「あー、開拓地から出てきたような人だと、もしかしたら、知らない人がいるかもしれませんね」
エフタ市で家賃滞納が許されるのは一節。それが過ぎると部屋に住む権利を失い、部屋にある物は滞納費代わりに全て処分されてしまうのだ。更に加えれば、滞納の理由が悪質な物、例えば、支払える能力があるにも係らず滞納していた場合等は、郊外や開拓地での強制労働刑に処せられることもある。
「うーん、階段に張り出しをしておいても、字が読めるかわからないし……、周知するのも難しい物ねぇ」
老婦人の言葉に頷きを返した後、クロウはいとまを告げた。
「じゃあ、管理人さん、俺も時間があるので、これで……」
「あ、はい。クロウ君、気を付けて行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
この何気ない挨拶に少しばかり気恥ずかしさを感じながら、クロウは目的地を目指して歩き始めた。
クロウは集合住宅団地内の入り組んだ路地を迷いない足で進み、市内で東西に延びる商会通りに出た。
商会通りはエフタ市の目抜き通りとも呼べる通りで、集合住宅団地より港湾門まで一直線に延びた道の両側には、食料品や日用品、衣料品、嗜好品といった物を市民に販売する様々な商店を始め、旧世紀の遺物やエフタ市の産物を取り扱い、他市の産物を仕入れる商会、それらの仲立ちをする問屋が軒を連ねている。
もっとも、この街に住んで長い少年にとっては見慣れた日常の光景である。長屋の如く立ち並ぶ商店に寄る用事もない為、その足が止まる事はない。
東の空で輝きを強める光陽の日差しを背に受けながら、出勤或いは帰宅する者達が作り出す人の流れに乗って、歩くことしばし。
クロウの行く先に南大通りとの交差点でもあるトラスウェル広場が見えてきた。
ここは通りの合流点だけに人が多くなる。クロウは流れに逆らわず、かつ、自分が行きたい方向に行けるよう、上手く流れに乗り続けて、トラスウェル広場を越え、港湾門方向に向かう。
トラスウェル広場より港湾門に至るまでの通りには商会や問屋が多く、建物も大きく高くなる。また、荷車で荷を運び込む出入り口等も設けられている為、建物同士の間隔も広い。実際、そういった場所をよく見れば、荷車に商品と思しき物を積み下ろしが始まっている。
人波から一人二人と外れ、その流れが小さくなっていく内に、港湾門前の広場に着いた。ここで人の流れは港湾門から外に出ていく物と、北の工業区画に向かう物に二分される形になる。
クロウは港湾門を抜ける流れに足を乗せる。そのまま、眠そうな顔をした門衛達の間を抜け、港湾区画に入った。その時であった。
「おい、クロウ!」
クロウは自分の名を呼ぶ、聞き覚えのある声を耳にして、周囲に目を向けて顔を巡らせる。
「……あれ、マッコールさん?」
港湾門近くに、彼が何かと世話になっている恰幅の良い中年男が、黒いズボンに赤みを帯びた上着という組合連合会の制服姿で立っていた。
クロウが首を傾げると、マッコールは少しばかり困惑した表情で手招きしてきた。いったい何事かと、クロウが近づいていくと、髪が薄い中年男は表情を変えぬまま唐突に話し始めた。
「クロウ、お前、今度は何をやった?」
「え、何をって、何を?」
「おい、とぼけるな」
「いや、いきなり、とぼけるなって言われても困る。っていうか、マッコールさんこそ、仕事はどうしたの?」
何事かわからず、クロウもまた困惑顔になる。そんな彼の表情を見て、マッコールはその顔に訝しむ色を含ませる。
「その様子だと、お前は何も知らないのか?」
「知らないのかって、本当に何の事?」
「……昨日、お前が申込み手続きをした後にな、上から変な指示が回ってきたんだよ」
「変な指示?」
「ああ、もしお前が申し込みをした場合、限定であっても本式に回せって指示と差額の金がな」
「…………はぁ?」
クロウはマッコールが何を言っているのか、理解できなかった。が、マッコールが再び繰り返すまでもなく、その内容を咀嚼して、何とか飲み込む。
「え、いや、待ってよ。俺、ちゃんと限定の手続きをしたよね?」
「それは安心しろ。俺がちゃんと確認して受け付けたから間違いない」
「なら、なんで? いや、そうじゃなくて、上から指示が回って来るって、どういうこと?」
「だから、こっちもどういうことだって思う訳だ。……お前、例の口止めの件、覚えているか?」
「当然……って、いやいやっ、そんな人の信用を無くすような真似しないって! それに、誰かに本式に回してくれとか、金を出してくれなんて事も言った覚えもないし!」
「そうか、わかった」
マッコールはクロウが己は無罪だと自己弁護しようとするのを目で制し、言葉を続ける。
「お前が原因じゃないことはよくわかった。変に勘繰って悪かった」
「あ、うん。……でも、なんで、突然?」
「わからんが、一応、推測はできる」
「推測?」
「ああ。というかなぁ、お前の知り合いで、上にこういったことをさせることができるのって、限られてるだろ?」
その言葉から、クロウは直にある小人を連想する。また、芋づる式に、食事の席で魔導機免許を取ると告げた際、それが示した反応と彼の勘が激しく警鐘を鳴らしていた事も思い出す。
原因らしき事象に思い当たり、クロウは思わず頭を抱える。
「え、いや、もしかして、あれが切っ掛けになったのか?」
「……どうやら、心当たりはあるみたいだな」
「あー、うん、言われてみたら、確かに、心当たりみたいなのはあるよ」
「そうか、ならいいんだ。で、ほれ、これが新しい教習資格証だ」
そう言って差し出されたのは、魔導機搭乗本式免許教習資格証と書かれ、組合連合会の印が押された上質な紙であった。
「これ、受け取らないと、駄目かな?」
「受け取りたくないなら構わない、って言えたらいいんだが、こっちも上からの指示だからなぁ。諦めて受け取ってくれ」
マッコールの直截な言葉に、クロウは困った表情を浮かべる。その顔を見て、中年男は更に説得の言葉を重ねる。
「だいたい考えても見ろ。限定は本式に代えられないが、本式は限定を含むんだから、免許を取得しても特に困った事は無いんだ。それにだ、そもそもの話、本式の免許なんて、余程の事がない限り、庶民の身空じゃあ、そうそう取れるもんじゃない。ここは縁があったと思って喜んどけ」
「その結果、築かれる借金の山……、差額の二十四万はどうすればいいと思う?」
「そうだな……、知らん顔で通すのも手だと思うぞ。何しろ、向こうが勝手にした事だからな」
「確かにそうかもしれないけど、どう繕っても、借りの形になるのは変わらないしなぁ」
「お前さんなら、そう言うと思ったよ」
案外、向こうもお前がそう受け取るのを見越して用意した一種の首輪かもしれんな、とはクロウの心情を慮って言葉に出さず、マッコールは手にしていた教習資格証を差し出す。
「ほれ、時間もないだろ? 限定の奴と交換だ」
「うぇ、考える時間もないとは、酷いよなぁ」
「世の中、そういうこともままある。けど、今回は良い方向に傾いているんだ、類稀な幸運だと喜べ」
「……そうだね、そうしておくよ」
クロウは嬉しさよりも戸惑いの色が強い苦笑を見せると、腰鞄より限定免許の教習資格証を取り出し、本式免許の教習資格証と交換する。マッコールは交換を終えると、ほっとしたように息を吐いた。
「いや、一時はどうなるかと思ったが、間に合ってよかった」
「あー、もしかして、この為に待っててくれたんだ」
「ああ、一度、教習所の方に顔を出して、お前が来ていないのを確認してから、ここで待っていたんだよ」
「朝早くから?」
「まぁ、常識的な時間からだがな」
「うぁ、申し訳ない、マッコールさん。色々と手数を掛けさせたみたいで」
「なに、気にするな。さっきも言っただろ? 世の中、そういうこともままあるってな」
マッコールの自然な態度と言葉に、大人としての在り方を感じて、クロウは軽く頭を下げた。
クロウはこれから仕事に戻るというマッコールと別れ、その足を組合連合会の魔導機教習所へと向ける。
彼が今歩く港湾区画は魔導船が停船する泊地部と、埠頭、造船所、修理用船渠、補給施設、それに倉庫群といった施設がある岸壁部に大別される。組合連合会の教習所は、岸壁部の片隅に設置されている。
クロウは市壁沿いに建てられた倉庫群と岸壁の間にある一本道を歩きながら、普段は来ない場所だけに興味を持って周囲を見渡す。
立ち並ぶ倉庫はどれも同じ造りなようで、間口は広く奥行きも長く取られている。もっとも、高さに関しては市壁よりも低くする為なのか、六リュート程の高さだ。それらの倉庫の前には荷車が停まり、人足達が荷を出し入れしている。
一方、倉庫群の反対側にある港湾部では、埠頭や岸壁沿いに数隻の魔導船が接岸し、人足や起重機によって、荷の積み下ろしが為されている。また、作業するモノ達の中には作業用の簡易魔導機の姿もちらほら見えた。
手足と比して胴体部が目立って大きい簡易魔導機は人の手には余る、大きな箱を手に持って荷車に乗せている。機体は前面上部が開口しており、そこから搭乗者が顔を覗かせている。また、真面目な表情を浮かべている乗員の頭上には幌付きの庇が設けられており、搭乗者を直射日光から守っていた。
クロウは一頻り積み下ろし作業の様子を見て満足すると、目を前へと戻す。
視線の先は岸壁側に、二リュート程の壁が現れた。この壁の向こう側はエフタ市軍の施設で、市の周辺域を警戒したり、近郊の開拓地を巡回する戦闘用魔導船の根拠地である。
市軍施設と倉庫に挟まれた道をしばらく歩くと、市壁の上に設けられて尖塔が見えてきた。高さ二十リュート近い尖塔は港湾区画を監視しており、砲を運用する為か、塔の中程に開口扉らしき物が設置されている。
この防御塔近くで、一本道は市軍施設の壁と共に左に折れる。クロウも道なりに沿って左に曲がると、遠くに道の終点である市壁が見えた。
この辺りになると道行く人影はほぼなくなっている。けれども、市軍施設の向こう側にある背が高い建物、造船所や修理用船渠から甲高い響きを伴った作業音が聞こえてくる為、それ程の寂しさを感じさせない。
賑やかな左手側に比べ、右手側は道より百リュート程北に見える市壁まで野積場になっていて、規格が統一された焼煉瓦が大量に置かれている。これらの建材は市近郊にある製作所で日々生産されており、市壁拡張や施設建設、道路舗装の為に、備蓄されているのだ。
己の背よりも高く積み上げられ、一纏めにされた焼煉瓦がずらりと並んでいるのを見て、クロウが凄い量だと感心していると、道先は野積場の向こう側に、そこそこ大きな施設が見えてきた。
クロウが目指す場所、組合連合会の教習所である。
彼は教習所を目に収めると、一つ息を吸って腹に力を入れ、期待と不安でざわつく心を落ち着かせつつも、行き足を速めた。
* * *
クロウは二階建ての頑丈そうな教習所に着くと、玄関で待っていた受付人の指示に従って廊下を歩き、一階にある部屋の一つに入る。
約十リュート四方の室内には、縦横五列ずつになるよう、規則正しく椅子が並べられている。また、これら座席には、既に教習者と思しき者が三人、思い思いの場所に陣取っていた。
一人は中央列の最前席にどっしりと腰を据えた、体格が良い黒髪の青年。
クロウにとっては馴染みがある、というよりも、自らも身に着けている赤みを帯びた布服を着ている。その衣服の下、浅黒い肌に包まれた筋肉は一目見るだけでわかる程に鍛えられており、恵まれた体躯と相まって、存在感を醸し出している。
偉丈夫然とした青年は入ってきたにクロウに目を向けるが、濃褐色の目に宿る眼光は非常に鋭く、近寄りがたい雰囲気を放っていた。
以前、垣間見た黒髪の帝国機士に少し似ているなと思いながらも、クロウは別の一人に視線を移す。
次の一人は明らかに身形が良い色白の少年。
白い布服を着た少年は黒髪の青年から付かず離れずの場所、丁度、座席群の中央に当たる椅子に座っている。少し長めの銀髪を弄りながら、灰色の目をクロウに向けてくるが、絶妙な顎の上がり具合と口元に浮かべた不敵な笑みもあり、人を見下すような色と驕りが滲み出ている。
銀髪の少年はクロウの視線に気付くと、口元の歪みを深め、軽く鼻を鳴らした。
銀髪の少年の挑発的な行動を少々不快に感じつつも、クロウは反応せず、残りの一人に目を向ける。
最後の一人はクロウより少し年上と思われる少年。
赤みを帯びた服を着ている茶髪の少年は、出入口の反対側である窓際沿いの列は先の二人から均等に離れた席に座っている。少し緊張気味なのか、日焼けしている濃い褐色の肌に汗を浮かべて、周囲を窺っている。
少々小太り気味な少年は入ってきたクロウに気付いて、褐色の目を向けてくるが、直に目を逸らて、おどおどし始めた。
クロウは意外な反応に少しばかり傷つくも、初対面だから仕方がないと内心で己に言い聞かせた。
こうした具合に他の三人の様子を見てとった後、クロウはどの席に座るか思考を巡らせようとする。が、こんなことで特に悩む必要もあるまいと、纏っていた外套を脱ぐと、小太り気味な少年に倣い、その対角線上は中央列の二人からも均等に距離を置く席に座った。
クロウは腰を落ち着けると、ふっと息を吐く。それから腕組みと共に目を閉ざして、今回の予期せぬ事態について考えようとする。
けれども、どう思考を進めようとしても、どうせ免許を取るなら限定よりも本式の方がいいじゃない、と食べ物片手に気楽に言い放つミソラの姿がしゃしゃり出てきて、頭を抱えてしまう。
表面的な擬態というか、食い意地が張っている上、意外とノリが良い印象が強すぎて、意図がまったく読み取れん。……というか、あいつのことだし、ただのお節介の可能性もなきにしもあらずなんだよなぁ。
と彼の内心で考えが纏まりかける。だが、それでもクロウは諦めず、首を一振りしてミソラ像を掻き消し、改めて、小人の意図を読もうとする。
しかしながら、仕切り直しての再思考も、あら、このあたくしに裏表なんてないわよ、おほほほほ、と本人が主張する所の淑女笑いで誤魔化す姿が浮かぶばかりで、ままならなかった。
クロウは多重に仕掛けられていたミソラの印象操作に、ある種の戦慄を抱きながら溜め息をつく。と同時に、廊下から複数の足音が響いてくるのを聴き取って、目を開いた。
部屋に入ってきたのは三人の男女であった。
一番最初に入ってきたのは、組合連合会の制服を着た女性。
二十代後半から三十代前半程度と思われる女性は比較的背が高く、長い黒髪を一纏めに括って後ろに流している。また、その顔立ちは端麗とまでは言い切れないが、口元にある黒子が若干の色気を演出しつつ、切れ長の黒い瞳が凛とした雰囲気を漂わせている。
そしてなによりも、暑さの為か淡い橙色の肌がほんのりと上気している上、上着を高く大きく押し上げた胸が歩く度に揺れており、クロウのような純朴な少年の目には少々毒であった。
実際、彼は豊かな母性の象徴へと、遂、視線をやってしまいそうになっては目頭を押さえている。そんな少年より更に周囲へと視野を広げれば、彼と似たような反応をする者が二名、ただ一点をじっと注視する者が一名といった具合である。
青少年達がそれぞれ興味対象へ示した反応はさておいて、バインダーを片手に持つ女性は中央列の前まで行くと、クロウ達と向かい合った。
女性の次に現れたのは、初老の男である。
一見すると短く刈り込まれた白髪と浅黒い顔に深く刻まれた皺もあり、齢五十を過ぎていると見る者に思わせる。だが、赤黒い布服に包まれた身体には一切の贅肉がなく、鍛え上げられている。また、背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く所作にもメリハリがある。
見た目に反して老いを感じさせない男は女性の斜め後方に立つと、表情を変えることなく、灰色の目でもって厳しい視線を四人の教習者へと向けた。
厳格さを感じさせる目に、弛緩しかけた場の空気が一息に引き締まる。
最後に入室したのは、澄ました顔をした無精髭の男。
三十代辺りと思われる青年は先の男の隣に並ぶと、顎に生えた無精髭を撫でながら、四人の教習者を眺め始めた。その何気ない仕草と赤銅色に日焼けした肌や綺麗に撫で上げた栗色の髪、そして、口元に軽やかな笑みを浮かべた彫が深い顔から、自然、色男然とした印象を見る者に与える。また、瀟洒めいた見た目に合わせるように、教習者に向けた濃褐色の目には軽薄な色が浮かんでいた。
しかしながら、クロウには見た目の印象が表層的な物としか思えず、遂、その目に注視してしまう。と、瞬間、クロウの目が無精髭の男の目が合う。
どこか韜晦した瞳に垣間見えた光に、こいつは間違いなく食わせ者だと、クロウの直感が囁いた。
女の人に色惚けてたら、とんでもない目に合いそうだと、彼が内心で感じていると、三人の中から女性が前に進み出る。その動きで大きな胸が再び揺れる。
だが、意識を改めたクロウには、その動きがどこか不自然で作為的な物であるように感じられた。
意識が変わると見え方も変わってくる事を体感して、クロウがちょっとした感慨を抱いている間にも、女性が手に持ったバインダーを見ながら、はきはきとした声で話し出す。
「集合予定時刻となりました。まず初めに、教習参加者の確認を行いますので、名前を呼ばれた方は返答をお願いします。……レイル・ウォートン」
「はい」
一番前に座る体格の良い青年が返事をする。
「ジルト・ダックス」
「はい」
色白の少年が口元に笑みを浮かべたまま答える。
「テオ・トルード」
「は、はい」
小太り気味の少年が少し詰まりながら声を返す。
「クロウ・エンフリード」
「はい」
クロウも前の三人と同様に、点呼の声に応じる。
黒髪の女性は室内にいる全員が応答すると、バインダーに何やら書き込み、張りがあって聞きやすい声で宣した。
「本免許教習に申し込まれた全員の出席を確認しました。これより魔導機搭乗免許教習についての説明を始めます」
女性は一度間を置いてから再び口を開き、立て板に水を流すように話し出す。
「本免許教習は、魔導機に搭乗する際に必要となる、身体能力の練成及び魔導機に関する諸知識、操縦技能、戦闘技能、整備技能を習得し、搭乗免許を取得する為の教習です。教習が行われる期間は、明日、爛陽節第四旬の一日より斜陽節第二旬の二十日までの三旬、計六十日間。この教習期間中は、組合連合会魔導機免許教習所の管理の下、当教習所内で寝泊まりしていただきます。期間中の食事と宿舎、最低限の生活用品はこちらで用意しますが、持ち込みたい物がある場合は明日の教習開始時刻までに、持ち込むようにしてください」
通いと聞いていた限定免許の教習とはかなり違うんだなと、クロウが感想を抱いている間にも話は続く。
「本免許教習におきましては、市外で甲殻蟲を相手にした実戦が行われる関係上、命の保証はありません。また、教習中に発生した怪我についても、適時治療は行いますが、補償は一切ありません」
話を聞く内に顔色を青くした小太り気味の少年が唾を飲み込む。それを嘲るように、色白の少年が口元を歪めるが、その表情はどこかぎこちない物であった。
「教習はこの場にいる四名を二名ずつに分けた二班体制で行われます。この班分けにつきましては、本日の身体検査をもって決定し、明日の教習開始前に通知します。尚、班毎の教習は、私の後方に控えた二名、グラディ・ローディル及びディーン・レイリークがそれぞれに担当します」
予め決めてあったのか、女性の言葉に応じるように、初老の男が一歩前に進み出る。
「グラディ・ローディルだ。本教習は武装可能な魔導機を扱う上で必要となる各種心得を学び、機兵としての精神を養う場である。当然ながら、生半可な訓練ではない。また、教習後半で行われる実機訓練では、実際に甲殻蟲と真正面から潰しあう。よって、先の説明にもあったように命の保証はない。……もし仮に、適当にやっていれば何とかなるだろう、等という甘い想定でこの場に来ている者がいるならば、金は返してやるから、即刻立ち去れ。我々の時間と労力が無駄になる」
初老の男、グラディ・ローディルの低く寂び切った声が静かな室内に響く。
つい先程、突然の成り行きで、この教習に参加する事を決めたクロウは、貴様は考えが浅くて甘い、と一喝された気分だ。
もっとも、一喝されたと感じたとはいえ、彼が委縮してしまうという事はない。逆に、本当にこれでいいのかと迷い、中途半端であった腰が据わったのだ。
彼の心を更に深く、より分かり易くいえば、故郷を失くした日より、ずっと彼の心底に潜み続けていた、甲殻蟲を自らの手で叩き潰したいという、負の願望が鎌首をもたげたともいえよう。
クロウは俄かに湧いた暗い喜びによって、腹の底が熱くなり始めるのを自覚する。
どこか狂騒にも似た熱をなんとか流そうと、彼は意識して、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。と、そこで胡散臭い笑みを浮かべた青年が前に出て、軽快さを感じさせる明るい声で話し始める。
「ディーン・レイリークだ。今し方の話にあったように、これから行われる教習は想像以上に厳しく、決して軽い物ではない。だがしかしっ! 魔導機に搭乗する資格を得ると旨みがある! このゼル・セトラス域の各市は、免許持ちに対して、医療費や税に関して一定の控除を行っているし、魔力や消耗品購入の為に助成金も出している。また、商船団や開拓地での護衛といった仕事は常に発生しているから、まず食うに困る事もないだろう。加えて、真面目に仕事を完遂してさえいれば、名声を得ることも可能である。そして、何よりも! どれだけ不細工であろうとも、機兵は女にモテる! ……そう、ただ、これだけでも、多くの男にとって、この免許は十二分に価値があると言えるだろう」
色男然としたディーン・レイリークが見せた思わぬ乗りに虚を衝かれ、クロウの身を少しばかり焦がしていた狂熱が醒めた。また、彼以外の三人も多少の違いはあるが、揃って戸惑いの色を見せている。
何とも言えぬ空気の中、不快感とまではいかないが、若干、顔を顰めているようにも見える女性が声を上げた。
「機兵が女性にモテるというのは確たる事実でありますが、品性があり、誠実な者に限られると付け加えておきましょう。……話を戻します。この両名が本教習において、主たる指導に当たることになります。また、教習期間中、健康面及び衛生面の管理については、私、ルシア・パーシェスが担当します」
黒髪の女性ことルシア・パーシェスは向かい合う四人それぞれに目を向け、話から注意が逸れていないかを探る。彼女は素早く目を配り、各人見せる表情は異なるが話に耳を傾けている事を確認すると、話を続ける。
「次に教習内容に関して、大凡の概略を述べます。三旬の教習期間の内、第一旬目においては、魔導機を動かす為に必要となる、基礎的な体力練成及び武器の取り扱い方の習得、魔導機に関する知識の学習が主に。第二旬目より、一旬目の内容に加えて実機を使った教習と整備実習が始まり、第三旬目からは実機演習及び市外での実戦が行われるようになります。しかしながら、今述べた内容は、最初に言いましたように概略であり、班毎の状態や教習状況によって変化します」
と、ここで一呼吸。
「この教習期間を経て、第三旬目最終日に行われる試験に合格し、本教習を修了できたと判断された者には、組合連合会より魔導機搭乗免許証が発行されます。この魔導機搭乗免許証は免許保有者に対して、魔導機を動かす資格、魔導機用の武器を保有して使用できる資格、魔導機を保有する資格を与えると共に、その身元を組合連合会が保証するものでもあります。また、ゼル・セトラス域の各市においては、この免許証を提示して居住申請を行うと、医療費や課税が一定額控除されたり、魔導機の保守点検整備する為の費用や補修品、武防具、魔力といった物を購入する際に割引が為される、或いは助成金が支給されるといった優遇措置を受けられる事があります」
ふむふむと、頷きながら聞いていたクロウだが、次の言葉に驚きの表情を浮かべた。
「最後に、組合連合会及び当教習所は免許取得者に対して、教習で使用した魔導機パンタル及び装備一式を供与します」
パンタルはゼル・セトラス域の各市軍で広く採用されている魔導機で、今も一線で活躍している機体だ。
そのパンタルが免許取得者に供与されると聞き、クロウは本式の教習料が高いはずだとも納得しかける。が、今度は逆に、出した物よりも貰える物の方が大きいように感じられた。
彼が胸に抱いた疑問は、後に続く話で氷解する。
「ただし、パンタルの供与は、ゼル・セトラス域に住まう民を常に保護する義務、非常時においては所在地の各市軍の指揮下で戦闘に参加する義務、一節毎に組合連合会へ所在地を通知する義務、この三つの義務を負う事に同意された方に限らせていただきます。もしも、これらの義務を履行していないと組合連合会が判断した場合、免許の取り消しを含めた相応の対処が為されますので、免許取得後、パンタルの供与を受けようと思われる方は留意してください」
と、ここでクロウの中で再び、魔導機を与える条件に相応の枷をはめるのはいいが、それだけで十分なのだろうか、という疑問が生まれてくる。
なにしろ、世の中は善良な者ばかりではない。義務を果たすことなく姿を消して、与えられた魔導機で悪事を働くような者がいる可能性もあるのだ。
極自然に湧いてきた懸念であるが、それに対する答えも黒髪の女性の口から出る事となる。
「仮にパンタルの供与を受けた後、義務をまったく果たさず、手に入れた魔導機で開拓地や商船を襲うといった反社会的な行為を為した事が判明した場合、組合連合会は免許発行者としての責と凶器を供与した責を果たす為、旅団を追討に差し向けます。この旅団による追討は、反社会的な行為を為した者はもちろんの事、これを支援する者全てが鏖殺されます。そして、この追討はその者を討ち果たすか、死亡した事が確認されるまでは終わりません」
俄かに室内の空気が重苦しくなったが、ルシアは別段気にすることなく、組合連合会の対処を語り続ける。
「この措置に加えて、こちらで把握しているその者の一族係累も、組合連合会とゼル・セトラス域各市が結んだ約定により、市域……、市壁内より追放される事になります。この係累者追放の際は、域内各市はもちろんのこと、帝国、同盟、東方領邦へ賊党の関係者であると伝える事になりますので、例え、多大な資産を有していたとしても、その者達は野垂れ死にするか最底辺の暮らしに落ち切るか、甲殻蟲や賊党の類に全てを奪われるか、その内のどれかになるでしょう。無論、パンタルの供与を受けなかった者でも、反社会的な行為を為したと判明した場合、発行者の責として、旅団による追討を含めた厳正な対処を行います」
ルシアは透徹した瞳で四人を見回してから、話の締めに入る。
「我々は力を持つ者に対して様々な便宜を図ります。ですが、それに見合うだけの相応しい態度を社会に示すことを求めます。免許を取得する事ができた際には、心するようにしてください」
人知れず、誰かが息を呑んだ。
「本教習に関する説明は以上となります。何か、質問はありませんか?」
クロウも含めた四人から、特に声は上がらなかった。
「では、これより行う適性検査についての説明です。本検査は身体測定及び医師による問診と診察、身体機能が正常に機能しているかといった諸検査となります。これらの検査の結果、機兵に必要となる一定の要件を満たさない場合は不適性とみなされ、本教習を受けることはできません。この検査で適性有りと判断された方は、明日の集合時刻をお聞きいただいた後、帰っていただいて結構です。また、不適性と判断された方に対しては、支払われた教習料の返金と居住地までの旅費の支給を行います。案内がありますまで、別室でお待ちください」
* * *
適性検査を恙なく終えた後、三人の男女が教習所内に幾つかある会議室の一つで顔を揃えていた。三人は会議用の大きい机に検査結果の資料を置き、話をしている。
「四人とも適性有り。いやはや、あの不適性者の悲痛な顔を、今回は見なくて済んだのは幸いだったわ。あれ見ると、もう、ほんとに、切なくて切なくてねぇ」
そう口にするのは、机に頬杖をついたディーン・レイリーク。その口調こそ茶化したものであるが、彼の目には安堵の色が宿っている。
「そうですね。教習以前に門前払いするのが、我々にとっても一番心苦しいことですから」
彼の声に応じたのは、彼の向かい側に座るルシア・パーシェス。過去において門前払いした事を思い出し、その口元に浮かべた笑みには、微かに苦い物が混じっている。
「だが、仕方があるまい。不適性者が機兵になったとて、その寿命を短くするだけなのだからな」
二人の言葉を受けて現実を告げたのは、両者のはす向かいで腕組みをしているグラディ・ローディル。時と共に深く皺を刻んだ顔には、これといった表情は浮かんでいないが、その刻まれた皺自体が彼の想いを表している。
その彼が二人に目をやり、話を仕切り始める。
「さて、そろそろ真面目な話を始めるぞ。ディーン、貴様は今回の教習者、どう見る?」
「そうですねぇ。……放っておいても勝手に使い物になりそうな奴、上手く煽てればいいように操れそうな奴、基礎から徹底的に扱く必要がありそうな奴、素直そうに見えて一筋縄ではいかなそうな奴、って所ですかね」
「ルシア、お前はどうか」
「ディーンが言った子に対応させると、誠実だけど不器用な子、育ちは良いが品がない子、性根が優しく純朴な子、目を離せないやんちゃな子、といった所ですね」
二人の意見と自身の見識に相違がないのか、グラディは一つ頷く。それを見たディーンが整った顔に呆れたような笑みを浮かべる。
「しかし、今回もまぁ、簡単に指導できそうでいて、面倒な面子が揃っちまいましたねぇ」
「ふん、貴様の事だ。どうせ、毎度毎度、言っているだろう。どうだ、ルシア」
「ええ、仰る通りです。流石、旅団時代からの付き合いだけに、お見通しのようですね」
グラディとディーンは組合連合会が保有する私兵組織、旅団に属していた時からの上司部下であり、戦友である。生死の境を共にしただけに、自然、その付き合いは深い。
とはいえ、ディーンから見れば、過去をネタに自分が弄られるのは少々面白くない。その為、そういった事態を避けようと、話の流れを戻すという名分を振りかざした。
「お二人さん。このままだと、話が本筋から逸れるんですが?」
「ふっ、例の如く、不利になると、逃げの一手だな」
「あー、もー、いいですいいです、後で好きなだけ、どうとでも言ってください。……それよりも、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか? 第一線から引いて、限定教習の補助に回っていたおやじ殿が、昨日になって、いきなり指導に参加させろだなんて、しゃしゃり出てくるなんて、いったい、どういう風の吹き回しなんです?」
「なんだ、不安なのか?」
「あー、有体に言えば、そういう感じです。その、おやじ殿の指導力が不安とかじゃなくて、俺の指導が……、いや、俺が信頼されていないんじゃないかってのが、こう、不安に感じんですよ」
ディーンは不安を表情に滲ませながらも直截な言葉で、普段は韜晦している表情の裏に隠していた思いを語った。それを傍らで見ていたルシアは、一年間、仕事を共にしてきた同僚の思いもよらぬ姿に、飄々としながらも仕事をしっかりとこなす青年からは想像もできなかった姿に、目を見開く。
もっとも、ディーンからおやじ殿と呼ばれたグラディには今更なことのようで、特に茶々を入れる事も無く、青年の疑問にはっきりと応えた。
「安心しろ。俺は貴様の指導に不安をまったく感じていない。実際、貴様ならば、四人程度、楽に面倒を見られることも知っている。ただ、今回だけが、特別なのだ」
「……特別?」
「ああ、戦友の遺した娘が……、生真面目な娘が普段しない事をする程に……、わざわざ連絡を寄こして、厳しく指導してください、と言う程に、気に掛ける男が教習に来たのだ。親代わりの一人であった俺が面倒を見ずに、いったい誰が見る?」
教習所内では特に峻厳で知られる男は口元に不敵な笑みを浮かべながら、どこか楽しそうに言い放つ。その事実を俄かに受け入れられず、ディーンとルシアは返すべき言葉を失くす。
だが、それも一瞬。
「は……、はは、あはははははっ、お、おやじ殿、そりゃあ、とんでもない公私混同だなっ」
「なに、実際は、昔、お前達にやった訓練を、より一層厳しくするだけの事だ」
グラディは怒る様子もなく澄ました顔を見せる。一方、ディーンはその後に続いた言葉に、一瞬だけ表情を引き攣らせるも、笑いを押さえるのに必死だ。
「くっ、く、くくくっ、あー、俺の不安が一気に吹き飛んじまったわ。しかし、まぁ、なんだ、そいつが死んじまわない事を祈っときますよ。って、ちなみにどいつです?」
「赤いのだ」
「なら、赤いのは任せます。あれは腹に毒を抱えているように見えます。あのままでは危険ですから、真正面から厳しくやって、溜まった毒を吐き出させた方が良いでしょうよ」
「だろうな。一見、まともに見えたあやつが、一番油断なく、危険な目をしておった。もしかすると、修羅場の一つ二つは既に潜り抜けているやもしれん」
「あー、確かに、あの抜け目がなさそうな目は、そうかもしれませんね。……で、もう一人は誰にします?」
「ついでだ、丸いのも俺が鍛えよう。貴様はごついのを使って、白いのを上手く操れ」
「了解、おやじ殿」
ディーンはどこか気取った風に、右手人差し指と中指を額に添えて前に送るという、旅団の機兵が出撃直前に交わす、万事了解、任務達成と無事帰還を祈る、との意がある手信号で応えた。
ちなみに、ルシアが正気を取り戻したのは、話を纏めた二人が旅団時代の思い出話に花を咲かせてからしばらく経ってからであった。
12/06/07 誤字修正。
12/08/09 一部表現修正。




