自販家族
「変わってる家族がいるんだ」
と、栗山に誘われ、その現場にやってきたのだが、そこには何の変哲もない菓子屋があるだけだった。
グレーのサンのアルミサッシ。
ガラス越しの向こう側には、赤とピンク色を多用した何かのアニメをパクった絵柄の入ったおもちゃセットが釣り下げられ、某アイスクリームメーカーのロゴの入った冷凍庫、菓子パンが陳列されたショーケース、人気銘柄のタバコが一通り収まっている壁掛けのプラスチックケースなどが、整然と並んでいるのが見える。
店の外には、ジュースの自動販売機が設置されている。
その横に、空の雑誌陳列棚が並べられ、そこには「○○スポーツ取扱店」と書かれた短冊が貼り付けてあるだけだった。
おそらく、何度か置き引きにあい、店外に雑誌を置くのをやめてしまったものと思われる。
ここまで観察した限りでは、この菓子屋から特に目を引くような部分を見い出すことはできなかった。
「不満そうだな」
と、栗山は笑いを含めながら話しかけてくる。
「待ってろよ、今にあっと驚くことが起きるから」
そこに現れたのは、白いTシャツに、黒い汚れのこびり着いたベージュの作業ズボンを履いた若者だった。
肩にぶら下げているタオルで、盛んに顔の汗を拭い取っている。
近くの工事現場からやってきたのだろうか?
若者は、自動販売機でジュースを買い、一気に飲み干し、さっさとどこかへ去ってしまった。
その間、特に変わったことなど起きなかった。
「何も起きなかったぞ」
と、オレは、不満顔で言う。
「あんなのは、ただのエキストラだよ。もう少し待ってなって」
と、栗山。
次に現れたのは、女子高生だった。
白い半袖のブラウス。
ワインレッドのネクタイ。
チェックのスカート。
夏仕様の制服。
レミオロメンの歌を口ずさみ、ショートにした茶髪を軽快に揺らしながら、スイスイと自動販売機に向かっていく。
「ただいまぁ!」
女子高生は、元気よく言うと、自販機の硬貨返却レバーをグイッとひねる。
すると、自販機の前面パネルが手前に開かれ、女子高生は、さもそれが当然であるかのように中に入り、バタンと自販機の前面を閉め切った。
オレは、錯覚を見たのかと両目を擦ってみる。
栗山は、隣でニタニタと含み笑いを続けている。
「あの子は、長女の静代ちゃんだよ」
と、栗山が説明した。
「どこの子だよ?」
と、オレは訊ねたが、栗山は何も答えない。
そこへ、またもや自販機に向かって歩み寄ってくる人物がいた。
グレーのスーツに身を固めた小太りのサラリーマン風の男である。
男は、自販機の前で立ち止まり、額の汗をハンカチで拭うと、ネクタイの形状を気にし始める。
ほんの十数秒ほどいじくりまわして満足すると、今度は大きく深呼吸をする。
「覚悟を決めたらしい」
と、栗山は説明する。
「あの男、今日で四日目なんだ。不動産屋だよ。立ち退きを迫ってるんだけど、あの一家はなかなか頑固だからな。それにあの男、不動産屋をやるには致命的なハンデを背負ってるんだ」
「どんなハンデ?」
と、オレは訊ねる。
「まぁ、見てればわかるって」
と、栗山は、もったいぶって答えない。
男は、指を震わせながら『カフェ・オ・レ』のボタンを押す。
ピンポーンと、鳴り響くチャイムの音。
しばしの沈黙の後、いきなり自販機の扉が乱暴に押し開かれ、中からウシと見紛うぐらいの大きさのシベリアン・ハスキーが飛び出してくる。
男は、悲鳴を上げながら、一目散に逃げ去った。
「おいで、ユリちゃん」
自販機の中から女の声がする。
パネルを少しだけ開け、住人と思わしきおばさんが、ひょっこりと頭を外に出す。
ハスキー犬は、クゥンと甘えたような鳴き声を出しながら、自販機の中へ戻っていく。
「ふんだ。おととい来やがれ」
おばさんは、捨て台詞を残すと、バタンと音を立ててパネルを閉める。
「犬を怖がっていては、不動産屋は務まらねぇよな」
栗山は、蔑んだ目をして、男が逃げていった方を見る。
男の姿は、すでにどこにも見当たらなかった。
「あの人たち、どのくらいあそこに住んでるんだ?」
と、オレは訊ねる。
「さぁな。オレが見つけたのが一週間ぐらい前だから、最低一週間は間違いないだろうな」
と、栗山は素気なく答える。
バタンと大きな音を立てて、自販機の扉が押し開けられたかと思うと、中から背広に片腕だけ通し、口にはトーストをくわえ、右手に手提げ鞄、左手にシェーバーを持った男が、慌てふためいて外に出てくる。
「遅れる!」
男は、わめきながら、バタバタと駆けていく。
「遅刻寸前、ありがちな場面だな」
と、栗山が呟いた。
「あの口にくわえてたトーストって、いかにもって感じだよな。昔のドラマとかアニメなんかでよく使われてたけど」
「しかし、今は夕方だぜ。夕方にあの光景って、ちょっと他に無いんじゃないか?」
と、オレは、首を傾げる。
「おミズ系の仕事じゃねぇの」
と、栗山は肩を竦める。
次に現れたのは、回覧板を手に持ったおばさん。
おばさんは、迷うことなく、自販機の商品取り出し口に回覧板を突っ込み、そのままUターンして帰っていく。
「あそこが郵便受けの代わりか?」
オレが、注意深く観察していると、取り出し口に差し込まれた回覧板が、ヒュッと中に取り込まれた。
「間違いないね」
と、栗山が頷く。
「さぁ、さぁ、足下に気を付けて下さい」
溌剌とした若い女の声が自販機の中から聞こえてきたかと思えば、中から『コスモス観光』と書かれた黄色ののぼりを持ったバスガイドが外に出てきた。
その後に続くように、コスモスの花を型取ったバッジを胸に着けた老人たちが、ぞろぞろと自販機の中から外に出てくる。
「まもなく迎えのバスが来まぁす。バスの番号は六番ですよ。あ、おばあちゃん、水たまりがあるから気を付けてね。いいですか、六番ですよぉ。おじいちゃん、そっちじゃありませんよ。前の人に続いて下さぁい!」
「お、おい」
と、オレは、栗山の肩を叩く。
「ここって、もしかしたら観光名所じゃないのか? あれって、ツアー団体だよな」
オレがうろたえているところへ、栗山がズボンの尻ポケットから一枚のチラシを取り出す。
「コスモス観光、『自販機の旅』。ちゃんとツアーになってるよ。一泊二食付き七千八百円。お前も申し込んでみるか?」
栗山は、そう言うと、ニヤッと笑う。
菓子屋のおばちゃんが店の奥から出てきて、入り口にシャッターを降ろし始める。
今日は、もう店じまいらしい。
だが、ジュースの自販機は、まだ皎々と営業活動を続けている。
あの自販家族と共に。
(了)