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◆05:墓掘り夫達の憂鬱

 国道17号線を北上し、元城市に入る。


 交差点を西に折れて道なりに三キロも進むと、すぐに板東山の裾野にたどり着いた。そのまま山中へと伸びる道路をひたすらに登っていくと、やがてなだらかな、大きく拓かれた山の中腹に出る。


 板東工業団地。


 もともと板東山は、森にうずもれた小高い里山だった。その一部を元城市が開放し、企業の工場や官庁の研究施設を誘致した一角がここである。


 整然と舗装された二車線の道路、立ち並ぶ無個性だが最新の建築物の数々。毎朝この工業団地に駅からの送迎バスや自家用車で通う従業員は、実に一万人を越える。


 そしてこの一万人の昼食をまかなう社員食堂や飲食店がある。小さいながらも医療施設や消防設備、土地には事欠かないのでレクリエーション用のグラウンドもあり、まさに元城市の郊外に出現した、もう一つの小さな街と言えよう。



 その工業団地の一角に、機械メーカー『昂光(タカミツ)』の工場はあった。


 なんでもこの昂光、業界では超有名な精密機械装置のメーカーだそうだ。精密機械装置と言っても種類はさまざまだが、要は化学や物理の実験に使う装置の親玉のようなものを思い浮かべてもらえればいい。


 ああいう装置の、はるかに大がかりで、はるかに精密性や耐熱性が必要とされるものを、大企業や研究所から依頼を受けて作成しているらしい。


 なんとアメリカの依頼でスペースシャトルの開発に必要な装置を作ったこともあるのだそうで、『昂光の装置』と言えば、産業界では絶対の安心と最高の性能と同義となっている。


 取引相手が限られており、CMも流していないので一般人はほとんど誰も知らないが、知る人ぞ知る、日本の優良企業の一つなのだった。



 早朝に須江貞チーフのミニクーパーで東京を出発したおれ達三人は高速道路で北上し、無事予定通りの昼前に今回の依頼人、昂光の稲葉工場長と面会することが出来た。


「街に出現するという幽霊は、その土砂に埋もれた御社の社員……小田桐さんなのではないかとお考えなのですな」


 事情を一通り聞き終えて、須江貞チーフはそう結んだ。


 おれ達がいるのは、工場の一角にある事務棟の応接室。実用性重視のソファーに、チーフ、おれ、真凛が腰掛けている。今日は休日のため工場は稼働を停止しているが、わざわざおれ達に会うために工場長自らが出勤してくださったのだとか。


「ですが何故また、幽霊が小田桐さんだと思われるのでしょうか」


 とつとつとした口調のチーフ。


 うちの男連中のしゃべり方は、どうも皮肉っぽくなってしまうおれ、キザったらしい直樹、声がデカイだけの仁さんと、揃いも揃ってロクでもないのだが、おれ達の上に立つチーフはというと、少々気怠げなことに眼をつぶれば、真面目過ぎるほどに真面目な口調だった。


 いつものとおりのくたびれた背広姿ではあるが、胡散臭さが少ないのは多分ここら辺にも由来するのだろう。


「行方がわからないのは確かですが、まさかそれだけで幽霊の正体だと決めつけるわけはいかんでしょう。……と、灰皿ありますか?」

「すいません、ここは禁煙なので」


 工場長の控えめなダメ出しに、しぶしぶ懐から手を離すチーフ。最近は各社の応接室でも禁煙が進んでおり、実に結構なことである。工場長は話を続けた。


「厳密に確かめたわけではありませんが、元城市で初めて幽霊騒ぎがあったのは、土砂崩れが発生して小田桐が行方不明になってから数日後のことだったようです。それまでは市内でも、この工業団地の中でも、幽霊を見たなんていう話は全くありませんでした」


 ふむ。偶然にしては出来すぎているってことか。


「今はこの工業団地の食堂でも、元城市内の飲み屋でもこの噂で持ちきりなんです。で、その目撃した人の話をまとめていくと、どうもウチの小田桐に似ているような気がしてならんのですよ」

「ご本人の写真なんかありますかな?」


 事前に準備していたのだろう。工場長は手元のファイルから一枚の写真を取りだした。おれと真凛は横から覗き込む。


 そこに写っていたのは、三十代後半から四十歳くらいの、頑健そうな壮年の男だった。学生時代はラグビーをやっていました、てな感じのがっちりした体格。癖の強そうな髪を整髪料で固めてオールバックにしている。


 太い眉、大きなあご、そして何より、強い意志を感じさせる眼。本物のエリート・サラリーマン……企業内でどんどん出世していくタイプ。おれが抱いた印象はそんなところだった。


「背筋を伸ばして肩で風を切って歩きそうな人ですね」


 おれの冗談交じりの言葉に、工場長は苦い笑いを浮かべる。


「その通りです。私と彼が並んで歩いていると、若い彼の方が上役に見られることもありましたよ」


 さもありなん。こちらの工場長は、どうみても人の良いおじさんとしか思えない。


「ところで、あなた自身は実際にその幽霊を見たんですか?」


 チーフの質問に、工場長は脅えたように首を振った。


「私は見た事なんてありません。見たくもない。ですけど、私の友人は実際に見たそうなんですよ。夜に元城の駅前で一杯引っかけましてね。ほろ酔い気分で帰ろうと思ったら、駅のタクシー乗り場の前にね、なんか背広姿の男がじっと立ってこっちを見つめているんだそうです」


 夜だったので顔も良くわからない。だがなでつけられたオールバックと、がっちりとした体格、伸びた背筋などが強く印象に残ったのだという。


 その人はなんとなく不気味に思いつつも、ようやくやってきたタクシーに乗り込み……そして、車内からもう一度駅前を見たとき、その男の姿は影も形もなかったのだという。こんな話が今、元城市のあちこちに転がっているのだ。


「その友人は長年市の職員をつとめている物堅い男でして。いくら酒が入っていたとは言え、ホラを吹いたり見間違いをするような事はない、と私は思っています」

「ふぅん。『出るだけ』の幽霊かあ」


 ペンをつまんだまま首をひねる真凛。ちなみにこいつ、実家で書道も仕込まれたとかで、字面そのものはやたらと上手かったりする。だがせめて幽の字くらいは漢字で書け。


「では、質問を変えさせてください。その小田桐剛史さんというのは、どんな方だったのですかな?」

「……優秀な、そう、優秀な男でしたよ」


 言葉を選ぶように、工場長。


「もともと彼は外資系の商社からの転職でしてね。海外との強い人脈を見込まれて営業部門に入社しました。それまでは海外の市場はドイツやアメリカの競合メーカーに握られていたのです。日本国内にしか販路の無かった我が社の機械が、アジアを中心として世界に広く普及するようになったのは、間違いなく彼の功績です」

「仕事の出来る人と言うことですな。ご結婚はされておられるのですか?」

「三年前に取引先の社長の紹介のお見合いで結婚しました。結婚を機に元城駅前のマンションを引き払って群馬県に自宅を購入して、去年子供が産まれたばかりだったのですが……。運が悪かったのでしょうか」


 仕事に家庭にマイホームか。絵に描いたような順風満帆のサラリーマン人生、非の打ち所も見あたらない。しかし突然予期せぬ不幸が訪れる。


 事故当日、度重なる大雨の中、小田桐さんは車で工場を出かけたのだそうだ。もともと普段からあちこちの取引先を営業で飛び回っており、席に居ることの方が珍しい人だった。


 だから社内でも、すぐには事故に巻き込まれたとは気づかなかったらしい。翌日になっても出勤せず、電話も繋がらないという事態になってから、もしかしたらと思ったのだそうだ。


「しかし、まだ小田桐氏は見つかっていない」

「はい。当然捜索願は出して、警察の方にも国道から板東川にかけて一通り捜索してもらいました。ですが結局、遺体は見つからず、一旦捜索は打ち切りになりました」

「車は見つかったんですよね?」

「はい。しかしそれが問題でして。先ほど申し上げたとおり、引き上げられた車には小田桐は乗っていませんでした。警察は、もしかしたら小田桐は土砂崩れから車を降りて逃げたのかも知れないと考えているそうです」


 つまりは、『普通の』行方不明であり、災害には巻き込まれていないかも知れない、と言うことか。今後の明確な方針が定まらぬまま、より地中深いところにあるのかもしれない小田桐氏の遺体の捜索の予定は立っていないのだそうだ。


「それで、私をお呼びいただいたと言うことですね」


 チーフは己の右腕にわずかに左手を添える。


 実は今回のお仕事の依頼は、どちらかと言えば人材派遣会社フレイムアップよりも、こちら関係のお仕事ではそれなりに評判のある、須江貞俊造個人を指名しての依頼なのであった。


 もっともそうでもなければ、この人が前線に出張ってくるような事は滅多にないのだが。


「そうです。……その、あなたは、霊がいるかどうかを確かめる事が出来るとか」

「もちろん法的な証拠にはなり得ませんよ」


 そう、『私の霊能力で交信しました。小田桐さんは間違いなく死んでいます』なんて警察署で供述でもしようものなら、ヘタすれば警察からそのまま病院に搬送されかねない。


「かまいません。そこで小田桐が死んでいることがわかったのなら、たとえ我が社が費用を負担してでも土砂を撤去します。この業界でのフレイムアップさんの評判は伺っておりますから、法的な証拠にはならなくとも、上を説得する材料にはなるのです」


 なるほどねえ。確かに筋は通っているが。おれはちょっと口を挟みたくなった。


「一つ質問してもいいですか」

「何でしょう?」

「いえ。小田桐さんの死亡が確認できた場合は今の話の通りでいいんでしょうが。確認出来なかったら、どうすればいいんでしょう?」


 おれの質問に、工場長は面食らったようにも思えた。


「その時は、改めて街に出る幽霊の正体を調べて下さい。それが順序でしょう」

「そうですね」


 おれは出してもらったお茶をすすった。

 

 

 

 その後、工場長と具体的な経費や期限その他の細かい打ち合わせを行った。


 今回おれはチーフのアシスト兼、真凛の研修担当みたいな立場なので、チーフの交渉の条件を真凛にメモさせてそれをチェックする、なんて事をしていた。これは後々任務報告書の作成に必要なスキルなのである。


 そして昂光の工場を辞して三人で駐車場へ戻る途中、チーフがゴールデンバット(多分今日本で買えるうちではもっとも安いタバコ)に火を付けながらおれに問うた。


「……で。どう思う、亘理?」

「どう思う、真凛?」


 おれは飛んできた質問を華麗に横パス。


「は?え!?何を?」


 不意打ちを受けた真凛がうろたえる。ったく、気構えのなってない奴だなあ。


「さっきのチーフと工場長との話し合いだよ。何か気づいたことはなかったか」

「ええ!?気づいたこと……?」


 実際のところ、真凛が答えられるとは思っていない。まあ、ちょっと意地悪なレクチャーである。こういうところでただ依頼人の話を聞くだけでなく、観察眼を発揮できるようになると、今後何かと仕事が進めやすくなるワケだ。


「わからんか?じゃあ答えは――」

「えっと。同じ会社の人が死んだにしては、工場長さん、ちょっと冷たいんじゃないかなあと思った」


 おれは口を「は」の形に開いたまま、間抜けに硬直してしまった。真凛はそれにも気づかず、メモを取った手帳に目を落とし、自分の考えをまとめなおすように説明をする。


「小田桐さんは行方不明だけど、まだ土砂に埋まったとも、死んだとも決まったわけじゃないんだよね。そんな人の幽霊が出たんだったら、普通、同じ会社の人なら『生きているかも知れないから確かめたい』とは思っても、『死んでいるかどうか確かめて欲しい』なんて言わないと思う。そこがヘンだと思ったんだけど……。ハズレ、かな?」

「……いや。当たりだ」


 正直、驚いた。生物ってのは知らぬ間に進化するもんである。


 そう、工場長の態度は明らかにおかしかった。仮にも自分の部下である。


 例え彼が部下の面倒など一切見ない冷徹な性格だったり、日ごろ小田桐さんの事を嫌っていたのだとしても、仕事中に自分の部下を死なせたとなれば責任問題になる。間違っても「死んでいてくれ」などと考えるはずはないのだが。


「鋭いな真凛君は。この仕事、ひょっとしたら単なる幽霊騒ぎでは終わらないかも知れんよ」


 ゴールデンバットを吹かしながらチーフ。工場長との会話時に比べると若干テンションが高い。つくづくこの人の脳細胞はニコチンで回転しているのだと思う。


「もう君がうちに来てから半年経ったのか。早いもんだな」

「すいません、仕事おぼえるのが遅くって……」

「全然そんなことはないさ。むしろ早いくらいだ。亘理なんか独り立ちするまで一年以上も手間がかかったからなあ」

「ええ?そんなに……すごかったんですか?」


 真凛がおれとチーフの顔を交互に見やる。ンだよこの野郎。


「それはもうアシスタント時代のこいつと来たら、生意気だわ口答えするわ人の言うこと聞いたフリして全然従わないわでね。前に『野沢菜プリン事件』てのがあってそん時の亘理は、」

「ところでチーフ」

「何だ亘理」

「この敷地内、全面禁煙です」

「……」


 チーフはまだ半分近く残っているゴールデンバットをしばし見つめると、悲しそうに携帯灰皿にねじ込んだ。なんだか悪いことをしたような気分になるのは何故だろう。


「とにかく、これで最初の方針は決まりましたね」


 やや力技で会話の流れを変えて、おれは駐車場の柵に大きく身を乗り出す。その下にはなだらかな下りの斜面が広がっており、山の裾野と元城市を一望することが出来た。


「まずは現場検証から、だな」


 チーフの言葉に頷く。おれの視線のずっと先には、山の裾野をぐるりと囲むように伸びる国道432号線。そしてその道路に斬りつけるかのように、今なお大きく鋭い土砂崩れの傷跡が残っていた。


 土砂の下には何があるのか、あるいは何もないのか。確かめることで、何かがわかるはずだった。


「それにしても、土曜のお昼に墓掘り人(グレイヴディガー)をやらなきゃならんとはねぇ」


 誰にともなく、おれは皮肉を込めて呟いた。

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