◆04:もう一組の『派遣社員』
「事故で行方不明、ですか」
清音が米粒一つ残さず食べ終わった弁当をテーブルに置きそう答えると、対面に座っている土直神安彦が、携帯ゲーム機から目を離さないまま応じる。
「そ。生きている可能性は低いだろうけど、ホトケさんはまだ見つかってないのよ」
「あ。というと、この間の板東山の崖崩れ?」
そうです、とこちらは背広を着込んだ穏やかな表情の中年男性が答える。
「その崖崩れに巻き込まれたと思われる方の消息を確かめ、必要であれば将来の生命保険支払いに必要なレポートを作成するのが、今日のあなた方のお仕事ということになります」
男の名前は徳田紳一。なんでも本社の正調査員で、今日の仕事のためわざわざ東京から出張してきたのだそうだ。
「生命保険では、災害による特別失踪の場合は一年後に正式に死亡と見なされるのですが、時間が経てば経つほど立証が困難になりますからね。証拠が消滅してしまう前に確証をとっておくわけです。我々新興の『ウルリッヒ損害保険』が日本でお客様を獲得するには、何よりサービス第一しかないのですよ」
保険会社ウルリッヒ・グループ。
最近海外から進出してきた新興の保険会社で、生命保険や海上火災自動車もろもろの損害保険をまとめて扱う大手である。
保険の原理は、「何かあったときのために」みんなが少しづつお金を出しあい貯めておき、事故や病気、死亡など「何かあって」困っている人に、そのお金で補償をするというものだ。
これは感情面を抜きにして考えると、ある意味でギャンブルの要素を含んでいると言える。そしてギャンブルには、不正を監視したり、点数を判定する審判役が必要となる。それが、徳田達のような調査員なのだった。
衝突事故で、どちらにより過失があるかの判定、火事で燃えてしまった家が、いったい金額で幾らに相当するのかの計算、そしていわゆる保険金詐欺の調査。保険にまつわる幅広い業務を担当している。
そしてウルリッヒ保険のユニークなところは、この調査員としてフリーの異能力者を雇っている事にある。調査の仕事が入ると、徳田のような正社員が、保険会社に登録している清音達のようなエージェントをその案件ごとに雇うのだ。
現在彼らは失せ物探し、現場検証、あるいはヤクザとの示談に遺憾なくその力を発揮しており、ウルリッヒは急速に日本国内でそのシェアを伸ばしてきている。
そして清音達が現在いるのは、埼玉と群馬の境に位置する地方都市、元城市。
この街を南北に縦断する国道17号沿いのマクドナルド。徳田の要請により、土曜日の朝に清音達……『ウルリッヒ損害保険』所属の非正規調査員である三人はここに集まり、ブリーフィングを兼ねた早めの昼食を摂っているのだった。
「あの事故の時はウチの学校でも休校になったり、結構大変でした」
一月ほど前、この元城市の面積の大半を占める板東山で、トンネルの崩落事故があった。もともと長雨で地盤が緩んでいたところに、長野を中心に発生した大地震がとどめとなったらしい。
山の中腹で発生した土砂崩れはそのまま板東川の流れる谷底へ向けて一直線に滑落し、途中にある県道432号をわずか数秒で膨大な量の土塊の下にうずめてしまい、同じく南板東トンネルを崩落させてしまったのである。
県民にしてみれば十数年ぶりの大事件だったが、同日、もっと大規模な土砂崩れが長野県で発生していたため、幸か不幸か全国ネットにはほとんど流れることはなかった。
余談だが、後日その長野の土砂崩れは人為的な手段で再度引き起こされ、某製薬会社の研究所が押し流されることとなる。
「規模自体は確かに小さかったのですが、こちらは人が一人行方不明になっています」
そう言うと徳田は持参のスクラップブックを広げた。地元の新聞の記事を切り抜いたもので、当日の土砂崩れについて克明に記されているそれを、清音は眼で追った。
「えーと、なになに……。『先日の土砂崩れの後、機械メーカー『昂光』社員、小田桐剛史さんの消息が不明となっていることが判明した。小田桐さんは土砂崩れの発生した時刻、商用にて板東山にある昂光の工場から車で出かけており、警察は小田桐さんが車で県道を移動中、南板東トンネルの崩落事故に巻き込まれた可能性が強いとして調査を進めている』。……やっぱり巻き込まれたんですか?」
それを確認するんです、と徳田。
「その後の捜索で、崩落したトンネルの下を流れる板東川で乗用車が発見されました。車種とナンバーから、小田桐氏の乗っていた乗用車と断定されました。ところがここからが妙なところでしてね」
次々と資料が並べられていく。ファンタジーの巨人が何発も殴りつけたように無惨に変形している乗用車だったスクラップ。改めて土砂崩れの恐ろしさを思い知らされる。
「車内に小田桐氏の姿はなかったんですよ」
なにやら妙な話になってきた。
「土砂に流されて、車内から外にはじき出された……とか?」
徳田は首を横に振る。
「車体は完全にひしゃげてしまっていましたが、ドアも窓も閉まったままで、車内に土が侵入した痕跡はありませんでした」
既に説明を受けていた土直神が後をつなぐ。
「つまり、土砂崩れの時、小田桐って人はトンネルの近くに車を停めて外に出ていたってことになるわけだあよ」
清音は想像してみる。その会社員、小田桐氏とやらが車で県道を運転している。理由はわからないが、トンネル側で車を停めて外に出た小田桐氏。そこに唐突に起こる大地震、そして崖の上から迫り来る大量の土砂。重くて頑丈な車は崖下の河へ流され、もっと軽いものは抗うすべもなく……。
「じゃあ、その小田桐さんが今居るところは、」
「一番可能性が高いのが、分厚い土砂の下、ってことだあね」
清音はそれでようやく、朝早くに己が呼び出された理由に納得がいった。
「ああ、それで私に声がかかったというわけですか」
「まーねー。ウチの家はソッチ方面の能力は退化しちまったしよ。今日の仕事は美少女貧乏巫女たる清音ちゃんの力を借りようと思っておいらが徳田さんに推薦したのよ」
「貧乏は事実ですが余計です」
「じゃあ美少女貧乳巫女」
「貧乳も余計です!!」
ああそう、と清音の抗議をあっさりと聞き流しまた携帯ゲーム機に視線を落とした土直神を横目でにらみつけつつ資料に目を通し、清音……ウルリッヒ損害保険調査部門所属エージェント、風早清音はなぜ自分がこんなことをしているのかという疑問について深刻に考え込まざるを得なかった。
清音は埼玉県内のごく普通の公立高校に通う女子高生である。
だが、彼女自身を『ごく普通』と呼ぶには多少無理があった。彼女の家は奈良県の龍田神社の流れを汲み、天之御柱なる神を祭る由緒ある神社で、彼女はその神に仕える巫女でもあるのだ。
ところがこの神社、由緒だけはあるものの、歴代の神主が軒並み商才に恵まれていなかったらしい。清音が継承した時はすでに神社の修繕の費用にもまともな資金が払えず、本殿の一部にはシロアリ一家が大帝国を築いているという有様だった。
かくして清音は神楽を舞う暇もなく、神社を存続させるため新聞配達にウェイトレス、道路工事とアルバイトに精を出す日々を送ることになってしまったのである。……ある意味ではこれ以上もないほど神様に奉仕してはいるのだが。
転機が訪れたのは一年ほど前。
バイト代でもいよいよ首が回らなくなり、水商売を本気で検討しなければならないか、いやいやそれでは本末転倒ではないか、と葛藤していた彼女の目に『ウルリッヒ損害保険北関東支社オープン。調査員募集、高報酬をお約束します』なる広告が飛び込んできた時からだ。
それから彼女は、女子高生にして巫女にして保険調査員のエージェントという、普通とはほど遠い生活を送るハメになったのである。
そして紆余曲折を経て今日も自分はこんなところにいる。決して本意ではないのだが。
「……ほ・へ・と・ち!っしゃ!八連コンボ!全消しッ!!」
そんな苦悩する彼女をよそに、携帯ゲームを片手に快哉を叫ぶ青年が、土直神安彦。
彼も清音と同じウルリッヒ損害保険の調査員であり、すでに何度か一緒に仕事をしたこともある。群馬県の在住であり、北関東を中心に仕事を請け負っている。
細身の体格に細い目、童顔に見られるのを嫌って顎に無精髭を生やしているが、そもそもあまり髭が濃くないようであまり成功していない。
こざっぱりとした古着を好んで着込み、ファッションには彼なりのこだわりがあるそうなのだが、正直なところ、良くも悪くも気のいい田舎の兄ちゃんという印象が拭えていない。
基本的には善人なのだが、なにかにつけてセクハラまがいの言動で清音をからかうのはどうにかならないものだろうか。
「よっしゃ今日こそはレベル85突破目指すー!」
土直神がプレイしているのは、なんでもバラバラの水道管をつなげて水を流すとかいうパズルゲームらしい。が、清音が知る限り、半年前から土直神はも延々とこれだけをやっている。どこが面白いのかと聞いたところ、水が流れる時の音が良いのだとか言っていた。
ふと気がつくと、当の土直神がこちらを見ていた。
「それにしても、いくらなんでもソレはねぇんじゃねぇの清音ちゃんよ?」
何がです、と問い返す清音に、ソレだよソレ、と卓上の弁当箱を指さす。
「一応ここ、天下のマックなの。マクドナルドなのよ。ハンバーガーショップなのよ?おいらぁ二十年以上日本人やってるけど、マックに弁当持ち込む女は初めて見たよ?おかげで注目の的じゃんよおいら達」
確かに周囲の客の視線は彼らの卓に集中している。だがそれは決して自分のせいだけではない、と清音は声を大にして言いたい。いい年をした大人がさっきから携帯ゲーム機を前に絶叫してる光景も充分に人目を惹くものである。
「いいんです。ただでさえ今月は苦しいのに、お昼に五百円も使う余裕はありませんから」
「しかしおめぇこの空気のイタさはよぉ。……ねーシドーさん、何か言ってやってよ」
そう言って土直神は、今まで一言も発していなかった最後の一人に声をかけた。
清音の隣、徳田の向かいにその「シドーさん」なる男は腰掛けていた。そしてまず間違いなく、店内の客の視線を集めている一番の理由が、この男、四堂蔵人だろう。
まず単純に、デカい。長身と言うこともあるが、それ以上に骨の太さと筋肉の厚さ、そして居住まいがこの男を大きく見せている。
陳腐だが、『戦士』という言葉に相応しい男だった。個性のない安物の背広とノーネクタイが、かえって四堂自身の禍々しさを剥き出しにしている。
日本人離れした彫りの深い顔立ちも印象的だが、何よりも目を惹くのはその右目である。黒い左目に対して、右の目は酷い火傷を負ったかのように白く濁っていた。四堂本人は意図しているのかどうか、その目を隠そうともしない。
その異相と体格が醸し出す威圧感は生半可なものではなく、いわばマクドナルドに虎が一匹放し飼いにされているようなものだった。周囲の客は恐れつつも、かえって目を離すことが出来ないという有様である。
そして一番の問題は、その食事量だった。マクドナルド期間限定商品、メガマック。肉とバンズが塔のように積み上げられ、何か宗教的な威容すら感じさせる巨大なハンバーガー。
たいていの人が面白半分で注文して、半分食べた時点で後悔するというそれを四つ、卓の上に積み上げていた。先ほどから清音達の会話に一切混ざることなく、黙々と食事を繰り返していた。
すでにそのうちの三つを食い尽くし、最後の一つの攻略に取りかかっているところだ。四堂は土直神の言葉に、黒い左目をぐるりと回し、一言ぼそりと呟いた。
「腹」
「……腹?」
脈絡のない言葉に、思わず清音と土直神が顔を見合わせてしまう。四堂は渋々と口を開いた。もったいぶっていると言うより、どうやら喋るのが面倒くさい性格らしい。
「前回の任務で出会った時に比べ、彼女の胴囲は一.二センチ増加している。彼女ほどの年齢の女性の相応の心理として、食事を制限することで体脂肪を燃焼し、腹囲を縮小しようと考えているのではないだろうか。だから無理に高カロリー食を勧めるべきではない」
淡々と、まるで機械が読み上げるかのように無感情に自説を披露する四堂を、呆気にとられて土直神が見つめる。反射的に腹部を庇った清音の姿勢は、根拠のない誹謗に対しての怒りではなく、明らかに事実を指摘されたことによる狼狽だった。
「……あのさシドーさん。ウェストが増えたって……わかんの?服の上から」
異な事を言う、と四堂が視線だけで語る。
「相手の体格は戦いにおける貴重な情報源だ。初見でその程度の差異を見破れなくては問題にならない」
いやそれ凄いんだけど、ある意味異能力だよと呟く土直神。ふと思いついた表情になり、余計極まりない事を聞いた。
「んじゃあ、胸囲もやっぱり増えてるワケ?」
四堂はじろり、と黒い左目で清音を見つめる。三秒ほどの沈黙の後、やはり無感情に言った。
「いや、増量は認められない」
瞬間、超音速で飛んできた資料の紙束と弁当箱が、四堂と土直神の顔面を直撃した。
「ほっといてくださいっ!このセクハラコンビ!!」
「……食べ物を入れる箱を投げるのはよくな、」
い、の言葉を発しようとする四堂の口に、手裏剣のように飛来したトレイが突き刺さった。
「四堂さん!たまに口を開いたら余計なことしか言わないのやめてくださいっ!」
顔を真っ赤にしたまま清音は勢いよく立ち上がった。それを契機に、土直神と四堂、そして徳田もランチタイムは終わりとばかりに立ち上がる。
「ま……、まあともかく。本日は皆様、よろしくお願いします」
この中では正調査員である徳田が、一行のリーダー格となる。清音が丁寧に、土直神が鷹揚に挨拶を返し、四堂は一つ頷いた。
「とにかく、まずは首根っこを押さえてしまいましょう」
首根っことはなんだ、と視線で問う四堂に答えたのは、徳田ではなく清音だった。
「板東山のトンネルです。土砂の下に、……その、小田桐さんがいるのかどうかの確認ですね」
気に入ったら↓よりブックマークお願いします!感想お待ちしております!