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◆03:幽霊の出る街

 喫茶店『ケテル』は、おれ達が(仕方なく)出入りしているフレイムアップの事務所と同じビルに収まっている。『ケテル』が一階、事務所が二階という構成だ。


 観葉植物や壁紙でどうごまかしてみても殺風景な印象がぬぐえない事務所とは対照的に、『ケテル』の内装はとことん正統派のヨーロピアンスタイルである。


 適度に控えられた間接照明が漆喰とレンガの壁に映え、重厚だがいささか無骨な椅子と卓とを浮かび上がらせている。どちらも黒光りのするオーク材で、インテリアにこだわる人が見たら喜びそうな逸品だ。


 が、実はこれ、バルカン半島某国の資金源として密輸されかかっていたものが、紆余曲折を経て桜庭さんのもとに流れ着いたというイワクツキだったりする。


 この落ち着いた雰囲気に惹かれ、いつしか静けさを求める人々が集うようになった。今では賑やかな学生街の中にありながら、ある種の別世界を形成するまでになっている。


 おれもブンガク好きの女性の先輩と仲良くなるために、六人ほどご招待したことがあったりする。なお戦績は六敗だが気にしてはいけない。そして内装と並ぶもう一つの目玉が、マスター桜庭さんの提供する食事と珈琲なのである。

 

 

 たっぷりのマーガリンが塗られたきつね色のトースト。カリカリのベーコンと、対照的なふわふわのスクランブルエッグ、そして瑞々しいトマトとレタス。


 ありふれていながらどこにも死角のない朝食を、おれは女性陣の前でがっつかないよう注意しながら口に放り込んだ。一息ついて、真凛達の皿を洗っている桜庭さんに声をかける。


「いやしかし、相変わらずの腕前ですね」

「お誉めに預かり光栄ですな」


 日頃は朝食どころか昼食もろくに摂取しない生活を送っているおれだが、それは単に自分で作るのが面倒だからに過ぎず(決して食費が足りないからではない……と思いたい)、このように素晴らしい朝食を出されれば食べない理由はない。あっというまに平らげて、マグカップに注がれたカフェオレを胃に流し込んだ。


 糖分とカフェインが注入され、ようやく頭にエンジンがかかってくる。


「しっかしこういう基本の料理ほど、腕の差がはっきり出るんだよなあ。嫉妬しちゃうぜ」


 おれも食べるときはそれなりに自炊する人間である。一回桜庭さんの真似をしてこの手の朝食を作ってみたのだが、とても比べられるレベルの代物ではなかった。材料も同じ高田馬場の商店街で仕入れたものを使っているので、弁解の余地もない。


「やっぱり料理の加減もすべて計算通り、ってとこですかね?」

「残念ながら、それほど料理は底の浅いものではありません。計算だけではコーヒーの豆一粒さえ満足に挽けませんからな。要は練習です。毎日練習さえすれば、誰にでも出来る」


 そりゃまあそうなんですがね。毎日腹筋をすればお腹が引っ込むことは誰もが知っているはずなのに、なぜかお腹の出ている人は世の中にたくさんいるわけだし。と、なにやら心得顔をして真凛が言う。


「そうだよ陽司。やっぱり人間、毎日の練習が大事だって」


 ほほう。カップ焼きそばの湯切りに失敗して半泣きだったお子様がほざきよるわ。


「でも、前に亘理さんに作ってもらった朝ご飯はおいしかったですよ」


 そういやライブの合宿の時、メンバーの一人に頼まれてみんなの朝飯を作ったことがあったりしたなあ。


「フォローをありがとう涼子ちゃん。涙が出そうだ」

「え?朝ご飯?」

「っとと。もたもたしてるとチーフが来ちまうな。先に任務の概略だけ説明しちまおう。桜庭さん、ごちそうさまでした」


 桜庭さんが皿を下げている間に、おれは最近バージョンアップされて色々新機能がついた携帯通信端末『アル話ルド君』を懐から取り出し、タッチペンでデータを開いてゆく。


「あ、それじゃ私、そろそろ家に戻りますね」


 お仕事モードに入ったおれを察して、涼子ちゃんがトートバッグをかついで席を立つ。


「ありゃ、すまんね涼子ちゃん。気を使わせちまったかな」

「いいえ。亘理さん、お仕事頑張ってください。じゃあ凜、月曜にね」

「うん!今度はボクがマンガ持ってくよ!」


 元気よく手を振って扉を引き、涼子ちゃんは明け始めた街へと去っていった。その姿が通りの向こうに隠れるまで窓越しに見送った後、おれ達は改めて液晶画面の依頼内容に視線を落とす。


「えーと。うん。それで。ボクらはどこまで出張するのかな?」

「あん?妙に歯切れが悪いな。何か気がかりでもあるのか」

「別に」


 ならいいが。そう、おれ達が貴重な週末の朝早くに集合している理由は他でもない。今日の仕事先は少々遠いところにあり、これから街が動き出す前に現地入りしなければいけないのだった。


「埼玉県元城市。群馬県の境に位置する、国道17号沿いの街だよ」


 任務概要に記載された住所をタッチする。ネットの地図検索サイトと連動するようになったおかげで、すぐに衛星写真が表示された。


「ずいぶん山に近いんだね」

「というより、山の麓に街があるといった方が正しいみたいだな」


 西北にどんと腰を据えるなだらかな板東山。その東の端を切り開くように、JR高崎線と国道17号が南北に通っている。その二本の交通網に挟まれたエリアが発展し、つつましやかな繁華街を形成しているようだ。


 そしてその周りには豊かな田園が広がり、ところどころに牛舎や町工場が点在している。典型的な日本の地方都市と言えた。


 板東山の一部は切り開かれており、官庁の施設や民間の工場が誘致されているのが見て取れる。


「今日はここで仕事だな。美味くて安い名産品でもあればいいんだがね」

「のんびりしたところみたいだね。で、今日は猿退治をするのかな?それともまた自動車レースとか?」


 おれはとびきり意地の悪い笑みを作って言ってやった。


「真凛、お前幽霊って信じるか?」

「ゆ、幽霊?」

「ああ。ここ最近、この街には幽霊が出るんだそうだぜ?」


 地図上の小さな街を指す。


「この街の住民いわく、ある夜、道を歩いていると、道ばたに一人の男が立っていた。近寄ると消えてしまった。また別の住民いわく、やはり夜、駅前で一人の男が歩いていた。こちらに近寄ってきたかと思うと消えてしまった……こんな報告が、なんと三十件近くも発生してるんだってよ」

「それはまたなんというか。ずいぶん多いね」

「怪談の季節はもうとっくに過ぎたと思っていたんだがな。で、街の人々は今ちょっとしたパニックらしい。最初は個々人が見間違いや気のせいだと思っていたらしいんだがな。ひとたび噂が広まり始めると、俺も見た私も見たと言いだして、一気に騒ぎになったらしい」


 おれは昨日の深夜に来音さんから送られていた任務概要を開いて解説する。もっともおれも受信した時には半分寝入っていたので、細部を確認しながら読む形になった。


「幽霊と言っても、別に誰かが呪われただの取り憑かれただの、といった被害は今のところ確認されていない。反対に、例えば幽霊に化けた犯罪者に殴られたとか怪我をしたとかといった被害もない。……ああ、農道でおじさんが驚いた拍子に田んぼに落ちたとか、そんな程度か」

「本当に、ただ『出る』だけ?」

「ああ。『出る』だけだ。ある意味一番幽霊らしいと言えばらしいな」


 幽霊に見せかけた犯罪者なら、まずは警察の領分だ。取り憑かれたのならとりあえず坊さんか巫女さんの出番である。だが、『出るだけ』となると、さてどうしたものだろうか。


「街の人からの依頼なの?」

「いんや違う。企業からだ」


 おれはタッチペンで板東山を指した。今回の依頼主は、この丘陵地帯に工場を設置した機械メーカー『昂光タカミツ』。なんでもその幽霊とやらが、やはり先日亡くなった、その会社の社員の一人によく似ているらしいのである。


「その会社員さんの幽霊ってことなのかな」

「それを確かめて欲しくて、おれ達に依頼してきたわけだ。会社にしてみれば、あまり田舎で変な噂が立てられる前に真相を知っておきたいってとこかねえ」


 それにしてもいきなりおれ達の業界を呼び出すってのは妙な話ではあるが。


「幽霊、かあ」

「お、ビビッたか?」

「ま、まさかあ!陽司のほうこそどうなんだよ。いつも暗いところはイヤだとか言ってるじゃない」


 おれは肩をすくめてみせた。


「ああ、ビビってるぜ。だって幽霊は怖いもんな」


 いきなりのおれの敗北宣言に、真凛が呆気にとられる。


「そ。怖いんだよ。もしかしたら(・・・・・・・)幽霊は(・・・)いるかも知れない(・・・・・・・)、からな」


 

 

 おれ達の業界には魔術師、聖職者、霊能力者、はては死人使いまでもが当たり前のように在籍している。


 ところが極めて阿呆らしいことに、その彼らにしても『幽霊』というものを証明、あるいは否定することは出来ていない。


 彼らは死者の霊と会話したり、残留思念を解析したり、その亡骸を自在に操ることが出来る。だが、それだけなのだ。たとえその霊が鮮明な生前の意識を保持しているとしても、それが本人の『魂』であると証明することは出来ていないのである。


 幽霊の定義は諸説あるが、『未練や恨みを残した魂が、成仏できずに現世にとどまっている』という解釈を採用するならば、『霊はいるが、幽霊(=魂)はいるかどうかはわからない』となってしまったりする。


 ここらへんは突き詰めていくと、その能力者が背負っている宗教や思想ががからんできて大激論になってしまうので省略するが、ようするに、特殊な能力を持っていても、「死」の恐怖……いや、『死んだ後、人間はどうなってしまうのか』という疑問から逃れることは出来ないということだ。


 そう。一度死した者を生き返らせる能力だけは、この業界でも未だ存在が確認されていないのである。ゲームの中なら美少女神官のレベルを50くらいまで上げれば使えるようになるのだが、現実はそう都合良くはないらしい。


 存在すると知っており、その法則が分かっているのならば、魔術や呪術も脅威であっても恐怖ではない。ゾンビですら、結局は操り主が術で動かしているわけで、生理的な恐怖や嫌悪はあっても、それ以上ではない。


 だが幽霊だけは、未だに「いるかいないか」わからない。だからこそ、『怖い』のである。


「……はあ。わかったようなわからないような」

「今は気にしなくていいさ。これから現地に車で行って調べるんだからな」


 おれの言葉に真凛は頷いたが、やがて首を傾げる。


「あれ?でも、幽霊がいるかどうかなんて、どうやって調べるの?」


 おれはにやりと笑ってみせた。


「ほほう、気付きやがったか。ま、半年で少しは成長してくれんと困るしな」


 こういうとき自分のことを棚に上げられるのは、年長者の特権である。


「確かに幽霊がいるかいないかを証明するのはとても難しい。……実際のところこの手の調査の大半は、正体見たり枯れ尾花ってパターンが多い。人違いでした、とか勘違いでした、とかな。本当に幽霊の仕業でした、なんてことはまずないんだが」


 それはそれで依頼人を納得させるのが大変なのだ。「そんなはずはない。確かに霊の仕業なんだ、もう一度調べて欲しい」なんて言われると、幽霊のせいでないことを証明するための地味な調査が待っている。


 人違いなら当の間違えられた本人を捜し出さなければならないし、部屋の中から霊の声が聞こえるという現象が、近くに立っていた送電線の電磁波の影響によるものだと証明するために一週間を費やした事もあった。


 と、真凛はまたもやすっきりしない顔。


「どうした。今までの説明でなんか問題あるか?」

「いや、そうじゃないんだけど。……それはスゴク地味な仕事、ってことだよね?」


 ああ、そういうことね。


「そ。今日のメニューは地道な聞き込み、写真撮影、資料作りデス。殺促術次期ご当主たる武術家の出番はないというワケですよ七瀬君」

「……がっくり」


 急速にテンションが下がりカップをかき回す真凛に、おれはコーヒースプーンの先を向けて笑った。


「ま、何事も経験だ。早く一人前になりたいんなら、まずは一通りの業務を覚えないと。OK?」


 実は所長の意向もある。最初のうちは苦手な仕事ほど場数を踏ませるべきなのだそうだ。そう言えばおれも最初は戦闘系の任務に参加させられた気がする。真凛は口を尖らせたまま答えた。


「はあい。らじゃーです」

「ヨロシイ。早く仕事を覚えて正規スタッフになって、おれから独立していっておくれ」

「そう言われるとやる気なくなるなぁ」

「なんか言ったか?」

「ううん何も。それで、その亡くなった人って、事故、だったの?それとも……」

「いや。実はおれも昨夜の遅くにメールをもらったばかりだからな。これ以上ツッコまれると……と。丁度いいや。ここから先は当の指揮官殿に説明してもらうのが一番早いだろ」


 聞き慣れたクラクションの音が響く。おれは窓の外に目をやり、親指で指し示した。


「今回の仕切りはあの人。おれがアシストで、お前は研修ってわけさ」


 ガラスの向こうには、ミニクーパーの運転席から顔を出している須江貞チーフがいた。

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