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◆14:凶蛇と蝙蝠と紙鶴と

 港区芝公園、増上寺。


 

 東京タワーから歩いて足下に広がるその豊かな森に包まれた建築物は、四百年以上に渡って、徳川家の菩提寺として、人々の素朴な信仰の対象として、また観光名所として注目を集めてきた。


 深夜零時、その名の通り、無数のヒト、モノ、カネが行き交う”港”区は、夜になっても明かりが尽きることは決してない。六本木、赤坂に繰り出せば、その歓楽の空気と人種の坩堝とに酔ってしまいそうだ。


 人によっては、同じ歓楽街でも新宿などとは異なった、どこか上流の……言い方を変えればお高くとまった雰囲気を感じるかも知れない。


 しかし所詮そんな喧噪も、増上寺の境内へと続く重厚な三解脱門(さんげだつもん)をくぐればまさしく俗世の泡沫(うたかた)。境内の奥、寺社を取り囲む林の中に踏み入ると、たちまち濃密な鈴虫や蟋蟀の声が身を包み込む。


 見上げれば、織りなす枝葉の隙間から、天を貫くようにそびえる東京タワーから鮮やかな赤と黄白色の輝きが降り注ぎ、異世界じみた光景を作り出していた。


 『蛇』は、心地よい緑の匂いと虫の声に抱かれ、深い集中を維持して『絞める蛇』へと己の呪力をつぎ込んでいる。薄っぺらい文明の産物であるスーツを脱ぎ捨て、今の『蛇』の姿は、太古の呪術師そのままであった。


 鮮やかな色彩の顔料で隈取りを施し、首や腕には幾つものいびつな玉飾り。その素肌を晒した両腕、両足には呪術記号としての意味を持つであろう入れ墨がびっしりと彫り込まれている。


 『蛇』が高輪の高級ホテルを出てこの境内に入り込んでいるのは、個人の嗜好だけではない。森の匂い、そして己の精神の昂ぶりこそが、その呪術をより強力なものに為すのである。


 『絞める蛇』はどうやらキョウスケ・ミズチを追ってかなり離れた位置まで移動したらしい。後は、奴が仕遂げるまで力を供給し続けるだけだ。


 距離を隔てた相手に危害を加えられる代わりに、今現在相手の状況がどうなっているのかはわからない。それが呪いのデメリットではあるが、『蛇』は己の放った使い魔に充分な自信を持っていた。


「そこまでにしてもらおうか」


 愛想のない、だが秋の夜風のごとき涼やかな声が、『蛇』を忘我の境地から引き戻す。眼を開けば、五メートルほど離れた木の幹の側に、二人の人物が立っていた。


 一人は若い男。年齢に似合わぬ王侯の威を備え、流れ星をイメージさせる長い銀の髪を束ね、白皙の貌に宿した黄玉の瞳でこちらを射抜くように見据えている。もう一人は女。陸軍迷彩を思わせる無骨なデザインの制服に身を包み、こちらは黒髪を結い上げている。


『良くここがわかったな』


 硬質でハスキーな英語が『蛇』の喉から滑り出る。この二人が境内を潜ったときから、その存在には気づいていた。先制攻撃をしかけなかったのは、その質問をしてみたかったがためである。


『名が売れているエージェントも考え物だな。貴様が攻撃に本腰を入れて呪術を展開する場合、もっとも己にとって快適な場所である森を根城にして呪力を高めるとか』

『ほう。良くも調べたものだ』


 素直に『蛇』は感嘆した。比較的情報がオープンなランカーとて、仕事上の癖を公開するほど愚かではない。少なくとも数日で調べ上げられるものでは断じてないはずだ。弱小の派遣会社スタッフサービスと聞いていたが、なかなかこの業界の情報通が居るようではないか。


『ウチには元本職がいるのでな』

『土地勘のない場所で山に籠もるとも思えません。港区で豊富に緑があるところと言えば浜離宮、旧芝離宮、増上寺くらいですからね。最悪、東京中しらみつぶしの捜索も考えていましたが、思ったより近くに潜んでいてくれて助かりました』


 女の足下にはいくつもの紙で作られた『かえる』が誇らしげに胸を張っていた。なるほど、式神を放って敵を探すのは古来より陰陽師の本業である。


『この島国にも呪術師が居るのだったな。失念していたよ。アウェーでは仕方がないが……』

『いずれ忘れられなくなります。……チェックメイトですよbase Head』


 優雅な発音できつい台詞を吐いて、女が戦闘態勢に入る。男の瞳が朱に転じ、全身から冷たい銀色の空気が吹き出し、インバネスのコートをはためかせる。太陽の束縛を逃れた吸血鬼が本性を解放したのだ。


 それに呼応して『蛇』の全身から禍々しい原始の殺気が立ち上る。日本屈指の名刹で、呪術師と吸血鬼とアメリカ人が対峙する。

 

 獲物を狩るために潜む蛇と、蛇を狙う狩人達の戦いが始まった。

 

 


 

 先陣を切ったのは直樹だった。インバネスを翻したと思ったときには、一気に静から動へと転じ、五メートルの距離を二歩で詰めている。その左の掌に冷気が渦巻き、瞬時に氷で作られた鋭利な騎兵刀(サーベル)を構成する。


 奴自身の剣の技量は達人の領域には及ばない。だがそれは奴が弱いことを意味しない。精緻な手の内や足捌きなど気にせず、奴自身のカンと人外の膂力を、緩やかに反りが与えられた刀身に乗せて倍加し、敵の甲冑ごと両断してのける介者剣法。


 人間のように技術を系統だてて後人に残す必要のない吸血鬼には、それで充分過ぎるのである。左足を踏み込むことで突進の運動量が転化し、裁断機じみた斬撃が真横に振るわれる。『蛇』に反応する間も与えず、その右手首を切り飛ばした。戦闘不能確実の傷である。だが。


「――空蝉!?」


 切り落とされた手首と、そして『蛇』の身体がぐにゃりと歪む。形を失い色が消え、たちまちそれは巨大な水の蛇と化して、直樹に躍りかかった。


「日本の忍者の専売特許ではないと言うことか!」


 バックステップしつつ騎兵刀を翻し、まるで十字架を掴むかの如く逆手で構える。もちろん、世間一般のマジメな吸血鬼のように十字架を見て己の罪におののくような敬虔な心情など奴にはカケラもなく――そもそもシスターに欲情する罰当たりだ――その意図は別にあった。


 構えた刀身に躍りかかってきた水の蛇が衝突する、と同時に、その蛇身が凍り付き、砕け散った。分子運動を一瞬だけ、だが完全に停止させることで熱を奪い絶対零度を生み出す奴の力が刀身に込められ、空蝉を構成していた数十キロの水塊を瞬時に氷塊へと変えてしまったのだ。


 もっとも、これでも奴は手加減をしている。林の中でなければ、わざわざ剣に冷気を収束させずとも、全身から放射しながら戦い続けることも出来るのだから。宙を舞う氷の欠片を払い、林の奥に眼を凝らす。


”確かに戦闘能力では分が悪いな”


 闇の奥、どこからともなく響く『蛇』の声。


”だが殴り合いに強いだけで勝てる程甘くは無いぞ”


 突如林の奥、南の方角からがさがさと何か大量のいきもの(・・・・)が迫ってくる気配がする。だが、夜の闇に紛れて姿が見えない。警戒する間もなく、攻撃がやってきた。


門宮さんが、『蛇』の本体を探し出そうと密かに展開していた『かえる』の式神達が、軒並み喰われてしまったのだ。気がつけば、落ち葉の積もった足下、枝枝の隙間、幹と根本。見渡す限り、水で出来た無数の小蛇がのたくっていた。


 闇夜と透明な身体が著しく視認を困難にしているが、その数、少なくとも五百はくだらないだろう。もしも色がついていたら、蛇嫌いの人が間違いなく失神するくらいおぞましい光景だった。


「これほどの水、いったいどこから……」

「増上寺の南にはホテルがあります。そのプールから拝借したのでしょう。夏も終わったのにまだ水を溜めていたんですね」

「プール掃除まで業務範囲内とは恐れ入るな」


 足下の蛇を二三匹切り払ってみるが、すぐに無益であると確認する直樹と、準備していた式を全て破壊され、急いで次の術法の準備に取りかかる門宮さん。


 しかし二人とも、続いて林の中から現れたモノを見たときは、平静では居られなかった。林の奥から静かに迫り来て、矢のように噛みついてくるそれをどうにかかわす。


「……『締める蛇』!亘理さん達の方に向かっているはずでは!」

「何も一匹だけしか操れないと言うわけでもなかろうよ」


 忌々しげに直樹が述べる。森の奥から嗤い声が響いた。


”我が用いるはヒトなる種の始原のまじない。力の無さを小手先の技術でごまかすだけの東洋の三流術師など、到底及ぶ所ではない”


 一斉に蛇の群れが襲いかかってきた。直樹が剣を振るい、コートの裾を翻すたびに、数十匹の蛇が凍り付き、砕け散る。門宮さんの『鶴』が嵐となって吹き散らす。蛇の残骸が水に還り、地面に染みこむが、そのたびに次から次へと林の奥から後続がやってくるのだ。


 実際、『蛇』の呪力……キャパシティは恐るべきものだった。同時に複数の使い魔を操ること、そしてそれらの総合出力。どれをとっても超一級足りうるだろう。残念ながら、門宮さんの呪力は奴に及ばない。門宮さんが弱いわけではなく、『蛇』が異常なのである。


 そしてその合間を衝いて、こちらは巨大な『絞める蛇』が襲いかかってくる。こればかりは片手であしらうわけにもいかず、次第に二人は劣勢に追い込まれていった。


「このままホテルのプールが全て枯れるまで待つ、というのはどうだ」

「貴方の体力から言えばそれもありかも知れませんが。私と、何より亘理さん達が持ちません」

「世話の焼ける」


 その頃おれ達も、無限の再生力を持つ敵を相手に苦戦を強いられていたのである。『蛇』の本体を見つけない限り、この蛇たちはほぼ無限に生まれてくる。能力的に相性の悪い直樹と門宮さんを消耗戦に引きずり込みつつ、水池氏に攻撃を加えるのが『蛇』の狙いだった。


「別に亘理が死んだ程度でどうと言うことはないが」


 言いたいこと言ってくれるなこの野郎。


「……何より、本体に逃げられては元も子もありません」


 フォローしてくれる門宮さん。涙が出そうだ。直樹の野郎は剣を縦横に振るいながら器用に首をかしげ、二秒で決断した。


「聞こえているか」


 何だ。


回路を開くぞ(・・・・・・)。手伝え」


 マジかよ。


「……なんのことですか?」


 門宮さんの問いには答えず、騎兵刀を地面に突き立て、手を離した。そのまま両腕を大きく広げる。膨大な量の冷気が奴の身体から立ち昇り、それは奴のコートの裾に、まるで折りたたまれた翼のように広がった。


「まずは雑魚を一掃する」

「しかし、この林の中で冷気を展開すれば周囲に被害が――」

「問題はない」


 両腕を前に向けて突き出すと同時に、背中の銀の翼、つまりはたわめられた冷気が一気に前方へと吹き抜ける。


「――かかれ」


 主の号令を受け、前方に展開された銀色の冷気の靄から、何かが一斉に夜へと飛び立つ。それは無数の、白い蝙蝠だった。一匹一匹の銀色の蝙蝠が密集した木々の間を駆け抜け、それぞれ地面に、幹に、枝葉に隠れる水の蛇を捕らえ、凍り付かせてゆく。


 それはたとえて言うなら、マイクロミサイルの乱舞に等しかった。闇の林の中、殆ど音も立てず銀の蝙蝠が透明な蛇を砕いていく様は、傍から見る者が居れば美しいと思えたのかも知れない。十秒あまりの無音の戦闘の後、樹木を傷つけることなく、林の中の蛇は一掃されていた。


”なかなかやる……だが私が居る限り、何度でも後続が現れるぞ”


 闇のどこかから、『蛇』があざける。直樹はその挑発には応じず、虚空を見上げ、誰にともなく呟いた。


出番だ(・・・)働け亘理(・・・・)

 やれやれ(・・・・)こっちは(・・・・)千葉だってのに(・・・・・・・)。まったく人使いの荒い野郎だ。


 遙か数十キロを隔てた病院の廊下、水の蛇を撃退し続ける真凛の背後で、おれは脳裏の引き出しから『鍵』を取り出す。


「『増上寺の境内で』『投じられる一撃は』」


 『蛇』と名乗った敵手の能力同様、俺が紡ぐこの因果の鍵も、距離に影響されて威力が減じることはない。だが状況を正確に把握せずに因果の鍵を紡ぐことは、いたずらにその威力を浪費させ減じる事となり、甚だ効率が悪い。そう、状況を正確に把握できなければ。


「『潜む呪術師を』『外すことはない』!」


 言語が枷となり、鎖となる。


 時間という大河に穿たれる因果の(くさび)。河を流れる、無数の誰かの意志決定の集積――時に運命とも呼ばれる抗いがたいこの激流に、楔を打ち込み堤と為して自らの望む結果を引き寄せる。無限の可能性を封じ、無限以外の可能性を開く因果の鍵が発動する。


『……馬鹿な!?』


 『蛇』の口から驚愕の声が上がる。直樹が当てずっぽうに投げた氷の槍は、あり得ないほど運良く(・・・・・・・・・・)隠れている奴めがけて飛んでいった。

 

 


 

 ――数年前の、割とどうでもいい話である。


 『深紅の魔人』と『召還師』は、互いを滅すべくその全ての能力を解放して死闘を繰り広げた。管理人と清掃屋、目的は同じでも立場をたがえる両者の、短いが激烈な戦いは、結局のところ相討ちという形で終結をみる。


 全身が凍り付く直前に放った『召還師』の『切断』は、不死の吸血鬼の肉体を戦闘不可能にまで破損させた。だがその一瞬を機として、『深紅の魔人』は、『召還師』の首筋に喰らいついたのだ。


 吸血鬼の能力、血を啜った人間を己の従僕とする呪いが発動する。雑魚のそれならともかく、不老不死を認められた原種の呪いを無効化することは事実上不可能だ。それでもなお、『召還師』の因果を歪曲する力は絶大だった。


 

 ”亘理陽司は、吸血鬼には、ならない――”


 

 強力な因果の鍵は、何千万分の一の確率でさえ、それを回避する方法を見つけ出す。


 だが、世界の罰則規定に裏打ちされた絶大な呪いを無効化する可能性は、まさしくゼロだった。迷走した因果の鍵は、それでもなお定義を証明する運命の分岐を模索する。かくして、両者の力が拮抗した結果、実にねじ曲がった現象が残された。すなわち。


 

 ”亘理陽司は、吸血鬼には、ならない。……今は”


 

 噛まれてから吸血鬼になるまでの時間には個人差がある。その時間を最大限に引き延ばすという手段で、因果の”言い訳”が成立したのだ。


 奴は、おれを隷属させるための呪いを、おれは、それから逃れるための因果の構築を。それぞれ維持し続けなければならず。結果として、両者はその力を大きく減ずることになったのだ。奴がおれの因果を解くのが先か。おれが奴を倒し呪縛を解くのが先か。いつかは決着をつけねばならない。



 そして、この茶番劇には、やはり笑うしかない副作用が存在する。ねじ曲がった因果の影響で、吸血鬼が従僕に命令するために使う魂の回路だけは刻まれてしまったのだ。


 血の鎖環(リンク)。おれと奴の精神が、一部歪んだ形で接続されてしまったのである。例えれば、アパートの隣同士の部屋の壁に穴が開いて、玄関や廊下を通らずとも行き来出来るようになってしまったものだ。


 もっとも、お互い野郎の心情なんぞ興味もないので、この回路を使うことはほとんど無い。だが、いざとなればこのような小技も可能――と言うわけだ。不本意ながら。

 


 

 ――氷の投げ槍は、『蛇』の踵に命中したが、砕くことはなかった。代わりに、枝と『蛇』の脚を凍らせ、ぴったりと貼り付けてしまうこととなった。


 おれの中にため込まれた見えない金貨が、ごっそりとどこかに持って行かれた。感覚共有の負荷が限界になり、おれと直樹の回線が切れる。


 ……アバウトな単語をたくさん使うのはさすがにきつい。『因果の鍵』とてそうそう万能ではない。多くの言葉を用いたり、曖昧な言葉を用いたりすると、おれには階乗的に負担がかかる。だからこそ、「少ない数の単語で」「より状況を絞り込む」事が必要になる。


 対象を指定するのに、名前がわかっていれば一語ですむのだが、今回、相手の名前である『蛇』はただの通り名に過ぎないため、このようにまわりくどい言葉を使わなければならなかった。


 当然、通常より高い”代償”を払わざるを得ないし、”とりあえず当たった”という結果になってしまう可能性が高い。


 『蛇』は舌打ちをひとつ。機動力は殺された。こうなれば一気に片をつける。喉の奥から力強くリズミカルな呪文をはじき出すと、それに呼応し『絞める蛇』が電光の速さで舞い戻り、『蛇』を庇うように立ち塞がった。


『吸血鬼は流水が苦手だったな』


 直樹の冷凍能力は『蛇』の天敵であるが、同時に『蛇』の水攻撃も直樹の天敵なのだ。直樹は己の冷気を槍の形に変形させたままのため、防御に隙がある。それを衝いて、怒濤の水流が吐き出されようとしたその時。


「脚を止めた時点で、貴方の負けです」


 横合いから綺麗な日本語が耳を打った。視線を転じたその先には、既に攻撃態勢に入っている門宮さんの姿があった。


 手挟んだその紙は、従来の折り紙に使う白い紙ではなかった。精緻な模様が丁寧に漉き込められた色鮮やかな和紙。千代紙と呼ばれるものである。


 そして形も、正方形ではなく長方形だった。門宮さんが左の指で軽く弾くと、その千代紙はまるで切れ込みが入れてあったかのように、真ん中が綺麗に切れた。


 

 ”せきれいの おのひこひこを みならいて”


 

 桃色の唇が、艶やかな韻を刻む。


 日本人のもっとも好む七五調の音階は、まるでそれ自体が一枚の絵であるかのように、彩をもって響いた。


 

 ”おおきなくにを たれるほどうむ”


 

 江戸時代後期、伊勢国桑名の住職が、切り込みを入れることで一綴りの紙から数羽の連続した鶴を折る技法を編み出した。後の世に”桑名の千羽鶴”として伝わるこの折り方は、それぞれ異なった四十九の完成型を持ち、それぞれに銘と、銘にちなんだ狂歌を添えられている。


 宮中を守護する陰陽師に端を発する術法使い、門宮家。彼らは近代化する大和の内で廃れゆく己が術法を嘆き、その精髄を、この優雅な紙折り遊びに隠し伝えたのである。


 

秘傳千羽鶴折形ひでんせんばづるおりがた連鶴(れんかく)――』


 

 千代の折り紙が、白い指で瞬く間に無数に折られ曲げられ、命を孕んでゆく。門宮さんの差し出した両の掌の上には。


 

『――鶺鴒(せきれい)


 

 一枚の長方形の紙から折り出された、四枚の翼と二つの嘴を持つ異形の鶴……いや。胴体を一つとするほどぴたりと寄り添った、夫婦の小鳥の姿があった。折り上げられた呪が完成する。ふぅ、と息吹を受けて、掌から勢いよく小鳥が羽撃たいた。夫婦の鶺鴒はたちまち百に千にその数を増し、微かな羽撃たきは渦巻く嵐と化した。


『何を飛ばそうが同じ事。お前の呪力は私には及ばぬ。”絞める蛇”の鱗は貫けない』

「――ええ。一羽ならば」


 無数の千代紙で折られた鶺鴒が、螺旋を描きながら一点に錐を揉むように収束していく。


 それは万華鏡の内側を思わせる光景だった。市松、格子、花菱、桜、葵。そして橙、蘇芳、若竹、藍、鴇羽、雪消水、鳶。幾つもの模様と幾つもの色の鶺鴒が、その艶を競うかの如く、水の竜の鱗をその嘴でついばみ、翼で斬りつける。


 一羽ではわずかな傷をつける事しか出来ない。だが、その傷を二羽目、三羽目がえぐり、十羽目、二十羽目が押し広げる。一枚の鱗が剥がれたその一穴が、見る間にその直径を拡大していった。


 広範囲に回避不可能の攻撃を繰り出す『鶴』を、一点に収束させることで飛躍的に破壊力を増す術法である。


 門宮さんは己の呪力を決して過信していなかった。むしろそれをどのように状況に即応させるかに、術の本領を求めているのだろう。水の竜は苦悶するかのように身をよじらせる。三秒の抵抗の後、土手っ腹がはじけ飛んだ。


「……何!?」


 『蛇』のかすかな叫びは、余勢を駆った鶺鴒の羽撃たきにかき消された。剣呑な花吹雪が吹き抜け、『蛇』の背を大樹の幹に強かに打ち付け、素肌をさらしている腕と脚から紅い霧が舞い上がった。光の角度が変わり、闇の中に埋没していた素顔が露わになった。


「……女、か」


 そこにあったのは、硬質の美しさを湛えた黒人女性の容貌だった。どこか、鋭く磨き上げられたやじりを想起させる。緑の闇の中、白い吸血鬼と黒い蛇は静かに視線を交えていた。


「続けるか?」


 純白の騎兵刀を突きつけ、直樹が問う。『蛇』の黒い眼には、狂躁や激情は見られなかった。逆に質問をする。


『貴様がナオキ・カサギリ、そして先ほど呪いまがいのマネで邪魔をしてくれたのがヨウジ・ワタリか』


 直樹は沈黙を保った。業界で実名をさらす愚を犯すことはない。だが『蛇』にとってはその沈黙で充分のようだった。


『ふふ。ならば問題ない。私の仕事は今完全に達成された。追撃なしで見逃してくれるに越したことはないが』

「引き留める理由は無い、が、無傷で返してやる義理もないな」


 まったくもって、年上女性への礼儀がなってない男である。直樹の放つ冷気は、両の肩に翼のように展開され臨戦態勢となっていた。


 だが半瞬の差で、機先を制したのは『蛇』の方だった。地面に飛び散りながらも形を保っていた『絞める蛇』の残骸が、無数の小さな水の蛇に姿を変え、雨のように放たれる。


 面倒くさげに直樹が、白い翼で打ち払った時、すでに『蛇』は立ち上がり、充分な間合いを広げていた。軽く舌打ちする直樹。だが、それ以上追撃する意志は無さそうだった。


『さらばだ吸血鬼、そして東洋の呪術師。小細工もそこまで精緻であれば面白い』


 ふいに、雑木林の影が濃くなったように感じられた。それは全くの錯覚だったのだが、気がついたときには、獰猛な『蛇』は、再び藪の中に完全に消え去っていた。

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