◆11:『ヨルムンガンド』
それから二日が過ぎた。
「いや、そろそろマジに疲れてきたぜ」
急ごしらえの片付けを終えた水池氏の部屋は、なんとか人間が落ち着いて過ごせるくらいまで持ち直していた。
学校など、それぞれのスケジュールに合わせつつ、交代で六本木のオフィスで門宮さんと一緒に泊まり込みで水池氏を護衛すること二日。その間の水の蛇の襲撃は実に八回に及んだ。
排水溝から、水道から、はたまたスプリンクラーから。撃退してここは安全と思えば、また次のところから襲ってくる。現代文明において、いかに水というものが生活に浸透し、また不可欠であるかを思い知らされることになった。
「と言っても貴様自身はろくに戦闘に参加していないではないか」
「うっせー、おれは体力は人並みなの。てめぇと一緒にすんな」
「そうだな。そのうえ魅力は人並み以下だしな。可哀想な事を言って悪かった」
「……てめぇ」
ソファーに座って交わす会話にも今ひとつキレがない。真凛は先に離脱している。お疲れ気味のおれ達に、門宮さんがトレイに乗っけて差し入れを持ってきてくれた。
キンキンに冷えた缶コーラ。普通の水やお茶では『水の蛇』が混入するかも知れない、というおれ達なりの用心だったのだが。
「またコーラですか。おれ炭酸嫌いになりそう」
「紅茶が飲みたいところだな」
コーラだけの生活、等というものに憧れるのは小学生とメタボリック患者のみである。季節は既に秋。夜は結構冷え込むのだ。ああ、暖かい日本茶が飲みたいなあ。
「そうですか?お腹もふくれるし、結構重宝しますよ」
ごっきゅごっきゅとコーラを飲み干す門宮さん。その仕草を見てると、間違いなく彼女は半分アメリカ人なんだなあ、と納得せざるを得ない。門宮ジェインの名が示すとおり、彼女の血の半分はアメリカ人なのだとか。
代々の陰陽師の家系がどうして海外に出て行くことになったのか。実は仕事中にさりげなく探りを入れてみたのだが、あのステキな笑みでかわされてしまった。三人がコーラに口をつけると、はかったわけではないのだが会話が止み、エアポケットに落ちたような沈黙が降りる。さてさて、どうしたものか。
『ちゃらりらり~ん ちゃらっちゃらっちゃらっちゃっちゃっちゃっ!』
そんな考えをあっさり無効化する、ルパン三世(新シリーズ)のあの軽快な音楽。おれはジーンズからアル話ルド君を引っ張り出すと、届いていた事務所からのメールをチェックした。
「……んむ」
データを確認し、おれは携帯をしまい込む。時刻は日付が変わろうとしている。そろそろ動きがあってしかるべきだった。
水池氏は本日初めて、上機嫌になっているようだった。
「ミストルテインの連中が屈服した。これで過半数だ」
当然、専門的な話をおれ達にするはずはない。だが、どうやら例の買収話の決着がついたのは間違いないようだった。大仕事が片付いた達成感からだろう、アルコールの力を借りずとも、水池氏は随分とハイになっている。
「お前もどうだ。大学二年ならそろそろ就職活動を考えなければいかん時期だろう」
おれの肩を叩いて気さくに述べてくださった。
「ウチの会社にくるか?異能力だったか。あれだけでも充分価値はあるし、お前ならそれ無しでも中々仕込みがいが――」
「もうすぐ潰れるような会社は遠慮しておきますよ」
おれのコメントはどう取り繕ってもマイナスの温度であり、浮かれはしゃぐ実業家への冷や水以外の何物でもなかった。
「……何だと?」
「ウチのスタッフからね。御社の詳細なレポートがあがってきたんですよ」
知りたくもなかったのだが。実際のところ、ここまで酷いとは思っていなかった。
『アル話ルド君』に先ほど転送されてきたデータは、我が事務所が誇るブレーン、石動、笠桐両氏の芸術的なコンビネーションの賜物だった。
来音さんが過去のヨルムンガンドの業績を調べ上げ、個々のプロジェクトで使用されたであろうファイルを推測。それを羽美さんがサーバーに侵入して拾い集めるという作業により、ヨルムンガンド社の『丸呑み』の実態をほとんど完璧にさらけ出していた。
「ヨルムンガンド社を冷静に一つの会社と見れば、はっきり言って赤字続きです。とはいえそれはベンチャー企業には良くあること。言うならば、成長期の子供がたらふくメシを食べても、全部身体を作るために使われてしまっていつも腹をすかせてるようなものであり、健康さの証明でもあります」
決算のデータなどは、書店やネットで四季報を見ればすぐに調べられる。しかし、誰もが『今は成長期。いずれ安定したら利益が出るから』と思い、株を買い続けているのである。
「でもね。ここ数期の決算データは明らかに異常です。利益の殆どが合意もしくは敵対的買収……『丸呑み』に費やされてます。御社らしい、極めて積極的な拡大路線と取れなくもありませんが、このデータをつき合わせてみると、もう少し説得力のある仮説が浮かび上がってきます」
おれは一気にここまでしゃべり倒して、水、はなかったのでコーラを口に含んだ。
「御社の『丸呑み』、そして数々の強力な活動を支える豊富な資金。全ては『高い株価』という裏付けあってのものです。でもね。株価、ってのは本来上がったら下がるもの。上がり続ける株価なんて本来ないはずなんです」
ちなみにこんなにペラペラ流暢にしゃべっているが、全ては送られたファイルに添付されていた来音さんと羽美さんの共著レポートを脳裏に焼き付けて読み上げているだけだったりする。
「そこで調べてみると、株価が上昇期を過ぎて下降期に入ろうとすると、はかったようにヨルムンガンドが他社買収の発表を打ち上げている。そうすると、投資家達はそろって『またヨルムンガンドの株が上がるぞ』と買いに走り、結果として株価がまた上がる。最初の頃はもちろん、買収話があって、株価があがっていたのでしょう。……でも。それが、いつしか株価を維持するために買収話を打ち上げるようになった」
高い株価に裏打ちされた強気の経営。それはすなわち、株価が下がれば一巻の終わりということだ。そして、気がつけば、ヨルムンガンドは『高い株価』を前提にして全ての戦略を立てるようになっていたのだ。すなわち、それが意味することは。
「まあ、おれの経済知識なんて聞きかじりですし、そもそもこんな話を貴方にしたって釈迦に説法でしょう。ややこしい話は抜きにして、簡単に要約すればこういう事です。ヨルムンガンド社は、『他社を丸呑みして大きくなっている』んじゃない。『他社を丸呑みし続けないと死んでしまう』んだ」
門宮さんは数歩退いて、直樹は黙々と、おれ達を見守っている。
「それはこういう事か?ウチが自社の株価をつり上げるための工作として買収を行っている、と」
「推測にしか過ぎませんが。結局『丸呑み』した会社との相乗効果はほとんど現れていませんしね。それと。前期の決算書、ウチのスタッフによると粉飾の痕跡が――」
「口の利き方に気をつけろよ小僧」
もう部屋の中にはうかれムードなどどこにもなく、季節は既に冬に入ったかと錯覚しそうだった。
「だいたいお前ごときに俺の会社のことをどうこう論評される謂われはない。お前の役目は俺の護衛だ。余計な事まで出しゃばるな」
「……失礼しました。おれが言いたいのは、ウチのスタッフが疑問に思う程度の事、経済と投資のプロ中のプロである貴方の会社の役員が気づかないはずはない、ってことです」
「会社の役員だと?」
直樹の言葉に頷く。
「先日、貴方がおれ達を雇ったとき、あなたはこう言いましたよね。『俺を守れ』と。『犯人を見つけろ』じゃなかった。となれば貴方は当然、自分が何故脅迫されているか知っていたわけです。そして脅迫者の名前をおれ達に言わなかったのは、知られてはまずいからだ」
社会人未満の学生とて、その程度の知恵は回る。
「このレポートを作成していくうちに、だいたいの話の構成は見えてきました。貴方を脅迫していたのは、ミストルテインなんかじゃない。貴方の会社の役員、不動産王サイモン・ブラックストンその人だ。……違いますか?」
水池氏は応えない。
「そう考えれば辻褄が合います。おれ達がこの依頼に携わる前から、貴方は門宮さん達を警護につけていた。シグマのエース部隊を。それは、イズモのスタッフを追い払うためなんかじゃない。脅迫の相手が、少なくともこの業界の人間を送り込んでくるだろうと予想がついていたからだ」
直樹が口を挟む。
「しかし、なぜサイモン氏が弟子を狙うと?」
「さあな。でもまあ、毎期の貸借対照表と損益計算書を見ればなんとなく想像はつく。ここ数期、ヨルムンガンド社に流れ込んでいる利益に相当額、不審なものがある。……どう考えても百万円の仕事に、五百万円の報酬が払い込まれてる、なんて取引が散見されます。伝票もきちっとそろっていますがね。これ、利益に偽装した、サイモン氏からの借入金でしょう?」
「なぜそんな回りくどいことをするのだ。仮にも役員なのだから、正式に融資すれば良いだろう」
「普通なら、な。だが、経営が苦しくなってお金を借りました、なんて事になるとな。下がるんだよ、株価が」
「……そう言うことか」
「サイモン氏との約束はこんなところですかね。今回は助けてやるから、次回の利益で返せよ、と。しかし、それにヨルムンガンドは応えられなかった。それが何度か続くうち、やがて業を煮やしたサイモン氏は、ごっつい取り立て屋さんを送り込んできた、ってとこかなと」
青二才の長広舌に、水池氏は反論しなかった。部屋の空気が重い。腰掛けたソファーにそのまま沈み込んでしまうかと思えた。
「……それがどうした。たしかに返済期限はとうに過ぎている。だがな、今回の買収話が決着すればウチの株価は今まで以上にはねあがる。俺の持ち分だけで返済出来てお釣りが来るんだよ。あとは株価が下がろうと、いくらでも対応が出来る」
だからこそ、この買収話だけは、絶対にコケるわけにはいかなかった、という事か。
「しかし。おれだって感づいたんだ。いずれこんなカラクリは長続きしませんよ」
「かまうものか。売り抜け出来れば、後はどうとでもなる。ヨルムンガンドが所有する株式にもまだ余裕がある。一部売却し、その余剰利益で経営を仕切り直すシナリオはもう出来ている」
「それは、投資家に、下がるとわかっているヨルムンガンドの株を売りつけると言うことですか?」
答えはない。
「しかし、それでは貴方に投資してくれている株主達はどうなるんです?理由はどうあれ、結論から言えば貴方は、貴方とヨルムンガンドを信じて金を出してくれた人たちを裏切ることで生き延びようとしているんじゃないですか」
「それがどうした!?奴らは見る目がないだけだ。史上最高の株価、なんていい看板だよな!投資家気取りの素人は結局、理論を並べた挙げ句そういう看板に乗るんだよ!自己責任だ、ろくに話を聞かずに金を出した方が悪い!」
……そう。そういうことだ。だからこそおれは、この言葉を言わなければならない。誇大な広告で他人から金を巻き上げ、やがて全てが露見する前に利益を得て勝ち逃げする。そのやりかたは、まさに。
「それでは、貴方もトミタ商事の連中と同じです」
「な……に……?」
その言葉は無形の爆弾であり、この部屋ごと水池氏の精神を吹き飛ばしてしまったかのように思えた。
「……は、ふざけるな、あんなゲスの詐欺師どもと一緒にするな、俺は」
いつもの不敵なドラゴン水池の笑い。だがそれは、意識的に作り出した表情だった。
「俺は――」
「……正直に申し上げれば。今までおれが申し上げていた株価だのサイモン氏だのの仮説は、おれが考えたわけではありません。おれが伝えた情報を元に、ある人が推測したものです」
あの程度の情報でここまで会社の内情が推測できるのなら、おれは一生株で喰っていけるかも知れない。だが残念ながら、予想を立てたのは別人。来音さんと羽美さんが傍証を固め、おれはただのスピーカーだった。
「……誰だ。誰がそれを見抜いた?」
東京タワーの襲撃の後、その人の助力を仰ぐためにおれはしばらく現場を離れていたのだ。
「露木甚一郎。貴方のお父上ですよ」
おれの答えに、衝撃を受ける水池氏。だがその表情は、”やはり”であっても”まさか”ではなかった。
「親父、が……」
それっきり、誰も何もしゃべらなくなった。
沈黙が何秒続いたのか、あるいは何分だったのか。分厚い氷のようなそれは、突如けたたましく鳴り響いた卓上の電話の音に砕かれた。
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