◆10:呪殺というシステム
水池氏の部屋に飛び込もうとしたおれ達は、だが超高級マンションのオートロックの壁に阻まれることになった。玄関からロビーへ入る扉で苦戦するはめになり、これは真凛の握力で扉をこじ開けるしかないか、と考え始めたところで、ロックが外れた。
そこで思い至って、まだ銭形警部のテーマを奏でている携帯の通話ボタンを押す。
『今ロックを外しました。そのまま部屋まで上がってきてください。敵がいるので注意して』
落ち着いた調子の門宮さんの声。とりあえずその指示に従い、管理人さんに不審の目で睨まれつつエレベーターで十階の水池氏の部屋へ向かう。しかしどうしてこうカネモチはみんな高いところに住みたがるのかねえ。
ちなみにこのマンションは十二階建てで、港区にあってはそう高層建築というわけではない。問題は高さより広さだった。都内でもっとも地価が高いのに、いや、だからこそ、過剰なまでの敷地面積。
五つの部屋と風呂、トイレ、ベランダ、ウォークインクローゼットもろもろを備えた一階が、まるまる一部屋となっている。つまりはこのマンションに居住できるのは十二世帯のみというばかばかしさだった。
そんな豪奢なマンションの中は、ずいぶんと無惨に荒れていた。つい昨日のヨルムンガンド社のオフィスとまったく同じ有様である。何があったのかは容易に想像がついた。
寝室のドアを開ける。とそこには、ベッドの上に座り込んでいる水池氏と、その側に立ち周囲を見据えている門宮さんだった。彼女の指に挟まれた折り紙の形は、『かぶと』。同様のものがベッドを囲むように六つ、配されている。
破邪を意味する『かぶと』により、見えざる防壁を張る結界陣である。その結界の向こう側に、昨日と同じ透明な水の蛇が居た。その数六匹。ただし大きさは”ふつうの”蛇の大きさでしかない。おれ達を認識すると同時に、奴らは一斉に躍りかかってきた。だが、同じ芸は二度も通じない。
「やっ!」
真凛が手刀を振り下ろし、宙で蛇をまさしく一刀両断にした。返す刀でもう一匹を。その横では直樹が蛇を捕まえ、そのまま踏みつぶしている。六匹全てを倒すのに三秒とかからなかった。破壊された蛇はたちまちもとの水に還り、職人手製のペルシャ絨毯を水浸しにする。
ひとしきり事が済んだ後で、ようやくおれは部屋の中に入ることが出来た。その時にはおれの乏しい頭でも、だいたい状況は理解出来ている。
「こりゃ、あの『絞める蛇』の”子供”ですね」
カーペットに染みこんだ水に手を触れる。生憎とおれは”まっとうな”魔術師ではないので、魔力を探知したりは出来ないが、状況から予測は出来た。
「今日、何回襲われました?」
「……三回だ。顔を洗う時、水を飲もうと思ったとき、シャワーを浴びようと思った今、だ。蛇口をひねるたび、水が蛇になって襲ってくるんだ……」
「昨夜から泊まり込みで護衛をしていました。襲ってくるのは先ほどのような小蛇なので、私一人でも退けることが出来たのですが」
いささか憔悴した表情で門宮さんが言う。昨夜このオッサンが門宮さんと一つ屋根の下だったという事実に愕然とするおれだったが、当の水池氏にはそんなことを考える余裕はなさそうだった。
「とりあえず、お部屋の掃除をしませんか?」
「水を使うなっ!!」
部屋の惨状を見かねバスルームへと向かおうとする真凛に水池氏が叫ぶ。『脅迫に屈しない』はずの男の声は、悲鳴に転落する寸前だった。おれは無言で頭を振る。初日の襲撃でこの点に思い至らなかったのは迂闊だった。門宮さんに問う。
「噛まれてましたか?」
「ええ、肩を。血を採られてしまったのは間違いないようです」
「そうですか……となると、このままだと半永久的に水池氏は狙われることになりますね」
「おい、どういう意味だそれは!?」
おれは、四捨五入して敵の使う呪術と『絞める蛇』についての説明を行った。
「術者の血を混ぜることによって生み出された『絞める蛇』は、水のあるところに自在に潜み、移動することが出来ます。その体躯の大きさは術者の呪力で決まるのですが、あれほど大きなモノは、おれも聞いたことがありません」
一人前の術者でも、己の身長程度の蛇を操れる程度である。あれほどの大蛇を操るとなれば、その力はケタ外れていると言っていいだろう。
そして、まず術者は『絞める蛇』に、呪う対象となる相手を襲わせる。そして、ターゲットの”血”をすすることが出来れば、恐怖の呪殺のシステムが起動するのだ。
『絞める蛇』は、飲み込んだターゲットの血を元に、新たな”子供”を生み出す。その子供は、記録されている血の情報に従い、”親”であるターゲットに襲いかかるのである。
「つまり、一度目の襲撃の時に、貴方の血の味はあの『絞める蛇』に覚えられてしまったと言うことです。あとの話は簡単です。奴は水がある限り大きくなり、また殖え続ける。どこかの水道に潜んで、子供を次々と生み続ければ、術者である『蛇』は何もせずとも、貴方を脅する事が出来る」
「つまりこういう事か。もう相手は何もせずとも、勝手に使い魔が……」
「何度でも水池さんを攻撃し続けるってこと?」
真凛達のコメントにおれと門宮さんがうなずく。呪術の本領、ここに極まれり。そもそも呪いというものは、相手と己が顔を合わせないままに害を加えることに利点がある。
この業界でも攻撃呪文を得意とする派手好きな魔術師崩れは多いが、わざわざ相手に接近して電撃やら火の玉をぶつけるのであれば、現在なら銃や爆弾、あるいはナイフを使った方が余程安上がりなのだ。
相手から姿を隠して、だが確実にじわじわと追い詰める。防ぎにくいのも事実だが、何より着実に相手の精神を摩耗させる点が恐ろしい。
「そして、貴方がそれに恐怖すると、それが”血”を介してますます『絞める蛇』に力を与えることになるわけです」
呪術というのは、その気になれば誰でも出来るのだ。
もっとも初歩では、誰かに向かって「今日は良くないことが起こるよ」と言えばいい。不幸の手紙でもかまわない。それ自体になんら効果はないが、それを相手が気にして”何となくイヤな気分に”なれば、精神は集中を欠き、ほんの少しだけ良くないことが起こる確率が上がる。それが呪術なのだ。
実際、呪術とは、かけられた相手が”気にする”事で最大限に効果を発揮する。相手が恐怖すればするほど、精神は揺らぎ、より強力な呪いを仕掛けることが出来るようになるのである。特にランカーエージェント『蛇』の能力の恐るべき点は。
「失礼ですが、今日は水分を摂られましたか?」
力なく首を横に振る水池氏。
「朝、ペットボトルの水にも……いつの間にか穴を開けて入り込んでいたんだ。開けるとそこから蛇が出てくるんだ!」
そう、敵も小蛇ごときで門宮さんの守りを突破できるとは考えていないのだ。「怖くて水が飲めない」……水分を摂らずして活動できる人間は居ない。ましてそれが何時終わるとも知れないとなれば尚更だ。脅迫の手段としては誠に有効なのだった。
「犯人、というか、『蛇』の雇い主に心当たりはあるんですか?」
「あるわけないだろう!……だが、そうだな、ミストルテインの奴らならやりかねないか」
「では、犯人を捜す方が早いのでは」
「……それは問題ない。買収話が決着すれば、奴らの脅迫など意味が無くなる」
ふむ。そういう回答か。
「なるほどね。それで、門宮さん経由でおれ達を呼んだわけですか」
倒れていたソファを起こしてどかりと腰を下ろす。交渉は「まずは強気で攻めてみる」のが鉄則である。ふてぶてしさを装っておれは続けた。
「門宮さんに周囲を守らせているだけでは埒があかない。さりとて、彼女を護衛から外して敵を探させるわけにもいかない。いったいどうするおつもりで?」
いったん言葉を切って、相手の発言を促す。
「……お前達にも俺の護衛について欲しい。門宮君に聞いたが、お前達『フレイムアップ』は業界では有名な問題児なんだろう?」
むっとする真凛と、力強くうなずくおれと直樹。
「ならば話は簡単だ。俺がお前達を雇ってやる。報酬は直接に払ってやるから、この蛇どもから俺を守るんだ」
……へぇ。護衛、ね。
「それはそれは」
おれは誠実さに欠ける返答をした。
「涎を垂らして喜びたいご提案なのですがね。しかしながら、只今の我々はあくまでも露木氏に依頼された者でして。そちらの門宮さんの御同僚に依頼された方がよろしいのではないかと」
「シグマのスタッフは、本土から高官が式典で訪問するのに合わせ、主要メンバーはほとんど出払っているのですよ」
門宮さんが教えてくれる。
「わかった、わかった」
水池氏は肩をすくめた。にわか仕込みのおれの動作とは違い、仕草がサマになっている。その時だけは、呪術に脅える被害者から、不敵なIT起業家の表情に戻っていた。
「報酬はこれでどうだ」
指を三本突き出す水池氏。
「三万?」
「三百万だ」
わーお。予期していなければ口に出して呟いた感嘆詞をおれは飲み込んだ。まったくカネってのはあるところにはあるもんである。
「異存はないな?では早速――」
「お断りします」
即答するおれ。
「……ほう、それは何故だ?」
「今少なくとも、おれ達はあなたを露木氏に引き合わせるという任務の最中です。依頼の二重取りは規定に反していましてね。魅力的な金額ではありますが、お受けすることは出来ませんね」
おうおう、我ながら良く言うよ。
「それがお前のプライド、とでも言うつもりか?……くだらん」
水池氏の表情は、怒り以上の何かを含んでいた。おれと水池氏の視線が真っ向で切り結ぶ。
「俺はな、お前のような奴が一番嫌いだ。自分にある力をくだらんルールで縛り付け、手に入れるべきものを手に入れようとしない偽善者だ」
それは果たしておれ達に向けられた台詞だったのか。だが少なくとも、次の台詞はそうだった。
「お前達の業界のこともそれなりに調べたよ。派遣社員だと?ふん。気味の悪いジョークだ。普通の人間が喉から手が出るほど欲しい能力を持っていながら、あえて一般人の振りをして規律なんぞに縛られるなよ」
その台詞には、反論しないわけにはいかなかった。
「――だから、ですよ。この規律からはみ出した時、本当におれ達は人間以外のものになってしまう」
それは、プライドではなかった。恐怖、だろう。
一般人。ともすれば陳腐極まりない言葉だが、そのカテゴリーに所属できることがどれほど安定をもたらすことだろう。”特別”には”孤独”が影のようについてまわる。
子供は一度くらいは魔法使いになりたいと夢想する。しかし万に一人、その夢を叶えたものには、現代科学文明に背を向けて、己の抱えた命題と戦い続ける日々が待っている。
英雄とは、時に誰かの代わりにその手を血に染め続ける者を指すのだ。それでもその道を突き進む者はおり、それは賞賛されるべきだ。だが、彼らが疲れたとき、元いた場所にたまには戻れる道を残しておくくらいは許されるのではないだろうか。
「いずれにせよ、おれ達の仕事はあなたを露木氏に引き合わせることです。である以上、貴方の身柄に危害が加えられるのを看過するわけにはいきません」
その言葉の意味するところは、すぐにあちらにも伝わったようだ。
「……つまり、結果として俺を護衛することになるということか?」
「そう解釈していただいて結構です」
自分でも馬鹿馬鹿しいロジックだとは思うんデスガネ。
「三百万をドブに捨てるか。大した高値のプライドだな」
「まあ、株価と同じで。割と乱高下しますがね」
時々二束三文で売り渡すこともありますし。短く深刻な睨み合いは、だがすぐに終わった。もとより、あちらにこの条件を断る理由はない。
「物好きなことだ。ならばロハでこき使わせてもらうとするぞ」
「それは、露木氏にお会いいただく事を承諾してくださったと捉えて良いのですか?」
「いいや。それは保留だ。お前達がその仕事についているなら、せいぜい俺に大きな恩を売って、心変わりさせてみせろ」
交渉の場に臨んだせいか、水池氏は脅迫される者から、戦う社長へと戻ることが出来たようである。ペットボトルの水を意を決したように一気に飲み干す。門宮さんに一声かけると、自分のオフィスへ向かうべく、地下駐車場へと向かっていった。
「かっこいいじゃん」
真凛が珍しく感心したようにおれを見上げた。隣の吸血鬼も無愛想ながら頷く。
「ふん、貴様にしては中々、骨のある事を言うな」
「あ、でも。直樹さんは来音さんと二人暮らしだから色々物入りなんじゃないですか?」
眼鏡の奥で柔和な笑みを浮かべる直樹。本当にコイツ、年上と年下で態度が豹変するな。
「確かに。盆休みに散財が続いた事もあるし、あの浪費魔がまた通販でろくでもないものを買い込んだしな。金があることに越したことはないのだが……」
いたって生真面目に、奴は言ったものだ。
「まっとうならざる金で購入したものに萌えることは出来ん。フィギュアに失礼だ」
「そうですね。じゃあ、ボク達もさっそく水池さんの護りにつきましょう……って陽司?」
真凛の声が妙に遠くで聞こえる。気がつけば、おれ自身の唇からなにやら呟きが漏れているようだった。
「……家賃三年分……いや引っ越し……新車フルオプション……卒業までの学費……」
三百万、かぁ。
あればどんな楽しいことが出来たんだろう。毎日帰り道に、スーパーでタイムサービスを血走った目で待ちわびたり、通り過ぎる自販機の釣り銭コーナーに思わず指をつっこんだりしなくても良くなっていたんだろうか?ファミレスで食後にパフェなんかつけてみたりしても許されたりして。
もしかしたら、鍋一杯につくったカレーで、夏場傷まないように一週間やりくりしなくても良くなっていたのかな?あれ、なんか頬が熱い。へへっ、なんだかあたりがにじんでよく見えないや。
「……あんたの生き様、確かにこの目に刻みつけたよ、陽司」
「お前はよく頑張った。後で俺のとっておきのコバルト文庫を貸してやる。だから今は泣くな」
「……ぅぅ……ぇぐっ……ありがとう。みんなありがとうっ……」
涙がこぼれないよう、上を向いて歯を食いしばるおれを、二人が肩を叩いて慰めてくれた。
『蛇』が、自身が宿泊している港区の超高級ホテルの一室に戻ってきたのは夜も八時を回ってからの事だった。涼しい気候を除けば、それなりに楽しい一日だった。キョウスケ・ミズチにプレッシャーを与えるのは、『絞める蛇』に任せておけば問題はない。
今日は日本を訪れた観光客として、悠々と名所巡りや日本料理を堪能していたのだった。ニホンバシでカブキを鑑賞して、ツキジのスシを平らげた『蛇』は上機嫌で部屋に戻り、大型ノートPCをライティングテーブルで開き、メールチェックを始める。このPCはそのままねぐらに戻った時、メインPCになるのだ。
フリーで仕事をするエージェントは、依頼の選定、報酬の交渉も自分で行う。幾つかのメールをチェックし、断りや条件提示等を返信していく。やがて『蛇』の目が、一つのメールに止まった。それは、今取りかかっているヨルムンガンド社の件の依頼主だった。
先日、『シグマ』、そして『フレイムアップ』なる組織に所属するエージェントを撃退し、トウキョウ・タワーから愚かな標的にきつい警告を与えた夜、途中経過をレポートにまとめて送ってあったのだ。
これからの仕事はそれほど難しいものではない。キョウスケ・ミズチが屈服するまで呪いを展開し続ければ良いだけだ。恐怖に屈しない男も、乾きには容易に屈する。三日も持てば上出来というところだろう。
それだけに、その依頼人から折り返しのメールが来ていたことは『蛇』にとって意外だった。メールを開き、内容を追っていく。
……やがて『蛇』の口から、驚きを意味する口笛がこぼれた。
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