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◆05:魔人達、惨敗す

「……完全に読み誤った。まさかこれほどのものとは、な……」


 『真紅の魔人』笠桐・R・直樹が絶望のうめき声を上げる。時を支配し絶対零度を自在に生み出すその圧倒的な力をもってしても、この脅威に打ち勝つことは出来ない。


「……わかってはいたつもりだった。おれ達の常識がここでは通じるはずもないと覚悟はしていたんだ。なのに、ケタが予想の最大値をさらに超えているなんてな……!!」


 応じるおれ、『召喚師』亘理陽司の声も乾き、ひび割れていた。これ程の失策、もはや悔しさを通り越して笑うしかない。やるせなさを拳に込めてテーブルに叩きつけようとして、やめた。この現実を前に、おれ達二人はひたすらに無力だった。

 


 

「ミックスサンド三つで千二百円。一体どういうコスト内訳になっているのか、市民代表として切に情報開示を希望するぜ」

「せめてドリンクくらいはつくと思っていたのだがな。千二百円。千二百円だぞ?ワンコインフィギュアを二個買って釣り銭が来るんだぞ?」


 深々とため息をつく直樹。その辛気臭いツラに文句を言ってやろうとしてやめた。どうせおれも似たり寄ったりの顔をしているに違いないのだ。


「世界一物価と消費税の高い北欧とてこんな無茶な値段ではなかったが」

「手が込んでるのは認めるけどよ。あまりにも費用対効果が悪過ぎるぜ」


 テーブルの上にふてぶてしく鎮座する三切れのミックスサンドを前に、原種吸血鬼と、世界を崩壊に導きうる召喚師は圧倒され、遠巻きに文句をつけることしか出来ない。不機嫌なおれ達とは対象的な周囲の席では、柔らかな秋の陽射しがさんさんと降り注ぐもと、カップルや友人、お年寄り、ビジネスマンがオープンテラスでの談笑に華を咲かせている。


 おれ達がただいま居るのは東京都港区六本木、十字ヶ丘。古くから歓楽街、高級住宅地として定評のあった区画だったが、つい数年前に再開発計画を完了し、最新の商業施設と超高層ビルとが並び立つ東京都随一の観光スポットに生まれ変わった。通称『ゴルゴダ・ヒルズ』と呼ばれる一角である。


 平日とは言えさすが日本最先端の商業地、溢れんばかりの人通りだ。現地集合したおれ達は作戦会議がてら昼食でも取ろうと思ったのだが、敷地内の飲食店のランチサービスは、千八百円が最低ラインというステキなインフレっぷりでございました。さすが日本最先端の商業地、物価指数も最先端……って納得出来るかっ!


 やむなくオープンテラスになっている喫茶店に入り、二人で六百円ずつ出しあってミックスサンドを注文した。いくらなんでもサンドイッチで千二百円なら量は二人で分けるくらいはあるだろうし飲み物もつくだろうと読んだのだが、現実はかくの如く非情であった。嗚呼、神よ()何故(リ、)私を(エリ、)お見捨てに(レマ、)なったのですか(サバクタニ)


「不謹慎な冗談を飛ばしても腹は膨れん。それで結局、昨夜の直談判は失敗という事か?」


 テーブルに頬杖をつく姿が、悔しいがサマになっている。秋の風にかすかにそよぐ後ろでまとめた銀髪、眼鏡の奥から覗く黄玉(トパーズ)の瞳は、この『ゴルゴダ・ヒルズ』の中でも群を抜いて目立っていた。通り過ぎていく女の子連れが、何度もこちらを振り返っていたりする。おれがかわりに手を振ってあげたが、見事にスルーされた。


「ああそうだよチクショウ。おれと真凛で水池恭介の自宅の駐車場で待ち伏せしたんだけどな。まさかシグマの二人が護衛についているとは思ってなかったぜ。んで、水池氏はそのままヨルムンガンドのオフィスに御出勤あそばして、そのまま一泊して本日に至る、というわけだ」


 おれはテラスのひさしの隙間から、天に向かって一際高く伸びるビルを見上げた。この高層ビル街の中でもシンボルとされる一本の塔、『バベル・タワー』。『ゴルゴダ・ヒルズ』と揃えた名前らしいが、本来の意味を考えるとかなりちぐはぐなあたりが宗教に無頓着な日本らしいと言えばらしい。


 全六十階の敷地の中には、急成長したIT企業、会計事務所、証券会社などのオフィスが多数入っており、もちろんレストランや駐車場、それに美術館まで備えている。いつぞやおれはザラスの本社を空中庭園と称したが、こちらはまさしく空中都市だった。


 目下ビジネス界では、ここに本社をかまえる事が成功者としてのステータスと見なされている。ここの四十六、七階に収まっている新興のIT企業『ヨルムンガンド』の代表取締役こそが、今回の依頼人露木甚一郎の生き別れの息子、水池恭介その人なのだ。

 


 

 株式会社ヨルムンガンド。


 北欧神話に登場する、世界樹を取り囲む大蛇の名でもある。これを社名にを冠したのは、『世界をあまねくインターネットで囲う』事に由来するのだとか。二十一世紀初頭のネットワークの飛躍的な進歩、いわゆるIT革命の時流に乗って急成長を成し遂げたベンチャー企業である。


 つい先日、東証一部に株式を上場し、その時価総額(……まあ、会社のパワーをお金に換算したものだと思ってくれ)はなんと千六百億円にも及ぶ。


 そんな怪物会社の頂点に立つ社長、水池恭介は若干三十一歳。中学校を卒業と同時に渡米。アメリカで伝説の起業家、サイモン・ブラックストンについて経営を学び、その後日本に戻り数人の仲間と会社を立ち上げ、十年かからずに現在の規模まで押し上げた、まさに立志伝の人物である。


「サイモン・ブラックストン?」

「世紀の不動産王だよ。アメリカを中心に、世界中のオイシイ土地を買い占めてる。そこに建てたカジノやホテルの経営なんかもやってるな」


 雑誌『フォーブス』に掲載される長者番付の常連でもある。同じくアメリカの大富豪、金融王にして海運王である『錬金術師(マネーメイカー)』ゲオルグ・クレインと並んで、『海のゲオルグ、陸のサイモン』なんて呼び方もされているようだ。


「このゴルゴダ・ヒルズの土地の再開発にも二、三枚噛んでいるんだとよ」

「ほう。とにかくそんな成層圏の彼方の金持ちどもの話は気にしても仕方がないか」

「ま、そりゃそうだ。続けるぞ」


 彼にいたく気に入られた水池氏は、サイモン氏を名義上の役員に据え、彼の援助をもとに仕事を始めたのだそうである。ただ優秀な経営者というだけでなく、積極的にマスコミの前に現れるのも大きな特徴だ。経済番組はおろか、最近はバラエティにまで顔を出し、『ITが全てを変える』『既存の企業では遅すぎる』『古いものを壊して何が悪い』『金でたいていの事は出来る』等など強気の発言を繰り返している。


 三十一歳の若さ、エネルギッシュな性格、まあそこそこ見れる顔、そして何より巨額の個人資産と揃っては女にモテないはずもない。また、旧来のシステムを傲然と不要と切って捨てるその姿勢は、賛否両論を常に巻き起こしている。


 テレビに何度も登場するうち、ついた異名は『ドラゴン水池』。ミズチが『蛟』を連想させる事から、昇り竜に例えた、んだそうで。


 また、ネット上に自身のブログを設置し、そこからマスコミを通さずダイレクトに意見を発しており、そちらも様々な意味で大盛況。敵も味方も多い、アクの強い御仁。おれがマスメディアその他から得られるイメージはこんなところだった。


「アメリカに渡ってからは父親とは音信不通。露木恭一郎が水池恭介と名乗ったのは……ふむ、わざわざ改名手続きまでしているのか。『姓名判断でこのままでは不幸が訪れると告げられ、精神的安定を得る為に改名』――おいおい本当かこれは?」


 おれが持ってきたイズモの資料をめくり、直樹が呟く。お互い何か飲み物でも欲しいところだが、生憎このエリアには缶コーヒーの自販機さえ無かった。


「テレビであんだけ強気の発言をしてるわけだし、まあウソだろうな。でもそういう理由なら、家庭裁判所も改名を認めてくれやすいらしいぜ。そうまでして父親に会いたくなかったってことかねぇ」


 だからこそ露木甚一郎も、世間をさんざんに騒がせている水池恭介が自分の息子だと判らなかったのである。資料には水池、露木両氏の写真があったが、これも到底親子だとは思えないほど似ていなかった。


 水池氏自身は渡米以後の経歴は大々的に宣伝しているが、それ以前の事については東京都出身、としか開示しておらず、出生は謎に包まれていた。かつては探ろうとした週刊誌やマスコミもあったようだが、何時の間にか騒がれなくなった。あるいは黙らされたのか。


「『この男を父親の前に連れてくる』か。イズモさんも随分無茶なミッションを投げてくれるよなあ」


 おれはぼやいた。水池氏の出生を調べ上げる手腕はさすがイズモというところだが、彼らはあくまで『調査』会社なのである。もちろんイズモは、水池社長に父親である露木氏と会ってくれないかと打診しようとした。


 だが、今水池氏は重要な企業買収の真っ最中だとかで、向こう一週間は誰ともアポイントを取るつもりはないとコメントを返した。


 イズモが何度か粘り強く交渉したのだが、水池氏の考えは変わらず、それどころかボディーガードを雇ってイズモのメンバーを追い散らすという事までやりだしたらしい。しかし依頼人は依頼人で何としても会いたいと言って聞かない。


 ……板挟みで右往左往した後、彼らは次のような結論を出した。すなわち。『どうしようもない問題は、どうしようもない問題を扱う連中にやらせれば良い』。ナントカと人災派遣は使いよう、とは誰の言葉だったやら。


 

 

「しかしこれはまた随分と急激な株価の上昇だな。ほとんど一年ごとに倍々になっている勘定だ」


 ついでに添付されていたヨルムンガンドの株価レポートを見ながら、直樹が一切れミックスサンドを口に運ぶ。確かにヨルムンガンドの株価は驚異だった。恩師たるサイモン氏から出資を受けた、カタパルト加速の会社設立とは言え、それ以後の時価総額の拡大ぶりは異常とも言える。


「まあな。そこがこの会社の強みってわけさ。有名だからみんな株を買う。みんなが買うから株価が上がる。株価が上がるからみんな買う……って循環なわけだ」


 経済雑誌で誰かが言っていた。「株式市場とは、一位になった子に投票した人は、その子からキスがもらえる美人コンテストのようなものだ」と。


 確実に美人からキス(ごほうび)をもらいたければ、”自分の好みの女の子”ではなく、”みんなが綺麗だと思う女の子”に投票すべきなのだと。だから、ひとたび”あの子美人だよな”という評判が立つと、いきなり票がその子に流れ込むということが良く発生するのだ。


 こうして上がった自身の株価を、ヨルムンガンドは他企業の買収に使ってきた。


 企業を丸ごと一つ買い取ると言う事は、その会社の株を全て買い取らなければならず、多額の資金と膨大な手間が必要となる。しかし、現金の代わりに、『値上がりしているヨルムンガンドの株』をその会社の株と交換する事にすれば、手元に資金が無くとも容易、迅速に他の企業を買収する事が可能となる。


 有能な企業を支配化に置いた事によってヨルムンガンドの評判は高まり、結果としてさらに株価が上がる事になるのだ。


 それはさながら獲物を捕らえ、まずは一気に飲み込み、腹に放り込んでからじっくり栄養にしていく光景に似ていた。よって、ヨルムンガンドの企業買収はその社名にちなんで『ヘビの丸呑み』と称されることもしばしばだった。


「丸呑みをして大きくなり、その大きくなった身体でさらに大きな獲物を丸呑みする蛇、か。神話のヨルムンガンドは世界を一周するほどになったが、このヘビはどこまで大きくなるものかな」


 レポートを閉じた直樹が妙に達観した口調で述べた。


「さすがに最近は値上がりも頭打ちになって来ているみたいだけどな。でも今、ヨルムンガンドが買収にとりかかってるってもっぱらの噂が、IP電話ソフトで絶賛ブレイク中のソフト会社『ミストルテイン』だ。ここを傘下に収めれば、今までヨルムンガンドが吸収した数々のウェブサービスとの相乗効果が期待出来るって話だからな。これでまた株があがるぜ」


 熱く語るおれを奴は冷ややかに一瞥した。


「で、貴様はそれを当て込んで株を買ったと」

「な、ななな何を言うかね笠桐クン」


 ミックスサンドを一切れ口に放り込む。


「なけなしの生活費を切り詰めて作った虎の子の貯蓄で、素人にも買いやすくなっていて値上がり絶好調のヨルムンガンド株で一儲け――と言った所かな?」

「は、はははは。まるで見てきたように滑らかな仮説をぶちあげるじゃないかお前」

「なに、この間事務所の応接間に、大学生協で買ったと思われる『三時間でわかるデイトレード』等という本が広げっぱなしにしてあったからな。誰のかは無論知らぬが」


 ……おれ、迂闊。


「ま、悪い事は言わん。今手持ちの株があったなら早々に売り払っておくことだな」

「とっとと売り払うさ、ミストルテインを吸収合併して株価が上がったら、な」


 奴がおれを見る目に哀れみの色が混じる。


「そうやって売り時を逃がした者が、最後には紙くずと後悔を抱えて海に飛び込むのだ」

「こんだけ上り調子の株が下がるとでも?」

「バブルの頃も皆、土地は上がり続けるという神話に随分と踊ったものだ。いずれ暴落すると言う当たり前の言に、耳を貸すものは誰も居なかった。いつの時代も欲に目がくらんだ人々は愚かだ。……俺も含めてな」


 枯れた口調で述べる。お前ホントに設定年齢十九歳か。そーいえばコイツ、実家というか居城を売り払ったら二束三文で、しかも当時の政治体制がクーデターで崩壊したせいで通貨が暴落。よりにもよって東京なんぞに来てしまってまた投資に失敗して、結局購入出来たのはおれと大差ない安アパートだったりする。


「経験則からいうとな、貴様のような中途半端に知識があって、自分は頭がまわると思い込んでいる奴が一番危ない。浅い読みで動くから、海千山千の相場師から見れば格好のカモだ」

「わかったわかった、考えとくって」


 いつになく食い下がる奴の言葉を手を振って終わらせ、おれは直樹の手からレポートを取り上げた。

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