◆03:嫌煙職場と元刑事
「まだ恥ずかしくもなく生き永らえておるかね亘理氏?」
「のっけから名誉毀損で訴えたくなるような失礼な質問ですね羽美さん」
いやまあ、恥ずかしくも生き永らえてる、ってあたりは事実ではあるけどさ。
上からこちらを覗き込んでいる声の主、人災派遣会社として名高い我らが『フレイムアップ』の理系全般を担当するマッドサイエンティスト石動羽美女史に返事をすると、おれはペンを走らせる手を休め、事務所の自分のオフィスチェアから身を起こした。
三日前の午後のことである。
十月に入って大学の授業も再開したと言うのに、哀れなおれは今日もこうして授業が引けた後は事務所に顔を出している。貧乏だ、みんな貧乏が悪いんだ。
「チーフ殿が貴公を召集しておるぞ」
「須江貞チーフが?」
珍しい人から声がかかったものだ。うちの事務所のシステムは、多くの案件を、割り振られた各自がバラバラにこなしていく形式である。そのため、現場の取りまとめ役であるチーフといえども共に行動する機会はあまりないのだ。訝しがるおれがペンを置くと、その机に羽美さんが目を留める。
「ほほう。書類仕事かね。貴公の脳のような貧弱な演算回路に出力を求めるとはまた、無駄な行為を要求する輩もいたものよ」
分厚いメガネを揺らして羽美さんはくけけけけけ、と笑った。
「レポートですよレポート。こっちは忙しいんですから向こう行ってください」
しっしっと野良猫を追っ払う手つきで、相変わらずの蓬髪に擦り切れた白衣という態のマッドサイエンティストをあしらう。
冷たいようだが、この人は自分が没頭しているときは人の話など聞こえもしないくせに、自分がヒマな時は他人の迷惑など顧みず、あちこちにちょっかいをかけずにはおられない。扱いとしてはこのくらいで丁度いいのである。
「あら、陽司さんの任務報告書はもう頂いていたはずですが?」
事務所の奥から声をかけてきた黒髪の美女。こちらは文系全般を担当する笠桐・R・来音さんである。この事務所に文理の双璧が揃うのは、実は結構珍しい。
「ええ、来音さん。任務報告の方はさっき提出した通りで。今やっているのは大学の課題ですよ。うちの学部は休み明けには確認テストとレポートが山と出ましてね」
とは言っても、一応ブンガクに魂を捧げている(はずの)文学部生たるおれは、数学や物理の小問題からはすでに解放されている。只今おれに課せられているのは、もっぱら受講している第一、第二外国語の読解および翻訳。そして文化人類学や哲学、心理学についてのレポートである。
なお、文学なんて受講してないじゃないか、というツッコミは認めません。と、来音さんがこちらにわずかに顔を寄せてささやく。
「そうですか……。ところでその後、腕とお腹の傷はいかがです?」
「おかげさまで。あの真凛に見抜けないくらいまで治りましたよ」
いつも助かります、と来音さんに頭を下げる。任務中の戦闘はいざ知らず、プライベートの方のそれは激烈だ。というより、そもそも命の価値や概念が極端に薄くなる。戦闘終結後に腕や足が片方ずつ残ってれば儲けもの、ということもざらである。その度におれはこの美しい吸血鬼の姫のお世話になっていたりする。
「そういえば亘理氏は文学部生であったか。小生としたことがすっかり失念しておったわ。そのスレた態度、まさに在学中に遊び尽くした挙句就職浪人した法学部生の如しッ!」
……まだ居たのかこのヒト。
「純朴な少年がそんなスレた態度になったのは誰の責任でしょうね一体?」
某工科大学をドロップアウトした人に言われたくはないわい。だいたい法学部生に失礼だっつうの。何か身近な元法学部生に怨みでもあるんだろうか。
「羽美、いつまでも与太話をしていないで、本題に入ってください」
不毛なやりとりを見かねた来音さんが割って入る。
「何だね、在学中に遊び尽くした挙句就職浪人した元法学部生ッ!」
「あ、あれは休学です!実験でキャンバスごと研究棟を吹き飛ばして放校された貴方と一緒にしないでください!!」
「くはははははは!奨学金を食費に使い果たして休学とは片腹どころか両腹痛いわ!!」
「んなっ!?貴方がそれを言いますか!?私は貴方の放校処分に巻き込まれて奨学金を減らされたのですよ!?」
……なるほど。意外なところで判明した我が事務所の双璧の因縁であった。それにしても方やイギリス、方やアメリカに在住していたはずなのに、どこで交流があったのやら。
「で、その」
火花を散らす二人に向かっておれはおずおずと尋ねた。
「須江貞チーフの元に向かえばよろしかったんでしょうか……?」
いつもの応接間に入ると、そこには二人の先客が居た。一人は我がアシスタント七瀬真凛。そしてもう一人、真凛の隣に座っている、よれよれの背広の男におれは声をかける。
「お呼びですか、須江貞チーフ」
「ああ。また連荘させてしまってスマンな。新たな任務だ」
そう言って、彼、我らがチーフたる須江貞俊造がおれに席を勧めてくれた。
一言で言って、くたびれた印象の男である。
おれのような一般市民はさておいて、この事務所に所属する連中が良くも悪くも際立った印象を与えるのに比べると、基本的に平均的な日本人の男性の範疇を出ない。
歳はまだ三十半ば。二十代の頃徹底的に鍛え上げたのであろう体躯は、今もなお贅肉を寄せ付けていない。短めに刈りこんだ頭髪と、薄く無精髭の浮いた顎。その顔はまあ、どちらかと言えば整っている部類に入るだろう。
いずれのパーツも素材はそう悪く無いはずなのだが、年季の入った背広、しみついた煙草の臭い、やつれた頬あたりが、なんとなくうらぶれたオーラを醸成しているような気がする。有態に言えば、徹夜続きの刑事そのものである。
それもそのはず、もともと須江貞チーフは本庁でも腕利きで知られた刑事だったのだ。紆余曲折を経て警察を去り、経理の桜庭さんの伝手でウチに就職したのが数年前。創立メンバーである所長と桜庭さんに次ぐ最古参である(と言ってもそもそも十人程しかいないわけだが)。
チーフとは言っても先の理由により、あまり現場でおれや直樹とコンビを組む事は無い。普段はもっぱら外交――すなわち、他の派遣会社や依頼主、あるいはターゲットである企業との揉め事を、オモテ、ウラに関わらず処理している。
実はいつぞやおれ達がザラスの地下金庫から金型を奪還したときも、ザラス上層部からの有形無形の圧力があったものだ。それをきちっと排除してくれたのが、他ならぬチーフである。
そんなチーフが現場に出張ってくる場合は二つ。一つは、前に言ったかも知れないが、ウチの総力を結集するとき。実働部隊の文字通りチーフとして指揮をとる。
そしてもう一つは、前職の経験を生かした任務。例えば、捜査、追跡、立証を中心とする仕事はチーフの独壇場である。また、おれ達ガキんちょ部隊には手の余る、ダークな要素が介在する案件。あるいはちょいと心霊風味の案件なども主に担当している。
「珍しいですね、羽美さん来音さんに加えてチーフまでが事務所にいるなんて」
おれは真凛に軽く手を挙げて挨拶すると、ソファに腰を沈める。
「ようやくヤヅミの債権回収の件が片付いてな。今度は自分の机の上を片付けるために事務所に顔を出したというわけだ」
管理職であるチーフの机には、おれ達の作製した任務報告書も含めて様々な書類が流れ込んでくる。
事務処理のエキスパートたる来音さんがいるのでそれでも随分軽減されているが、チーフとしての決済を下さなければならないものも多いのだ。本来はそれらを捌きつつ自分の報告書も作らなければならない要職であるわけなのだが、そこは元叩き上げの刑事、現場と書類のどちらを優先させるかは言わずもがな。
かくして主が不在のチーフの机の上にはマリンスノーのように紙の束が降り積もってゆく。羽美さんの研究室とチーフの机の上が、目下の所、我が事務所の二大カオス製造装置なのである。
「そろそろ処理しないと笠桐さんに怒られてしまうからなあ」
この増税路線一辺倒のご時世でも手放さないマルボロを灰皿に押しつけ、チーフはぼやいた。一番事務所にいなければいけない人間の癖に、おれより事務所に顔を出したがらないというのはいかがなものだろう。
「ま、来音さんが怒るかどうかは別として、書類を何とかして欲しいのはおれとしても同感ではありますね」
来音さんが怒るとしたら、多分それは書類が片付かないからではなくアナタが顔を出さないせいです。
「こないだの地震の時は大変だったよね」
真凛がさりげなく灰皿から立ち昇る煙から身をかわす。
「ああ。あれは大変だったな。あのアイガーの北壁のような書類が大崩壊を起こした時はこの世の終わりかと思ったぜ、マジで」
「応接室以外を禁煙にしておいて良かった。灰皿から引火してたら大変だったよ」
「まさしく英断だったな。これはもう、事務所内完全禁煙にしろという天のお告げに違いないだろ」
「……お前達なあ、そうやって遠まわしに社会的マイノリティの喫煙者を追い詰めて楽しいか?」
チーフが泣きそうな顔になる。ウチのメンバーで喫煙組はチーフと羽美さんだけである。仁サンも超人的な体力を維持する為に喫煙は避けているし、所長は『二十歳で卒業した』との事である。
おれは吸えない事もないが、全く美味いと思えないので、カッコをつけるときだけ専門。直樹、来音さんにいたってはそもそも体がニコチンを弾いてしまうので効かないのだそうだ。世界的な禁煙の流れを受けて、とうとうウチも依頼人が訪れる応接以外は全面禁煙になった。
「「タバコは百害あって一利無し」」
おれと真凛の声がハモる。チーフはその声に追いやられるようにソファの隅っこに座りなおし、寂しく天井の換気扇に向かって煙を吐いた。
「いいじゃないかよぅ、独り身三十代の日々で楽しい事って言ったらこれくらいなんだからよぅ」
じゃあ結婚でもすりゃいいのに。テンパイしてるくせにリーチをしないとは何事か。と、おれは今さらながら、普段いない人がいる代わりに、よくいる人がいないことに気づいた。
「そう言えば所長はどうしたんですか?」
「CCCのマハタ社長って人と会食だって」
「……おいおい。そりゃ業界としてはちょっとしたニュースだな」
派遣業界最大手と、派遣業界最問題児の会談となれば、何か色々勘ぐりたくなってしまう。
「ああ。そうだな、お前達には今のうちに言っておくか」
吸殻を灰皿に押し付けたチーフが解説してくれた。
「ひょっとしたらもうすぐ大掛かりな仕事が来るかも知れんのだ。ウチだけでなく、CCCや、他の数社と共同戦線を張るような、な。今日の会食はその調整だ。いずれお前達にも色々頼む事があるかも知れん」
「へぇ……」
もしそれが実現するとしたら、おれも経験したことのないビッグプロジェクトになるだろう。もっとも、それまで何人生き残っているかは知らないが。
「まあ、そう言うわけで、今日は俺が代わりにお前達に依頼を回すと言うわけだ。イズモ・エージェントサービスは知っているな?」
「そういや、依頼の話でしたっけね」
いつまでもヨタ話をしていても仕方がない。おれは応接テーブルの上に置いてあった任務依頼書を手に取った。
「当たり前でしょ。この業界でイズモを知らなかったらモグリですよ」
「ボク、今日初めて知ったんだけど……」
ああ、そりゃそうか。本格的に真凛が調査系の仕事に入るのは、いつぞやの偽ブランド事件以来、二回目だったっけか。
「イズモの仕事っつったら、やっぱり人探しですかね?」
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