◆02:鉄騎兵と戦闘少女(再)
「啄め。『鶴』」
『折り紙使い』門宮さんの呪とともに放たれた折鶴は、百に千にその数を増す。刃のように鋭い翼を持った純白の鶴の群れはたちまちのうちに剣呑極まりない剃刀の嵐と化し、蹴りを放つため跳躍しようとしていた七瀬真凛を包みこんだ。
「なんのっ!」
直前にその攻撃を察知し、咄嗟に真横に飛び退く真凛。こう言葉で表現すれば単純だが、思い切り助走をつけた幅跳びを、踏み切りした瞬間に横跳びに変えたようなものである。人間離れした反応の良さと、それを吸収する体や腱の柔らかさがなければ出来ない芸当だ。
一瞬前に真凛が存在していた空間をずたずたに切り刻む折鶴の紙吹雪。
敵の攻撃モーションや殺気から、想定される攻撃範囲を描き出し、これを事前に避ける事で身をかわすのが真凛の得意技である。
だが、『事前に攻撃を読む』と『読んだ攻撃をかわす』という行為は必ずしもイコールではない。「わかっていても避けきれない攻撃」というものもあるのだ。特に、この門宮さんの折り鶴のような、『線』ではなく『円』の範囲攻撃は尚更だ。
跳躍で間合いを広げてもなお、逃れきれない白い嵐。咄嗟、両腕両脚で顔と腹をかばう。残り時間はわずか。今を逃せばもうチャンスは無い。おれは舌打ちするのももどかしく、我がアシスタントをフォローすべく精神をシフトする。
「『門宮ジェインの』『攻撃は』『七瀬真凛に』――っと危ねっ!」
アップに叩きこんだ精神のギアが急速に元に戻される。咄嗟に地面に転げまわったおれの背後の壁で、壁に叩きつけられたゴム弾が鋭い音を立てて弾けた。
「ハッハー。Saintに二度同じ技は通じマセンネ!」
右腕のサイレンサーつき銃身からゴム弾を吐き出しおれを牽制しつつ、すばやく真凛と門宮さんの間に割って入る、『スケアクロウ』。二人の背後では今まさに、今回のターゲットを乗せたBMWがエンジンを始動させ、この駐車場から発進しようとしていた。
「待ってください、水池さん!!話を……」
おれは唸りを上げるエンジンの音に負けないように声を張り上げるが、運転席まで声が届いたかどうかは怪しいものだった。いや、どの道意味がない。声をかけた程度で話を聞いてくれる相手ではないからこそ、こうやってスマートでない実力行使に訴えているのだから。
「ええい!真凛、そのでかぶつを何とかしてくれ!」
「合点承知!」
いつぞや戦いでもそうだったように、真凛にとっては門宮さんよりも、銃弾という『線』の攻撃を扱うスケアクロウの方が相性がいい。サイレンサーから撃ち出されるゴム弾をかいくぐり接近する真凛。だが、今回『スケアクロウ』は、それに応じようとはしなかった。
かわされる事を前提としつつ、真凛の進路を塞ぐように銃弾を浴びせ、回避のために足が止まった隙をついて巧みに距離を取り直す。
「ヤラセワセン!ヤラセワセンゾー!」
「このっ……!」
そうして時間が過ぎるにつれ、確実に勝利の天秤はあちらに傾いてゆく。そう、これが警備会社『シグマ・コーポレーション』本来の姿である。彼らの仕事はあくまで『守る』ことなのだ。
前回とは異なり、向こうにこちらの手の内がバレており、しかも守りに徹している。今の状態の彼らを制することは、おれ達にとっても容易なことではなかった。
ラストチャンス、おれは交戦している真凛とスケアクロウを横目に突っ切り、BMWに向かう。だが、残念ながらこれも読まれていたようだ。
「塞げ。『紙風船』!」
門宮さんの手には、四角い箱状に折り上げられた紙。いかなる原理によるものか、それは彼女の手から離れると空気を吸い込み、瞬く間に直径二メートル以上の巨大な『紙風船』と化し、おれに襲い掛かってきた。
「へぶっ」
擬音で表現するならまさに、『ボヨヨン』であろう。重く、巨大で、柔らかな紙風船に横から吹っ飛ばされて、おれはほとんど反応すら出来ず無様に地を這った。鼻を打って泣きそうになるところに、真凛の鋭い声が飛ぶ。
「陽司!車が!」
遠ざかるエンジン音。慌てて顔を上げると、駐車場の出口をBMWが悠々と通過してゆくところだった。今のおれ達に自動車を追う手段はない。……タイム・アップ。戦闘は終結した。
つまりは、おれ達の負けだった。
おれはたっぷり五秒間突っ伏した後、起き上がろうとして面倒臭くなり、そのままごろんと仰向けになった。
「……ちっくしょー、バリエーション多いっすね、攻撃パターン!」
地下駐車場を照らす蛍光灯の鈍い明かりが目に飛び込んでくる。おれ達が今いるのは港区某所の超高級マンションの地下、住人達の所有する車(当然ながらほとんどが高級車、それも外車である)が停められている駐車場だった。
どうにかセキュリティを騙くらかして忍び込むところまでは上手くいったのだが。まさかこの二人がターゲットの護衛についているとまでは予想していなかった。
「大した事はしていません。一枚の紙片を手折る事で無数の形を作り出せるように、基本の術法をいくつか組み合わせているだけですよ」
門宮さんがこちらに歩み寄り、手を差し伸べてくれた。無骨な『シグマ』の制服に身を包んでいるのはイタダケナイが、すらりとした長身と、欧米系の血を引く主立ちに浮かぶ日本美人特有の表情が変わらず美しい。
そして長く垂れる艶のあるポニーテールがよい。すごくよい。ものすごくよい。イタリア人的表現ならベネではなくてディ・モールトだ。おれは差し伸べられた白い手をしっかと握って上半身を起こした。
「立てますか?」
「ええっと、ちょっと腰が抜けたみたいで……」
おれは右手で門宮さんの手を握ったまま、努めて痛そうな表情を装う。過剰労働に従事するこの身、せめて鼻を打った分くらいは役得が欲しいところである。
「門宮さん、コイツを起こすときはこうやるんですよ」
「ひぎぃ!?」
いつの間にかやって来た真凛がおれの左手首をヤバイ角度に極めていた。激痛から逃れようと、おれは反射的に肘と肩を上方向に逃がそうとし、結果として弾かれるように立ち上がる。
「真凛、お前何するんだよ!?」
「腰は抜けてないみたいだね」
いやに冷たい目でこちらを見据える真凛。くっ、猪口才な。お子様が余計な知恵を身につけおって。かくなる上は、
「いやその。スイマセン」
謝るしかあるまい。そんなおれ達を見やって門宮さんがあのアルカイックスマイルを浮かべる。
「相変わらず中がよろしいんですね」
「……まあ、こんなんでもアシスタントですしね」
「こんなんって誰のことだよ!」
残念ながらすでにその手は離れている。憮然とするおれの視界の端で、『スケアクロウ』が大げさに肩をすくめて見せた。
『ンだよ。なんか言いたいことでもあるのかよ』
「Oh!ワタシは今アウト・オブ・カヤでスネー。コチラにファイア・パウダーを飛ばさナイデクダサーイ」
おれの英語に野郎は日本語で返答してのけた。ったくどいつもこいつも。と、門宮さんが表情を改める。
「今回は私達の勝利。これ以上潰しあっても無駄でしょう。ここは一旦退いていただけますか?」
「仕方ありませんね」
すでにターゲットは去ってしまった。今頃は自分のオフィスに向けてBMWを走らせている真っ最中だろう。ここでこの二人と戦っても勝てる気がしないし、勝ったとしても、次にまた新たな護衛が立ちふさがるだけだ。
「そーいうわけだ。ここは退くぞ、真凛。……そんな不満そうな面をするな」
「わかってるけど。やられっぱなしは性に合わないなあ」
おれは眉間に指を当てて首を振った。これだから戦闘フェチは手に負えん。
「腐るなって。次にきっちり勝てばそれでいいわけだから。……ですよね?」
最後の台詞は真凛に向けたものではなかった。
「そのとおりです。しかしお忘れなく。時の天秤は常に私達『シグマ』に味方するものですよ」
門宮さんは悠然と微笑を返した。
おれ達の見ている前で、二人はシグマ社の所有するクソごついステーションワゴンに乗り込み、去っていった。おそらくは、ターゲットのBMWと合流するのだろう。取り残されたおれ達は、なんとなく次の行動を決定する気になれず、ボケっとその場に突っ立っていた。
「行っちゃった」
真凛の間の抜けたコメントに、おれも鼻息だけで気のない返事をした。
「……じゃあ、帰るか」
盛り上がらなかった飲み会の後のような台詞を吐くと、おれ達は撤収にかかった。毎度毎度の事ながら、この虚しさを味わうにつれ、どうしてこんな事をやっているのか、と自省したくもなってくる。
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