◆12:スタッフとアシスタント
「やーれやれ。どうにかギリギリ間に合ったって感じだなあオイ」
仁サンは野太い笑みを浮かべて、懐から古めかしい巾着袋を取り出した。
「今回は本当に、来音さんには感謝してもしたりないですよ」
本来であれば明日まで別件にかかりっきりのはずの須江貞さんと仁サンのスケジュールを芸術的な手法でやりくりし、今夜のわずかな時間だけ、仁サンの行動を自由にしてのけたのは来音さんの功績である。巾着袋を放る仁サン。
「陽チン、これ、ウチの秘伝の即効性の毒掃丸。真凛ちゃんに飲ませてやんな」
「材料は何使ってるんですか?」
仁サンはにやりと笑った。
「水神から授かった秘伝の錬丹だよ。切り傷、打ち身、何でもござれ」
「なんすかソレ。だいたい飲み薬のくせに切り傷に効くんすか?」
回答は得られなかった。どうやら原料は聞いてもシアワセにはなれないようだ。おれは黙って巾着袋を開くと、鉛色をした丸薬を二粒取り出す。青ざめた顔のまま昏倒している真凛を見て、ようやくおれは自分の采配の間抜けさ加減を実感した。
――ごめんな。
「すんません仁サン……いえ、先輩。迷惑をおかけします」
このわずかな時間だけ復活した、一年前のスタッフとアシスタントのコンビ。おれ達の口調は自然に、かつてのそれに戻っていた。
「亘理」
「ウス」
「五分だけ稼いでやる。尻拭いはここまでだ。それで体勢を立て直せ」
「了解しました、先輩」
「貸しにしておくぞ」
言うや、鶫野先輩は羽毛の軽さでコンテナから舞い降りた。おれは手早く真凛の口に丸薬を押し込む。ところが苦悶の表情を浮かべて歯を食いしばる真凛の口腔は、丸薬の侵入を頑なに拒んでいる。……おーい、飲めよ真凛。くおら、口を開けこのお子様、ってぎゃあ、指を噛むな!ええい仕方ねえ。
「あの小僧はともかく。貴様までが出張ってくるとは嬉しい誤算だぞ、『西風』!」
竜の顎を思わせる口を吊り上げ、『毒竜』は歓喜の声を上げる。かたや鶫野先輩の表情は、困惑に満ちていた。たっぷり二秒、『毒竜』の顔を見つめ出てきた言葉は。
「あーっと。お前、誰だっけ?」
と、いとも無残なものだった。絶句する、『毒竜』。
「貴様……。俺の顔に泥を塗った一年前の戦い、忘れたとは言わさんぞ!」
「わりー。忘れちまったみたいだわ。プライベートも含めて、俺、忙しいんでさあ」
『毒竜』の奥歯がぎりぎりと唸りをあげる。挑発だと言う事は理性ではわかりきっている。だが、異常なまでに強固な自尊心にヒビを入れられ、そこを逆撫でされたとあっては、『毒竜』の沽券に関わる。
「『定点観測者』!貴様、こいつらの侵入に気づかなかったとでも言うつもりか!?」
真凛をトラップで追い込んで以来、後方でずっと待機していた鯨井さんに怒鳴る。声をかけられた方の反応は到って涼しいものだった。
「手を出すな、と言ったのは貴方でしょう。それに私の『受信器』で感知出来るのは、物質情報を除けばあくまで常人レベルの視覚、聴覚、嗅覚の情報です。伝説の『西風』が本気を出したのなら、例えいくつ受信器を展開しても、どれにも捕らえる事など出来はしませんよ」
「貴様、それで気の効いた事を言っているつもりか!?」
「お取り込み中のところ悪いんだけどよお。俺、忙しいんだって。さっさと片付けさせてもらうわ」
『毒竜』の怒りは頂点に達した。この時点で奴は、鶫野先輩の術中に嵌っている。
「貴様の”ウツセミ”、何度も通用すると思うなよ」
かああああ、と喉から吐き出される大量の『ドラゴンブレス』。青黒い致死の気体が半径三メートルの空間を埋め尽くし、暗闇の中なお視界が不透明になる。
「……!?」
異変に気づいたのは『毒竜』本人だった。長くとも数秒で晴れるはずの自分の毒霧。だが、なぜか十秒近く立っても一向に青黒い煙は晴れる気配がない。やがて煙は彼自身をも包みこみ、その視界を閉ざした。
『ギリギリまで俺は手助けを見合わせていたんだがな』
「どこだ!『西風』!?」
煙の中、どこからともなく響く先輩の声。声のある方向に『毒竜』は腕を振るうが、手応えはない。
『まあ、やるとは思っていたがね。これはお前さんの露骨な仁義違反へのペナルティーってとこだ。しばらく遊んでもらうぞ』
煙の合間にかすかに浮かび上がる先輩の姿。
「そこか!」
迷わず振り下ろされる必殺の『ドラゴンクロー』。その爪を、手甲から引き出した短刀のような形の手裏剣、”苦無”で受け止める先輩。先輩も体格が良いとは言え、『毒竜』の膂力を苦無で受け止めるのは尋常の業ではない。と、
『おおい、どこ見てんだよ』
『毒竜』の背中に、無遠慮とも言えるほどのヤクザ・キックが炸裂した。たたらを踏んで振り返った『毒竜』は有り得ないものを見た。それは、たった今、現在進行形で自分がカギヅメを押し付けているはずの、鶫野先輩だった。
「『西風』が二人……!?」
『いやいや、俺の事も忘れないでくれよ』
横合いから声をかけてきたのは、やはり『西風』。
『俺の出番も忘れないでくれよお』
その横にも、やはりもう一人。その横にも。気がつけば、『毒竜』は視界の通らない煙幕の中、無数の『西風』に囲まれていた。
「おのれ、幻術か!?」
その言葉に、無数の『西風』が一斉に応える。
「「「あーもうこれだから軍人は。そう芸の無い言い方をされっとつまんねえだろ。ここはやっぱり、ジャパニーズ・オヤクソクに従ってこう言って欲しいわけよ」」」
全員が一斉に直立し、左拳から人差し指だけを立て、それを右拳で握りこみ、やはり人差し指を立てる。声にはならなかったが、「口に巻物を加えていないのは御愛嬌」、と先輩は確かに呟いた。
「「「忍法、影分身!」」」
四方八方に乱れ飛ぶ、無数の影。
『西風』――体術、常なる忍術のみならず、数々の忍法を体得し、天地生死すら意のままに操ると称された異能のシノビは、その力を解放した。
「うん……陽、司?」
「よー、起きたか寝坊すけ」
おれは真凛を起こしてやりながら声をかけた。先輩の薬の効果は覿面だった。真凛自身の鍛錬もあるのだろう。体内の毒素は猛烈な新陳代謝によって、汗として流れ出していたようだ。汗で張り付いたシャツが、貧相な身体を浮き上がらせているのが哀れではある。目を二三度瞬かせて、完全に覚醒した。
「ボクは、あいつと……!?」
「涎たれてんぞ」
慌てて口元を拭う真凛に、おれは事実を告げた。
「昏倒して1セットロスト。ヘルプが入らなかったら永遠に起きなかった可能性大だ」
おれの指摘に、真凛はがっくりと肩を落とした。
「負け……ちゃった……」
「そーだな」
「やっぱり……拳だけじゃ何も出来なかった」
「まーな。特にアイツはタチ悪いしなあ」
おれは淡々と答え、コンテナの下の戦闘を見やる。
「陽司も……アイツと戦ったんだよ、ね?」
「戦ったとも言えねえな。ま、自分ひとりで何とかしようと足掻いたあげくの、無様な敗北だったよ」
「陽司も?」
「そーだな」
その事実をどう受け止めたのか、黙り込む真凛。
「ねえ」
「なんだよ」
「だから。ボクとアイツを戦わせたくなかった?」
「……そーだな」
おれは虚勢を張る気になれず、率直に認めた。
「今までも、ボクの知らないところでそういうことしてた?」
「……ああ」
「……ボクは、結局、陽司に守られてただけなのかな」
「なあ真凛」
おれはこいつに向き直った。
「アイツは……ああいうエージェントや、こんな事件は、極端ではあっても例外じゃない。おれ達の仕事では、結構こんな事にも出くわすんだ。自分ひとりではどうにも出来ないこともある。誇りをかけて戦い、勝っても負けても爽やか恨みっこ無し、なんて仕事はむしろ出会うほうが大変なくらいだ。お前にとっては、楽しくないこともたくさんある」
その両肩に掌を置いた。
「おれ達と肩を並べて戦うってことは、そういう汚い所に足を突っ込む覚悟を持つってことなんだ。それは別に偉い事でも何でもない。知らなきゃそれで済むってだけのことなんだよ。お前は、おれやおれ達と違って、ここに居なきゃいけないわけじゃない。今なら、まだ、」
その言葉を遮って、真凛が、おれの右手に自分の両の掌を重ねた。
「道場と裏通りでの試合だけで出来ていたボクの世界が、どれだけ狭いものだったのか。気づかせてくれたのは陽司だよ。人を井戸の底から引っ張り出しておいて、また戻れ、なんてずるいと思うよ」
「しかし、」
「それにね。今はボクが、陽司と一緒に戦いたいんだ」
おれの目を見て、しっかりと笑った。
「だから、置いてきぼりはもうやだよ」
いつまでも、子供だと思ってたんだがなあ。
「真凛……」
「陽司……」
「おおい、そろそろ会話に混ざってもいいかあ」
「「ぎゃああああ!」」
背後からかけられた声に、飛び上がるおれ達。
「なななな、なんで背後にいるんすかアンタ」
「いやまあ。何と言うか流れ的に発言権なさそうだったもんでな。おー真凛ちゃん、復活したようで何より。寝ている間に陽チンに変な事されなかったかあ」
「するわけないでしょ仁サン。だいたいあいつはどーしたんですか」
「おー。まだ煙幕の中で俺のコピーどもと遊んでるぜー」
「相変わらず、理屈不明の怪しいワザですねえ」
「タネ明かししちまうと、法がただの術になっちまいやがるからな。ここらへんは企業秘密だぜ」
投げやりに言うと、仁サンはよっこらせ、とオッサン臭い挙動で立ち上がった。
「んじゃ俺は戻るぜ。あんまりサボると須江貞のオヤジがうるせーからな。ほんじゃ真凛、陽チン」
仁サンはひらひらと手を振った。
「スタッフとアシスタント。力を合わせてがんばれよー?」
「ちぇっ、他人事だと思って」
「他人事さ。お前達の仕事だろ」
にやりと笑った、次の瞬間には、『西風』はその名のように、姿を忽然と消していた。……ありがとうございました、鶫野先輩。
さあて。おれはぐるりと肩をまわす。
「行くとすっか」
「うん。さっきは負けちゃったけど、取り返しにいこう」
「負けてねーだろ」
「え?」
「おれ達は、負けてない。そうだろ?」
おれはにやりと笑い、つとめてとぼけた。
「忘れてたけど、お前、おれのアシスタントだったんだよなあ」
おれの台詞に、真凛も不敵な笑みで応じた。
「そう言えば、ボクはあんたのアシスタントだった」
おれは真凛の頭に手を置いて、癖の無い黒髪をかき回してやった。
「さあ。勝ちに行くぜ」
気に入ったら↓よりブックマークお願いします!感想お待ちしております!