◆11:『西風』のごとく
「貴様は手を出すなよ。せっかく興に乗ってきたところだからな」
ポケットに両手を突っ込んだままこちらを睨めつける、そのちろちろと燃える石炭のような眼を見て真凛は直感した。――強い。
「なら、やるまでだよ」
その事で逆に真凛の腹が据わった。こいつを倒し、あの地雷使いも倒す。その上であの人達を助け出し、偽物のバッグの出所を突きとめる。それで万事がうまく行く。
腰抜けのあいつが明日の朝やってきたら、「もう解決したよ」と言ってやるのだ。あいつはきっと驚いて、いかにボクの実力を見誤っていたかを思い知るだろう。呼吸を一つ。姿勢を低くし、一気に突進した。
「ほう……」
呼応する『毒竜』がポケットから取り出したのは、銃。小型のリボルバーを抜き放ち、凄まじい速度で連射する。だがそれは真凛にとっては脅威ではない。浮かび上がる『線』をかわし、一気に間合いを詰める。と、『毒竜』の左膝が浮いていた。
「くっ!」
踏みおろされる靴底を、ギリギリで足を捻ってかわす。銃撃は囮。奴の狙いは最初から、負傷した真凛の脚を踏み折る事だった。かわしたものの、無理な挙動は痛んだ右足に過剰な負担をかけた。苦痛が駆け上がってきて脳裏に弾ける。だがそれを確認する余裕も無く、飛んできた左のフックをかわす。
開手で大きく振るわれたフック、いや、爪撃は、近くにあった鉄の支柱に被弾し、まるで紙細工のように易々と引き裂いた。甲高い金属音と火花が盛大に撒き散らされる。
「――薬物!?」
真凛の表情に警戒の色が濃くなる。敵の使うスキルは、典型的な軍隊格闘技だ。熟達の域に達しているが、それだけなら真凛の敵ではない。だが、あの膂力は明らかに常人に出しうるそれではない。
二ヶ月前に全身に機械を埋め込んだ男と戦ったが、目の前の男の膂力は、ドーピングでもしているのだろうか、それを凌駕している。加えて、動作の精度という点でも上回っている。
真凛のような無手の格闘術を修め、先読みに長けている者にとっては、攻撃が飛んでくる速度よりも、むしろ土壇場で攻撃の軌道を変化しうる精度の方が、脅威になりうるのだ。
「薬物?違うな」
鉄骨を斬り裂いたはずなのに怪我一つ無い掌を握りなおし、『毒竜』は笑った。
「俺のこれは生まれつきだよ」
そう言うと、『毒竜』は、百九十センチの長身を沈み込ませ、一気に天を貫くアッパーカットを打ち出した。早く正確だが、動作が大きい。真凛が見切って退く。だが、かわされた事を気にも止めず、そのまま撃ち下ろしへと軌道を変化させる。続けて再び左のフック。怒涛のラッシュが始まった。
撃ちだされる猛攻に、真凛は防戦一方になっていた。根本的な膂力が違うため、安易な受け技ではそのまま斬り破られる可能性があった。かと言って、柔法……関節技や投げ、捌き技を仕掛けるには、『毒竜』の技は剣呑過ぎた。
溢れるパワーに隠されているが、奴の動きは恐ろしく合理的で、無駄がない。シンプルな軍隊格闘技は、相手を効率的に壊すという一点において恐ろしく有用なのだ。
なまじの小技を仕掛ければ、手痛いしっぺ返しが待っている。そう予感させるだけの力量が奴にはあった。真凛が今相対しているのは、言わば、猛獣の膂力を持った達人だった。
確かにとんでもなく強い。……だけど!
ラッシュのパターンを脳裏に記憶し、そのリズムを抽出する。フェイントを排除し、その奥に隠れているベーシックのパターンを探り出す。
居合いのような回し蹴り。そしてそれをフェイントにした後ろ回し蹴り。次に来るのは……裏拳回し撃ち――読めた!
唸りをあげてすっ飛んでくる裏拳に合わせるように腕をさし伸ばしつつ、勢いよく全身を反転させる。掴んでから投げるのでは間に合わない。伸ばした腕が奴の裏拳の腕を掴むと同時に腰を跳ね上げ、
「っせえええやあああっ!」
一気に背負って投げた。投げつつ肘の関節を極め、掴んだ手首を握り潰せ……ない!
ずん、と音を立てて巨体が叩きつけられる。だが、瞬時に足が跳ね上がり、真凛の追撃を阻止する。振り上げた足を振り下ろす反動で、間合いを取りながら一気に立ち上がる『毒竜』。
「ほおう。大した握力だ」
己の手首を見つめ感嘆の声を上げる。そこには真凛の指の跡がくっきりとついていた。
「だが、俺の筋繊維は人間のそれとそもそもモノが違う。……見誤ったな?」
事実だ。真凛の握力は、その細い指からは信じられないほど強力だが、七瀬式殺捉術の要諦は本来それではない。触れた相手の箇所の構造を瞬時に把握し、もっとも脆い所を握りつぶすための触覚と、指の動きである。こんなミスをするなんて。
「騒ぎすぎました。いくらここが防音構造でも所詮は旧式。これ以上やると周りが気づきます」
後ろには、『定点観測者』と、そして集まってきたらしい『狂蛇』の構成員達がいた。
手に手に銃器を構え、狙いを定めはじめている。密入国者達は一連の騒ぎにパニックを起こしていたが、閉鎖されたこの部屋から出る事も出来ない。やがてかけつけた『狂蛇』の構成員達が銃で脅しつけて、一箇所に固められている。刻一刻と、状況は不利になりつつあった。焦るな、焦るな。真凛は自分の中に芽生え始めた感情を必死に否定する。
「俺に命令するな、と言っただろう」
『毒竜』はそう言ったものの、一理ある事は認めたようだ。真凛の方を見やると、突然、その顎を開いた。途端、真凛の脳裏に、前方の膨大な範囲を囲む『円』が浮かび上がった。反射的に大きくバックステップして間合いをとる。次の瞬間、
「かあああっ!」
『毒竜』の喉の奥から青黒いガスが吐き出された。
『毒竜』モルデカイ・ハイルブロンは、真っ当な両親から生まれた人間のはずだった。
だがしかし、生命の神秘か、あるいは見えざる誰かの悪意か。彼は純粋な意味での人間ではなかった。突然変異体。遺伝子異常で本来人間に必要な器官が欠けていたり、あるいは通常の人間が持ち得ない能力を保有していたりする。
彼に生まれつき与えられたのは、『暴力』だった。常人を遥かに凌駕する戦闘用の肉体。生まれつきそんなものを与えられて育った子供は、やはり真っ当な人生を歩めなかった。やがて彼は戦いに生き、やがて血の味を覚え。戦場で生業を営む事になる。
『毒竜』の名のもう一つ『毒』の字の由来は、まさにここにある。突然変異体として誕生した彼の体内には、一部の昆虫や動物が持つような毒腺が備わっているのだ。大量に吸気した空気に、この毒腺から分泌される有機毒物を吹きつけ、混合。そして全身の筋肉で肺腑を締め上げ圧縮し毒ガスとする。
戦闘時に喉奥から高圧で吐きかけるこの毒ガスの名こそが『ドラゴンブレス』。戦闘系異能力者の中でももっとも凶暴で、もっとも効率的な戦いをする一人として、『毒竜』の名を確たるものとした由来なのだ。
真凛は濛々と立ち昇る死の煙を回避する。恐ろしい技だがタネは見切った。これならいける!
そう、思った瞬間、第二波が来た。
脳裏に描かれる、『円』の範囲。幸い右方向にまだスペースが開いている。そちらに身を逃せば……そう思い、意識をそちらに向けた瞬間凍りついた。円のギリギリ外の範囲に固まっている、密入国者達。自分がそちらに逃げ出せば、それを追い撃つブレスが彼等を捉えるだろう。
このままだと、あの人達を巻き込む。
その躊躇が、一瞬の、だが致命的な隙になった。まともに吹きつけられる毒ガス。咄嗟に呼吸を止めたものの、その程度で無効化出来るほど『毒竜』の切り札は甘くなかった。
「……ぐ……」
真凛の視界が歪み、頭の中に鈍痛が響く。大気に触れたブレスは数秒程度でその効能を失うが、その数秒の間に例え僅かにでも呼吸器や皮膚から吸い込んでしまえば、容易く致死量に達する。内功を練り上げ、多少は内臓や循環系を制御出来る真凛だからこそこの程度の被害で留められたものの、戦闘力の減殺は目を覆うばかりだ。世界が傾いた、と思ったときには、地面に崩れ落ちていた。
「ひきょう、だぞ……」
気を抜くと遠くなる意識を必死に引きとめ、声を絞り出す。先ほどの攻撃を、『毒竜』は明らかに狙ってやった。真凛が攻撃範囲を正確に読む事を見抜いた上で、しかも彼等を見捨てられないと判断した上で罠を張ったのだ。
「一般人を、巻き込むのは、仁義に、反するって聞いたぞ……」
『毒竜』が哄笑する。
「貴様は阿呆か?ここのどこに一般人がいる?」
「何、を……」
「どこをどう見回してもここにあるのは『商品』だけだ。なあ、『定点観測者)』」
声をかけられた後ろの男の表情は、暗がりに紛れてわからなかった。
「こいつ……っ」
この倉庫の中にあるのは、袋詰めされたプルトンのバッグと、そして密入国者達。『毒竜』は、それを一まとめにして『商品』と言ってのけたのだ。真凛の黒曜石を思わせる瞳が、滅多にない真の怒りの色に燃え上がる。
その腹を『毒竜』は容赦なく蹴上げた。咄嗟に臓腑を引き上げアバラに収め、丹田に気を集める。しかし、人間の規格外の威力で撃ち出された鉄板入りブーツの威力は到底殺しきれるものではない。軽量の真凛はサッカーボールのように吹き飛び、放物線を描いて段ボール箱の山の中へ落下した。
「あぐ……うぅっ!」
「ふふん、『フレイムアップ』のガキどもは揃いも揃ってお目出度いな。一年前、あの忌々しい『西風』につき従っていたアシスタントも、お前とそっくりの行動をしていたぞ」
「……え?」
「あっちは男の方だったか。『因果歪曲』なんぞを使ううっとおしいガキでな。なかなかてこずらせてくれたが、何、今と全く同じ方法で仕留めたわ。お前の同僚だろう?」
振り上げた腕に大量の血液が送り込まれ、一回り太くなる。広げられた指に異様な圧力がかかり軋みをあげる。異常な膂力を誇る筋肉と、同様に、桁外れの硬度を誇る爪による一撃。『ドラゴンクロウ』と呼ばれる彼のもう一つの得意技である。
「殺すつもりはない。だが、出血死しても恨むなよ」
詭弁だった。業界の『仁義』では、敵対エージェントの殺害は認められていない。だが、過失による死亡事故はやはり発生する。『毒竜』の言葉は、後で故意ではなく過失だったと弁明するためのものだった。どのみち、現場検証など出来ないし、されないのだ。
真凛はそれでも目を反らさず、自分に迫る敗北と死を見据える。
振り下ろされる腕。分厚い石柱すら破断する必殺のカギヅメが、容赦なく叩きつけられた。
「――ぬ!?」
『毒竜』の表情に異変が生じた。振り下ろされた必殺の一撃は、間違いなく小娘の胴体を爪の数だけ断ち切った。だが。その手ごたえはあまりにも軽すぎた。無残に斬り裂かれた小娘の身体を確かめる。だがそこにあったのは。『へのへのもへじ』と書かれた半紙が一枚貼り付けられた、あまりにも人を小馬鹿にしたつくりの藁人形だった。
「ぐっ」
「がっ」
同時に、舞い飛ぶ銀光。倉庫の各所に散らばっていた『狂蛇』の構成員達が、次々と飛来したナイフに貫かれて倒れる。
「”ウツセミ”?――まさか!!」
四方八方を見渡した『毒竜』の視線が、やがて一箇所、偽ブランド品が積み込まれたトラックのコンテナの上に釘付けになる。そこには。
「どーもー。忌々しい『西風』です」
「どーもー。『因果歪曲』なんぞをつかううっとおしいガキです」
真凛を抱えあげた『西風』鶫野仁サンと、このおれ、亘理陽司がいた。
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