◆06:『毒竜』
威圧的な男がそこに居た。
歳の頃は三十四、五。禿頭に鷲鼻。大きく尖ったアゴとそれを覆う髭。白人であることは間違いないが、混血だろうか、系統はちょっとわからない。
まず美男子とは言えないその風貌は、だが、異様な迫力を持っていた。そして窪んだ眼窩の中にぎらぎらと光る褐色の、いや、燃える石炭のような眼。百九十センチ近くある身体を包んでいるのは作業着……いや、軍隊用のフライトジャケットか。おれは、その顔に見覚えがあった。
――あいつ。
おれの背筋に戦慄が走りぬける。
海鋼馬公司S級エージェント。
モルデカイ・ハイルブロン……通称『毒竜』。
なんであいつが、こんなところに。
気がつけば、おれの拳は固く握り締められていた。奴は、おれ、というよりおれ達が隠れている密入国者の部屋には最初から用が無かったらしく、すぐに通り過ぎて行く。それを見送り、五秒ほど立ってからおれは息を吐き出した。
『そうそう変わった事が起こっては困ります』
奴の呼びかけに答えがあった。……あれ、この声もどこかで……?
『起こってくれねば退屈でたまらん。この平和ボケした国での生活も悪くはないが、二ヵ月もするともう戦場が懐かしくなる』
へえ、退屈か。なら、すぐにでも楽しい思いをさせてやる――そこまで考えて、おれの理性が感情を引き戻した。ここで派手な事を起こせば、いつぞやの二の舞だ。
「あの人、もの凄い殺気だ……。って、なんか陽司……顔が怖いよ?」
床に伏せたままドアの向こうを伺っていた真凛がうめく。生憎と自分の顔のことなんて良くわからないね。
『貴方は平地に乱を起こす癖があります。どのみち貴方の行くところ、嫌でも騒動が起こるのですから、今は英気を養っていてください』
『フン。こと無かれ主義の腑抜けが入社った、とは聞いていたが噂どおりだな』
『ええ。海鋼馬は血の気の塊のようなメンバーばかりですからね。私は冷や水をぶっかける役として引き抜かれたわけです』
『ぬかしおるわ』
そんな会話を続けながら、『毒竜』ともう一人の男は遠ざかっていった。
おれは後ろの人々を振り返る。彼等は『毒竜』の声が聞こえたその時からすっかり怯え、竦み上がっているようだ。この倉庫の中で、奴がどのような位置づけにあるか。それがよくわかった。
『あの人に言わないでください、あの人に言わないでください』
一堂を代表してか、一人の男が、おれにすがりつくように話す。おれの事を、あいつに言われて様子を見に来た看守とでも思ったのだろうか。
『大丈夫、大丈夫。だから、おれ達の事もあいつらに言わないでください』
流暢な現地語で何度か説得すると、彼等もどうにか納得してくれたようである。おれは真凛を促して立ち上がらせ、外を確認する。……よし、誰もいない。
「出るぞ」
真凛がおれを愕然として振り返る。
「この人達は?」
「もともと彼等はここに居たんだ。おれ達がどうこう言う権利は無い」
「でも!」
「いいから!」
……バンまで戻ってくるまで誰にも見咎められなかったのは、日ごろの行い、いや虐待のされっぷりに幸運の女神が同情してくれたからだろうか。車内に飛び込むと、おれは変装道具を脱ぎ去って後部座席に放り込み、腕を組んでしばしむっつりと押し黙った。
『毒竜』が出てくるとすれば、話は全く違った方向になる……。
「なんで放って来ちゃったんだよ!あの人達ひどく衰弱してた。多分あと二日と持たないよ」
女子高生と言えど、人体に精通した武術家である。その見立ては恐らく正しいだろう。だが。
「それまでに行き先が決まるだろうさ」
「嘘だよそれ。あの人達少なくとも一週間はあそこにいた。それがあと二日で全員行き先が決まるとは思えないよ」
「じゃあどうしろと」
「当然助けに行くんだよ!」
「あのな真凛」
まったく。そう言うと思ったよ。
おれは組んでいた腕を解いて、助手席の真凛に向き直った。
「お前をこの仕事から外す」
「……え?」
「駅まで送る。今日はそのまま自分の家に帰るんだ。所長にはおれから連絡を入れておく」
「な、なに言ってるんだよ、ボクがいなかったらどうやってあの人と戦うのさ。凄い強いよ、あの人」
「直樹なり仁サンなり呼び出すさ。シートベルト締めろ、出るぞ」
おれは言い放つとシートベルトを締め、キーを取り出した。
「なんでだよ!納得できないよ!!ボクじゃ力不足ってこと?」
なんだか昔撮った出来の悪いホームビデオを見ているような気分だ。
「お前、この仕事の内容なんだか覚えてるか?」
「……それは。オークションで出回っているバッグが本物か確かめる……こと」
「そう。で、その仕事の達成にあたり、あの密入国の皆さんを助ける意義は全く無い。むしろ余計な工程が増え、失敗の危険を大きくするだけってこと」
「でも!人としてほっとけないよ!」
「ああ。だからだ。仕事にそんな勝手な考えをする奴を加えるわけにはいかない。だから外すんだよ」
キーを差し込もうとした右手は、延びてきた真凛の手につかまれた。奴が身を乗り出す姿勢になったせいで、おれと真凛の視線が至近距離でぶつかる。
「……離せよ」
「……離さないよ。そんな理由じゃ納得できないもの。なんかおかしいよ陽司。いつものアンタなら、じゃあついでに助けとこうか、くらい言うじゃない。あいつと何かあったの?ねえ」
おれが無言でいると、真凛は肯定ととったのか、質問をさらに連ねてきた。
「だいたい陽司はいつも自分だけで作戦を決めるじゃないか。毎回毎回ボクの意見なんて聞いてくれないし!」
「そりゃそうだ、お前はアシスタントだからな」
ダッシュボードに叩きつけられる真凛の掌。コーヒーの空き缶が軽く宙を舞った。
「アシスタントアシスタントっていうけど、三つ歳が違うだけじゃないか。アンタがどれだけ偉いんだよ?アンタが高校生や中学生の時、そんなにすごい事をやってたっての?どうせ今みたいにグータラな――」
「うるせえよ」
おれの声からは日ごろの諧謔成分が枯渇していた。それは陽気な牽制ではなく、本当に、ただの罵倒の言葉だった。
「陽司……?」
「うるせえって言ってるんだよ。お前に対する行動の決定権はおれにある。そのおれがこの任務にお前は必要ないと判断しているんだ。これ以上議論の余地は、いやそもそも議論の必要性がない」
真凛はおれを焼き殺しそうな視線でにらみつけた。殴り殺されるかな、とおれは思ったが、その顔はくしゃくしゃになり、
「もういいよ!ボクはボクで勝手にやるから!!アンタはそうやって任務任務って言ってればいい!!」
バンの扉を閉め、真凛は飛び出ていった。おれが見たときには、すでにその姿は駐車場のフェンスの向こうに消えた後だった。……まったく、ガキの考える事はわかんねえ。
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