◆05:隠された在庫
一旦池袋から高田馬場の事務所まで戻り、ライトバンを引っ張り出して早稲田通りを東へ。渋滞に悩まされつつ皇居をかすめ山手線を潜り、隅田川へと辿り着いたら浅草方面へ川沿いに北上。すると、昔ながらの住宅街と古めかしい工場が混在する街並みが姿を現す。ちなみに運転中真凛がまた何か言っていたが無視。
「こんな天気のいい日曜の午後だったら、浅草で人形焼でも食い歩きしながらのんびりしたいところなんだがなあ」
おれはぶつぶつと文句を言いながらバンをコインパークに停車する。来音さんに調べて貰った『ナガツマ倉庫』の住所をカーナビに打ち込みここまでやってきたのだ。バンの中でとりあえず作戦会議。
「そこの角から見えるのがナガツマ倉庫、だが……」
「何だかとっても雰囲気が……」
「貧乏臭いなあ」
隣でまだ青い顔をしたままの真凛が頷く。高いブロック塀で囲まれた、小学校とグランドを併せた程度の敷地の中に、巨大な倉庫が三つ建っている。だが、いずれも窓ガラスにヒビが入っていたり壁が煤けていたりで、あまり使われているようには思えない。
「来音さん情報によれば、ナガツマ倉庫の経営は決して良くないらしい」
もっともこれはナガツマ倉庫に限った事ではない。近頃のビジネスの基本は、「なるべく在庫を作らない」だ。欲しいときに欲しいだけ手に入れるのが当たり前。使わないものを大量に保管しておくのは無駄なコストがかさむだけ、という考えである。
こうなると、倉庫業の役目は薄くなってしまう。冷凍設備に特化したり、物流センターとして生まれ変われなかった倉庫会社はみな次々と規模を縮小したり、あるいはお台場や臨海副都心のように、埋立地の再開発計画に合わせ土地を売却したりしているのだ。
「ナガツマはこのいずれの道も選べないまま、景気悪化の一途を辿っていたらしい。んで、昨年とうとうスジのよろしくない金融会社から資本を借り入れるまでになっちまったと」
おれは来音さんが送ってくれたエクセルシートを『アル話ルド君』で表示しつつ解説する。
「まだまだ来音さんに調べて貰っているけどな。おれ達はおれ達で情報を集めていかないと」
「どうやって?」
おれはザックを叩いた。
「名案ってのはな、使いまわせるからこそ名案なのさ」
先ほどまでの変装に加えて、野暮ったいジャンパーを着込むと、とりあえずは業者っぽく見えなくもない。門を通ったのだが、守衛さんは席を外しているのか、そもそも配置されてないのか、不在だった。こちらが不安になるほど易々と敷地内に侵入すると、おれは傍らの、同様に帽子をかぶったちっちゃいのに声をかけた。
「倉庫は三つ。とりあえず西側から順番に探っていくぞ」
「う、うん。わかった」
もちろん、真凛である。
「……もしかして緊張してるのか?」
「ま、まさか!そんな事あるわけないよ」
「そーいや、お前は侵入作戦ならともかく、変装ははじめてだったっけかな」
おれはとりあえず何食わぬ顔で一番西側の倉庫に近づいた。現場のおっちゃんが何人かと、そしてフォークリフトが二台ほど走り回っているのだが、今ひとつ活気が無い。倉庫の中に躊躇わず入ってゆくと、真凛も遅れてついてきた。
ふむ。いわゆるコンピューター操作の自動倉庫ではない。ごく一般的な、フォークリフトで荷物を上げ下ろしするタイプの倉庫だ。荷物のほとんどがダンボール箱。箱にプリントされているのは、ちょっとマイナーなお菓子のロゴだった。
「うわ、こんなのおれが子供の頃に駄菓子屋で売ってたやつだぜ……」
「ダガシって何?」
「……お前それ、ギャグで言ってるんだよな?」
他にも玩具、台所用スポンジやタワシ等のロゴがプリントされているダンボールが幾つか積み上げられていた。ちゃんと在庫捌けてるのかなあ、こういうの。おれ達は手持ちのバインダーを開き、適当に確認して書き込みする振りをしながらダンボールの中身をチェックして周った。と、唐突に背後から声をかけられる。
「おい、兄ちゃん達ここで何やっとんだ」
反射的に飛び上がる真凛。だからビビるなっつーの。おれは落ち着いて振り返る。”ナガツマ倉庫”と刺繍の入った作業服を来た、年季のいったおじさんが一人、おれを見据えていた。
「え、えーと、ボク達は……」
「ワタクシども、空調システムの『ダイカネ』の者です」
真凛を遮っておれは前に出る。
「空調システムの会社の人間がここに何の用だ」
「ええ、ワタクシども、かねがねこちらの倉庫にぜひ我が社の空調設備を導入して頂きたいと思っておりまして、はい。この度一度現場を見せて貰おうと思った次第です、はい」
営業スマイル第二弾。
「俺はそんな連絡は受けとらんぞ」
効果は期待できない模様。
「はい。不躾とは思いましたが、この度御社の営業様に飛び込みで訪問させて頂きまして、はい。二時間ほどお話しさせて頂いたところ、じゃあ現場でも見てくれば、との言葉を頂いたのものですから、はい」
反射的に嘘がつける自分が時々怖い。これなら、飛び込んできた押し売り紛いの販売員を、営業部が体よく都合をつけて倉庫に追い払ったように見えなくも無い。果たしてこのハッタリ、通用するかどうか。
「……押し売りの類か。あまり仕事の邪魔をするなよ」
「押し売りなど、とんでもないですう、はい」
実はもっとロクでもないんです、ハイ。……もうちょっと踏み込んでみるか。
「こちらではどのような品物をお預かりされているんでしょう。温度や湿気の管理が必要なものなら、ぜひともワタクシどもの……」
おじさんは鬱陶しそうに手を振った。
「ここと、隣の倉庫で扱ってるのは菓子と玩具、台所用品。どれも古くからのお得意さんの品物だ。空調が必要なものはない」
ここと、隣の、ねぇ。
「では、一番東の倉庫は?」
「お前さん、何者だ?」
「ですから『ダイカネ』の営業の……」
「そんな胡散臭い営業がいるか」
手厳しいお言葉。……まずったかな。
「……まあいい。東倉庫はな、貸し出し中なんだよ」
「貸し出し中?」
「ウチもいよいよ首が周らなくなってきた。融資と引き換えによくわからん連中に貸し出ししているらしい。余計な詮索はするな、とな」
「よくわからん連中に、って。そんなのが隣に居たら仕事にならないじゃないですか」
おじさんは皮肉っぽく笑った。
「仕事なんて最近あって無きが如しだ。フォークも錆びついちまってるよ。連中は裏門から二十四時間出入りしている。役員連中が自由に使わせる許可を出したんだ」
「それはどうも……。貴重なお話をありがとうございました」
「もう一つ」
「はい?」
「連中、相当タチが悪い。くれぐれも気をつけてな」
……バレてますなあ、これ。
「御忠告感謝いたします。いくぞ、真凛」
「あ、うん。じゃあ、ありがとうございましたっ」
「怪しいところ、無し……と」
念のため、真ん中の倉庫も調べて見たが、これも特に不審な点はなし。となると、怪しいのは東倉庫という事になるわけだが。
「こっからはなるべく気配を消せ。お前、そーいうのそれなりに得意だろ」
「仁サンと一緒にしないで欲しいなあ。一挙手一投足の動きは消せても、気配を消すのはまた別の話なのに」
ぶつぶつ言いながらも真凛は忍び足に切りかえる。何のかんの言ってもそこは武道家、重心を制御してほとんど足音を立てない。おれは頷くと、何気なさそうな挙動で東倉庫に近づいていった。ざっと見回したところ、見張りの類は無し。おれは腹を決めた。
「行くぞ」
「うん」
トラックが出入りする巨大なシャッターの隣の通用扉を開けて中へ。他の二つの倉庫と比べると、照明の類は一応点いているものの、視界が悪いことこの上ない。
「……嫌な臭いだな」
視界が悪い理由はすぐに判明した。体育館ほどの大きさの倉庫の中に、プレハブ小屋の壁のような仕切りがいくつも立てられ、小さな部屋に分割されていたせいだった。
「ビンゴだぜ、どうやら」
おれは目の前に作りつけられたスチール棚を見上げる。そこには、ビニール袋でぞんざいに包まれたプルトンのバッグが、壁一面にずらりと並べられている。
「ミサギ・トレーディングから注文を受けて、ここから発送してるってワケだ」
だが、それと同時に漂ってくるこの臭い。壁にドアが取り付けられており、その向こうから臭ってくる。こいつは、
「動物園みたいな臭い……?」
鼻を押さえた真凛が小声で呟く。確かに似ているが少し違う。おれの脳裏に一つの予想がよぎった。……ミスったな。真凛をここに来させるべきじゃなかったか。すると、通路の奥から足音が響いた。
「誰か来るよ!」
真凛の押し殺した声におれは舌打ちする。ええい仕方がない。おれは扉を開けて飛び込み、真凛を引き入れて扉を閉める。途端、悪臭は耐え難いほど強烈になった。
「な、何この人達……!」
おれの背後で真凛が声を上げる。あーあ。ため息を一つついておれは振り返った。そこには十畳ほどの部屋――午前中に訪れたオフィスと同じ大きさだ――に、二十五、六人ほどの男女が座り込んでいた。畳一枚あたり三人ほど座っているため、当然ながら足の踏み場も無い。彼等はTシャツにズボン、あるいはぼろぼろのスカートを履いている程度の格好であり、みな裸足である。そしてその眼には一様に精気が無かった。この夏の暑さの中どれほどの時間、ここに居るだろうか。すえた臭いは、風呂に入る事も出来ない彼等二十数人の体臭だった。彼等はうつろな眼でおれ達を見て、かすかに動揺する。
「どうしたんですか、何かあった……むぐ!?」
『ああ、騒がないで騒がないで』
真凛の口を手で押さえ、おれはいくつかの言葉で話しかけてみた。彼等の間に反応があった。おれはジェスチャーを交えて『落ち着いて、落ち着いて』と繰り返す。適当なところで真凛を解放してやる。
「……えっと、この人達は?」
「……多分、密入国者の方々だろうねえ」
おれは乾いた声で回答した。『銃器、麻薬、偽ブランドは密輸品の御三家』と先日おれは述べたが、ここ最近四番目の密輸品として台頭して来ているのが、人間、つまりは密入国である。
背後に構えているのは主に中国系の暴力組織。彼等は大陸各地の労働者達に、日本に行けばここより遥かに高い賃金で働ける、借金をしてでも日本に渡ればすぐに取り返せる、と言葉巧みに持ちかけ、密入国の費用を取り立てる。そして彼等を日本に密入国させる。また、必要に応じて彼等を労働力――主に麻薬の売人や売春だ――として日本の暴力組織に斡旋する。
密入国の手口として一番ベーシックなものは、貨物船の倉庫に彼等を隠して入港させてしまうことだ。ビジネスとしては当然ながら、スペースに限りある貨物船に出来るだけ人数を詰め込んだ方が利益率が良い。彼等は巡視船の目を逃れるため、陽も差さない船底にすし詰めにされたまま、中国から日本までを船で旅するのだ。
……真夏にクーラー無しの満員電車に乗り込み、しかもそのまま丸一ヵ月、トイレは垂れ流しで風呂にも入らず過ごさなければならない、と考えて頂ければ少しは理解出来るだろうか。
「とはいえ船の中や港にいつまでも置いておくわけにはいかない。行き先が決まるまでどこかにこの人達を留めて置かなきゃいけないが、ホテルに泊める金なんて当然ない。ここは態のいい『一時保管場所』って事さ。この倉庫が裏でその手の暴力組織と手を組んでるのは、まず間違いないだろうな」
おれは淡々と事実だけを小声で述べる。
「酷いよ……こんなの、許せないよ!」
「その前に声を落とせ。そしてしゃがめ」
おれの指示の意味に、真凛はすぐ気がついた。扉の向こうで、さっきおれ達が聞きとった足音が近づいてくるのがわかったからだ。おれは息を殺して、ドアの隙間からこっそりと相手の姿をうかがいつつ、通り過ぎるのを待つ。
『どうだ、何か変わった事でもないか?』
ドア越しに太い声が聞こえる。おれ達の事を指しているのかと思ったが、どうやらその声は通路の奥へ向けて投げかけられたものらしい。警備員か、はたまたヤクザ屋さんか。おれは何気なくその姿を見つめ――そして、凍りついた。
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