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◆03:イミテーションの憂鬱

「プルトン専属鑑定士の小栗弘一です」


 

 きちんとスーツを着込んだ品の良さそうなその男性はそう名乗った。


「プルトンの名刺ですか。割とこの業界長いですけど、仕事でこのマークを見たのは初めてですね」


 おれは特徴的なロゴマークの入った名刺をなんとなく弄んだ。ビジネス業界ではともかく、一般の、というより女性の世界では、このマークを知らない者はいないだろう。


 プルトン。高級バッグやトランクを中心とした数々の魅力的なブランド品を製作している超有名企業である。十九世紀フランスに誕生して後に世界中で高評価を得、その後二十一世紀の現在に到るまで、その秀逸なデザインは世界中の(主に)女性を魅了してやまない。


 ……と言ってはみても、所詮は男の視点で語れるのはこんなところまでだ。より詳細な情報が知りたければ、そこらの女性にこのブランドについて尋ねてくだされ。嬉々としてこの十数倍の情報を語り尽くしてくれるだろう。


問題は何故かその後、プルトンのバッグをプレゼントせざるを得なくなることなのだが。ちなみに高級ブランドなので当然一個あたりウン万円からウン十万円は平気でシマス。


「彼女に貢ぐ時に買うバッグ、っていうイメージしかありませんねぇ」


 おれはひがみっぽく呟いた。いかんな。どうも今日は口調がマイナス方向に偏りがちだ。すると傍らの浅葱所長が、やれやれと肩を竦める。


「亘理君、プルトンのバッグやトランクはもともとビジネスマン向けに生み出されたものなのよ。一流の仕事をする男性にプルトンを愛用している人は本当に多いの」


 小栗さんも頷く。


「特に女性の方には、季節ごとに新しいものを買い足される方も多いのですが、使い込むという点については男性のお客様の方が多いですね。補修や打ちなおしといった要望をよく頂きます」

「安物は三年もてばいい。だけどプルトンのバッグなら三十年もつから、実は安物の十倍の値段を出しても買う価値があるってワケ」


 その話は聞いた事がある。おれの知り合いのとある銀行員も、私生活ではTシャツ一枚買うのにも値切るというケチンボだったが、仕事で使う背広やバッグには迷わず高級品を選んでいた。


安物を買ってもすぐダメになって買いかえなければならない。それならば長持ちする高級品を買い、きっちり使い込んだほうが味も出る、という思考なわけだ。


世間では見た目より中身、という言葉もある。だが、ことビジネスにおいては、まず見た目で相手を引き付けない限り、中身を見せる機会そのものが巡ってこないという事がよくある。


背広やカバンで見た目が演出できるなら、充分”生きた”投資なのである。戦場で自分の命を預ける装備に安物を選ぶような人間は、死んでも文句は言えないのだ。


「ま、そもそも無理をしてもブランド品が買えないおれのような人間には、まだあまり意味が無いわけですが」


 ちなみにおれが愛用しているザックは某アウトドアメーカーの蔵出品である。これはこれで耐久性と防水性がケタハズレなのでおれは重宝している。


「ともあれ。高級ブランドの代名詞とも言える御社の御依頼となると、案件はやっぱり」

「――はい。近頃出回っている偽ブランドについてのお願いです」


 やっぱりそう来たか。


 

 

「我々プルトン社の歴史は、そのままコピー品との戦いの歴史でした」


 既に所長には説明し終えているだろうに、小栗さんはおれに丁寧に再説明してくれた。


「十八世紀に初代プルトンが、トランクの上に布地を貼るという画期的な製法を開発してから五年後、すでに各地でそれを模倣した安いコピー商品が発生していました。初代はそれを嫌って新しい布地の組み合わせを発明しましたが、それもすぐに模倣されることになりました。以後百五十年、我々は新製品の開発と、それに追随するコピー品の誕生というサイクルを繰り返してきました」


 度重なるコピー品の発生もあったが、結果としてプルトンは勝利を収めた。例え優れたデザインがすぐにコピーされてしまったとしても、確かな技術力と良質の素材までは埋め合わせる事が出来なかったからだ。


「――現在まで、我々の造るものの品質は、決してコピー品の類に追いつかれるようなものではありませんでした」

「おれもアジアの裏通りでその手のパチモノは随分見かけましたが。一目で偽物とわかるものばかりでしたねえ」


 中学生の頃からそんな所に入り浸っていた我が人生を振り返り、ちょっと自己嫌悪。


「しかしここ十数年、その品質そのものが追いつかれつつあるのです」


 俗に言うスーパーコピーである。本物に近い素材を使い、本物に近い製法で仕上げる。それらの多くは人件費の安い中国などの工場で作られており、またもちろんデザイン料も不要のため、本物と同程度の材料費を投入しても充分に安いものが供給出来るのだ。


美術品の贋作同様、最近の偽造技術は極めて高い水準まで引き上げられてきており、クローンと呼ばれるものも出回るようになって来た。すでに税関の職員や、プロの仲買人にも見破る事が難しくなっている。大きな声では言えないが、誰にも気づかれないまま、精巧なスーパーコピーが某大手デパートの店頭で売られていたなんてこともあったらしい。


「この手のモノは一度当たればぼろ儲けなのよね」

「まあ、銃器、麻薬、偽ブランドは密輸品の御三家ですしね……」


 もちろんこんな手の込んだ大規模な偽造を、そう簡単に出来るわけが無い。そういった偽ブランドメーカーの後ろには、だいたい国際的な犯罪組織やマフィアがついており、彼等の資金源となっている。


世間には偽物と知らずに買わされる人はともかく、中には偽物と知りつつ買ってしまう人もいる。だがそれは明らかな犯罪行為であり、またその金が暴力組織の利益になっているという事は、よくわきまえておくべきだろう。


「専属の鑑定士さん、という事はこの手の偽ブランドの判別がお仕事という事ですね」


 小栗さんは頷いた。この人はプルトン社に属し、各地に出回るプルトンのブランド品が本物か偽物かを鑑定する事が仕事なのだ。


「特に問屋さんから、自分の仕入れたものを判定して欲しいと言われる事が多いのですが……。今回は少し違います」


 そう言うと小栗さんは巨大なボストンバッグを開き、中から三つのバッグを取り出した。大小種類はあるが、いずれもプルトンのバッグ。この名刺と同じロゴマークが入っている。


「これ、もしかして偽物……には到底思えませんねぇ。まさしくクローンだなこれ」


 おれは以前にアパレル企業に関する任務についたときに、見分け方の初歩の初歩を教わった事がある。ロゴの印刷のズレ、皮の質(安物は手触りが悪い)、そして裏面の縫製(手間がかかるため、粗雑なコピーではここに手抜きが現れる)。素人なりにチェックしてみたが、まったくお手上げ状態である。すると小栗さんも一つ大きなため息をついた。


「ええ。鑑定士の私から見ても、本物に間違いありません」


 おれはがくりと肩を落とした。


「な、なんだ本物ですか。思わせぶりに出さないでくださいよ」


 話の流れからすれば偽物だろ普通。


「それがねえ亘理君。問題はそこなのよ」

「は?」

「これは、ネットオークションで六万円で競り落としたものです。こちらは五万八千円、これは七万四千円」

「んな馬鹿な!?」

 一時期とある女性に貢がされていたおれの経験から言えば、いずれも並行輸入の格安店で購入したとし

ても十五万円以上は固い代物である。……すまん、今の発言はスルーして貰えるとありがたい。


「どう考えてもパチモン価格じゃないですか」

「ええ。実はこのようなブランド品が最近、ネットオークションで大量に出回り始めているのです。格安で出展され、この程度の値段で落とせてしまう」

「……でも、本物なんですよね?中古品とか?」

「いえ。新品です。そしてこれは今年のモデルです。我々製造側が言うのもどうかとは思いますが、これを六万円で売りに出して利益が出るはずが無い」


 ……つまり、話を整理すると。


「ネット上のオークションで、本物が、大量に、赤字確定のはずの値段で出回っているということですか?」

「そういうことよ亘理君。これが誰かものすごく気前のいい大金持ちの気まぐれで無いとしたら」

「……誰かが非合法な手段で本物を手に入れ、安値で売り捌いている。あるいは」


 小栗さんがおれの言葉を引き取った。


「……私ですら本物と鑑定せざるをえないこれが、偽物かも知れないと言うことです。もしこれが偽物であれば、我々にとっては非常な脅威となります。御社にお願いしたいのは、一連のこの品物の出所を調査し、真贋を突きとめて頂きたいのです」

 

 

 

「どうしたものかなぁ」


 小栗さんは忙しい人らしく、すぐにまた会社へと戻ってしまった。おれはと言えば、とりあえず引き受けたものの、まず打つべき第一手が思いつかず、自分の席であてどもなくペンを回している次第。今、来音さんがネット上で該当するオークションのログを集めてくれているので、それを見て方針を決定したいところ。


「……また仕事?」


 気がつくと七瀬真凛がおれの後ろに立っていた。先ほどのような怒りのオーラはとりあえず也を潜めたようだ。……ていうか、その。餌をくれるのかいじめるのか判らないながらもこっちににじり寄ってくる犬のような表情はいかがなものか。


まあ、おれとて分別のない大人ではない。泥を洗い落としてまっとうな思考を取り戻せば、譲歩する大人の余裕も無きにしもアラズ。


「あ、ああ。まーな。土日で二本っつーのも久しぶりなわけだが」

「ボクは……どーすればいいのかな」


 ……むぅ。こいつも来音さんに何か言われたクチか。怒りのオーラは抜けたらしいが、なんだかしゅんとしている。普段が普段なだけに、あんまり元気がないとこちらも調子が狂う。


「ああ。今回は地道な調査任務だし。お前は帰ってゆっくり休んでくれ」


 それはおれなりの謝意だったのだが。


「どうして……?」


 何故か真凛は視線を床に落としていた。


「そんなにボクは役立たずかな?喧嘩にならないから居ても意味が無いってこと!?」

「べ、別にそんな事は言ってねえよ」

「言ってるじゃないか!」


 ……あ、ムカ。


「ンだよ。さっきまで散々おれと組むのはイヤだとか言ってたくせに。希望どおり帰れって言ってやってるんだから帰れよ!」


 真凛がこっちに一歩詰め拠る。おれは飛び退って構えた。


「や、やる気かよ」


 だが、予想されていた打撃は飛んで来なかった。


「言われなくても帰るよ」


 とだけ呟くと、おれに背を向けた。


「何だよ、せっかく……」


 語尾はよく聞き取れなかった。机の上に置いてあった自分の荷物を掴むと、真凛はとっとと事務所を出ていった。


「何怒ってんだよ、あのバカ」


 ……んなつもりじゃあ、なかったんだがなあ。


 

 

「亘理さーん?」


 のんびりした声だが、おれはまるで雷に撃たれたように飛び跳ねる。プリントアウトした書類の束を手にした来音さんがそこにいた。


「な、なんでしょう、来音さん」

「今回の仕事に必要な情報はプリントアウトしてここにファイルしてあります。電子情報も順次社内のサーバーに集めておきますので、必要に応じて『アル話ルド君』でダウンロードしてください」

「りょ、了解です」

「まず捜査すべきポイントも目星をつけましたので、明朝九時にそちらに向かってください。あとは亘理さんのやり方でどうそ」

「……はい」

「それでですね~」


 ……なんでこの人の声は間延びしている時の方が迫力があるのだろうか。


「真凛さんにはあ、ちゃんと謝れたんですかね~?」

「い、いえまあその善処はしたのですが」

「うふふふふ」


 え、笑顔だけでおれの言葉を否定しないでくださいっ。


「真凛さんがね、さっき亘理さんが商談中の時、私に相談しに来たんですよお」

「……何をです?」


 おれの疑問に直接は答えず、来音さんは何故か、はあ、とため息をついた。


「所長からは通常どおり二人一組で仕事にあたるように指示が来ています。あの子には私から連絡しておきますから。今日は亘理さんも帰ってゆっくり休んでください~」

「……わかりました」


 どのみちこれ以上ここにいても出来る事はなさそうだ。処置なし、とおれは口の中で呟いて、事務所を後にした。

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