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◆01:戦いすんで日は暮れて

「アンタがもう少し早く気づけば、こんな事にはならなかったんだよ!」

「……あのねえ。崩れかけた足場を真っ向から無視して震脚を踏み込みまくったのはおまえだろうがよ」


 湿った文句に湿った反論を返し、おれは黙々と歩を進めた。新宿から高田馬場方面へと向かう明治通りの途上である。金は無いが食い物にはうるさい学生が集うこの通りには、安くて美味い飲食店がひしめきあっており、普段なら歩いているだけでそれなりに楽しめる場所だ。


だが今、衣服の裾からアスファルトへぱらぱらと茶色い粉を撒き散らしながら、肩を落として進むおれ達二人組にはそんな感性は残されていなかった。全身は泥まみれの状態のまま乾燥してしまい、さながら自分の田んぼから間違って這い出てしまった瀕死の泥田坊と言ったところか。


 二人の泥田坊を容赦なく炙る陽射し。午後に入っても気温は下がらなかった。夏の間猛威を振るいに振るいまくった太陽は、九月に入っても一向に衰える気配を見せず、まだまだ都内は不快指数過剰の牢獄である。すれ違う人々の視線がとってもイタイ。いっそ本当に泥田坊よろしく腕を差し出して、田を返せえぇぇえ、とでも叫んだ方が気が楽になるかも知れない。


「あげくの果てに地下鉄では駅員さんに乗車拒否されるし。知り合いが乗ってたらどうするんだよ、ボク、毎日通学にも使ってるのに」


 我がアシスタント、七瀬真凛がぎゃあぎゃあと抗議の声を上げ、泥に汚れたシャツと、全身から噴き出す汗がもたらす不快感に拍車をかけた。そろそろ政府は残暑だの立春だのという言葉の定義を変えたほうが良いのではないか。一歩踏みしめるたびに足元から這い上がってくる、靴中の泥の生ぬるい感覚と相まって、不覚ながらこのおれ亘理陽司も、いささか苛立っていた模様。


「はん。そんなら運転手に送り迎えしてもらえばいいだろうが。旧士族のオジョウサマはおれ達ショミンとは同じ土を踏みませぬわオホホ、みたいな感じでさ。もっともその様じゃー誰がどう見てもタニシ摂りの子供だけどな」

「ふんだ、ボクが居なければアンタは今そんな事も言ってられなかったくせに」

「はっ、もともとおれがあそこまで追い込まれたのも元はと言えばお前が――」


 先ほどからこんな益体もない会話を延々と繰り返している。もう何巡目か考える気力も無い。


 

 

 事の発端は今日、九月下旬の土曜の朝に遡る。中学や高校ではすでに二学期が始まって久しいが、おれの大学ではまだギリギリ夏休み。この休み中に引き受けてきたフレイムアップの仕事も、先日長野から都内までを一夜で駆け抜けたことでどうにか一段落がついた。


おれは他の連中のアシストに入ったりしながら比較的穏やかな(あくまでも比較的、だ)日々を送っていたものだ。そんな中に舞い込んで来たのが、東京都西部の某町に頻繁に出没して店先や田んぼを荒すという猿の駆除依頼だったのである。


 突拍子もないと思われるかも知れないが、こういった動物関係の依頼はおれ達にとってオーソドックスの部類に入る。浜辺に打ち上げられたイルカを助けたり、高度に統率された野犬の群れと死闘を演じたり。


二十一世紀であろうと、都会を一歩離れれば、今なお動物や自然達と真っ向から向き合い戦い、あるいは共生している人がいる。これは別におれ達エージェント業界に限ったことではない。


 あるものは自然のバランスの変動の影響(それを自然破壊と呼んでいいのかはおれにはわからない)で住処を追われ、あるものは無責任な人間の餌付けに味を占め、猿やカラスが人里に降りてくる。彼らのもたらす被害は全国で年々深刻化している。今回の依頼は町を荒らす猿を捕らえ、これ以上被害が広がらないよう処置を施すというものだった。


 威嚇も罠も通じず、動物保護の観点から射殺も出来ない猿達。ほとほと困っていた町の人々と、彼等に協力する猟友会の皆さんと、東京にいながら連携を取り、どうにか猿の群れを追いたて一箇所に集めたのが昨日の夕方。そんで、仕上を施すべく朝一番で新宿から中央線に乗ろうとしたおれに、学校が休みだからとついてきたのがこいつ、七瀬真凛だった。そこまではまあ、いつもの事なのだが。


 

 結果は――散々なものだった。


 

 おれの能力で猿達を檻の中に誘い入れ、今回チームを組んだ獣医出身のエージェントに、人里に二度と近づかないように処置を施してもらう。万事うまく行っていたはずの作戦は、おれと真凛のささいな連絡の行き違いから破綻した。


檻から脱出し街中を逃げ散る猿を、おれ達や猟師さん、最後には町民総出で追い掛け回すハメになったのである。そして、乱戦状態になった猿を捕まえようと真凛がその馬鹿力を解放した結果、足元のあぜ道が崩壊し、おれ達は二人揃って、まだなお水の残る晩生が植えられた田んぼに転落するハメに陥ったのだった。


「帰りの中央線の視線も痛かったな……」


 どうにか仕事そのものは成功させたものの、着替えも持ってきておらず、おれ達は中央線最後尾に新聞紙を敷いて、泥だらけの身体でひたすら無言で立ち尽くしていた。


心の中では『おれはオブジェです、おれは置物です、気にしないでください』と必死に訴えていたものである。おれ達の哀れっぷりに同情してくれたのか、乗客が多くなかった事も幸いしたのか。車掌さんに放り出される事も無く何とか新宿までは戻ってこれた。


だが、結局都内で乗車拒否され、こうして明治通りをとぼとぼと歩き、徒歩で高田馬場の事務所まで戻っているという次第。三十分以上歩き続けているが、電車内で無言だった分、互いの罵詈雑言は尽きる事は無かった。

 

 

 明治通りを右に折れしばらく歩くと、飲食店の並びはより賑やかになってくる。賑やかであればあるほどおれ達は一層身を縮め、こそこそと道の端っこを歩いた。


 そしてようやく古書店『現世』の看板が眼に入る。ここから裏手に周り、スチール製の階段を昇りきれば、二階のテナントとして入居している『人材派遣会社フレイムアップ』の扉の前に辿り着くのだ。どうにかゴールしたものの、こんな格好では中にも入れない。おれはインターホンを荒っぽく押して、泥まみれの体をベランダの手すりに預けて舌打ちした。


「……だいたいなあ、お前、なんで言われもしないのについてきたんだよ」


 ずるずるとおれの前に立っていた泥田坊の子供がこちらを振り返った。


「別にアンタについてきたわけじゃない。昨日の夜に浅葱さんから電話で頼まれたんだよ。アンタ一人じゃ頼りないから護衛してくれって」


 おれは鼻でせせら笑った。


「護衛!護衛ね。その割には率先して猿の群れに突っ込んでったけどな」


 真凛の眉が跳ね上がる。


「……ちょっと。そもそも攻撃の指示を出したのはアンタでしょ?」

「おれは足止めしてくれと言っただけなんだがな。まったくお前と来たら猪突猛進しかないっつーかケンカ馬鹿っつーか。ホント何でお前みたいにガサツな男女がおれのアシスタントなんだろね」


 すると真凛は泥まみれの格好のまま腕を組み、こちらを見据えた。先ほどまでのような怒りはなりを潜め、逆にいやに冷淡な視線を向けている。


「本当、なんでボクがアンタのアシスタントなんだろう。直樹さんとか仁さんとか、須江貞さんとか、みんなきちんとした人なのに。毎回毎回ボクの仕事ってひ弱なアンタの護衛ばっかり。これじゃどっちがアシスタントかわからないよ」


 いつもならコイツのこの手のコメントには冗談めかして侘びを入れるおれだが、どうしてかこの時は口が勝手に動いていた。堂々巡りの愚痴は、いつのまにかあらぬ方向へと逸脱しはじめていたようだ。


「そりゃお前の取柄なんて戦闘力だけだからな。護衛と攻撃以外に使い道が無い。だいたいそう思うなら外れりゃいいだろ。こっちだってもともとおれ一人の方が身軽なんだ。やる気の無いアシストなら要らねえよ」

「ボクだってそうしたいよ。でも残念でした、他の人はアンタと違って一人で自分の身も守れるんだって!」

「……ンだと!?」

「何だよ!?」


 腰に両手を当ててキバを剥く真凛に応戦して、おれも泥まみれの袖をまくりあげる。事務所の扉の前で、三軒先まで聞こえるほどに響き渡っていた見苦しい口喧嘩は、ついに見苦しい物理戦闘へと――


 

「お帰りなさい。ご苦労様でした、陽司さん、真凛さん」


 

 ――突入する寸前に、開いた事務所の扉によって遮られていた。出鼻をくじかれ、扉の反対側の真凛も気勢を削がれ立ち尽くしている。まるで計ったようなタイミングで扉を開いた人物――艶のある黒髪と知性の匂いを漂わす眼鏡が印象的なその女性に、おれは些か恥じ入って答えた。

「は、どうも。只今戻りました、来音さん」

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