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◆11:ダメ学生VSダメ人間

 絶句、という言葉を久しぶりにまざまざと味わっていたおれがふと我に返った時には、やつはまたもラインを阻止する軌道に戻っている。先ほど奴から繋げられた通話がまだ生きている事を確かめると、おれは唸った。


「……は。いいバイクじゃないか。お前にしちゃ趣味がいい投資だな」


 たっぷり皮肉をまぶしたコメントは、同じ類のコメントで迎撃された。


『たわけ。借り物に決まっているだろう。こんなものを買う金があれば、アメージングフェスティバルでアラサキの新作をその場で買い占められるわ』

「なんだそのアラサキって」


 『隼』の軌道に被せるように車線を変更する『カミキリムシ』。


『フィギュア造型の第一人者に決まっているだろう』


 さいですか。ンな向こう側の常識はどうでもいい(っていうか買い占めるのに新型リッターバイクと同じくらいの金が必要なのか?)。


「で。……何故こんな所にいる?」


 おれは冷たいものを潜ませて声を放った。仮にこいつと本気で殺し合いが出来る可能性があるのなら――機会を逃すつもりは毛頭ない。


「あ。もしかしてあの所長、ついに依頼の二重取りに手を染めやがったか?」


 ひとつの派遣会社が敵対する双方の組織にエージェントを派遣するのは『二重取り』と呼ばれる。派遣会社は一件で二人を派遣出来る代わりに、依頼人は常に、エージェント同士で情報が漏れているのではないか、という疑いに苛まれることになるため、業界全体の信用を落とすとして忌み嫌われるやり口である。


『そうではない。これは俺が個人的に、今回限りで引き受けた仕事だ』

「へぇ?友達の居ないお前に頼みごとをするような伝手があったっけ?」

『『あかつき』の伊嶋編集とは、イベントでな』


 何のイベントだ。威嚇するかのようにウィリーする『隼』、振り下ろされる前輪を、冷静に最小限の動きでかわす『カミキリムシ』。


『今回は彼のたっての頼みということで引き受けた。うちは他の派遣会社への二重登録は禁止だが、別のバイトの掛け持ちは禁止されていないはずだ』

「そりゃまあそうだが……」


 そこまで言って、唐突にひらめいた。


「待て、お前、報酬は何を持ちかけられた?」


 奴は誇らしげに答えたものだ。


『第十二堕天使サルガタナスことサリっち役の声優、七尾朝美さんの目覚ましCDを……な』


 語尾の「……な」に、万感の思いが乗せられている模様。


「良くわからんが、それって店で売ってるんじゃねえのか?」

『阿呆!俺の為に特別に収録してくれるのだぞ?サリっちが『さっさと起きなさいよ、このバカ直樹!』と毎朝叫んでくれるのだぞ?ならば命を懸けるしかないではないか!』


 仕える女王の賜う杯のために命を懸けた騎士は知っていたが、アニメキャラが罵倒するCDのために命を懸ける吸血鬼を、幸運にしておれはまだ知らなかった。というか生涯知りたくもなかったのだが。いずれにしても、確かなことはひとつ。奴はこの任務で退くつもりは毛頭ないということだ。



「――いずれはと思っていたが。意外と早かったな」



 もはや何度目か、おれは意識を飛ばし、鍵を取り出す。それを察して向こうの声にも霜が降りた。


『修理中の骨董品に負けてやるほど落ちぶれてはいないつもりだがな』


 直樹と『カミキリムシ』の姿が白く曇ってゆく。己の能力と本性を開放した吸血鬼が作り出す冷気の渦が、高速で流れる周囲の空気と混じり白い霧を作り出している。


 ははん。いきなり本気ってワケね。じょーとー上等。ならこちらも出し惜しみはやめようか。おれは取り出した鍵を持ちかえた。周囲の世界ではなく、古ぼけた抽斗の鍵穴に――




『すまん、遅くなった!』


 意識が途端に引き戻される。前方から響く急ブレーキの音についで、質量を備えた鋼鉄の箱が空間をえぐってゆく。強烈な既視感を覚える光景だが、今度登場したのは頼もしい味方だった。


「見上さん!」


 境川PAを出発してから、機をはかっていたのであろう。見上さんの駆る業務用のカローラが、直樹の『カミキリムシ』とおれ達の『隼』に向けて突っ込んできた。先程玲沙さんと見上さんが連絡した際に作り上げていた仕掛けだろう。この機を待ち構えていた玲沙さんに対して、おれとの駄弁りに興じていた直樹は反応が一瞬遅れた。バランスがくずれ、大きすぎる回避運動をとってしまう。ラインが……開いた。


『行きます』


 もはや言われずともわかっている。玲沙さんの掌が翻り、アクセルが開放される。待ち望んでいたかのように周囲を圧して轟く『隼』のエンジンの咆哮。開いたラインに強引な割り込みをかけ、そして一気に――抜いた。『カミキリムシ』の周到な妨害を突破したのだ。一度枷を解かれてしまえば、猛禽の王に追随する者があろうはずもない。例え直樹の人外の反射神経と『カミキリムシ』の性能があったとしても。


『最速で、獲ります』


 この、『薄皮を剥くように』最適最短の道を疾走する最高のライダーに、つけいる隙はもはやない。カーブを曲がるたび、前方の車両を抜き去るたびに、少しずつ、だが確実に開いていく両者の差。


 役目を終えた見上さんの車が路肩に緊急停止する頃には、『隼』は『カミキリムシ』に十メートルの――わずかだが決して埋めることの出来ない十メートルの差をつけていた。さぁて、そろそろかな。意識を再び内面へ。おれはぶら下げたままの鍵を、またも持ちかえなおした。


 

『亘理陽司の』『指差すものは』

 


 俺は上半身を捻り、『真紅の魔人』を指差す。奴の名前を直接文言に織り込むのは今の俺には危険に過ぎた。追いつけないと判断した奴が最後の一撃を仕掛けてくるのは、まさにこの時機を置いて他にない。

 


『亘理陽司に』『触れる事はない』

 


 果たして、大気を裂いてこちらに飛来するのは……奴が己の冷気で作り出した氷の投槍。飛び道具に絞った俺の判断は正鵠を得た。奴の投じた必殺の一撃は、だが強烈な向かい風に狙いを外され、地面に飲み込まれて砕けた。

 


「……って、あいつがこの距離で槍を外す確率なんて、考えるだけでも悲しくなるほど低いんだがな」


 おれは頭痛に泣きそうになる。起こりやすい事象であればあるほど、因果を捻じ曲げるには強力な『鍵』が必要になる。素人が三十メートル先から撃った銃弾が自分に『当たらない』ようにするのはおれにとっては容易だ。というか、そもそも当たる確率の方が低いだろう。十回中一回しか当たらないとすれば、おれは『当たってしまう一回』に鍵をかければ良い。


 だが、例えば一メートルと離れていない距離から凄腕の殺し屋が放った弾を『当たらない』ようにするのはとんでもなく大変だ。弘法も筆の誤り、千回に一回くらいはミスしてくれるかもしれない。だが、おれが『それをモノにする』ためには、当たってしまう『九百九十九回』全てに鍵をかけてまわらなければならないのだ。


 強力で正確無比な吸血鬼の攻撃を『外す』のは並大抵の仕事ではない。表面には何の兆候も現れないものの、おれの中に蓄えられた見えないコインがごっそりと持っていかれたのを感覚する。だが、それだけの成果はあった。槍を作り出し投げるという行動は、一秒の奪い合いとなるこのスピードの世界では致命的だった。


 一気に二十メートル以上離される直樹。やがて、直線を抜け、勝沼を過ぎ、トンネルを抜けて初狩に至る頃には、直樹の姿はバックミラーから完全に消え去っていた。


『むぅ……。さすが『剃刀』。力任せの運転ではこれが限界か』


「はっはっは、ざまぁ見さらせ。せいぜいアニメ内の台詞を脳内で自分の名前に置き換えて楽しむ人生を送るんだな」


 追跡の間中ずっと罵詈雑言を言い合っていた直樹に一方的に勝利宣言をすると、おれは『アル話ルド君』を切断した。決着をつける事は出来なかったが、まあ焦る事は無い。いずれは否応なしに通る道だ。と、新たな回線が開いて、今回のMVP……勝てればだが……に繋がった。


『指示役以外にも活躍出来たみたいでよかったよ』

「ホンッッットありがとうございました見上さん!」


 率直な賞賛の念を込めておれは礼を述べた。本来は戦力外と考えていた見上さんのおかげで、直樹を実質無力化できたのである。これで大きく天秤をこちら側に傾けることができた。


『私は近くのPAに移動して、そこでまたクラウンの位置を確定する。都内に入られると何かと行動が制限されるから、それまでになんとしても奴に追いついてくれ』

『わかりました。時間としては、まだ何とか可能なはずです』


 

 

 

 闇を切り裂いて疾走する『隼』のタンデムシートに跨りつつ、おれは自分の中の残ったコインをかき集めてみる。だが、やはり随分無理をしたのが祟ったのか、当分は『鍵』を引っ張り出すのは無理のようだ。先程の直樹の追撃を防いだ時点で、おれの札は打ち止めだった。ここから先はスピード勝負になる以上、もう無用な荷重でしかないおれを降ろしていくべきだろうとも思ったのだが、


『いや、亘理君は引き続き乗っていくべきだ。ただのレースならともかく、原稿を奪還するには二輪の運転手が一人では何かと不利だからな』


 という見上さんの判断により、おれも引き続き追跡にあたっている。残るは、二対二。いよいよ大詰めだ。だが緊張とは裏腹に、タンデムシートに跨る身では出来る事など大してない。おれは気分転換のため、ちょいと話しかけることにした。


「……玲沙さんって、お住まいはどちらで?」

『え、と。調布です』


 やはり玲沙さんも幾分緊張していたようだ。


「じゃあ、自宅の前を通ることになるんですね」

『自宅って言っても、会社が借り上げたアパートですよ』

「てことは、仕事三昧の日々?メシなんてどうしてるんですか?」

『えっと、朝は自炊、昼はお弁当で。夜は……近所のコンビニのお弁当になりますね。今日みたいな深夜の仕事があると、どうしても生活が不規則になりがちですし。知らないお店に入るのは怖くって……。毎日都内を走り回ってるのに、交差点と抜け道しか知らないんですよ』


 ちょっと寂しそうな玲沙さんの声であった。


「神田の『古時計』の近くに、『椋鳥』って喫茶店があるんですよ。良く神田に本を買いに行くときはそこのお世話になるんですが。あそこね、コーヒーもたいしたものですが、何故か喫茶店のくせに和食のメニューを出してくれるんすよ。そしてそれがまたやたらうまい。焼き鮭と卵で三杯はいけますね」

『はあ……』

「えっと、だから、まあ。今日の朝飯は、そこできちんと食べましょうって事です。勝利をおかずにして」


 我ながら胡乱な物言いだな。


「あと、まあこう見えても暇な大学生ですから。池袋、新宿、神田あたりの食い物なら多少知ってます。昼に弁当以外を食べたくなった時は電話ででも聞いてください」


 玲沙さんからコメントが返ってくるまでにはちょっと間があった。


『そうですね、さすがに休憩なしでずっと走っているとお腹が空いてしまいますしね』

「そういうこと。それじゃあ、」

『「もうひと踏ん張りがんばりましょう!!」』


 気合をひとつ入れると、おれは彼女の腰にしがみつき、荷重に徹して彼女の妨げにならないよう努めた。見上さんから送られてくる敵の位置と道路状況を参照しつつ、はるか上空から見つけた獲物めがけて落下する隼のように、前方の車両を抜き去り、談合坂を越え、闇に浮かぶ灯火に縁取られた相模湖に目もくれることなくただただひた疾走る――。


 ……ついに前方にトヨタ・クラウンアスリートを捉えた時。


 おれ達は神奈川県を抜け、八王子の市内に到達していた。

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