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◆09:ハヤブサとカミキリムシ

 トレーラーの速度に強制的に合わせられる形で、『隼』は時速八十キロ程度まで減速させられていた。そのはるか向こうにいるはずのクラウンとの相対距離が離れれば離れるほど、おれと玲沙さんの胸中には焦りが降り積もってゆく。八ヶ岳の麓、昼ならさぞかし美しい夏の緑を堪能出来たであろう中央道の上で、金で雇われた四人のエージェント達は対峙していた。


 玲沙さんにしてみればトレーラーを追い抜くのは容易い。だが、当然相手がそれを見過ごしてくれるとは思えない。しかし時間が経てば立つほどこちらは不利になる。進むべきか、待つべきか。


 と、そんなおれの逡巡を切り裂いて轟く、鋼鉄の唸り声。おれは咄嗟に視線を上空へ向ける。人間が幾ら速く地を走ろうと、ただ空に動かず在る月を横切って――バイクが宙に舞った。異様な光景に音が消えたような錯覚を覚えた後。後方にどず、と鈍い音。そして、急速に迫り来る硬質のエンジン音。


 

 敵の跨ったバイクが、トレーラーのコンテナに停止した状態から急加速してジャンプ、なおかつ空中でターンを決めながらシフトアップして着地したときには既にこちらを追跡する加速体勢に入っている――おれが今見た光景を第三者的に分析するならそういう事だ。


 だがしかし、敵は二人乗り。しかもアレはジャンプに適したモトクロス用なんかじゃ断じて無い。水銀灯を反射して艶めかしく輝く、紅と緑の斑に塗装された車体。小さな頭部状のフロントカウルから突き出す大きな一つ目のヘッドライト。剥き出しの骨格を思わせるフレーム。おれはなぜか南に棲む獰猛なカミキリムシを連想させられた。


 

 YAMAHA XJR1300。


 

 その型番を知る由もなく、考える暇はさらになく。おれ達はたちまち迫り来る新手、フルフェイスヘルメットとライダースーツに身を包んだ二人組との死闘を演じる事となった。


「……っと!」


 『カミキリムシ』が突如その釜首をもたげた。前輪を引き上げる、いわゆるウィリー走行という奴だが、おれの目にはまさしく、腹を空かせた虫が獲物を捕食せんとする様に見えた。その前輪で押しつぶすつもりかよっ!?


 咄嗟に『隼』は身をかわす。ギロチンさながらの勢いでおれの傍らを落下してゆく前輪。だが、奴らの狙いは最初から直接の攻撃ではなかった。


「くそっ!」


 おれは悪態をつく。回避のために体勢を崩した『隼』の隙に漬けこみ、あっという間に『カミキリムシ』が前方に割り込んだのだ。


 ラインを塞いだ途端にスピードを落とす『カミキリムシ』。それに衝突されるのを嫌って『隼』もスピードを落とさざるを得ない。


 物騒極まりない積荷を路上に放り出したトレーラーがゆっくりと、だが確実に加速してゆく。時速百キロオーバーとはいえ、先程までのおれ達のスピードに比べれば他愛も無いものだ。だが、今の『隼』は、前方を塞いだ『カミキリムシ』に完全にその翼を殺されていた。たちまち、前方へと流れてゆくトレーラー。

 


 

 『隼』の走行を遮る位置をキープし、時速百キロ未満の速度で車体を小刻みに揺らす『カミキリムシ』。連中の意図がおれ達の足止めに在る事は明確だったが、だからと言って容易に突破させてくれるものでもない。


「このっ……」

『しゃべらないで』


 簡潔極まりない玲沙さんの指示の後、怒涛の如くに視界が傾いた。


「……っ」


 たちまち彼女の指示の理由を明確に理解する。迂闊に口を開けば舌を噛み千切りかねない。まるで難破船から嵐の海に投げ出されたようなとんでもない左右の揺れ。玲沙さんがアスファルトすれすれどころか皮一枚まで身を乗り出す無謀なまでの体重移動で、右から左からラインを伺う。だが敵もさるもの、巧みにこちらもラインを塞いで、決して前を譲ろうとはしない。


 さながら剣豪の鍔迫り合いの如く。甲虫と猛禽は見えない一本の線を巡り火花を散らした。互いの爪を、牙を掻い潜る。ひとたび動作を誤ればたちまち路面に呑まれて消える物騒な狩場で、捕食者達は互いの存在意義をかけて戦い続けた。


 相手のドライバーも相当な腕だ。……いや、違うか。不幸にも多くの規格外の人間を見てきたおれにはなんとなくわかる。あれは操縦が上手いのではない。操縦者本人の反射神経と腕力とで無理矢理車体を振りまわしていると言った方が正しい。


 『隼』を手足のように使いこなす玲沙さんとはそこが決定的に異なっていた。腕だけなら間違いなく玲沙さんが上だろう。だが悲しいかな、今は体重移動の手伝いも出来ない余計な荷物が彼女の腰にぶら下がっている。


 切り返し、加速、急減速。ウィリー。


 韮崎ICの看板が過ぎ去る。車線を変え、速度を変えながら続けられた現代の早駆けは、既に距離にして二十キロに達しようとしていた。無言のまま極限まで集中を高め、アスファルト上にある蜘蛛の糸のような理想のラインを辿る玲沙さんにおれがしてやれる事は、余計な計算要素を増やさないよう、せいぜいしっかりしがみついて荷重に徹する事だけだった。


 前と左右への激烈かつ連続した移動に、三半規管は先程から絶叫しっぱなしだ。だが悠長に乗り物酔いを発症させてやるほどおれの神経系に余裕は無かった。面倒な生理作用は全て副交感神経に一手に押し込め――全部終わったら盛大にゲロ吐いてすっきりしよう――おれはもう一人の敵、タンデムシートに座ったもう一人から目を離さないように務めていた。


 馬と騎手の性能がほぼ互角であれば、乗せられている人間の性能に全てがかかってくる。ここからは華麗なドライビングテクニックではなく、珍走団よろしい車上の殴り合いがものをいう世界になる。だが。頭にちりちりと走る不快な疼き。くそっ、さっき車の中から原稿を奪い取るためにおれは景気良くカードを切りすぎていたようだった。霞む目でどうにか敵を見据える。と、


 

 後部座席の敵が、立ち上がった。


 

 文法的に何ら間違っていない。立ったのだ。取り付けられたタンデムステップに両足を乗せたまま、両足で車体を締め付けるようにして。もちろん『カミキリムシ』は停まってなんかいない。トレーラーがはるか前方に過ぎ去った後、徐々に加速し、今や時速百キロ以上で激しくおれ達とラインを鬩ぎあっている、その中で、である。


 激しく左右に傾ぐ車体に、まるでスノーボードを楽しむかのようにぴたりと脚を吸いつけている。……おいおい。いくらなんでも船頭さんが揺れる船の上で立っていられるのとは次元が違うんだがなあ。


 出来損ないの特撮じみた光景。そんな中、おれは今更ながら、男が何か細長い筒を背負っている事に気がついた。建築デザイナーが図面を納めて持ち歩くような筒。と、おれの視界の中で奴は悠々とその蓋を開け、手を突っ込み……三本の棒を取り出した。そして、それぞれをねじ込んでつなげてゆく。おれは玲沙さんの激しいライン取りに視界を激しく揺らされながらも、その光景からは目が離せなかった。


 やがて。


 男の両手には、長さ二メートルを越える『槍』が握られていた。比喩表現ではない。本当に、大河ドラマで大鎧を着た武将が振り回すかのような、一本の槍。


 

 

『気をつけてくれ亘理君!!そいつは多分『貫影』という槍使いだ!馬上槍を専門として扱う流派で、馬上、船上、殿中何処でも必殺の一撃を繰り出してくるぞ!』

「玲沙さん!」


 その言葉を情報として脳で咀嚼すると同時におれは叫ぶ。そして無理な姿勢からありったけの力をかけて首を沈めていた。メットから響く乾いた音。狙われたのはおれの方。槍の穂先がかすめたのだ。


 続く第二撃を予想し全身を強張らせる。だが衝撃は来ず、事態に気付いた玲沙さんが咄嗟に減速し、左車線をキープする。今まで玲沙さんが芸術的なラインで少しずつ詰めてきた距離を、一気に放棄して、だ。おれは歯噛みして槍使い――『貫影』に目を向ける。奴はあろう事か、やはり立ったまま、槍を担いだ状態で、肩を竦めてみせた。


 ンの野郎。っと、いい加減ぶつんと行きそうになるのを必死に押さえ込む。一人ならともかく、今のおれは安い挑発に乗るわけにはいかないのだ。おれの態度が気に食わなかったのか、一撃で仕留められなかったのが気に入らなかったのか。『貫影』は一つ息をつくと、今度はおれ一人を狙って槍を突き出してきた。


「このっ……」


 唯一自由になる右手でなんとか槍を払おうとするが、そんなものバイクの上で直立するなんて離れ業をやってのける達人に通じるはずもない。防御を掻い潜って面白いようにおれのわき腹やメット、肩に穂先が当たる。ライダースーツがなければ血だるまになっているところだ。おれはバランスを崩しそうになるのを必死にこらえる。


 だがおれは串刺しにされているわけではなかった。例え石突で突くだけでも、本気でおれを弾き飛ばせば『隼』も玲沙さんもまとめて転ばせることが出来ると言うのに、奴はそれをしなかった。……野郎はおれを『小突きまわして』いるのだ。ライダーが女性と見破っておれ一人を道路につき落とそうという魂胆か。まったくいい性格してやがる。だがまあ、女性よりおれを優先したという事実だけは褒めてやらんでもない。


 ……そして、そのせいで決定的な勝機を逸した事実は、大いに嘲笑ってやるとしよう。

 


 

 おれを小突くのに飽きたか、あるいはおれの粘りに痺れを切らしたか。奴が槍を構えなおし本格的な刺突の体勢に移行したのは、まさしく双葉サービスエリアの標識の真下を通過したその時だった。


 だが。


「……!!」


 メットをかぶった『貫影』の余裕に初めてほころびが生じた。突如標識の上から飛来した革紐が、奴の手首に巻きついたのである。咄嗟に奴は引きずられまいとして両脚でしっかと車体を締め付け、『カミキリムシ』の加速を利用して革紐を逆に強く引く。だがそれこそが狙いだった。引っ張られる力を逆利用して、標識の上から人影が高々と跳躍する。月を背負い、空から今度降って来たのは……。


「退屈をガマンして看板の上でずいぶん待ったんだから!ちゃんと強い人とやらせてくれるんだよね!?」


 うちの押さえの切り札だった。その両足が軽やかにアスファルトに接地する。


 とたんに、履いたローラーブレードが鮮やかに夜の中央道に火花を撒き散らした。

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