◆08:マッド・コンパス
『よくやった亘理君!玲沙くんはゴールまで一気に向かってくれ。私も車で合流する』
『了解しました』
例え依頼人や依頼内容が気に食わないとしても、一度現場に出ればあとは任務達成に向けてやるべき事をやるのが派遣社員と言うもの。まったく、給料の給の字に入っている”糸”は、しがらみの意味ではなかろうか。
ともあれ。一旦こうなってしまえば、加速に勝るバイクの有利が効いてくる。もはや奴はおれ達に追いつけないし、残り三人のエージェントも、数百キロで移動するバイクにはおいそれと手が出せるものではないはずだ。このまま一気に勝負を決めてしまう事は充分に可能なはず。再びかかるG。いささか余裕を取り戻したおれは、玲沙さんの腰にがっちり腕を廻して密着姿勢の維持につとめた。
『噂には聞いていましたけど、凄いんですね』
玲沙さんの声が、背中とメット越しに伝わってくる。
「なははははは!この程度、ビフォアブレックファストってヤツッスよ!ちなみに本気になればこの三倍くらいは容易く」
『でも。……なんだか凄く辛そうでした』
おれはいつものコメントで取り繕おうとして失敗し、間の抜けた沈黙を晒す事になった。
「……いやまあ。ケチってるわけじゃないんすけどね。乱発するといつか手痛いしっぺ返しが来るっていうか、なんていうか」
『すいません、私、変な事言ってしまいました』
「いやいやいや、別にぜんぜん構わないですよ。おれが自分でやってることですし」
それきり妙に言葉が続かなくなってしまった。気がつけば小渕沢ICを通り過ぎていた。おれ達はいつの間にか長野から山梨県へと入り、先程諏訪湖から眺めた八ヶ岳の麓にさしかかりつつあった。
ふと、違和感を感じた。
具体的な兆候に気付いたのは、玲沙さんだった。唐突に二度、アクセルを叩きこむ。
「どうしました!?」
背中越しのおれの声に、緊張をはらんだ声が応える。
『スピードが落ちています!!』
確かに、それはおれも感じていた。心なしか風景の流れる速度が緩やかになった気がしていたのだ。もちろんそれでも十二分に殺人的だったのだが。
「もしかして、故障とか……?」
先程までの人外の領域の速度にあれほど恐怖を感じていたと言うのに、減速した途端に不安を覚えると言うのも我ながら理不尽だ。唐突に違和感の正体に思いあたる。右手首への妙な感覚。まるで誰かに手を触れられているような。……そこまで来て、ようやくおれの緩んだ脳ミソが覚醒した。
「……ちぇ、おれも迂闊になったもんだ!」
『きゃ、な、なんですか!?』
突如自分の腹の辺りでおれが両手をもぞもぞと動かしたため、玲沙さんが驚く。
「相互理解を深めるための前哨戦――と言いたいところなんですがね!」
ええいもどかしい。四苦八苦の末、右腕から半ばむしりとるように、支給されたダイバーズウォッチを引き剥がす。その頃にははっきりと解る程スピードが落ちており、おれは盤面を見やることが出来た。案の定、それは十分ほど前の時刻で停まっていた。
「どうせならチタン製を支給してくれればよかったのに」
ぼやくと同時に、後方に向かって時計を放り投げる。それが猛烈な勢いで後方にすっ飛んで行ったのは、もちろんおれにプロ捕手ばりの強肩があったから、ではない。
「追ってきてます!!」
時計が吸い込まれて行った遥か後方、巧みに車線変更しながらこちらに迫ってくるその姿はまぎれもなく、先程のクラウンアスリートだった。
「”包囲磁針”……磁力使いね。ったく、電磁波で脳に悪影響でも出たらどうするよ」
今やこちらは時速百キロも出ない状態だった。豆粒ほどだったクラウンはあっという間にその大きさを増し、今や運転手の顔も識別出来る。『包囲磁針』とか言うエージェントは、右腕を窓から突き出し、こちらに向けたまま距離を詰めてきているのだ。
『…………まさか、車体を磁力で引き寄せているんですか?』
「みたいっすね」
返答に芸がかけたのは勘弁して欲しい。キロメートル単位で離れた場所をかっ飛ばす、時速百キロオーバーのバイクに干渉し運動量を抑止する、なんて、並レベルの能力者に可能な芸当ではない。対策を考える間もなかった。みたび並んだ両者。まずい、まずすぎる。今の状態で先程のようなベアリング攻撃をされたら……!
そう、考える辺りが若さか。
運転席の『包囲磁針』が嘲笑を浮かべた。そのまま、突き出した右手をひねる。
「しまった!」
意図に気付いたときには遅きに失した。べきぃん、という金属のへし折れる硬質な音。『えるみか』の原稿、前編と後編を修めた二つのケースは、男の手から放たれる見えない磁力の帯に絡め取られ、固定した金具ごと男の掌の中に納まっていた。
「戦闘中に優先順位を見失うようでは、まだまだ修行が足らぬ」
男は自分の車内にケースを放り出すと、再び右手を掲げる。
『!』
玲沙さんの判断は的確だった。一瞬にして動から静へのフルブレーキング。おれは玲沙さんの背中に強く胸を打ちつける形になった。事前に支給されたスーツが、さる事情から耐衝撃性を極限まで高めた特注品で無ければ、冗談抜きにおれの胸骨と彼女の背骨はやられていたほどだ。だがこれがなければ、『隼』はたまらず奴の磁力に引き倒されてアスファルトの染みに化けていただろう。
……危機を脱する代償は手痛かった。加速する奴と、フルブレーキのおれ達。当然ながら、そこには距離という、深い深い溝が刻まれる事になった。
『まだです、まだ間に合います!最高速度ならこちらが上なんですから!」
「ええ!追いましょう!」
『アル話ルド君』の音声にわすかにノイズが混ざる。オーディオ機器の数十倍の防磁シールドを内蔵しているこの機械にダメージを与えるとは、どれほどの磁力か。本当に電磁波で脳とかやられてないだろうな?幸い、『隼』は玲沙さんの趣向だろう、電装系にはさほど重きを置らず、性能的には問題ないようだった。
さっきの急減速の衝撃が内臓にズンと堪えているが、流石にここで泣き言を言うほど修羅場知らずの坊やではいられない。第一、慣性の関係上おれに背中から追突される形になった玲沙さんの方が、体内へのダメージは大きいはずなのだ。再び隼が咆哮し、悪夢のような急加速。だが。
『トレーラー?』
クラウンとの間に開いた空間に、コンテナを背負ったトレーラーが走っていた。威圧感すら感じさせる大型のトレーラー。それは、今まで似たような車を何台も追い抜いてきたおれ達にとって、ただの障害物のはずだった。だが。先行車両に過ぎなかいはずのトレーラーは、まさにおれ達の進路を塞ぐように割り込んでくる。……おい、ってことは、まさか。
『気をつけろ!そのトレーラーは須玉ICから上がってきている。敵の増援の可能性が高い!』
見上さんの声に、おれは気のない返事。
「……高いも何も。たった今ゼロサムで証明されましたよ」
さもありなん。何せ、おれ達の目の前で、ばかんと音を立ててコンテナの扉が開いたのだから。『隼』のヘッドライトが照らしたその中には。
がらんとしたコンテナの中、不敵な表情を浮かべているに違いない、バイクに跨った二人組の姿があった。
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