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◆07:オーナーズトーク

 おれ達が夜の中央道で、本人達は至って真剣な、そして傍から見れば迷惑かつ滑稽極まりない戦いを繰り広げていた頃。


 

 その目標地である東京千代田区神田の喫茶店、『古時計』では、一見西洋人と見まがうばかりの見事な銀髪と彫りの深い顔立ちのマスターが、熟練の手さばきでコーヒーを淹れていた。神田と言えば書店街が有名である。ここも普段は、近くの書店で買った本をじっくりとコーヒー片手に読み耽るお客のために開かれている店だが、いまこの時は若干様相が異なっていた。


 本来は閉店している時間だが、今夜だけは特別に早朝まで営業を続ける事になっている。落ち着いた雰囲気の店内で、それぞれ一杯目のコーヒーを飲み干そうとしているのは、二人の男と一人の女性だった。


「……で、今のところどちらが優勢なのかね」


 ゆるやかな時間を楽しむための店内で、こつこつと忙しなくテーブルを叩き野暮な雰囲気を作り出しているのは、五十過ぎの中年の男だった。深夜を過ぎてもスーツ姿なのは、職場ではともかく今この場では随分と浮いて見えた。


「連絡によれば、そちらのエージェントが原稿を両方とも所持されているとか」


 淡々とコーヒーを味わいながら、『フレイムアップ』の嵯峨野浅葱所長は答える。本来片方のチームにメンバーを派遣している身として中立の立場ではないのだが、この度、両サイドの当事者から請われたため、立会人としてここに居るのだ。


「そうか、それはでかした!『ミッドテラス』め、役立たずがが雇ったのはやはり役立たずだな!」


 下品な笑い声に、マスターがわずかに顔をしかめた。わかりやすいと言えばわかりやすい反応を示すこの中年男は、ホーリックの現編集長である。造反して『ミッドテラス』を立ち上げた先代の編集長に替わって就任した男で、もとはビジネス誌を担当していた。


 もっとも、経済に対するセンスなど皆無で、その昇進の理由はひたすら社長に対して言ったイエスの回数と下げた頭の回数に拠る。そんな情報を脳裏に納めつつも、浅葱所長はあくまでも業務用の表情を崩さない。


「なあに、安心しろ伊嶋ァ。俺が勝ったら、ちゃんと『えるみか』はお前達のところに渡してやるさ。ロイヤリティつきで、な」


 俺達、ならまだしも俺、という一人称に、この男の器が良く現れている。


「いつまでも上司面はやめてください。かつてはともかく、今は同じ編集長ですからね」


 対するもう一人は、いかにも普段私服で仕事をしているといった雰囲気の三十代の男だった。伊嶋勝行。かつて、何人もの有望な新人を発掘し、『あかつきマンガ』の立役者となった男だ。『えるみか』の作者、瑞浪紀代人も彼が発掘したのである。


「裏切り者がでかい面をしおって。あの気持ち悪いマンガを売り払ったら、お前達なぞ……」


 それ以降の罵倒はさっさと耳から遮断し、浅葱所長はコーヒーのお代わりを頼んだ。


 今回の勝負で、彼女達『フレイムアップ』が協力しているホーリックが勝利した場合。『えるみかスクランブル』の著作権はこれまで通り、すべてホーリックに帰順する。だが、誰にも未だ知られていないことだが、それから数ヶ月後には『えるみか』は『あかつき』ではなく『ルシフェル』に掲載されることになるのだ。


 ただし、あくまでも『ホーリックの作品を、ミッドテラスが掲載する』という形で。そこには膨大なロイヤリティが発生するはずで、結果、邪魔者を追い出しつつ利益を確保できるホーリックは万々歳、ということになる。


「まだ勝負はこれからだ。瑞浪のためにも、あんた達のやり方の下でいつまでも『えるみか』を描かせ続けるるわけにはいかない」

「ふん、どうせ勝てたところで、『えるみか』から名前を変えるんだろうが」


 編集長の指摘に、伊嶋が歯をきしらせる。


 『ミッドテラス』が勝利した場合、瑞浪紀代人氏は晴れて自由の身となり、『ルシフェル』で描くことも出来るようになるだろう。だが、すでにアニメ化され、単行本も無数に出ている『えるみかスクランブル』という商標は動かすことが出来ない。


 『あかつき』で露骨に打ち切られた他の連載も、『ルシフェル』で再開させるに当たっては、タイトル名を変えたり、一部設定を変えたりするような苦しい措置を取らされているのだ。人気作品である『えるみか』に取って、その手の『世界観が壊れる』ような真似は読者離れを招きかねない。出来ればやらせたくないと言うのが、伊嶋の本音ではあった。だが。


「そろそろ来たようですね」


 浅葱所長のコメントに、男二人の視線がドアに向く。ドアベルが済んだ音を立てて、そこに二人の女性が入ってきた。


「遅いぞ、弓削!」

「失礼しました」


 先日と変わらない鉄仮面で上司の罵倒すら跳ね返し、続く女性に声をかける。緊張した面持ちで入ってきたのは、まだ二十代前半の、世間慣れしていなさそうな女性だった。


「瑞浪くん……ひさしぶりだね」

「は、はい。お久しぶりです、伊嶋編集」


 彼女、人気漫画『えるみかスクランブル』の作者瑞浪紀代人……本名水野紀子が、眼鏡の奥から上目遣いにかつての編集者を見やる。


「瑞浪先生、会社を辞めた奴を編集と呼ぶ必要はない!」


 一応『先生』と敬称をつけているが、小娘を怒鳴りつける中年の横暴さそのままだ。すくみ上がる瑞浪さん。


「こちらへ」


 そんな情景をまるきり無かったかのように、弓削かをる女史は瑞浪さんをテーブルに着かせた。浅葱所長が二人にお絞りを手渡しながら聞いた。オーダーを聞いたマスターが手際よく珈琲を淹れる。新たな豆の香りが店内に加わった。


「松本からどうやってここまで?」

「タクシーと長野新幹線の終電を使いました。それにもともと、原稿を仕上げてから競争の開始まで、鶫野さんに二時間ほど待ってもらいましたから」

「今、彼らは小渕沢を過ぎたあたりで、原稿は、ホーリック側に両方あるようです」

「そう……ですか」


 答えたのは瑞浪さんだった。明らかに気落ちしており、彼女がどちらの出版社で働きたいのか、という本音を雄弁に物語っている。


「改めて確認します。このレースに勝利した側の編集者が、『えるみか』と瑞浪の身を預かる。それでよろしいですね?」


 浅葱所長がうなずく。ホーリック編集長がニンマリと笑い、最後の一人の伊嶋編集長が、不承不承、という態でうなずく。そして、


「弓削君」


 たまらず声をかける。


「君は本当にそれでいいのか。君の希望は」

「作家にとってベストの環境を確保する。それが編集者の仕事と教えてくれたのはあなたです」


 ぴしりと言い放つ。背後の瑞浪さんが、本当に泣き出しそうな顔で担当編集の背中を見つめた。


 マスターが次のコーヒーをじっくりと淹れる音だけが、店内に響いていた。

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