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◆03:塒に捨犬相集う

 ―――誰かが嗤っている。


 演技や挑発じゃない。それは、ある意味では純粋な、ただの悪意だった。


 四方から嗤いの雨が降り注ぐ中。彼はじっと俯いていた。周りはそれを、彼が屈辱に打ち震えているのだと思っていた。確かにそうでもある。だが、理由はそれだけではなかった。


 掌の中には、銀色の金属。


 鈍く輝くそれは、綺麗な円を描いている。


 初めて見るものじゃない。それどころか、しょっちゅうそれを使ってきた。自動販売機でジュースを買うときもそうだし、週に一度、スーパーマーケットの特売に買い出しに行くときも毎日のように使っていた。ごくごくありふれた、それは五百円玉だった。


 なのに。今は吸い込まれるように、目を離すことが出来ない。彼はその硬貨が、どこかで見た別なモノであるような気がしてならなかった。


 心臓の鼓動が、早鐘のように打ち鳴らされる。


 それを見ていると、嘲笑に傷つけられた、いや、傷つけられ続けてきた心の生み出す熱が、どこかへ一点へ収束するような気がした。


 鼓動の度に肉体が昂ぶっていき、それと裏腹に、気持ちは不思議なほどに落ち着いていく。まるで、遠く離れていた我が家に帰ってきたかのように。


 熱がどんどん収束していく。何かが弾けそうな、この感覚。危うさを感じる意識と、この先に進みたいという意識が葛藤し合う。


 いつのまにか、嗤い声は止まっていた。


 周囲も気付き始めていたのだ―――中学生とはいえ。俯いたままぶるぶると震えだした彼の様子が、尋常ではないと。


 そんな周囲の様子も目に入らず、彼は高まる己の内なる波動を自覚しつつ、ただ掌の上の硬貨を見つめていた。先ほどから考え続けていたひとつの疑問。突如、その時彼の脳裏に答えが閃いた。



 ―――ああ。まるでお月様みたいなんだ。



 ぶつんと、ドコカでダレカのナニカが切れた音がした。月コインを握り込み、ゆっくりと顔を上げる。そこにはまだ嗤いの表情を中途半端に貼り付けた、この羊どもの群れの頭が居た。


 そいつがぱくぱくと上顎と下顎を開閉させる。


 ナンダテメエ、ヤロウッテノカ、オレヲナグッタラドウナルカ、


 ついでに、意味の為さない吠え声まで上げている。馬鹿かこいつは。捕捉されたエモノが何を悠長に吠えている。そんな事をしている間に一歩でも逃げないから―――ほら、こうなった。


 イタイイタイ、ナンダヨマジデナグルナヨ、


 狩られたエモノが、己の状況を理解できず啼いている。ああ、こいつは愚図なのか。彼は理解した。ならば理屈は簡単だ。弱いうえに愚図な生き物は、ただ狩って喰らうだけ。二発、三発と。己の拳キバを立てて引き裂いてゆく。


 ヤメテ、モウヤメテクレ


 飛び散った歯の欠片が拳に切り傷をつくる。まだ息があるのか。黙らせるべく拳を振り下ろす。


 視界が朱く染まった。








  ……目を覚ますと、薄汚れた漆喰の天井が目に入った。


 ひびの入った頭上の窓ガラスから、四月下旬の穏やかな春の朝日が注いでいる。一つ大あくびをすると、犬神乾史はくるまっていた毛布から身を起こした。


 けばだっていて、少し埃っぽい。隣を見ると、同じような毛布がもう一つあったが、そちらはすでに畳まれていた。寝起きの頭が徐々に覚醒し、今自分が置かれている状況を再構築していく。


 今自分が居るのは、たしか裏通りにある何かの会社の倉庫だったはずだ。昨日路地裏で寝ていたときにゴタゴタに巻き込まれ、そん途中でいつものように、用心棒代を巻き上げようとして―――。


 そこまで思い出した時、乾史は反射的にあたりを見渡していた。さして広くもない室内、先ほどまで隣の毛布にくるまっていたはずの人物はすぐに見つかった。と、起き上がろうとした拍子に腕が触れたのか、側の棚から何かが落下し、乾史の頭に直撃した。


「ぐあ!?」


 やたらと重量がある。すっかり眠気が覚めた頭で、落下してきたものを確認する。それは分厚い一冊の本だった。タイトルに『世界の歴史IV』などと書いてある。


 棚を見上げると、そこには無数の本が並べてあった。歴史の本、文学書、英語の教科書、なにやら科学の雑誌と思わしき本、数学の本。それからなぜか料理の本もある。


 乾史にしてみれば見るだけで頭が痛くなる、およそ廃倉庫には似つかわしくないものだった。いったいどこから集まってきたのだろう、そんなことを考えていると、


「おはようございます、アニキ」


 声をかけようと思っていた相手から、先に声をかけられた。倉庫の片隅のコンセントはどうやら生きているらしい。そこで昨日助けたガキ―――サブロウは、どこかから拾ってきた電気式のポットでお湯を沸かしていた。


「コーヒー、飲みますか?」


「…………あのなおい」


 とりあえずそこまで口に出して、この後どう続けるべきか迷った。てめぇ何コーヒーいれてやがんだよ、というのもどうにも間が抜けている気がするし、飲みたくない、というのも悪い気がする。このようなことを逡巡した結果、出た言葉は次のようなものだった。


「お茶がいい」


 お茶ですか、とサブロウは驚いたが、すぐに、ありますよ、と返すとどこからか急須を取り出し、茶葉を振り出し始めた。


「緑茶はないんすけど。ほうじ茶でいいっすか」


「ああ、オレはそっちの方が好きだし―――って、いやそういう問題じゃねえ!」


 乾史は床を叩いた。不当な扱いに打ちっ放しのコンクリートが抗議の声を上げる。


「もしかしてウーロン茶っすか」


「ちげぇ!問題はなんでオレがお前のねぐらでこうしてノンキに茶なんか飲んでんのかっつーことだ!!」


 言われたサブロウの方はきょとんとした表情。


「なんでって……連中をノしてずらかった後、あっしが泊まるところはあるのかって聞いたら考えてねえっていったのはアニキじゃないですか」


「ぐ」


 そういえばそんな事も言ったような気がしないでもない。その日はあの裏通りのビールケースに埋もれて一晩を過ごすつもりだった。


 春は唯一、寒さも暑さも気にせず路上で一夜を明かすことが出来る季節なのだ。だがだからといって布団が恋しくないわけはない。


 こいつの勧めるままにねぐらに上がり込み、色々あって疲れていた乾史はそのまま毛布にくるまって眠り込んでしまったのだった。


「あ―――ああ。そうだったかも知れねえが。だがま、それはそれとして。もう朝になったんでな。オレは行くぜ」


「え、もうお茶入ったっすよ?」


 思わず喉が鳴る。たかがお茶と侮るなかれ。公園の水道水しか飲めない生活を一週間も続ければ、現代人の舌はたちまち、お茶やコーヒー、清涼飲料水の味を求めて止まなくなるのだ。


「世話かけてわりぃな。だがオレは一匹オオカミ。他人の世話になるのはガラじゃねえんだ」


「朝ご飯も用意できてますけど」


「ナヌ?」


 サブロウの指さす方向には、かすかに蒸気を吹き上げる炊飯釜と、カセットコンロにかかった味噌汁が、たしかにあった。


「おめぇこんな炊飯器どこで……」


「こないだ家電リサイクル法が制定されたじゃねえですか。あの時期を見計らって、何かいらない家電があったら回してくれってあちこちに頼んどいたんでさあ」


 中古っつっても全然使えるのばっかりですしね、とサブロウは嬉しそうに笑った。


「かで……なに法だって?」


 乾史はそんな法律が制定されたことなど知らなかった。もっともこれは、十五歳の少年としてはごく当然の反応だっただろう。


「おめえ、歳はいくつだ?」


「あ、もうすぐ十四になります」


「……マジ、かよ」


 目の前の、自分より年下の少年。その顔をまともに見ることは出来ず、乾史は目を反らした。


「で、ご飯炊けたんすけど……食べませんか?アニキ」


 オレは一匹狼だ、他人の世話にはなんねぇ、まして助けたとは言え自分より年下のガキにメシを食わされるなんてプライドが、いや確かにこの味噌汁は男が作ったとはぜってぇ思えねぇほど美味そうないい香りなんだけどそれはそれとしてだな、


「海苔の佃煮もありますし」


「食べる」


  そういうことになった。

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