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◆12:ルート・ジャンクション

 王太子時代に日本に留学していた『大帝』セゼルは、王に即位してからもその親日家としてのスタンスは変わらなかった。


 彼はその黄金を元に、日本との交易を希望していたとも言われるが、冷戦当時のソ連と中国に挟まれたという地勢と、戦後日本伝統の事なかれ外交主義に阻まれ、叶うことはなかったのだそうだ。


 だが交易こそ実現しなかったものの、国際親善の名目で人の交流はわずかながらも続いていた。日本からは掘削や精錬の技術者、日本語講師等らがルーナライナを訪れ、またルーナライナの王族の間では、十代後半から二十代にかけて、日本の大学に留学をすることが珍しくなかったらしい。


 相次ぐ内乱でそんな留学話はとんと途絶えていたのだが、このたび今年十八歳の誕生日を迎えるファリス皇女殿下は、こんな時期だからこそ、親善のため、また王族に相応しい教養と人脈を身につけるため日本への留学を希望し、そのために大学の下見に訪れたのである。


 ――というのが、『箱』の探索にあたって彼女がこじつけた表向きの出国理由なのであった。

 


 

「であれば、ちゃんと大学も見学しなくっちゃな」


 日が傾きつつある早稲田通りを歩くおれ。ファリス、真凛が後に続く。

 事務所を出て飯田橋方面に向かって十五分ほどで、ほどなく商店街や貸しビルの間に埋もれた総合公園のようなキャンパスが視界に入ってくる。


 私立相盟大学。日本でも比較的名の知れた大学であり、現在おれが文学部生として通う母校でもある。そして何より、今回ファリス皇女殿下が留学先として希望する大学でもあった。


「とりあえずここだけ見ておけば、大義名分も立つんじゃないかな」

「ありがとうございます、陽司さん。……すみません、こんな観光ガイドみたいな仕事までお願いしてしまって」


 都内を歩くには目立ちすぎる、というしごくもっともな理由から、所長と来音さんの手による措置が施され、ただ今ファリスは大きめの帽子の中にその豊かな銀髪をすっぽりと収め、紫の瞳を隠すために色の入った野暮ったい厚いフレームの眼鏡をかけている。


 どうみても不審人物なのだが、割と『とんがった』ファッションに走る私服姿の学生の中に埋もれると、それほど違和感を感じないあたりがこの学校の懐の深さか。


「ああ、気にしないで。言ったとおり、こっちが本命なんだからさ」


 彼女の表向きの出国理由に合わせて、おれ達の任務も一応は『ルーナライナからやってきた裕福な家柄の留学生を東京案内する』という事になっている。


 ……こんな胡散臭い業界でも、タテマエというものは必要というわけだ。それに、たとえばオプショナルツアーを希望する観光客相手に、突発でツアコンをやってのけるというのは、むしろ本来の派遣社員としてはなじみ深い任務でもあった。


「東京都内だと何かと金がかかるんで、近頃はどこの大学も郊外にキャンパスを移転しているんだけどね。ここは珍しく、都内に一極集中してるのさ」


 文学部、法学部、政治経済学部、教育学部、理工学部等々がこうまで一箇所に集中している大学は、今となっては珍しい部類に入るだろう。


 おれは日ごろの通学路、商店街を抜けて正門へ至るコースを辿る。換気扇から店外へ排出されるタイカレーの香りが、雑食性の学生ランチタイムの名残を示している……ってそこのお子様、物欲しそうな顔をするんじゃあありません。


「だってタイカレーって、おいしそうじゃない?」

「今度連れてってやるから好きなだけ喰え」


 おごってはやらんがな。そして特辛レッドカリーを喰って悶死するがいいわ。


「タイカレーが東京で食べられるのですか?」

「ああ。ここは結構いろんな国の料理が集まるんだ。インド料理、トルコ料理、台湾料理。あと珍しいところではペルシア料理なんてのもあったな。学生向けだから財布にもやさしいよ」


「ルーナライナって、どんな食べ物があるんですか?」

「そうですね。主食は……対応する日本語がないですね……牛の挽肉とタマネギ、香辛料をベースとしたものが多いですよ。よく炒めてドライカレーみたいにしたものを、小麦の麺にかけて食べたりとかしています」

「麺にカレーですかぁ。じゃあ、カレーうどんとかも大丈夫ですか?」


「カレーうどん!ええ、一度食べてみたかったのです。なんでも日本人がインドとイギリスの叡智を取り込み自国の文化と融合させて作り出した食の芸術だとか」

「じゃ、じゃあ、この近くにカツ丼屋さんがあるんですよ。そこはカレーうどんもおいしいんです。あとで行ってみませんか?」

「真凛さん、それはとても素敵な提案です。ぜひお願いいたします!」


 きゃいきゃいとうどんの話題で盛り上がる二人。うどん食ってるお姫様ってのもなかなか斬新ではあるが、まあ年少組同士仲良くなったようで何よりである。



 

 そして校門へ。無骨な新宿区の道路とキャンバスを隔てる並木を見上げ、ふといつぞやのフィギュア奪還の仕事を請け負ったときのことを思い出す。あの頃はセミが鳴いていたというのに、今はもう葉が舞い落ち、枝をさらし始めている。ちょうど午後の授業が終わった時刻で、教室を移動する学生が校舎からあふれ出してくる。


「ここがメインストリートだね。向かって右側が法学部の校舎、左側が政治経済学部。奥にあるのは教育学部と理工学部」

「相盟大学……ここが……」


 ざっくりとしたおれの説明に、しきりに周囲を見回すお姫様。もちろん数時間で全部を見て回れるはずもないから、今日のところは感触さえ掴んでもらえればいい。


「ボクも中に入ったのは初めてですよ」

「真凛さんはどこの学校に通われているんですか?」

「あ、この近くにある、別の女子高です。大学も近くにあるんですよ」

「とりあえず、この通りの突き当たりに留学生向けのセンターがあるんだ。入学したとしたら何かとそこを拠点とするだろうし、まずはそこまで案内するよ」


 掃除をしてもすぐ埋もれてしまう落ち葉を踏みしめつつ中へ。穏やかな晩秋の午後、設えられたベンチに腰掛けた学生たちが、皆思い思いに時間を過ごしている。試験に向けてノートの回し読みをしていたり、女子同士のおしゃべりに花を咲かせていたり、携帯ゲーム機での対戦に興じていたり、おそらくサークル活動なのだろう、楽器を演奏していたり。ごくごくありきたりのキャンバスの風景だった。


「あの方たちは、政治について意見を交わしているのでしょうか?」


 ファリスの視線の先では、三人ほどの学生が、何やら政治家の献金問題について与党の隠蔽体質と、野党の追求の弱腰ぶりについてアツい討論を交わしていた。


「まぁ、ネットの掲示板で流れているのに毛とツノが生えたくらいだけどね」


 最高学府の学生の議論といえども、九割程度はそんなものである。だが残りの一割くらいには魅せる論を吐くヤツやユニークな指摘をするヤツがおり、そのうちジャーナリズムの世界に身を投じたり、政界に進むヤツも出たりするからなかなか侮れない。


「往来で政治の話を口に出来るのですね……」


「ま、まあね。最近だとこう、ツイッターで色々幅広くやりあってるヤツもいるよ」


 ちなみに『アル話ルド君』も対応済である。


「ツィッターですか。私の国でもみんなやっていますよ」

「へぇ、それはちょっと意外かな」

「あれなら、ネットワークが検閲されていても外の情報を手に入れられますから」

「……」


 いかん、どうにも話題が深い方に沈んでいってしまう。


「しかし、東京でも大学は数あるだろうに、なんでまたウチの大学を?」


 所長に聞いた話だが、家庭教師について学んだファリス皇女の学力はかなりのもので、国の学校が機能していないため点数づけ等はされていないものの、日本のどこの大学でも充分に狙えるほどだとか。


「それは……、フレイムアップさんの事務所から近いと聞いていましたから」

「……ふぅん、そう」


 おれはぞんざいに頷くと、歩を進めた。やがて大きな噴水に辿り着く。


「ここがキャンバスの中央、『相盟の井戸』、ってやつ。もともとウチの学校はこの井戸のそばにあった私塾が元になってるんだってさ」


 今ではその井戸も石造りの噴水へと造り替えられ、各校舎の間を移動する学生たちのジャンクションとなっている。ちょうど午後の授業が終わった時刻で、多くの学生が校舎からあふれ出してくる。


 先ほど以上にごった返すキャンパス。おれは真凛とファリスをはじっこに寄せてやり過ごしつつ、なんとなく辺りを見回す。と、おれは見知った顔を見つけ声をかけた。


「どーも、就活お疲れ様っす」

「おー亘理、亘理じゃねーの。おめーが顔出すなんて珍しいじゃん」


 ベンチで遅めの昼食を摂っていた学生が顔を起こす。周囲の緩んだ私服姿の学生とは異なり、黒の背広一式を身に纏っている。この人はおれが時々顔を出すサークルの三年生で、飲み会に誘ってもらう程度には仲が良かった。


「調子はどうっすか」


 質問しつつも回答はだいたい予測できていた。まだ新しいのに妙に草臥(くたび)れた背広、まだ世慣れない学生の仕草と不釣り合いな疲れ切った表情が、昨今の就職活動の厳しさを物語っている。


「どーもこーもねーぜったく。二次面接までこぎ着けたのが二社。一次が七社。あとは全部ES(エントリーシート)でハネられちまったわ」

「マジっすか……」


 この先輩、ゆるい口調とは裏腹に、経営学の論文で賞を取る程の優秀な人だったりもするのだが、その彼にしてこの戦績とは。つね日ごろニュースで流れている就職氷河期の恐ろしさを改めて実感する。


「午後から虎ノ門でまた面接だよ。……おめーも二年だろ?そろそろ準備を始めておいた方がいーぜ。ま、おめーは要領いーからそこらへんは抜かりねーだろーけどよー」

「肝に銘じておきますよ」


 つい半年前までは徹夜で酒を飲んでバカ話をしていた先輩の世知辛い話に、やや暗澹たる気持ちになりながら相づちを打つ。


「先輩は銀行志望でしたよね」

「あー。ウチほれ、親が町工場で兄貴が結婚して継いだだろ。だから俺はカタいとこ行って、イザって時はカネ関係で助けられるよーにってネライさ」

「……立派だと思います」


 過不足無しにそう思った。大学時代とはある意味特殊な空間なのだと思う。個々人が背負った環境や背景から解放され、『学生』という平等な存在として扱われる。


 共に学びバカをやり、そして学生生活が終盤を迎える時、家の都合、経済状況、親の期待といったものに追いつかれ、過ごしてきた時間が夢のように楽しく貴重だったと気づくのだ……なんてのは余りにも穿った見方だろうか。


「って亘理、後ろの二人は?」

「ああ、見学希望者ですよ」


 おれはさらりと流した。


 ちょいと注視すれば一人は世にも類い希な高貴さ漂わす美少女であると気づいたはずだが(もう片方のお子様も少年に見えるがまぁ面立ちは整っていると認めてやらんでもない)、大分煮詰まっている雰囲気の先輩はそーか、と呟いたのみで、すぐに手元の昼食とエントリーシートに没入してしまった。


 おれは軽く会釈すると、引き続き二人を連れてさらに奥へと案内した。

 

 

「ねぇ陽司」


 道すがら真凛が問うてくる。


「なんだよ」

「陽司も、来年はああやってシューショク活動するの?」

「……どうだろうな」


 今現在、おれは二年生。欠席による留年さえなければ来年には三年だ。三年生となればそろそろ”大学以後”を真面目に考えなければならない時期だ。――真っ当な学生なら。


「例えばさ、なんかやりたいことがあるぞ、とか、おれの夢はこれ!とか」

「夢、ねぇ」


 おれは視線を遠くへ飛ばす。そういやそろそろ、学生には『面接官を説得するためのエントリーシートの書き方~志望動機を明確にしましょう~』なんて資料が回ってくる頃合いだ。


「そうさなぁ~若ぇ頃はそんなのも持ってたような気がするのぅ~」


 ダメ学生よろしく韜晦してみせる。


「冗談なしで。どうなの?」

「……おおい、そこは『なに年寄り臭いこと言ってんの』とかツッコむところだろうがよ」


 苦笑いしながらふり返り――真凛の表情が存外にマジだった事に気がつく。


「陽司ってさ、アタマはいいと思うけど、逆に得意な教科も苦手な教科もなさそうだよね。文学部ってことは、現国、とか?」

「おまえさん妙に食い下がるね」


 教科だの現国だのという言い方に、ああコイツ高校生なんだなぁと妙に実感もしたり。


「だってさ。……シューショク活動するんだったら、いつまでもフレイムアップの仕事を続けるわけにもいかないんじゃない?それに――」


 語尾はアヤツらしからぬもごもごとした言葉に化けてしまって聞き取れなかった。先ほどの先輩のコメントにあてられたか、おれも少し態度を改める。


「……そうだな。いずれマジメに考えなきゃいかんよなあ」

 



 ――嘘をつくな。


 ヒビの入った欠陥品の分際で。何が、いずれ、だ。


 

 脳裏から覗き込む、()の声。


 それを努めて無視し、思考を走らせる。



 

 夢。


 一生をかけて捧げてもよいと言えるだけの目的。


 それに関わり続ければ幸せだと信じられるだけの趣味や嗜好。さて、そんなものおれにあっただろうか。現国……いわゆる現代文学なんぞには実のところとんと興味はない。はて、じゃあおれは何で相盟大学文学部に入学したんだっけか。確かに進学の際は文学部を志望していたはずなのだが。



 

 ――いいや、それも偽りだ。


 

 勉強なんてどうでもよかった。


 ただ、前みたいに三人で居られれば。


 姉みたいな晴霞さん、そして、兄みたいな、彼女とお似合いの――




「どうしたの?」

「……いや、なんでもない」


 脳裏に走ったノイズに顔をしかめる。いかんいかん、くだらないことを思い出すところだった。話題を転換する必要があるな。


「人に夢云々を聞く前に、お前はどうなんだよ真凛」

「え!?ボ、ボク?」

「ふふん、そうだ。お前の夢ってヤツも、まだおれは聞かせてもらってないぜ」


 どうせ宇宙最強とかそんなだろうが。


「えっと、それはその……」


 何故そこで顔を赤くするのだろうか。ともかく話をそらすことに成功したおれは質問をたたみかける。


「進路はどうなるんだ?お前のところは確か大学まで一直線だったはずだが」


 気を抜くとすぐ忘れてしまいがちになるが、こいつはこれでも元士族のお嬢様であり、学校は小中高大一貫のエスカレーター教育。本来であれば、朝の挨拶はごきげんようでもおかしくないのである。


「あ、うん。……大学にはいかないかも。家を継ぐから」

「ああ、そうか」


 おれは納得した。コイツは元士族のお嬢様である以前に、武術の流派の後継者なのだ。流派本来の姿は情無用の殺人技術だが、オモテの顔として一般向けの『普通の』護身術道場、またその理にかなった立ち居振る舞いに基づく礼法の家元としての顔も持っている。


 格式はかなり高いらしく、上流階級の子女を中心に門弟の数も中々。真凛はいずれ伝統に則り正式な頭首となり、以後は門弟の指導、公式行事や神事への出席が義務づけられることとなる。ある意味おれなぞよりずっと、社会に『組み込まれて』いるのかも知れない。


「そう考えると、おれ達が組む期間も、長くてあと一年前後ってとこかー」


 おれが就職活動するにせよ、コイツが家を継ぐにせよ。


「そう、だよね」

「やれやれ、こりゃあ尚更さっさと一人前になってもらわないと困るな。頼むぜおい?」


 おれは真凛の肩をかるく肘でつついた。真凛は少しだけ大人っぽい表情で、わかってる、と言うと、


「あ、ほら、あれがそうじゃない?」


 そう言って、真新しい建物を指さした。金属のプレートには『相盟大学国際(インターナショナル)留学(エデュケーション)センター』と刻まれていた。

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