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◆11:静謐なる原種吸血鬼の孤城

 事務所の奥の六畳和室、通称『石動(いするぎ)研究所』のドアを開けたのはずいぶん久しぶりな気がする。部屋の中を覗き込んだ瞬間、おれと真凛は間抜けな声を上げてしまっていた。


「なんだ、こりゃ?」


 和室と言いつつ無数の配線と機材のジャングルに埋もれ、畳なんか一平方センチメートルだって見えやしない部屋――それはいい、いつものことだ。


 問題は、普段なら部屋中にばら撒かれているはずのPCやら小型工作機械やらが軒並み部屋の隅に積まれ、こじ開けられた中央のスペースに、何やら細長い物体が、どん、と横たわっていることだった。ちょうど人間一人がすっぽり入りそうな、黒塗りの箱。


「これってやっぱり……」

「棺桶……だよ、なあ?」


 顔を見合わせるおれ達に、積み上げられた機材の向こうから声が掛けられた。


「当たり前だ。それが棺桶以外の何に見えるというのだ」


 そこにいたのは、おれ達の同僚、笠桐・(リッチモンド)・直樹だった。自称日英ハーフ、流れるような銀髪と、眼鏡の奥に鋼玉(トパーズ)の瞳を持つ(認めたくはないが)美男子にして、絶対零度を支配する吸血鬼。


 だがその真の姿は、十八歳以下の女性にしか性的興奮を催せない潜在的犯罪者にして社会の塵芥(ごみ)である。


「……久しぶりに顔を合わせたと思えば随分な暴言を吐くではないか」

「な、なんでおれの心が読めるんだお前」

「いや、さっきから口に出してしゃべってたよ陽司……」

「ううむ、しまったつい本音が」


「まったく失礼極まりない。世間ずれした十八歳など俺の守備範囲ではないわ」

「……やっぱりお前、今すぐ警察行け、な?柵がついてる病院でもいいぞ」

「で、その。この棺桶、やっぱり直樹さんのですか?」


 やや強引に話題を変えた真凛が問うと、直樹はあっさりうなずいた。


「ああ。これは俺の棺桶だよ」


 そう、さっきも言ったように、直樹は一応吸血鬼なのである。部屋の中に棺桶が横たわっているというのは相当な異常事態だが、吸血鬼と棺桶というセットで考えればまあ不思議なことではない。


 ……吸血鬼というモノが当たり前のように存在しているという事実の異様さはさておいて。だがしかし、まだ疑問は半分残っている。


「しっかし、じゃあなんでお前の棺桶が羽美さんの部屋にあるんだよ」


 おれの問いに、なぜか直樹は口の端に妙に得意げな笑みを浮かべ、眼鏡を指で押し上げた。


「ふむ、理由を聞きたいか?」

「いや、やっぱり聞きたくない」


 即答するおれ。コイツがこんな表情をする時はただひとつ。手に入れたオタクグッズの自慢をする時しかないのである。


「そうか、聞きたいというのなら仕方がない、教えてやろう」

「聞きたくないって言ってんだろう。まずお前が人の話を聞け」

「実は以前から少しずつ資金をつぎ込んで、寝床でもある俺の棺桶の改造を石動女史に依頼していたのだ。城に暮らしていようがアパートに暮らしていようが、眠りについた吸血鬼の領地は結局この棺桶一つに過ぎないのだからな」

「ほう?」


 そう言われるとおれも少しばかり興味がわいた。吸血鬼が一番無防備になるのは、棺桶の中で眠っている時である。


 ハンターに狙われる吸血鬼の中には、対策として自らの棺桶に結界や罠、仕掛け武器、迎撃用の従者を召喚する魔法陣など、様々な装備を施す者も多いと聞く。しまり屋のコイツが費用を投じたとなれば、それなりの価値がある装備のはずである。


「で、どんな装備を仕込んだんだ?」

「うむ、これだ」


 直樹は抱え込んでいたものをおれに渡した。それは巨大なゴーグルに機械部品をとりつけたような代物で、棺桶のフタと本体の間から伸びたコードに接続されている。


「……なんだこれ?」

「ヘッドマウントディスプレイだ。見てわからんのか?」

「そりゃま、見ればわかるが……」


 問題はなんでそれが棺桶に接続されているのかということだ。


「ちょうど石動女史のメンテも一区切りついたのでな。特別に中身を見せてやろう」


 そう言って、重厚な棺桶の蓋を持ち上げる直樹。もはや不吉な予感しかしなかったが、おれはしぶしぶ棺桶の中身を覗き込み――そして絶句した。


 普通(という言葉を使えるほど多くの数を見たわけではないが)、棺桶といえば外はともかく中はシンプルな板張りであるべきはずである。また最近のコミックやアニメに出てくるような『吸血鬼の棺桶』だとしても、その内装は、闇の貴族に相応しい『血の色をした豪奢なビロード張り』とかであるべきであろう。


 だがそこにあったのは、みっしりと詰め込まれた電子機器……パソコン、ケーブル、スピーカー、その他おれにはもはや判別も付かない何かの機械と、その中にぽっかりと空いた、人間一人が収まるだけの空間だったのである。それはもはや、戦闘機のコックピットと言われた方が納得できる光景であった。


「…………これは、棺桶なのか?」


 おれの質問に、直樹はまるで世界の真理を説くように腕を広げてのたまった。


「うむ。世界にただ一つ、俺だけのアニメ鑑賞専用棺桶だ」

「アニメカンショ……何だって?」


 失礼。あまりに異形の単語の組み合わせゆえ、音を聞いただけでは咄嗟に頭の中で日本語に変換出来なかったことを、ここにお詫びいたします。


「だから、アニメを鑑賞する専用の棺桶だ」


 不吉な予感を確信に変えて、おれは仕方なく質問する。


「……なんだ、この棺桶のあちこちに張り巡らされたパイプフレームとメッシュは」


 ちょうど背もたれと肘掛けと枕とフットレストを埋め込んだような形になっている。


「ハーマンミラー社に俺の身体を採寸させて作らせた。これにすっぽりと収まることで身体そのものの重さが極力均等に分散され、極めて長時間同じ姿勢で横たわっていても、蒸れや床ずれ、痺れが発生しない。エコノミー症候群対策も完璧だ」

「はぁ」


「PCそのものは映像さえ過不足なく再生出来ればそれでよいのでな。その分静粛性と放熱量にこだわった。隣に置いておいてもほとんど気にならないほど静かだ」

「へぇ」


「そしてデータストレージについては、場所と入れ替えの手間を考慮した上で、DVDやブルーレイは採用せず、ナマのデータをすべてハードディスクに取り込むことにした。もちろん可能な限り増設してな」

「ふぅん」


「そして迷ったのだが、やはりヘッドホンではなく、BOSEの5.1chホームシアターセットカスタム版を導入し、棺桶の四隅と蓋面に配置した。俺の全身を包み込むように音が再現されるよう、既に調整済だ」

「ほぅ」


「そしてこちらがユニバーサルデザインのトラックボール。手を添えていても疲れず、親指だけで全てのマウス操作を代行出来る」

「それはそれは」


「つまり視聴覚と親指だけ覚醒させておけば、眠りについた状態とほぼ同じ条件のままに、選択したアニメを最高の環境で半永久的に視聴し続けることが出来るという案配だ」

「……そんなに見るアニメがあるのか?」


「当たり前だろう。これで撮り溜めしたままのアニメや、未開封のままになっていたディスクをじっくりと消化できるというものよ。いずれ再び土中に埋まる時が来ても、悠久の時を有意義に使用できる。ウム、我ながらまさに一石二鳥の妙手と自賛せざるを得ない」

「いずれと言わずに今すぐ埋まれ。そして人類が滅亡するまで這い出てくんなこの土中ひきこもり」


 そういえば、今まで日本で放送された全てのアニメを観るとしたら、消化に何年かかるのだろう。……まあ、そんなことよりコイツはとっととアパートを引き払って、カプセルホテルの一室でも買い取って棺桶を運び込んだ方がいいと思うぞ、マジで。


 おれの脳裏にまざまざと浮かぶ、今から数百年後の光景。深夜の墓地にかすかに響くポップな曲調。誰からも見捨てられたはずの古びた墓の土が盛り上がり、棺の蓋が開く。棺桶の中から流れいでる美少女アニメのキャラクターソングに乗って、始原の吸血鬼が常世に帰還する――。


「ア、アタマが……」

「頭がどうした亘理氏?貴公の前頭葉のスペックが貧弱なことは周知の事実。今さら周囲に嘆いてみても始まらぬぞ?」


 その声でふり返った部屋の入り口には、直樹の要望を具現化した諸悪の元凶、ドクター石動が肩を聳やかして仁王立ちしていたものである。


「……おれも、人よりは世界中のヘンなものを見てきた自信がありますが。USBコネクタつきの棺桶というものがこの世にあるとは知らなかったですねぇ」

「知らないのは当然だぞ亘理氏。それは世界にただ一つの小生の最新作。安心したマエッ」

「もちろん皮肉で言ってんですよ!こんな奇天烈なシロモンがこの世に二つとあってたまりますか!」

「ハハハハハ褒めるな亘理氏!貴公に言われずとも世に二つも三つもあるようなモノにはこの不肖石動、端から興味はないッ!」

「言っときますが褒めてませんからっ!」


 おれ達のやりとりを尻目に、座り込んで物珍しげに棺桶を眺めていた真凛が、ふと呟いた。


「でもこれ、電源はどうするんですか?」

「「………………えっ?」」


 絶句するマッドサイエンティストと吸血鬼。


 ――っておい、まさかアンタら気づいていなかったんかい。

 


 

「ええっと……ここは……電算室……でしょうか?」


 着替えを終え、ドアを開けておそるおそる部屋の中を覗き込むファリス王女に、おれは手招きする。


「似たようなもんだよ。大丈夫、獲って喰われたりはしないからさ」

「そうだな、石動女史が獲って喰うのは年端のいかぬ少年だけだ」

「大丈夫ですファリスさん、いくら羽美さんでも人間は食べませんから!」

「貴公ら……」


 高田馬場の貸しビルの一室に、銀髪が二人いるという光景も珍しい。この棺桶が鎮座する狭い部屋に五人は入れないので、王女に黙礼して入れ違いで退出する直樹。振る舞いだけは王侯貴族並みに完璧だった。


 ちなみに今回、「たいそう美少女なお姫様が依頼人らしい」という情報をおれが伝えたときの奴の第一声は「何歳(いくつ)だ?」だったことをここに記しておきたい。


「――とまあ、そういうわけでしてね。ファリス王女の持ってきたこの暗号の解読をお願いしたいわけですよ」


 簡単に事情を説明し終えた後、おれはファリスから預かった紙片を羽美さんに手渡す。数字で構成された暗号の解析とくれば、まずはコンピューターと数学に詳しいこの人の出番というわけだ。……いかに奇人変人の類といえど。


「最新のコンピューターで推論すれば、もう一つの『箱』とやらがなくても解読できるんじゃないかと期待しまして」

「よろしくお願いいたします」

「ふふん、成る程。大帝セゼルの記した暗号とな」


 一目見るなり、ぞんざいに頷いて紙片を受け取る羽美さん。


「……あれ、思ったより食いつきが良くないですね。お宝の在処が記された秘密の暗号なんてシロモノ、男の子なら一度は手に入れたいと夢見るものでしょうに」

「亘理氏、ちなみに聞いておくが、脳の収縮の末に小生の性別まで失念したわけではないよな?」

「はっははー、まっさかぁー」


 ちなみに、少年達は大人になるにつれそうしたものへの関心を失っていくが、それは成長するにつれ、宝の地図などそうそう存在しないと理解するからであり、決して宝の地図そのものが嫌いになったわけではないのだ、とおれはここで力説しておきたい。


「……誰に言ってるの?」

「いや別に。てか、この手の暗号なら羽美さん、普通に好きそうに思ったんですが」

「まあ、暗号は好物ではあるが」


 そう言うと羽美さんは、LANから切り離した小型のノートパソコンにスキャナを接続し、手早く紙片の映像を取り込む。そして何やら画像解析ソフトを立ち上げると、たちまち紙片に記された手描きの文字列が識別され、整然たる数列となってディスプレイに表示された。


「へぇ、ずいぶん優秀な解析ソフトですね。自前ですか?」


 文字をソフトで画像解析する際、どうしてもくせ字や細かい字の識別が困難になるものだが、おれがざっと見比べたところ、誤認識はしていないようだ。


「ウム。最初に判りやすい文字を解析して簡単な筆跡鑑定を実施し、判読できない文字は筆跡から推定する、という手法を採っておる。十種類しかない数字ならまず間違えることは無かろうよ」

「……どこかの企業の依頼品とか?」


 ロジックだけでも充分に特許を出願できそうなものだが。


「いんや、趣味だ。人工知能に読書をさせようと思いつきで作ってはみたものの、使う機会が無くて放っておいた。所詮は片手間もの、市場に出せるものではない」


 ……胡散臭い実験よりも、むしろこういうところをきちんと伸ばせていれば、マッドサイエンティスト呼ばわりの末学会を追放されることもなかったろうに。


「何か言ったかね」

「いえいえ。で、いよいよ肝心の暗号解析をお願いしたいんですが」

「ああ、それならもう終わったぞ」

「なんだもう終わったんですか。……って、マジですか!?」


 おれの大声に、棺桶に設置されたPCを覗き込んでいた真凛、そしてファリスが慌てて顔を上げる。


「ほ、本当ですか、ドクター・石動!?」

「まあな!ふむ、ふむッ!ファリス王女殿下、貴女は近頃の権力者層にしては珍しく、なかなかに賢者を遇する術を心得ているではないか!」


 ドクター、の敬称に気をよくしたのか、鷹揚に頷く石動女史。ってかこの人の方こそ、もう少し王族に対する敬意を払うべきだと思う。


「政治の世界など十年一日千年一日。真に歴史の針を前に進めるのは叡智を求める科学の歩みよッ!」

「それで、どんな結果だったのですか、『鍵』は!?」


 せっかくの石動女史の雄弁も、国の命運を担った王女の耳には入らない。いささかばつの悪そうな顔になって、羽美さんは告げた。


「うむ。……まあ、これがRSA暗号だろうということはわかった」

「RSA暗号?」

「一通りの解析ソフトを走らせてみたのだが、RSAをどうにか解析させようとしたときの典型的なパターンが現れておるからな。亘理氏から聞いた二つの数列の話からして、まず間違いないであろう」


「……ってぇと、ネットでの情報のやりとりに使われるあれですか?」

「陽司、知ってるの?」

「まあ、ちょっと初歩を舐めた程度だけどな……。たしか素数から秘密鍵と公開鍵を生成する、って奴でしたっけ?」

「ほほう、亘理氏にしてはなかなか勉強をして居るではないか。そもそもRSA暗号とは桁数の大きい合成数の素因数分解が困難であるという事実に基づいて作られた公開鍵型の暗号で――」


「ストップ!ストップ!あんまり専門的なウンチクを語られてもおれ達じゃ理解できませんよ!……まあなんだ、世界中の誰もが暗号化できて、なおかつコンピューターで解析しても解析するのは事実上不可能に近いっていう、ネット上で使うにはとても便利な暗号のことさ」

「いや、陽司、やっぱりよくわからないんだけど……」

 

 

 RSA暗号とは、『秘密鍵』『公開鍵』という二種類の数列を使用する暗号である。


 詳しい計算式は省略するが、他人に知られたくない文章や数字を『公開鍵』と組み合わせることで暗号文を作る。そしてその暗号文を『秘密鍵』と組み合わせることで、元の文章や数字に戻すことが出来るのである。


 この暗号の便利なところは、『公開鍵』(と計算式)さえ知っていれば世界中の誰もが簡単に暗号を作ることができ、かつ、『秘密鍵』を知らないと(暗号を作った本人でさえ)元に戻すことができないという点である。

 

 実は我々も、日常生活でこのRSA暗号を頻繁に使用している。たとえばネットショップで注文をする際、『お客様の送信する情報は、SSL暗号化により保護されています』なんて表示を見たことはないだろうか。このSSL暗号化(の一部)に使用されているのがRSA暗号である。


 注文の内容や住所やクレジットカード番号。もしもこれらを送信するとき他人に読み取られてしまったら大変なことになる。それを防止するため、パソコンは情報を『鍵』によって暗号化して送信する必要がある。


 だが、『鍵』で暗号化するにせよ、受け取った相手が『鍵』を使って暗号を解読できなければ意味がない。


 かといって、相手に「こういう『鍵』を使って暗号化しましたよ」あるいは相手から「こういう『鍵』で暗号化してくださいね」などという情報をやりとりしていたのでは、その『鍵』を読み取られてしまえば意味がないのである。


 そこで使用されるのが、このRSA暗号である。



 ネットショップで注文をする際、パソコンはそのショップがインターネットで全世界にオープンにしている『公開鍵』を読み取り、それを元に、『注文内容や番号、住所など』を暗号化する。


 仮にこの暗号を盗まれても、『公開鍵』だけでは暗号を解読することはできない。ネットショップが持っている『秘密鍵』を使用して初めて、元の情報に戻すことができるのである。


 世界中のどこから注文しても簡単に暗号化できて、かつ、『秘密鍵』を知らない限り誰も解読できない。まさにインターネットでの情報のやりとりにうってつけの暗号と言えるだろう。


 

「まあ、正確に言うとネットショップが直接『秘密鍵』を持っているわけじゃなく、間のネットワークにあったり、他にも色々細かいところがあるんだけどねー」

「……でも亘理さん、腑に落ちません。『公開鍵』で誰でも暗号を作ることができるのであれば、『公開鍵』をコンピューターなどで解析すれば、暗号を解読することも出来そうな気がするのですが?」

「理屈の上では可能だよ。実際、『秘密鍵』と『公開鍵』はもともと同じ数から作られているしね」

「じゃあちっとも安全じゃないじゃない!?」

「ただし時間がかかる。今のネットショッピングで使われている標準レベルの『公開鍵』を解析して暗号を解読しようと思ったら、一秒間に億や兆の回数を計算できる現代のコンピューターを駆使してさえ、何年、もしかしたら何十年何百年もかかるのさ」


 ここらへんは数学の世界の奥深いところである。


「……まあ、そんな細かい話は興味があれば調べればいいだけのこと。問題は」


 おれは紙片に羅列された数字を見やる。羽美さんが言葉を継いだ。


「左様、これがRSA暗号である以上、もう一つの『箱』がないと解読するのは事実上不可能に近い、ということであるな」

「もう一つの、『箱』……」

「ファリスの言うことが正しいのであれば、二つの数列のうち、『箱』とやらは、ネットショップで言うところの注文内容……つまりは『暗号化された金脈の情報』。そして『鍵』はそれを解読するための『秘密鍵』ということになるな」

 

 

 

「秘密の鍵、ですか……」


 解析ソフトを終了した羽美さんがLANを繋ぎ直す作業に入ってしまうと、ぽそりとファリスは呟いた。


「確かに聞いたことがあります。セゼル大帝の敵は、皇族や親族。近しい者ほど信用できなかったと。セゼル大帝は敵対する派閥や海外に部下達を潜ませ、暗号で連絡を取り合っていたそうです。しかも部下達は暗号を作る事が出来ても、解読はセゼル大帝本人にしか出来なかったとか」

「……そりゃあまた、徹底したもんだ」


 そうでもしなければ、陰謀と諸外国の思惑が渦巻く国の中で王などやっていられないのかも知れない。王様なんぞ、つくづくなるものではないと思う。


「ってことは、セゼルから受け継いだっていう君の『鍵』は、セゼルが暗号解読に使っていた『秘密鍵』ってことか。……しかしそうなると、なんでまた遠く離れた日本に『暗号化された金脈の情報』なんてものが残されたのかがわからんなあ」

「……それは……」

「ところで陽司、『アル話ルド君』の修理頼まなくて良かったの?」

「おっ、いかんいかん、暗号話をしていたらもう一つの用件を忘れるところだったぜ。羽美さーん!」

「騒々しいぞ亘理氏。この六畳間で大声なぞ上げんでも充分聞こえるわ」

「すいませんね、コイツ、ストロボを閃光弾(フラッシュバン)モードで使用したら動かなくなっちまいまして」


 そう言っておれは、支給されている多機能携帯『アル話ルド君』を差し出した。最近ではバージョンアップの末、ほとんど高性能なデスクトップPCと変わりない機能を獲得しつつある。


「また壊したのかね?フラッシュバンモードはオマケ機能だから使うなと言っておいただろうに」

「オマケ機能でも何でも、あれば使うのが家電ってものじゃないですか。すみませんが予備との交換お願いしますよ」

「常々言っておるが亘理氏、小生はフレイムアップの技術支援担当であって、小道具の修理係ではないぞ」


 ぶつぶつ言いつつも、手際よく『アル話ルド君』のケースをこじ開ける羽美さん。そこにはバッテリーやカメラ、そしてびっしりと電子部品が敷き詰められたプリント基板が整然と収められていた。


「コンデンサが破損しておるな。やはりタンタルコンデンサといえどもこの電圧ではもたんか」

「これがコンデンサですか?ずいぶん小さいですね」


 物珍しげに問うてくるファリス。だんだん判ってきたのだが、どうやらこのお姫様、結構機械ものに興味があるらしい。


「コンデンサって?」

「電流を蓄えて、必要時に大容量で放出する部品だな。カメラを撮影するときに使うフラッシュなんかは、このコンデンサがバッテリーの電気を蓄えて、一気に発行させることであの眩しい光を作り出す」


 予備のコンデンサをつまみあげて、ファリスに見せる。


「君を助けた時はこれを応用して、本来の限界値以上に電気をため込んで、相手の眼を潰すくらい強力な光を放ったのさ」

「おかげでコンデンサどころか、周囲の部品までまとめてお陀仏であるがな!」

「限界以上のチャージが出来るよう実装したのは羽美さんでしょうに」

「だって仕方ないであろう!?携帯電話が閃光弾になったらちょっと面白いかなとか、誰でも一度は考えることがあるだろう?」

「……否定はしませんよ」


 まだ試してはいないが、同様に本体の破損覚悟でスタンガンやレーザー照射、音響爆弾も使用可能だそうである。


「噂には聞いていましたが、日本のケータイの進化というのは凄いものですね」

「あ、あくまで例外だからね?こんな物騒な機能がついているのは日本でも多分これだけだからさ」


 まあ、色々と妙な機能がつくのは、進化に行き詰まった電化製品の宿命でもある。日本のケータイのガラパゴス的進化は果たして今後どうなるのであろうか。


「……でもまあ、結果として、その機能に助けられたわけだしね。君がそれ(・・)で連絡をくれなかったら、到底間に合わなかった」


 おれはそう言って、ファリスの携帯(ケータイ)を指差した。


 彼女はさらわれそうになったとき、とっさに登録したまま画面に残っていたうちの事務所の番号をワンコールしていたのである。このタイミングで海外ナンバーのワンコールが何を意味するか気づけないほどウチの事務所は間抜けではない。


 そしてあとは羽美さんがGPSをアレして位置情報をコレして場所を特定し、おれ達が動いたというわけである。


「しかし、ルーナライナで私が持っている携帯電話とは性能が違いすぎます」

「そりゃやっぱり、部品の高性能化、小型化が大きいかな。このタンタルコンデンサ一つ取っても、従来のセラミックコンデンサと比べて格段に性能が上がっているからねえ」

「ま、その分値段はしっかりお高くなるわけだがな、亘理氏。修理代は報酬から天引きでよいな?」

「実験費、ってことで落ちませんかねえ?」

「そう交渉してみるかね?」

「遠慮しておきます」


 ……さすがにこればかりは仕方がない。経費をケチってどうにかなる状況ではなかったのだから。


「ねぇ、陽司、これからどうするの?」


 真凛が問うてくる。ふむ。そう言えば朝からバタバタだったせいですっかり時間感覚を失っていたが、時刻はまだ昼を回った程度。本格的に調査をするには遅く、明日に持ち越しするには早い時間だった。


「どうせなら、今夜の映画で――」

「じゃあ、ちょっと大学に顔を出すとするか」


 おれは羽美さんから受け取った予備の『アル話ルド君』をポケットに収めると立ち上がった。




「大学、って、陽司の?」

「ああ。東京都高田馬場、相盟大学。ここから歩いても十五分程度だからな」

「それは知ってるけど……今日、なんか特別な用あったっけ?」

「ああ、そりゃあね。仕事も仕事、こちらが本命さ」


 そう言っておれはファリス王女を見つめる。

 



「じゃあ案内するよ、ファリス。おれ達の大学、相盟大学を。君の留学先に相応しければいいんだが」


 おれの言葉を半分予期していたのだろう。ファリスはどこか思い詰めたような表情で頷いた。


「――はい。ご案内よろしくお願いします、亘理さん」


 おれは将来の後輩候補生に向かって笑ってみせる。


 事情を飲み込めない真凛が、不思議そうにおれ達を交互に見やっていた。

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