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◆10:紅華飯店にて

 日本でも最大規模の港町、横浜。


 だがその歴史は、日本の他の港町と比べると意外と短い。ほんの百五十年ほど前まで、海運の要となっていたのは北の神奈川、南の六浦であり、その中間に位置する横浜は小さな漁村に過ぎなかった。


 幕末の開国によって、欧米の大型商船が接岸できる国際港の必要性が高まり、その候補地として、立地や政治の要因も考慮して選出されたのが横浜だったのである。


 首都に近く、当時最新の設備を備えていた横浜港は、瞬く間に交通の要地となり、現在まで続く国際都市ヨコハマのいしずえとなった。


 その後は輸出入の要地であることを活かして京浜工業地帯が誕生し、ベイブリッジ、赤レンガ倉庫などの観光スポットも生まれ、商業、工業、観光業が揃った、名実共に日本を代表する港町となっている。


 

 そんな横浜のベイエリア、市街と港双方を一望できる位置に『紅華飯店』はあった。


 飯店という単語は、この場合はレストランではなくホテルを意味する。しかも、その実際の姿は地上五十階建てガラス張りの超高層ビルであり、中に足を踏み入れれば、最新のセキュリティと、クラシカルな調度、要所にバランス良く配されたチャイナアンティークが宿泊客に最高級の環境を提供する。


 もちろん隅々まで行き届いたサービスは言うに及ばず、食事は横浜中華街トップクラスの料理人の手によるもの。まさに堂々たるグランドホテルであった。

 



 だが、この豪華ホテルに隠された、幾つかの事実を知るものは少ない。

 

 この豪華ホテルの歴史は、百五十年前の横浜開港当時に遡るということ。


 当時の紅華飯店は、小さく粗末な中華料理屋兼宿屋で、創業者は、衰退していく清王朝に愛想を尽かし中国大陸から夢を求めてやって来た、とある”特異な力を持った一族”だったということ。


 彼らが言葉の通じない異国で、この料理屋を中心にして同族同士助け合って生きてきたということ。


 彼ら以外にも、新天地を求めて、あるいは国を追われて、外国人の用心棒として、様々な”特異な力を持った者”が大陸から横浜を訪れ、彼らの”義”に惚れ込み、仲間となったこと。


 彼らの結束は固く、やがてその集まりは義兄弟の契りによって結ばれた”(ギルド)”に発展したということ。


 横浜に居着いた中国人……華僑達がコミュニティを形成し、中華街を作りあげるに際して、彼ら『紅華幇』の持つ”特異な力”は非常に頼りにされたこと。


 紅華幇が成長して強大となってからは、より多くの人材を日本に迎え入れ、組織はさらに大きくなったこと。


 紅華幇は今では横浜の中華街や日本の華僑社会のみならず、中国本土まで多大な影響力を持っているということ。


 移転とリニューアルを繰り返し豪華ホテルとなった今でも、『紅華飯店』は変わりなく、彼らの本拠地であるということ。


 百五十年前から変わることなく、顧客から厄介事の依頼があれば、彼らは継承された”特異な力”を行使して、その解決に当たること。



 

 ――そして紅華幇は、二十一世紀の現代では、『人材派遣会社マンネットブロードサービス』という表の肩書きも持っているということ。

 


 

『それで、みすみすファリスを目の前でひっさらわれた、と報告をしに来たのか!?』


 部屋中に響くルーナライナ語のがなり声。『紅華飯店』の三十六階、ドラゴン・スイートと呼ばれるVIP向けの豪華客室の中で一人の男が喚いていた。


 年の頃は四十の後半か。小太りの体躯、灰色の髪をオールバックに撫でつけ、つり上がった眼と過剰に跳ね上がった髭が、栄養過剰で躾のなっていない家猫を思わせる。


 その衣装はといえば、中世の絵画から抜け出してきたかのような厳めしい勲章過剰の軍服で、精悍さの欠片もないこの男には絶望的なまでに似合っていなかった。対面に座る霍美玲としては、失笑を堪えるのに少なからず意志の力を割かねばならなかった程である。


『何のために貴様等を雇ったと思っている!国外では問題を大事にすべきではない、現地のスタッフに任せるべき、と言ったのは貴様等の方だぞ!?』


 テーブルに叩きつけられたグラスが跳ねて、カーペットにワインの赤い飛沫をまき散らした。本来ルーナライナ語は、歴史書にも『星が瞬くような』リズミカルで美しい言葉と記されているのだが、それも発音する者次第でここまで下品になってしまうものか。あでやかな営業スマイルを浮かべつつ、美玲は内心ため息をついた。


 ワンシム・カラーティ。


 ルーナライナ王国の外務大臣にして、現国王アベリフの兄にあたる人物である。劉颯馬、霍美玲の二人を雇いファリス皇女を拉致しようとしたのは、実の叔父であるこの男であった。


 ファリスを空港で確保するのに失敗した二人は、日本に駐留している依頼人に中間報告を入れに来たのだが、当然ながらそれで依頼主の機嫌が良くなるはずもなかった。


「…………ト、ワンシムハモウシテオリマス」


 冷や汗を浮かべながら、かたわらに立つツォン青年が日本語に訳す。外務大臣のくせにまともに英語が話せないワンシムの通訳を務める、二十代の東洋人の青年。


 どうにもぱっとしない印象だが、ルーナライナ語、英語、中国語、片言の日本語を操る事が出来る貴重な人材である。今この場で会話が成り立っているのは彼の尽力によるおかげだった。


『ではツォンさん、訳してくださいな。その点については我々の意見は変わりませんわ。貴方がたが皇女殿下の動向を察知されたときは、すでに皇女は出国された後。ルーナライナ国内なら如何様にも手の打ちようがあったでしょうが、この日本では我々マンネットブロードサービスこそが、事態解決のための最適な手段と自負しております』


 ツォンが丁寧にルーナライナ語に訳すと、またワンシムががなり立てる。


『そう聞いたからこそ、私が日本に飛ぶ前に、貴様等に指示を送ったのだ。空港で捕らえてさえいれば、今頃ここで締め上げて『鍵』と『箱』の在処を吐かせていたものを……!』


 およそ叔父が姪に対して言ってよい言葉ではなかったが、当の本人は自覚していないようだった。そもそも現国王を補佐すべき男が、泡を食って外交官用の飛行機を私用して日本まで姪を追いかけてきたと言うこと自体、無能ぶりの証明である。


 ソファーに座るワンシムの後ろにはもう一人、筋肉質の大男が控えていた。ワンシム同様の軍服に身を包み、混血の進んだ無国籍な風貌からルーナライナの軍人であると判る。


『閣下、自分はやはりこのような素人に任せるべきではないと考えます』


 前に進み出る大男。ルーナライナ軍の大佐で、ワンシムの腹心だという。名前は確かビトールとか言ったか。ワンシムの領内でくすぶる不満分子や反乱分子を鎮圧して功を上げた、とのことだが、美玲の調べた情報に寄れば、結局、「弱い者いじめのスペシャリスト」以上の男ではなかった。


『聞けば奴らはここから三十キロと離れていないシンジュクに居るそうではありませんか。民間人の住居など大した障害ではありません。自分に命令を下していただければ、私が部隊の指揮を執り、二時間以内に制圧の後、皇女殿下をここに連れて参ります』

『……日本の首都圏で市街戦をやらかすおつもりでしょうか?』


 こちらの無能に至っては無益どころか有害だ。中央アジアの荒野で隣村に出かけていって略奪を働くのとは訳が違うと言うことを、想像すら出来ていない。美玲の言葉をツォンが訳すと、ビトールは無駄に分厚い胸を反り返らせて反論した。


『大した違いなどない。現地の部隊が反応する前に引き上げてしまえばよい。それが戦術というものだ』

『東京に自衛隊はあっても軍隊は駐留しておりませんよ』


 一方的な内戦、民間人の弾圧しかしたことがない軍隊が戦術とは。自分のやろうとしている事がどれほどの問題を引き起こすか、微塵も理解していない。やや痛むこめかみを指でもみほぐしながら、美玲はにこやかな表情を維持するのに多大な労力を払わざるを得なかった。


『だいたい武器も兵隊も、どこから調達してくるつもりですの?』


 美玲の発言は無能な相手に気づかれない程度に皮肉をまぶしたものだったが、ビトールは一層胸を張って答えた。


『ふん、例え異国の地であろうと兵を集めるのが将の才というものだ。もっとも貴様達のような民間人の素人には理解できないだろうがな』

「やめとけ」


 横合いから口を挟んだのは、今まで沈黙を保っていた颯馬だった。依頼人の前だが、ソファーにどっかと腰を下ろし足を組む、そのふてぶてしい態度は毫も揺らぐことがない。


『見てくれこそ貸しビルに集まった貧乏人に過ぎんが、やつらの実力は本物だ。あの二人だけを相手にするならともかく、いずれも最高峰の吸血鬼と忍者と魔術師に、一人学会(ワンマン・アカデミー)の装備が加わり、二十世紀最高の戦術家の一人が指揮を執るとなれば、能力者でさえ三桁、並の軍隊ならそれこそ核でも持ってこないと相手にもならん』

『くだらん冗談だな』


 ツォンの通訳をを介して、ビトールが鼻で笑う。


『だいたい小僧、貴様はなんだ?我々に雇われただけのくせにそのでかい態度は。余程親の躾がなっていないらしいな』

『――なんだと』


 急低下する颯馬の声の温度。それが氷結する前に、美玲が口を挟んだ。


『こちらの劉颯馬は、確かに我々マンネットブロードサービスの社員です。しかし同時に、紅華幇の幹部でもあります』


 その言葉に反応したのは、ビトールではなくワンシムの方だった。


『ほう?その若さで幹部となれば……もしや『竜成九子』か?』

『その通りですわ』


 ワンシムはなお、怒りと猜疑に満ちた眼差しをぐるぐると回転させていたが、やがてふたたびソファに身を沈めた。


『……ならば聞かせてもらおう。これからどうするつもりなのだ?』


 激怒の段階が去り、話し合いのステージに移ったと見て、美玲があの大輪の微笑を復活させる。ビトールが露骨に喉を鳴らし、ツォン青年も眼を丸くして、その微笑に魅入る。


『実のところ、ファリス皇女を逃がしても大勢に影響はございません』


 というか、そもそもこの男の唐突な指示がなければ、彼女にファリスを捕らえるつもりなどなかったのである。


『皇女がわざわざ危険を冒してまで日本にやってきたのは、セゼル大帝から受け継いだという『箱』のヒントなり答えなりがこの地にあるということでしょう』

『む、その可能性はあるかも知れんが……』


 というより、日本には彼女の後見人となるような人物が居ない以上、それ以外考えられないのだが。


『ならばわざわざ皇女から情報を引き出すことはありません。放っておけば彼女と護衛の連中が、『箱』の暗号解読に走り回ってくれることでしょうから』

『ふん、ならば連中の後をつけ回し、『鍵』と『箱』の謎が解けたところで取り上げると言うことだな?』

『表現を飾らなければ、まさしくそういう事ですわね。もちろん、皇女殿下が匿われた事務所の入ったビルは、我々の部下が監視を敷いています』


 マンネットブロードサービスのような大規模な派遣会社のメリットとして、任務に望む際、部隊の支援が受けられるという点がある。監視や連絡など、能力は必要としないが人手はかかる、という仕事を一般のメンバーに任せ、能力者は自分の専門分野にのみ集中できるのだ。


『……いいだろう。だが必ず『鍵』と『箱』を手に入れろよ。あれに運命がかかっているのだからな』


 事実だろう、誰の運命かは知らないが。笑みを浮かべた美玲と、仏頂面の颯馬が退出する。扉が閉まる前に、ワンシムは新たな酒杯に腕を伸ばしていた。

 


 

『落ちたもんだな、俺達紅華幇も』


 ドラゴン・スイートを出てエレベーターに向かう廊下の道すがら、颯馬が口を開いた。


『弱きを助け強きを挫く。侠者の魂こそが、大陸を離れこの島国に生きる我らを支えてきた絆じゃないか』


 愚痴や呟きというにはいささか大きすぎる声だが、颯馬には声をひそめるつもりはさらさらないようだった。上に立つ者が下を向いて小声で話していて誰がついてくるものか。エレベーターホールにたどり着き、ボタンを押す。


『それが江湖の掟を忘れ、あんな輩に肩入れし、あまつさえ数人がかりで女を攫ってこい、などと』


 口調こそ抑えているものの、颯馬の怒りは本物だ。だが彼にこの仕事を持ってきた美玲としては、それでも反論せざるを得ない。


『しかし、お父上……塞主直々の命ですわ』

『どうせ中南海の連中に高く恩を売りつけようというハラだろう?』


 事実である。今回、ワンシムの依頼を彼らマンネットブロードサービス……紅華幇が請け負うにあたり仲介を務めたのは、|中南海(中国政府)と太いパイプを持つさる要人である。


 骨肉争うルーナライナの諸勢力の中でも、一番の力を持っているのがワンシムの派閥であり、そしてその理由はワンシム本人の実力でも人望でもなく、彼の操り主である中国政府の支援に拠るものだということは、中央アジアの政界では公然の秘密だった。


 アベリフが退位、もしくは崩御しワンシムが即位したあかつきには、ルーナライナは完全に中国の傀儡政権に成り果てるだろう。ただでさえ国境、戦争、宗教、資源問題を抱え込み混乱にある中央アジアの勢力図が、さらに大きく描き換わることは明白だった。


 紅華幇の塞主、つまり颯馬の父は、これに荷担することで幇の中国政府への影響力を強めようと考えているのだった。


「仕方がないことなのです。企業であれ組織であれ、今後の世界で商いをしようとするのであれば、大陸の市場を無視することは出来ないのですから。塞主の指示は、慧眼と私も思いますわ」


 

 みし、と音が一つ。


 

 紅華飯店の建物が軋んだ。


 颯馬がほんのわずかに右脚を浮かせて――踏み下ろす。ただそれだけで、安普請などという言葉とは対極にある堅牢極まりない巨大な構造物が、小さな悲鳴を上げたのだった。


『商売人としては、そうだろうさ。だが侠客として、官吏に尻尾を振るというのはどうなんだ?』

『坊ちゃま……』

『坊ちゃまはやめろ』

『……塞主より仰せつかっております。今回の件が成功すれば、その功績はご兄弟に大きく勝り、次期塞主の座は貴方のものになろう、と』

『ふん……』


 颯馬の声がわずかに揺らいだ。そう、彼は塞主にならなければならない、なんとしても。己の両脚と武技にのみ拠って立つ、一介の武侠でありたいという彼の思いとは別に。


 微妙な沈黙を打ち割ったのは、昇ってきたエレベーターのチャイムだった。扉が開いたときには、すでに颯馬の眼から葛藤は消え失せていた。


『……まあいい。どちらにせよ、七瀬が出てくるとなれば、俺に断る理由はない。我が『四征拳』にかけて、奴を倒す。それもまた江湖の掟だ』


 受けた依頼は果たす。立ち塞がる敵は倒す。それが紅華幇に名を連ねる武侠の道であり、マンネットブロードサービスに所属する派遣社員のルールであるはずだった。

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