◆09:”勇者よ、国を救ってください”(出題編)
「ご存知かもしれませんが、私達の国、ルーナライナは、……今存亡の危機にあります」
開口一番、彼女が発したのはそんな重苦しい言葉だった。
「やっぱり、状況は悪いのか?」
おれの返答に、驚きの声をあげる真凛。
「ええ!?だってさっき、ルーナライナは王様が金を掘り当てて国を建て直した、って言ってたじゃない」
「ああ。確かに大帝と呼ばれたセゼル王によって、ルーナライナは国としての基盤を確立したんだ。だが……」
おれは言葉を濁した。新聞を読んで国際情勢を論評するのならともかく、当事者の前であまり無神経なことは言えない。おれの逡巡を引き取るように、言葉を続けるファリス皇女。
「ですが、その繁栄はセゼル大帝が生きている間だけだった……ですよね?」
彼女の言葉。そこには深い悲しみと、わずかな自嘲がこめられていた。
シルクロードに埋もれて中世のまま時間が止まった一都市を、ソ連や中国に併合される前に、その脅威と渡り合えるような近代国家に造り替える――それがセゼルの目指した為政である。
彼は掘り当てた膨大な黄金に裏打ちされた力をバックとして、政、官、財、軍の近代化に着手した。当然のことながら反発は凄まじかったらしい。門閥の貴族達、数百年前の法律と慣習を唯一絶対とする官吏達、他国の息がかかった交易商達と、彼らの供給する銃器を有する軍人達。
……そして、旧勢力の利権を代表する、ルーナライナの皇族達。
「私が生まれる前から、ルーナライナでは幾度となく内乱の動きがありました」
税制の改革、国営企業の民営化、あるいは皇族やその親族が経営する偽りの民間企業の解体。近代化とはシステムの変更であり、旧システムの支配者達が抱え込んでいる利権と冨を吐き出させることでもある。
いつの世も、いずれ他国に併呑されるかもしれない危機を、現在の自分の利権が侵害される不利益より優先できる者は少ない。ほとんどの皇族は、セゼルを暴君、圧制者、裏切り者と罵り、ある者は積極的に、ある者は軍部や他国に唆されて反乱を企てた。
当時のセゼルは「奴らがいる限り、ルーナライナの近代化は三十世紀になっても来ない」という発言を残している。
これに対してセゼルが採った策は、懐柔でも和解でもなかった。
徹底した弾圧と粛清。多くの皇族が反乱者として討たれ、反乱を企てたとして逮捕、処刑された。セゼルは民衆に対しては寛大で公正な王だったが、身内に対しては恐ろしいほどに容赦がなかった。
国外に逃亡した者、他国と通じた者、ルーナライナの生命線である金鉱の情報や現物を諸外国に売り渡した者、王の許可無く軍備を拡張した者等は即刻死刑を申し渡し、一切の例外なく執行した。
血で血を洗う、皇族同士の争い。そんな時代が二十年ほど続き、謀反の芽は摘まれ、産出される金によって産業は成長し国政は潤い、ようやくルーナライナの近代化は果たされた、かに思えた。
「しかし、セゼル大帝の崩御の後、その後継者を巡ってふたたび内乱が起こったのです。三ヶ月の後、セゼルが後継者に指名したルベリア第四王子が爆弾テロによって殺害されると、第一王子イシュルが即位を宣言。しかしセゼル派の大臣達はそれを認めず、イシュルをテロの主犯として逮捕、銃殺。その後も王位を巡ってしばらくクーデターやテロ、投獄が相次ぐこととなりました」
それこそ新聞記事のように淡々と語るファリス。
「で、でも、そのルベリアさんとかイシュルさんとかって」
「――私にとっては、親族ということになりますね」
彼女の穏やかな紫水晶が、その時だけ、硬質で冷たい輝きを放った。
「ただの権力争いならまだ良かったのです。しかしセゼル大帝の偉業は、一転して大きな災いの要因となってしまった」
「金鉱、か」
それまでは皇族の利権争いなどと言っても、結局は領地の広さと畑や家畜、細々とした手工業とそこから上がる税の取り合いでしかなかった。だがしかし、セゼルが開発した金鉱は、そんなものが霞んで吹き飛ぶほどに莫大な利益を生み出すものだった。
王位と、各地に点在する金鉱を手に入れた者は、標準的なルーナライナ人が千年働いても追いつかないほどのカネと力を手にする事ができる。たかだか平民や兵士の命の百や千で購えるのなら安い買い物だ。
「……そこから先はおれが語ってもいいかな。その後も王位継承者と、彼らに組みするそれぞれの勢力が衝突を繰り返し、結果、セゼル大帝の孫のひとり、現在のアベリフ王、つまり君の父上が勝ち残った。そうだろう?」
「はい。でも父は勝ち残ったと言うより、生き残ったという方が正しいのかも知れませんね」
皮肉でも謙遜でもなく、やはり新聞記事のように淡々と述べるファリス。日本人であるおれが入手できる情報に照らしても、確かにその通りだった。
もともとアベリフ王は学者肌の人で、王位に興味はなく、また継承順位も高くなかったため、海外の大学で研究に打ち込んでいたらしい。しかし権力争いで目立った候補者が軒並み死亡、失脚してしまった結果、こう言っては何だが、お飾りの王様として呼び戻されることとなったのである。
そして皮肉にも、各勢力の妥協案として選び出されたこの中立の国王のもとで内乱は一応の終息を見せ、ようやく国は小康状態を取り戻した。それがわずか三年前の出来事である。
「とはいえ、今でも皆自分の勢力を拡大させて、金脈を手に入れようと隙をうかがっているわけだ。どうにも不安定な政情であることは否めないよなあ」
「はい。結局のところ、今の私は傀儡の王の娘に過ぎません。第三皇女などと肩書きだけは立派でも、実権はほとんどないのです」
「えっと、えらい人達が何年も金脈を取り合ってケンカしてたんですよね。ってことは今、ファリスさんの国は……」
「ずいぶんひどいもの、らしいな。道路や官公庁は焼かれ、電線や上下水道は断たれて復旧は進まず。首都の城壁の周りには、諸侯の争いで焼け出された人達がスラムを形成し、犯罪が絶えないらしい。市民が外出できるのは昼のうちだけ、って聞いたぜ」
おれのCNNからの受け売りの知識に、彼女はひとつ頷いただけだった。
「――日本は、いい国ですね。明るくて、賑やかで、安全で」
「ファリスさん……」
おれと真凛は、その言葉には容易に返事をすることができなかった。もちろん日本でも、凶悪犯罪がニュースに流れることはある。だが、本当に治安の悪い国では、凶悪犯罪などいちいちニュースでは流さない。日常の出来事なのだから。
朝を迎えるたび、夜に強盗が入ってこなかったことを感謝する生活など、日本人の大多数にとっては実感できないだろう。せいぜい海外のニュースを見てああ大変だねえと共感する程度だ。おれとてそうした国を訪れた事はあるが、そこに根付いて生きていく事が出来るかと問われれば否と言わざるを得ない。
「空港で、海外旅行帰りの女の子と会いました。ルーナライナの子の多くは、あの歳くらいになると金鉱に連れて行かれて働かされます」
「ええっ、みんな学校は行かないんですか?」
「……学校は、残ってないんです。首都と、そのごく近郊くらいにしか」
「そんなことって……」
あるのだ。テレビでも時々流れている。ただ実感できないだけの事である。
「ん?ちょっと待ってくれ。たしかセゼル大帝は在位中に多くの採掘機械を導入し、ずいぶん自動化や効率化が進んだはずだ。今さら児童労働なんてやらせる必要があるのか?」
「内戦が激化してから、金鉱を抑えた各勢力は、採掘機械をフル稼働させるようになりました」
「まあ、そりゃそうだな。いつ他の勢力に奪われるかわからない以上、手元にあるうちに出来るだけ金を掘り出しておきたいところだろう」
「ええ。本当に。彼らは24時間休みなく採掘を続け……そして、あらかた掘り尽くしてしまったのです」
「おいおい、そりゃ本当か!?」
公式のニュースには流れていない話だった。
「未だどの勢力も公にはしていませんが。この数年間、ルーナライナで採掘される金の量は一旦例年の五倍近くに跳ね上がった後、激減しています」
「無茶な採掘で掘れるだけ掘っちまったってわけか……」
「機械が使用できるほどの主力の鉱山はあらかた掘り尽くされ、今では各領主が、その鉱山の機械が使用できないほどの細い鉱脈や、まったく見当違いの山をカン任せで採掘しています。その労働力として使われているのが、ルーナライナの市民、そして子供達です」
「……お貴族様が市民を奴隷のように強制労働ってか。ファンタジーRPGに出てくる国の話なら、いずれ主人公が助けに来る分救いがあるんだがな」
残念ながら二十一世紀の紛れもない現実である。
「掘り出された金はどうなったんですか?」
「恐らくは、各勢力に裏で支援をしている中国やロシアに、だぶついた所を格安で買い叩かれたのではないかと思います」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。内戦に使用される武器や弾薬はどこから?」
「それらは中国やロシア系の商人から購入しているはずです」
「……つまりそりゃ、同胞を撃ち殺すための銃器を買い揃えるために、自分とこの金山を無理矢理掘り進めてるってことになるよな?」
「その通り……です」
ベッドの上で握りしめられたファリスの拳が、わずかに震える。
「現状は、セゼル大帝が初めに恐れていた状態なのです。王家が力を失い、諸外国にいいように搾取されている。いえ、なまじ金鉱が見つかってしまった分、予想よりはるかに悪い状態です」
「そのうえ、金鉱そのものさえ掘り尽くされてしまったとしたら……」
おれは状況をシミュレートしてみる。ルーナライナは現在、金の取り合いで争いとなっているが、同時に金の産出国として成り立ってもいる。この状況で金が枯渇した事が判明したら、諸外国との交易は打ち切られ、後には戦争の傷跡のみが残ってしまうこととなる。
政治と経済は崩壊するだろう。国土はロシアと中国に切り分けられ、国民達は難民としてキャンプにでも押し込められることになるかも知れない。国を失った人々がどれほど惨めな目に会うか想像できる人間は、戦後生まれの日本人にはいないのではないだろうか。
「だから、存亡の危機、ってわけか。ニュースで流れているよりも、よっぽど事態は深刻ってことだな」
「えっと……国の偉い人を決めるためにみんながケンカして、ケンカをするためのお金が欲しいから、みんなが国中の金山を子供まで使って掘らせている。でも、金山そのものがもう掘り尽くされてきたから、偉い人を決めるどころか、国そのものがなくなっちゃうかも、ってこと?」
「そういうことになるな。だが……」
対策など立てようもない。森や畑であれば、乱獲を抑えてしばらく休ませるという方法もある。だが金山となれば、何年か掘らずに休ませていたら金がまた沸いてくる、ということはあり得ない。このままではどのみち、ルーナライナの滅亡は避けられないのだ。
「改めてルーナライナの現状が厳しいということはわかったよ。でもそれが、君が日本に来ることとどうつながるんだい?」
ここまではすべて、状況の説明にすぎない。ここからが依頼であるはずだった。
ファリスはちらり、と桜庭さんの方を見やった。静かに頷く桜庭さん。そしてファリスはその紫水晶の瞳で、おれをじ、と見つめる。――信ずるに足る者か、重要な事を託せる相手か、必死に自らの判断で見極めようとする目。美少女に見つめられてうれしいなあ、などと軽口を叩く気にはなれなかった。
「――今は形だけの王ですが、私の父アベリフは、セゼル大帝から一つの『鍵』を受け継いでいました」
そういうとファリスは自らのうなじに両の手を伸ばし、銀の髪をかき上げる。露わになったすべらかな褐色の首には、細く黒いチョーカーが巻かれていた。慎重な手つきでそれを取り外す。
「真に国が存亡の危機に陥ったとき、それを使えと託された、『鍵』が」
革の裏側に指を這わせると、そこには目立たない切れ込みがあった。ごく小さく薄いものを隠すときの、スパイ用の小道具。一国の王女には似つかわしくないもの。
「これを」
チョーカー裏の切れ込みから引っ張り出されたのは、一枚の古い紙片だった。おれと真凛は目の前で繰り広げられる事態に呆気にとられたまま、その紙片を手にする。
おれもこの仕事を初めてそれなりに長いが、まさかこんな「らしい」仕事を請け負うことになるとは。紙片を開く。そこにびっちりと書き記されていたのは、数字の羅列。
「これは……」
おれと真凛の声がハモる。
「暗号、かい?」
こくりと頷くファリス。
「セゼル大帝は晩年にこう言ったそうです。”極東の地に在りし、うずもれたもう一つの数式。『鍵』と『箱』を揃えたとき、失われし我らの最後の鉱脈が示される”と」
ファリスは、いや、ルーナライナ王国第三皇女ファリス・シィ・カラーティは、その紫の瞳でおれと真凛を真っ直ぐに見つめ、静かに告げた。
「ここに記されしは、大帝セゼルが唯一手をつけずに秘した、ルーナライナ最後の大金鉱の『鍵』。これこそが、破綻しつつある我が祖国――ルーナライナを救うための最後の希望なのです。亘理陽司さん、七瀬真凛さん。私の依頼とは、この国に隠された、暗号を解くためのもう一つの数式。『箱』を探すこと。即ち、貴方がたに我がルーナライナを救っていただきたいのです」
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