◆08:赤焼けた記憶
夢を見ている。
これが夢だという自覚はある。明晰夢、というものだろう。
空港にいる私に話しかけてくる、一人の女の子。
そう、さっき出会ったあやちゃん、と呼ばれていた女の子だ。
海外旅行から帰ってきたばかりなのだろう。
お土産を握りしめて――現地の土産物屋で買った他愛のないもの。
でも子供にとっては、はるか世界の彼方から持ち帰った偉大な戦利品。
それを自慢したくて自慢したくてしょうがない。
そう、だから目の前の、その人に話しかける。
その人は少し困ったような顔をして。
でも子供の自慢話に真摯に耳を傾けて頷いてくれる。
決して、まだ子供だからとか、女だからとか、三番目だからとか、母親が違うなんて理由で分け隔てをしない。
だから私は、その人が大好きだった。
――ああ、あれは私だ。
いつの間にか、あやちゃんは子供の頃の私に。
彼女の話を聞いていた私は――私の一番大切だった人になっていた。
辻褄が合わない。
変だ。
――ああ、これは夢だったっけ。
夢なら配役が入れ替わるのもしょうがないか。
空港で他愛の無いおしゃべりが続く。
でもおかしい。
さっきまで私は、迎えに来てくれたあの人にお土産の自慢をしていたのに。
いつの間にか、私が、海外から帰ってきたあの人を迎えたことになっていた。
――まあ、しょうがない。夢なんだから。
留学から帰ってきたあの人は、すごく大人になっていて。
ぜんぜん別の世界の人になってしまったんじゃないかとすごく不安になった。
でも、私に話かける時の笑顔はいつもの通りで。
なぜだか泣きそうになった事を覚えている。
そんな私の頭を撫でようとして。
空港にとつぜん、こわい人たちがたくさん入ってきて、あの人をつかまえてしまう。
――ああ、だめだ。この先はだめだ。
私は気づく。これは何度も見た夢。
どんな夢を見ていても、人が入れ替わり舞台が移り、必ず辿りつくあの時あの場所。
見てはいけない。醒めなければいけない。
いつもの抵抗。
それはいつものように実らず――舞台が回る。
夕日が沈む真っ赤な砂漠。
あの人が鎖に繋がれている。
その横で、いつもはやさしい大叔父様が、とっても怖い顔で。
「ルーナライナのきんをもちだしたばいこくど」
そんなことを言っていたように思う。
そんなに。
そんなにしてまで守らなければならないものなのですか。
ルーナライナの金脈は。
金だけでは国は立ちゆかない。
金があるうちにこそ、人を育てるべきなのです。
いつもやさしいあの人が、血を吐くように声をしぼりあげる。
それを聞いているのは大祖父様。
私は怖くて。
今まで大祖父様の顔を前から見たことなんてなくて。
でも私は大祖父様に言いたかった。――何をだろう?
一生懸命伝えたくても伝えられなくて。
そして結局。
何も大祖父様は言葉を発しなかった。
最後の一言。
刑を執行する命令以外は。
目を閉じてはならない。
例えそれが十にも満たぬ幼子であっても。
赤い砂漠が灰色に染まる。
音の失せた世界。
色も失せた白黒のせかい。
急速に失せていくげんじつかん。
こうぞくのしょけいはこうぞくがみとどけなければならない。
それがさだめだから。
だからわたしはみなくてはならない
あのひとの を
おもいものがふりおろされて
かるいものがころげおち
「――アルセス兄様!」
私は、目を覚ました。
聞くところによると、この事務所が入っているビルは、本来はマンションとして設計されたらしい。しかし諸事情があり、結局企業向けのオフィスとして貸出される事になったのだそうだ。
その名残なのか、事務所の奥には六畳の洋室と和室がある。洋室はベッドと机、本棚が備えられた物置兼休憩室となっており、男衆が徹夜上等で事務所に詰める際は、ここのベッドで仮眠を取ることもしばしばである。
いつもならここは、おれが持ち込んだ健康グッズ、仁サンが読み捨てたコンビニコミック、チーフの替えのシャツ、仮置きされた資料が散乱し惨憺たる有り様なのだが――今この時ばかりは、それらの雑多な私物はまるで神隠しにでもあったように何処かへ消え失せていた。
山谷の簡易宿泊所を思わせる草臥れたフトンはふかふかの羽布団へと差し替えられ、窓際の机には、一体どこから出現したのやら、シンプルだが趣のある陶器の花瓶に南天が生けてある。
ついでに言えば部屋の壁紙にこびりついていたはずのヤニの臭いも、魔法でも使ったかのように拭い去られ、今はくどくならない程度の仄かなアロマで満たされている。こういった細やかな気配りが出来るのは、もちろんおれや直樹でも、こと家事についてはそろいも揃って赤点レベルなウチの女性陣でもない。
「いやしかし、相変わらずの腕前ですねぇ」
「お誉めに預かり光栄ですな」
扉の前に詰めていた桜庭さんに一声かける。
我々フレイムアップの会計担当にして、事務所の一階、喫茶店『ケテル』の店主たるこの白髪の紳士こそが、小汚い雑魚寝部屋をわずか数日のうちにセンスが光る山荘の一室風に改装してのけた張本人であった。コーヒーや料理のみならず、家事全般を芸術と呼べる領域で実行できる人間を、おれは他に知らない。
「それで、依頼人さんは?」
「こちらへ」
「失礼しまーす、っと……」
桜庭さんに従って部屋の中へ。
――そこに、彼女はいた。
「ヨウジ・ワタリさん、マリン・ナナセさん、でしょうか?」
入室したおれ達の耳に届けられた、鈴の音のように澄んだ日本語。
ウチの事務所の主である所長に付き添われ、羽根布団からチェックのパジャマ姿で上半身を起こしていたのは、月光を連想させる銀髪と、滑らかな褐色の肌、大粒の紫水晶の瞳の少女だった。
「ああ。……おれは亘理陽司。よろしく」
「あ、あの!七瀬真凛です!」
「私はファリス・シィ・カラーティです。ファリスと呼んで下さい」
そう言って、現代に継がれるルーナライナ王国の第三皇女は、柔らかな微笑を返した。
「――んじゃあ、お言葉に甘えてファリス、と呼ばせてもらうよ。おれの事は陽司で頼む」
「ボ、ボクは何でもいいです」
「はい、ではよろしくお願いします。陽司……さん、真凛さん」
下々にファースト・ネームで呼ばれても一向に気にしないあたり、先ほどの言葉はリップサービスではなく本心なのだろう。
「……きれいな人だなあ……」
ぽかんとしたままの真凛の呟きにも、同意せざるを得ない。規格外の人間の集まるこの業界、「ハリウッド女優みたいな美人」に会う機会も時にはあるが、目の前の少女の現実離れした美しさは、映画というより、もはや絵本の世界の住人と呼ぶほうが相応しかった。
一分一秒を争う高速道路での戦いの後、事務所に戻った途端にぶっ倒れてしまったおれはろくに彼女の顔を見ることもなかったのだが……改めて意識を取り戻した彼女と向き合うと、端正な容貌と、伝わってくる静かな気品に驚嘆せざるを得ない。資料によればもうすぐ十八歳、日本なら遊び盛りの女子高生なのだが、いやはや。
「桜庭のおじさまから伺いました。高速道路で私を助けて頂いたのは、貴方がた二人だったのですね」
ありがとうございます、と日本語で礼を述べ、丁寧に頭を下げる皇女様。その仕草と発音、そこらの女子高生では十年かかっても真似できる気がしない。
「い、いえいえいえ!ボク達仕事ですから!ねえ陽司!?」
「そうだな。依頼人をきちんと事務所に連れてくるのもサービスのうち。当然のことさ」
おれはつとめてぞんざいな口調で返答した。今後のことを考えると、あまり堅苦しい敬語を使わない方がいいだろう。
「このような格好で失礼します。本来ならば改めて――」
「ああ、無理しないほうがいいぜ。さすがにエコノミーで何日も飛行機旅のうえ、到着したとたんに誘拐未遂と交通事故に遭遇したんだ。すぐに起き上がれって方が無茶な話さ」
そもそも目を覚ました途端に貴人の寝室にどやどやと押しかける事の方が無礼というものだ。本来であれば、十分に休養を摂った後、応接室でゆっくり話を聞かせてもらうべきなのだが。
「あまり時間的な猶予がない仕事、ってわけですね?所長」
彼女の傍らに立つ、おれ達フレイムアップの主、嵯峨野浅葱所長に問いかける。このところ渉外関係の仕事が多く事務所を空けていることが多かったのだが、今回は所長と、そして彼女の後見人でもある桜庭さんの緊急の招集を受け、おれ達は現場に急行させられたのである。
「そ。今回はいつもよりちょっと急ぎで、ちょっと話が大きくて、ちょっと気合の入った仕事になりそうってワケ。君たちにもがっつり働いてもらうことになるからね」
前菜にラーメン、メインでステーキ、デザートにギョウザをつける食生活と激務を繰り返しているにもかかわらず、ちっとも崩れていないプロポーションをスーツに身を包み、あっけらかんと言ってくれやがる所長サマ。
「ちょっと、ねぇ……」
所長が「ちょっと」と口にするのは稀な事態である。「いつも」の仕事で絞殺未遂やカーチェイスや銃撃戦をこなしている身としては、「ちょっと」がどれほどの負荷の上積みになるか、あまり深く考えたくないものだ。
「――追加報酬、出るんでしょうね?」
緊急招集で報酬の交渉をする暇もなかったのだ。派遣といえど、これくらいは要求する権利はある、と思う。さてここから依頼人の前で醜い交渉を繰り広げなければならんか、とおれは密かに腹に気合いを入れる。しかし。
「ええ、出すわよ~。報酬ランクA、プラス特急料金」
拍子抜けするほどあっさりと返答なされる所長。
「……マジですか」
その言葉に、おれとしては喜びよりも危機感を覚えざるを得なかった。つまりはかなり「でかい」仕事と覚悟せねばならないと言う事だ。
「決まり、ですね」
となれば、本当に時間がないのだろう。報酬が確定した以上、所長と駄弁っている場合ではない。おれは早々にアタマを切り替え、仕事モードに入ることにした。
「じゃあ、ファリス、すまないが改めて、依頼の内容を聞かせてもらえないかな。あのルーナライナのお姫様がわざわざこの時期にやってくるんだ。ただの観光旅行、ってわけじゃあないんだろう?」
おれの言葉に、ファリスはしばしの逡巡の後、こくり、と明確に頷き、今回の依頼の内容を語り始めた。
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