◆05:天地を貫く獣
「おーおー、派手だねぇまったく」
身を隠していた中央分離帯の植え込みから身を起こし、このおれ、今日も今日とて清く正しく強制労働に勤しむ学徒、亘理陽司は呟いたのであった。マイク代わりに口元にあてていた多機能携帯『アル話ルド君』のチャンネルを切り替え、軽くお礼を述べる。
「ターゲットと接触完了。回線への侵入、カーナビネットワークへのダミー情報、ありがとうございました羽美さん」
『くかかかか!なんのなんのお安い御用であるよ。車載無線のくせにファイバーケーブル並の通信速度を得ようなどと無理を考えるから、セキュリティが穴だらけであったわ。技術の限界をカネでカバー出来ると思う連中にかける情けは無しッ!あとそれはそうとしてこの後一風堂の”からか麺”をフルオプションでおごれ』
「……そこは可及的前向きに善処する可能性を粛々と検討するのもやぶさかでなく」
お役所的な否定の返事を投げておいて回線をオフにし、『アル話ルド君』を胸ポケットにねじ込む。視線の向こうには、たった今凄まじいブレーキ音を立てて緊急停車したリムジンが一台。――さて。お仕事開始と行きますか。
成田空港に急行する際に相手車両の移動情報をつかみ、反対車線で緊急停車。中央分離帯で待機しつつ待ち伏せ。それがおれの選択した作戦である。ちなみに羽美さんにカーナビの渋滞情報にダミーを流してもらったおかげで、しばらくは後続車両がこないはずである。
がしかし、自分の指示とはいえ、時速百二十キロ近くで突っ走るリムジンのフロントガラスに、真っ正面からドロップキックで飛び込んでいけるウチのアシスタントは度胸が良いというかなんといか。むしろヒトとして大事なものが何か抜け落ちているのではないかと心配にならざるを得ない。
一応、当人いわく、フロントガラスの硬度と、比較的柔らかな内装で衝撃が吸収できるという野生の本能の確証があったのだそうだが。
「もっとも、足止めにしかならないだろうけどな……やっぱり」
緊急停止する直前、後部座席のドアがほぼ同時に蹴り開けられ、女性……霍美玲さんと、少年……劉颯馬がそれぞれ飛び出してゆくのが見えていた。ガラスが割れた時点で即応し、真凛に車内に飛び込まれる前に脱出したのだ。時速百キロ超の車から投げ出されたというのに、二人とも受け身をとって鮮やかに衝撃を殺し、即座に立ち上がれるあたりはさすがである。
おまけに美玲さんと来たら、転げ回ったはずなのにスーツに汚れすらほとんどついていない。おれは停止している車の運転席のそばまで移動。ドアを開け、気絶している不幸な運転手さんのシートベルトを外すと丁重に車外に降ろした。なんだか最近、車強盗の手口ばかり慣れている気がしないでもない。そこでおれは、近づいてきた美玲さんに牽制がてら英語で声をかける。
「お久しぶりです美玲さん。『双睛』とまたお会いできるとは、今日のおれは実についてる」
本当はさっさと運転席に乗り込んでしまいたかったのだが、美玲さんの『間合い』はかなり広い。警戒するに越したことはないし……何より美人と会話できる機会を放棄する理由はどこのポケットを裏返しても見つかるはずがない。
「お久しぶりね。亘理サン。こないだのシンジュク清掃キャンペーンの時以来ネ」
美玲さんが日本語を喋ったことに、おれは少なからず驚いた。
「あれー……半年前は喋れなかったはずですが」
「ハイ!あれから半年、イチから勉強したのコト。ガンバリました!」
そうですか。ちなみに大人の女性の声でそのしゃべり方、すごくイイと思います。
「まあ、貴女と、あの街の『玉麒麟』朱姐さんにはずいぶんとまたお世話になりましたからね。こちらも忘れようもありません」
「こちらも同じネ。おかげで坊ちゃまが――」
「ようやく会えたな、亘理陽司!」
パーカーにジーンズという格好の小柄な少年、劉颯馬が割って入る。おれはにやりと笑みを浮かべ、とりあえず礼儀正しく社交辞令をかわすことにする。
「よお颯馬。あれから半年、少しは背ぇ伸びたか?」
「っ!……相変わらず無礼な男だな、お前は」
こいつの身長は同年代の平均より多少低い程度なのだが、どうも本人は過剰に気にしているらしい。
「いつぞやの新宿での戦いは、お前の卑劣な策略に不覚を取った。けどな、俺個人がお前に負けたわけじゃないぞ」
「……いやあだからさ。戦いと考えてる時点でお前とは世界が違うんだって。こっちはあくまで仕事なんだからさ」
そういう勝った負けたの次元の話は他所でやっていただきたいものである。
「黙れ。お前達とまたまみえるこの時を、半年間待ったのだ。今度こそフェアな戦いをさせてもらうぞ」
そういうと颯馬はどっしりと腰を落とし、ゆるやかに息吹を整える。年相応の未熟な怒り。だがそれに付随する殺気は、断じて街の不良少年のそれではない。おれは表面上は軽薄な表情を作りつつ、油断せず美玲さんに声をかける。
「さて、こっちはお客さんをお迎えに伺っただけですので、用件はすみました。あとはこちらで連れて帰らせていただきますので」
ちらりと車内に視線をやる。後部座席の真ん中の少女……銀髪に褐色の肌という異相の娘は、運転手ともども、急停止の衝撃で気を失っているようだった。
「いえいえ!大事なお客さん、事故に遭わせたのコチラね。このままだとワタシ達、立つ瀬ないヨ。こちらで介抱するね」
「いやいや、これ以上お手間を取らせるのは心苦しい」
「ダメダメ。せめてこれくらいはやらせて欲しいのこと――」
おれ達が白々しい日本的ご謙遜を応酬する横で、滑るように颯馬が動いた。
彼我の距離は七メートル。
何を仕掛けられても反応は間に合うと踏んでいたのだが、颯馬の動きは予想以上に滑らかで、隙のないものだった。
おれは咄嗟に、開きっぱなしだった後部座席のドアを盾として、その後ろに回り込んだ。相手の視界をさえぎり、かつ攻撃を和らげる防具にもなる。咄嗟にしては我ながらよい反応だったと思う。
――相手が『朝天吼』劉颯馬でなければ。
「ぎ……っ!」
四征拳六十五手の十一、『落鵬敲水』。
内家拳法家が勁を込めて放つ拳。その衝撃は『殴る』というより、『押し込む』に近い。『硬く』も『鋭く』もなくただ、『重い』――例えて言うなら、三階から落ちてきた重さ70kgの砂袋に運悪くぶつかってしまったような一撃。
ぼくん、とおぞましい音をたてて、リムジンのドアがなにか巨大な鉄球でもぶつけられたようにひしゃげる。そして減少することなく、そのままおれにのしかかってくる莫大な力積。右肩から背骨、腰、左の太股へとかかる凄まじい負荷に、たまらず膝が挫けた。
いかに硬い鎧を身につけていようと、鎧ごと『押し込まれて』しまえばダメージを殺すことは出来ない。高速で全身を沈み込ませることで己の体重を一瞬数倍に増加。重力という『天の気』を、強靱な足腰で受け止め、大地の反発力『地の気』を以て拳より送り込む、凄まじい練度の沈墜勁。
『朝天吼』――天と地をつなぐ柱となる獣。ファンタジーでもなんでもなく、事実『天地の気を操る』この少年、劉颯馬に相応しい称号と言えよう。
ひしゃげたドアが千切れ、吸い込まれるように地面にへばりつく。おれはと言えば、見えない巨人に襟首を引っ張られたように、五、六歩後ろによろけ、そのまま無様にすっころんだ。内臓を強く圧迫された感覚。奴らの言葉で言えば『気を乱された』状態だ。こりゃあ、後遺症残るなあ……。
「お前に不覚を取ってから、師父に学びなおし、死ぬ気で練り直した歩法だ。半年前とはひと味違うぞ!」
転倒したおれの側に、すでに接近している颯馬。やれやれ、確かにやる気は充分らしい。振り上げられる右脚。――さすがにまずい。あれ程の沈墜勁を生み出せる脚で踏み抜かれれば、それだけでおれのアバラと心臓はご臨終確定である。
「ちょおっと待ったぁ!」
それを妨害する、後部座席からすっ飛び出てきたドロップキック第二弾。
「出てきたな七瀬っ!!」
片足を挙げていた颯馬にかわす術はなく、咄嗟に腕を上げてガード。それでも姿勢が崩れないあたりが練りあげられた内勁の凄まじさか。
ドロップキックを決めた体勢から、落下するまでに一回転して両脚で着地する。こんなふざけた真似をやってのけたのは、律動的に踊るショートカットが印象に残る高校生、七瀬真凛だった。
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