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◆03:大陸の者たち

 ターミナルビルの前では何台もの送迎バスが大音量で行き交い、空港から吐き出された人間達とスーツケースを詰め込んでは連れ去っていく。その機械的な作業が繰り返される光景の中、その女は立っていた。


「貴女は……?」


 名前と、そして身分を知られていたのだ。思い返せば、ファリスはこの時点で踵を返して全力で空港内に逃げ込むべきであったかも知れない。だが、そのときファリスの意識は完全にその女に支配されていた。


 女は東洋系で、恐らくは二十代の半ば程度。長身で、高級でありながら個性を巧妙に消したビジネススーツに包まれた肢体は、肉付きが良いにも関わらず、締まるべきところが引き締まっているため、大層めりはりの利いた情熱的なプロポーションを形成していた。


 そしてその容貌はと言えば、端正な顔立ちにきめ細かな白い肌、海棠を連想させる唇と、つややかな黒髪の対比がなんとも艶めかしい。計算し尽くされた造形――しかし、それは端正ではあっても、3DCGや人形のような人造のものとは根本的に異なっていた。



 そこでファリスはようやく気づいた。自らの意識を引きつけて放さない、女の瞳に。



 その魅惑的な容貌と肢体よりもなお印象的なのが、その切れ長の大きな目だった。真夜中の海を思わせる潤みがかったオニキスのような瞳。その黒目の周りに、よく見れば、まるで金環食のように淡い虹色の輝きが宿っている。ファリス自身の紫の瞳も珍しいが、この女性の虹彩もそれに匹敵するほど希有なものだろう。


 奇妙な感覚だ――だまし絵を見ているような。その虹彩の模様や色あいを認識しようとすればするほど、そのどちらも不思議と変化していくような気がする――。


 女性は、そこでようやくファリスの当惑に気づいたように、あでやかに微笑んだ。まるで大輪のバラが開花したかのよう。


「これは失礼しました。まずはこちらから名乗るべきでしたわ。私は霍美玲フォ・メイリン。日本では霍美玲かくみれいと、呼んでクダサイのコト」


 台詞の前半は英語で、後半は日本語。英語の発音は完璧、日本語もまあ、悪くはなかった。陳腐な表現でまとめれば、蠱惑的な美女、という言葉がまさに相応しかろう。同姓のファリスですら目眩を覚えるほどの濃厚な色香なのだ。この女性に見つめられてのお願いを拒める男など、この世にはいないのではなかろうか。



 美玲と名乗った女は、硬直するファリスに実にさりげなく歩み寄ると、まるでエスコートをするかのように、ファリスの肩とスーツケースをとらえた。手にしたレンタル携帯を、思わずお守りのように抱きしめる。


「あ、あの、貴女はいったい……!?」


 この女とファリスは初対面である。断じて会ったことなどないのに、まるで旧来の親友に再会したかのような愛想の良さは何なのだろう。


「もちろん、アナタを迎えに来たです。さ、こちら、ドウゾドウゾ」

「ちょっと……」


 ただでさえ混雑する空港の出入り口では、出迎えの車が停車することは許されない。だというのに、女が手を挙げると、まるで魔法のようなタイミングで、艶消しの黒塗装をされたリムジンが滑り込んできた。停車した時には後部座席のドアが開いており、ファリスがそう認識したときにはすでに、彼女の身体は後部座席に押し込まれていた。


「まさか、貴女たちは……!」


 ファリスがそう叫んだときには、美玲が続いて後部座席に乗り込みドアを閉め、スーツケースはトランクに格納されていた。最初に声をかけられてから、この間わずか十五秒。芸術的なまでの流れ作業だった。周囲でバスを待っていた誰一人として、ファリス達に気づいた者は居なかった。


 抵抗は出来なかった。それどころか、抵抗しなければと考えることすら出来なかった。女性の海外一人旅、ましてや、ファリスはただの気軽な観光旅行者ではないのだ。十二分に警戒していたはずの彼女でさえ、女の印象に呆気に取られ、気がついたときにはリムジンの後部座席に押し込められていたのである。……断じて、素人になせる芸当ではない。


 つまりは――


 

 人さらいのプロ。


 その認識が、ファリスの心を一瞬で絶望へと塗りつぶした。

 

 


 

 ナリタ空港と都心を結ぶ東関東自動車道を走るリムジン。


 その内装は、成田空港と主要駅を結ぶ旅行者向けの”リムジン”バスなどとは異なり、実に豪華なものだった。運転席との間には仕切りがもうけられ、ハイビジョンテレビとオーディオセット、ワインクーラーまで設えられており、後部座席に座る三人の賓客をもてなせるようになっている。だが、後部座席に両脇を挟まれた格好でシートベルトを装着させられて座らされているファリスにとっては、リラックスなど出来ようはずもない。


「貴女たち、いったい私に何の用ですか」


 しごくまっとうな質問にも左隣の女……霍美玲(かくみれい)とやらは、微笑を浮かべるだけで答えようとはしない。そのくせに、ファリスが何か不穏当な動きをすれば、即座に押さえ込んでしまう予感がある。今パニックに陥ったら終わりだ。胸の中で凄まじい速度で膨れあがる焦りを必死に押さえつけ、ファリスは呼吸を整える。何か出来ることはないか。


 ハイビジョンテレビに眼を転ずると、分割された大画面に、刻々と移動するカーナビの地図、幾つかのウェブサイト、そしてテレビ番組が映し出されていた。カーナビなら彼女の国でも見かけないことはなかったが、こんなテレビは、そもそも車内に設置しようという発想が出てこない。


「……手荒な真似をして悪かったな」


 右側からかけられた唐突にかけられた声が、ファリスの思考を現実に引き戻した。右を向けば三人掛けのシートの左側には、ひとりの男が座っていた。……いや、落ち着いてよく見れば、それは男と言うより、少年というべき年齢の若者だった。


「あんた個人に危害を加えるつもりはないが、急いでいたんでな」


 ぶっきらぼうに声をかけつつ、ファリスとはなぜか視線を合わそうとしない。

 すると左隣の美玲が、たしなめるように口を開く。


「坊ちゃま、そういう時、王様しゃべらず、どーん、かまえている方が格好いいのコトよ」


 にこにこしながら美玲。英語を流暢に喋っている時は王族の風格すら漂わせるのに、日本語を使用すると、妙にたどたどしく、あどけない口調になってしまうようだった。


「坊ちゃまはやめろ。それから俺にはそんな虚仮威しは必要ない」


 そう返答した声は、やはり少年のものだった。


 歳の頃は十代の後半。もしかしたら、ファリスよりも下かも知れない。小顔と大きな瞳は、ややもすると童顔ととれなくもないが、への字に引き結んだ唇と、不機嫌そうにつり上がった目つきの方が、良くも悪くもその印象を裏切っている。


 体格は同世代の少年と比較すると小柄な部類に入るだろうか。服装はジーンズにスニーカー、パーカーとごくラフなもので、行儀悪く足を組んで広い車内に放り出している。だがこの高級車の車内でそんな仕草や服装をしていても、まったく浮いた印象はなかった。その原因に、ファリスはすぐに気づくことが出来た。ひとつは、服装はラフな印象を与えるようデザインされているだけで、その実すべてテイラーメイドの高級品であること。そしてもうひとつは、少年本人が身に纏っている気配だった。


 ファリスの知人にも同じ雰囲気の人間が何人もいる。高級なものを使うこと、人にかしずかれることを幼少の頃から「ごく当然のこと」と受け止めて育ってきた、高貴な血筋の者が持つ気配。ファリスは少し作戦を変えてみることにした。


「すでにご存じのようですが、私はファリス・シィ・カラーティ。ルーナライナ国王アベリフの第三皇女にして、大帝セゼルの系譜に連なるものです」


 公式の名乗り。ファリスと目線が合いそうになると、少年はちっ、と舌打ちをして、視線をハイビジョンテレビに戻した。そのまま言葉を続ける。


「なら、こっちが名乗らないのはフェアじゃないな。……俺は(リュウ)(リュウ)颯馬(ソウマ)だ。あんたには、華僑ゆかりの者、と名乗るのが一番判りやすいかな」

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