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◆13:幽霊あらわる

 真凛がチーフを呼んでくる間、おれは残ったコーヒー牛乳をのんびりと飲み干しながら、ロビーの片隅のハイビジョンテレビに目をやった。画面内で繰り広げられる刑事ドラマの再放送ををぼんやりと眺めていると、おれのアタマがようやく、今回の仕事そのものについて考えを巡らせ始めた。


 シドウの事を抜きで整理してみると、笑えるほど事態は進展していなかった。幽霊が出るという街に来て、ちょうどその頃行方不明になった人の事故現場に行ってみたら、何故か他所の異能力者と遭遇して叩き出されました、以上。である。


 工場長の言っていた、小田桐氏とやらが本当にあそこに埋まっているのかすら確認できていない。時刻はもう夕方。板東山に再び入るのであれば明日以降にせざるを得ない。


「日をまたぐと宿泊代がなぁ……」


 前に言ったかも知れないが、おれ達の仕事上の経費はすべて自己負担である。一泊すればその分がまるまる報酬からマイナスされるわけで、はなはだオイシくないし、ついでに言えば夜間も仕事は続くのでオモシロクもない。


 いつぞやの別の仕事で、車で移動するカップルを仁サンと直樹の野郎とおれの三人で尾行した時などは最悪だった。カップルがそのまま田舎の高速道路沿いのその手(・・・)のホテルに泊まってしまい、おれ達もそこに泊まらざるを得なくなってしまったのである。


 となりの部屋からのだだ漏れの声をBGMにしながら、鏡張りの部屋で男三人が年代物の特大回転ベッドでΔ(デルタ)型になって眠るという光景は、異界に通じる召喚師と原種吸血鬼と海千山千の忍者をして、「これ以上の地獄絵図はない」と言わしめた程であった(ちなみにベッド以外の寝床の選択肢は、タイル張りの床に直接か、風呂場になぜかある大きめのビニールマットかだった)。


 まあそもそも学生の旅行や合宿でもなし、趣味や夢や好きな娘について一晩中語り合うほどの純粋さはどいつもこいつもとうに失って久しいのだが。


 真凛にも言ったように、幽霊騒ぎなんぞというのはとにかく解決が難しい。明日再調査に赴くにしても、もし小田桐氏の件が空振りなら、今度はそれこそ雲をつかむような幽霊探しをしなければならないだろう。


 この街のどこかに、ほとんどランダムに現れる幽霊――そんなものに遭遇するのを待っていた日には、大学の授業の単位をいくつ生け贄に捧げればいいのかわかったものではない。


 気がつくと刑事ドラマがCMに入っていた。すでにたっぷり十分経っているというのに真凛は戻ってくる様子がない。


「ったく何をやってるのかねあのお子様は……」


 口に出しては見るものの、さっきの話の続きとなればそれこそ何を言ったらいいものか。我ながら修行が足らんなぁ、などと思いつつ、もう一度エントランスの自動ドアに視線を向ける。


 と、外からこちらを覗き込んでいる一人の背広姿の男と、偶然に視線がかち合った。



 ……いや、偶然ではない。


 

 その男は明らかに、おれを見ていた。


 

 どこかで見た顔。そう気づいたときにはおれは椅子から立ち上がりエントランスに向かって走り出していた。それを認めると、エントランスの向こうの男は身を翻して駆け去る。当然のように追おうとして、自分が浴衣姿だったことに気づき、舌打ちしながらコインランドリーのジャケットとズボンを引っ張り出す。


「――単位をつぶす必要はなかったらしいな」


 生乾きの服に袖を通しながら、脳裏に保存してある写真の画像と照合し、確信する。


 見間違いではない。

 


 エントランスの向こうにいた男は、小田桐剛史その人だった。

 


 

 

 

 

 

「って、また走るのかよ!」


 誰にともなく悪態をつき、逃げる人影を追ってひたすらに全力疾走。


「肉体労働は、おれの担、当じゃない、ってぇのに!」


 おれが悪態をつく間にも、小田桐氏は背広を翻して走り続ける。スポーツクラブの建物をカベ沿いに回り込み、裏手へと抜けていくその姿を追って、さらに走る、走る。


 クラブの裏は駐車場になっており、ごくささやかな雑木林を経て河へと続いていた。おれが角を曲がって駐車場にたどり着くと、果たして男の姿は、煙のようにかき消えていた。


 すでに西の太陽はその下端を、板東山の山頂にかすらせており、都内では見ることの出来ない、十月の巨大な夕焼けがおれの視界に飛び込んでくる。


 赤から紫へと鮮やかなグラデーションを描く空の下で、ひたすらあえぎ、肩で息をすること一分。どうにか酸素を補給し落ち着いたところで、おれは駐車場を横切り、雑木林へと慎重に足を進める。見失った、とは思わない。わざわざご指名でおれの前に姿を現した以上は――


 

『――墓荒らしよ。なぜ死者の尊厳と安息を妨げようとする?』


 

 何処からか、そんな声が響いた。


 何処、とは比喩ではない。雑木林の奥からか、はたまたその向こうの河原からか。あるいはスポーツクラブの建物の陰からか。遠くに近くに響く、不可思議な声。


 

『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを得ることはない。だから死とは恐怖だ』


 

 不思議な声だった。時に野太い男の声になったかと思うと、唐突に甲高い女の声に転じる。一つの言葉ごとに老いては若返り、怒号したかと思えば、一転して悲嘆にくれてみせる。それでありながら、言葉としては一糸も乱れてはいないのだ。


 まるで何人もの人間が喋った同じ台詞を、あちこちに取り付けられたスピーカーからランダムに放送しているかのような幻覚を覚えた。グラデーションが東から西へと流れ、急速に夜の闇へと沈んでいく世界。


 闇の向こうから聞こえるこの声は……到底この世のものとも思えなかった。そういえばこういう時間帯を『逢魔ヶ時』というのではなかったか。


 

『死とは終わりだ。死ねばこれ以上何かを失うことはない。だから死とは安らぎだ』


 

 朗々と響く声。おれが右を向けば左から。左を向けば今度は真後ろから。目に見えない何者かが、おれにまとわりつきながら語りかけてくる。


 

『愚者でも最期に善い事を為せば聖人となり、英雄でも最期に凶事を為せば姦賊に堕ちる。人は死した時点で評価が確定し、それ以上もそれ以下ももはや存在しなくなる』



 おれは立ち止まり、周囲に目を配る。どうせ居所がわからないのであれば、動くだけ無駄だった。



『墓を暴くということは、固定された死を覆すという行為だ。だからこそ、墓荒らしは罪である』


 

 気の弱い人間ならアタマがおかしくなりそうな幻惑の声。だが、


「へーぇ。二十一世紀の幽霊はずいぶんと喋るもんだな」


 幸か不幸か、本当に(・・・)この世ならざるモノの声を脳裏でしょっちゅう聞いている『召喚師』にしてみれば、こけおどし以外の何者でもない。


「おれがガキの頃やってたホラー番組と特撮番組じゃあ、霊と怪人は喋らないのが一番コワイってセオリーだったんだがね。最近はどっちもCGに頼り切りで情けない限りだぜ」


 霊だろうが悪魔だろうが知ったことではない。少なくともコイツは意志が疎通できる相手であり、意志が疎通できれば理性的な解決が可能だと言うことだ。あちらの思惑はどうか知らないが、喋れば喋るほど、おれの方は冷静さを増していた。


「……で。一体おれに何の用だ?そろそろ顔を見せなよ、”小田桐剛史氏の幽霊サン”」


 おれの質問は、しばしの沈黙を以て報われた。その時、おれはひとつ、決定的な食い違いに気がついた。奴はいま、墓荒らしは罪、だとか言った。だがそもそもおれ達がここに来た理由は……と。いうことは。あれがこうしてこうなって……つまりは、こういう事か?


 頭の中で高速に推論が組み立てられ、おれは一つカマをかけてみる気になった。


「なあ。墓荒らしは(・・・・・)おれ達じゃない(・・・・・・・)たぶん(・・・)あいつらの方だぜ(・・・・・・・・)

『――何?』


 幻惑の声がはたと止む。幽霊が息を呑む、ってのは変だよなあ、と、おれはこんな状況にも関わらず笑い出しそうになった。


『では、貴様達は何者だ?』

「ああ。おれ達は、オマケで(・・・・)引っかかった方(・・・・・・・)だよ。おれ達は、ただ幽霊を(・・・・・)探しに来ただけだ(・・・・・・)


 こういう例えが正しいのかはわからないが、カニ漁船に引き上げられたサンマのようなものだ。唐突に幻惑の声が止み、壮年の男性を思わせる力強い声になった。


『ああ。……そういう事か。私は愚かな間違いをしていたということか』


 カマが一つ引っかかったことで、おれは自分の推測が正しかったことを知った。


「多分そうだ。おれ達は、舞台にずかずか上がりこんできた配役にないメンバー、って事なんだろ?それでアンタは脚本家としておれ達の真意を確かめるために来たって事か」

『私は脚本家ではない、がな――』


 ”幽霊”の声。それは逢魔ヶ時の魔物の声などではすでになく、一個の人間のものだった。なんとも間抜けな話ではある。勘違いと予定違いが、それぞれの思惑を大きくずらしてしまっていただけ、という事か。


「……で。どうする?おれ達は争う必要がないように思うんだがな?」


 おれは腕を広げて、敵意のなさを示す。


「――確かに。どうやらお前の言うとおりのようだ」


 ややあって、雑木林の奥からその声は聞こえた。もう、声の出所を隠すつもりもなさそうだった。どうやら”幽霊”は雑木林の向こうから、なにがしかの技法を用いて、声の高さと方向を変えながらおれに語りかけていたらしい。


 おれは一つ、大きなため息をついた。あまりのアホらしさに、安堵と疲労が一気におそってきたのだった。


「やーれやれ。じゃあこれでおれ達は任務解決だな。日帰り任務で終わりそうで何よりだ」

「そうなのか?」

「ああ。だって、どっちにしろもうすぐ幽霊は出なく(・・・・・・)なるんだろ(・・・・・)?」

「……そう、だな」


 雑木林の向こうの”幽霊”が、そう告げる。その声が心なしか気落ちしている様子なのが、おれには引っかかった。


「なんだよ一体……って。ああ。三人も来るとは思わなかった、ってことか?」


 ”幽霊”が頷く気配があった。さもありなん。あんな化け物共が出てくるとは想定の範囲外だったのだろう。と、そこでおれの脳裏に一つ、閃くものがあった。


「……なあ。どうせなら顔を合わせて話をしないか?アンタが姿を隠している理由は、多分おれ達の方には関係ない」


 その声に応じ突如、雑木林の向こうからがさりがさりという音がしたかと思うと。


 ――唐突に。おれの前に、”幽霊”が、その姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 完全に夜の闇に染まったスポーツジムのロビーで、夕方のニュースをぼんやりと眺めている。どうやらチャンネルが地元の放送局に合わせてあるらしく、そこでは板東山でごく小規模な土砂災害があったが、幸いにも被害者はゼロだったとのコメントが為されていた。


「それじゃあおれはゼロ以外、って事かよ」


 そう毒づいたところでエントランスの自動ドアが開き、律動的に揺れるショートカットと、くたびれたコートが視界に入ってきた。こちらに早足で向かってくる真凛に、おれは仏頂面を作ってみせる。


「遅い。というか遅すぎる。何やっとるんだおまいは」


 駐車場のチーフを呼びにいくはずが、かれこれ二時間である。遅刻しようったって出来る芸当ではない。応えたのは、真凛ではなくチーフの方だった。


「そう言うな亘理。ちょうどすぐそこの給油に行こうと思ったところに真凛君が来たんで、つきあってもらったんだ」

「そこのガソリンスタンドがサービスデイだったらしくて、洗車も吸い殻掃除も全部タダでやってくれるって言ったんだよ。でもチーフが……」

「汚れてないのに掃除してもらう必要もないだろう。別に汚れてないよな?」

「……いやまあ、外装はともかく。あの灰皿に生えたウニのような吸い殻のカタマリはどうにかした方がいいんじゃないですかね」


 ぶっちゃけおれも真凛も車内がタバコ臭すぎて窓を開けないと乗れない程だったんですが。ついでに言うと車内に散らばった紙ゴミの残骸もどうにかしないと、いつ吸い殻から引火するかと心配でしょうがないし。


「だめだ。俺はこの香りがないと落ち着かないんだ。お前達は応接室だけでなく、この場所まで俺から奪う気なのか!?」


 動物ですかアンタは。ちなみにウチの事務所はめでたく応接室も完全禁煙になりました。


「それで、親切な店員さんと吸い殻を捨てる、捨てないでずっと揉めてたんだ」


 アシスタントの報告に、おれは軽い目眩を覚える。最近は頼んでも吸い殻を片付けてくれないスタンドもあるというのにこの人と来たら。


「勿論それだけじゃないぞ?例の別件、姿を消したとかいうエージェントの方でも所長から情報を求められてな。ずいぶん長電話をしていたんだ」


 ああ、そういうことですか。そりゃ納得だ。


「それから、ついでに駅前をまわってホテルの予約もしてきちゃったから」

「……電車でいったん家に帰るって選択肢もあったんだがなぁ」


 遠いように思っても、ここから都内まで、電車でも一本なのである。……まあ、泊まりなのはこの際仕方がないことになったわけではあるが。


「あ!そっか。……でももう部屋取っちゃったし。家にも電話入れちゃったからさ」


 そういえばまだ合宿気分を失っていない奴が居たのを忘れていた。


「お前なぁ……。ただでさえ親御さんに心配かける仕事なんだから、日をまたぐ時はなるべく帰れって言ってるだろうが」

「アンタとチーフと一緒だって言ったら、じゃあ大丈夫ねって言ってたよ。『すみませんがよろしくお願いします』ってさ」

「そ、そうか」


 ……なんなんだ、この退路を断たれるような妙な焦燥感は。


「ま、そんなことはいい。とにかく今日の夜と明日の方針についてなんだがな」


 右手にライター、左手にタバコを取り出しながら同時に着席というさりげない離れ業を披露するチーフが、ライターを点火する前におれは口を挟んだ。


「実はその件ですがチーフ」


 至福のタイミングを外されたチーフが恨みがましい視線を送るのを無視しておれは続けた。


「生前の小田桐さんの仕事について、ちょっと調べてみてもいいですかね?」

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