◆09:『派遣社員』VS『派遣社員』
「はじめまして、小田桐剛史さん」
居住まいを正して座る清音の前で、無色透明な”何か”はそこにたたずんでいる。他のメンバーが見守る中、葉音に紛れてかすかに渦を巻く音が届いた。
「今日は、奥様とお子様のご依頼でこちらにうかがいました」
”……オク……サマ……?”
風が震える。声の発生源と思われる宙の一点が、右に左に、遠くに近くにぶれるため、非常に聞き取りづらい。が、清音は慣れた調子で続ける。
「小田桐花恵さん、そして小田桐敦史くんです」
”……ハナエ……アツシ…………”
声の調子がやや強くなる。
「そう。はなえさんと、あつしくんです」
子供に言い聞かせるようにやさしい言葉使い。
厳密に言うなら、清音達がここにやって来たのは小田桐氏の家族の依頼ではなく、ウルリッヒ保険の仕事である。だがそこまで事情を説明しては複雑になるだけであり……そして、残念ながら、彼らはそういった論理的な考えをする事がとても難しくなっている。
少しずつ、少しずつ。清音は言葉を積みあげてゆく。
「花恵さんと、敦史くん。この間、みんなで赤城山にドライブに出かけたでしょう」
事前に目を通した資料にはそんな報告が載っていた。その時、こうなることを彼らのうち誰が予想していただろう。
”……アカギヤマ……ソウダ……クルマデ……みんなで……”
声が近くなり、ぶれが小さくなる。
霊との会話、特に死後時間が経過しているモノとの会話は、熟睡している人間を叩き起こして話しかけているようなものだ。最初はろくに言葉をしゃべれないが、いくつか質問を重ねていくうちに、次第に意識は焦点を結び、自分が誰なのか、今どこにいるのかを思い出していく。
一月ほど前に失踪した小田桐氏がその時に死亡したとするのなら、時間をかけてその意識を掘り起こさなければいけないのだった。
「そう、車で。青いホンダのレジェンド。買ったばかりの新車なんですよね?」
事前に読んだレポートと徳田に聞いた話をもとに、清音は霊相手の『世間話』を続けた。
”……あおいレジェンド。……そうだ。アツシが立てるようになって……”
”……家族でのドライブの機会を増やそうと……買い換えたんだ……”
チューニングが完全に合った。今、清音の前にいる”誰か”の声は、清音の操る風に増幅、補正され、驚くほどくっきりと聞き取れるようになっていた。その声も、もはや霊の声などとは思えない、しっかりとした意志を感じさせる男のものとなっていた。
「ええ。会社にも毎日、その新車で通勤されていましたよね」
”……会社……?……ああ。昂光だ。毎日、会社と自宅を通勤してたな。山道を走るのが結構楽しく
て……それで会社では……そうだ、プロジェクトを……。赤城山にもみんなでドライブに行ったのが……夏だから……”
寝起きの人間が、今自分の居る場所を思い出すかのように続けられるつぶやき。清音は一旦質問を切って、しばらく静観する。こうして記憶を蘇らせていくと、霊は必ず一つの事実を思い出す。自分がなぜ、今、こうなってしまったのかという原因について。
”………………そうだ。…………私は……あの時……”
見えない誰かの、重い、重すぎる沈黙。全ての記憶が、つながったのだろう。
清音にしてみれば、ここからが正念場である。霊の中には、己が死んだという事実に気づいていない者が多い。特に不意の事故で何もわからないうちに亡くなった人は尚更だ。なぜか意識を失い、ふと永い眠りから”起こされた”ら、死んでいた”事に気づく。
たいていの霊はそのショックで錯乱し、暴れ出すのだ。袖に手を隠し、密かに印を組む。最悪、法力で強引に押さえ込まなければならないだろう。
「驚かれるのは当たり前だと思います。ですが、どうか落ち着いて私の話を、」
”……教えて欲しい。今は、何月だ?”
だから、そんな冷静極まる質問を返されたことに驚いた。
「え!?十月、というかもう十一月みたいなものですけど」
”では、あの土砂崩れがあった日から、一月経ったのか。それとももう何年も過ぎたのか?”
「ま、まだ一月です」
そうか、と呟く霊。清音はあっけに取られている。まずあり得ない事だった。巫女としてそれなりに経験を積んではいるが、自分が死んでしまったという事実を、いともあっさりと呑み込み、逆に質問をしてくる霊になど、出会ったことはなかった。
「とにかくですね。私たちは貴方を、」
”……そこの二人は?”
遮るように質問が飛ぶ。その意志は、清音から少し離れた場所にたたずむ二人、土直神と徳田に向けられているようだ。
「私の同僚と、雇い主です」
完全に会話のペースを相手に握られてしまっていることを自覚しつつ、清音はあえて素直に答えることにした。それにしてもこの霊は、生前並外れた意志の強さを持っていたとしか思えない。
いや、あるいは……一つ、例外があった。自分が死ぬということについて、とっくに覚悟を済ませていた場合だ。清音の視線と、霊の”気配”が向けられたことを感じ取ったのだろう。土直神は悠々と手を振って応え、徳田はやや薄気味悪そうに首の辺りをさすった。
”そういうことか”
なにやら、一人得心がいった様子の霊。
”私は生死不明扱いになっていて、それを確かめるために霊能力を持つ君が呼ばれたと言うことだな?”
清音はとりあえずは現状を受け入れることにした。ここまで相手の意志と知性が明瞭であれば、変に話を省略したりごまかしたりする必要はない。単刀直入に切り出すことにした。
「はい。貴方がご契約されていたウルリッヒ保険会社より派遣されてきた者です。ご遺族への保険のお支払いのため、小田桐さん、貴方の死因とご遺体のある場所を伺いに参りました」
説明や説得をせずとも、すでにこの霊は事態を正確に把握している。大切な妻子に保険金を残すとなれば、正確に事故の要因と自身の遺体の場所を教えてくれるだろう。驚きはしたが、清音の仕事自体はこれで終わったも同然だった。
「一ヶ月前の土砂崩れの日、いったい何があったのですか?」
”……”
沈黙。
「土砂の中から掘り出された車は、全ての扉が閉まっていて、中に貴方は居なかった。会社からご自分の車に乗って出かけ、あのトンネルまで向かった後、車から降りたのですか?」
”…………”
またも沈黙。それは、思い出すのが嫌だ、とか、口に出したくない、という類のものではないように思えた。何か、ぬぐいきれない違和感がある。肥大化する違和感に耐えられなくなり、
「小田桐さん、あなたは、本当に亡くなられたのですか?」
つい、そんな馬鹿馬鹿しい質問をしてしまった。相手は間違いなく霊である。となれば、生きているはずもない。清音自身がそんなことは一番よくわかっているのだが。
”さて、どうだろうな。死んだと言えばそうかも知れないし、死んでいないと言えばそうかも知れない”
返ってきたのは、そんな答えだった。
「はい!?」
”君の言う小田桐剛史、とは、そもそも誰の事だろうね?”
いったい、何を言っているのだろうか?
「それは……その、小田桐花恵さんの夫、敦史君のお父さんですよ」
風が震える。苦笑、だろうか?
”君が知っている小田桐剛史と、妻や子が言う小田桐剛史というモノが同一人物であるという保証など、あるのかね?”
「どういう……意味ですか?」
”舞台に上がる役者と同じだよ。芝居を見る人は、役者の名前は気にしなくていい。ただ、それが演ずる役名さえ識っているのなら。だが、役とはキャラクター、架空のもの。役者は死んでも、キャラクターは死なない。……キャラクターが死ぬとすれば、それは誰からも忘れられた時、か”
清音にはこの霊の言っている言葉の意味がまったくわからなかった。というより、行動そのものが理解できない。錯乱して意味のわからない言葉を叫ぶ霊や、狂気に触れた霊と相対したことはある。だが、この霊には、むしろ冷静極まりない理性が感じられる。だからこそこの霊の言っていることが理解できなかった。
「でも。貴方の霊がここにこうして居るということ自体が、貴方の死亡を、」
”なぜそう言いきれるのかね”
「なぜって、それは、」
”幽霊、という存在は所詮、科学的にも、あるいは君の使うような特殊な能力においても、正式に証明された存在ではない。今ここにいる私は、その小田桐剛史とやらのただの残留思念かも知れない。あるいは、そうだな、君自身の意識が作り出した妄想かも知れない”
「そんなことはありません!」
自分の能力を妄想と否定されたのでは、巫女として清音の立つ瀬がない。だが反面、以前、土直神が言っていたことも思い出す。”もしかしたら、霊との会話は、実際は鏡のように、霊に話しかける形を取りながら自分の予知能力を発揮しているだけなのかも”と。
清音が戸惑ったのを感じてか、霊の気配がすこし和らいだ。
”……すまない。たしかにそうだな。君の能力は本物だ。私が言いたいのはね。死んだ人間の魂が幽霊になる、などという証明は、誰もしてみせたことはないということだよ”
「そ、それでは。小田桐さん、貴方は今、どこにいるのですか?」
”探してみるといい。意外と、近くにいるかも知れないぞ”
チューニングがずれた。ひとつ風を震わせると、小田桐剛史であるはずの見えない”霊”の気配は、急速にノイズ混じりのものになって溶けていった。
「小田桐さん?、小田桐さん!!」
しかし返事は、なかった。森の中に清音の声だけが虚しく響く。
「……いったいどうなっているんでしょう?」
よりにもよって最も肝心な、亡骸のある場所を教えてくれないということは、清音にとっては完全に想定外の事態である。
こういった仕事はすでに何度か請け負ったことがあるが、通常、不慮の死に遭った人の霊には、圧倒的な”孤独”の思念が焼きついている。彼らは例外なく、親しい人に今一度会いたいと思っている。そして、人の通らない事故現場ではなく、自らのかつて知ったる場所や、祖先の隣で眠りにつきたいと、そう望んでいるのだ。
だから彼らから「早く俺を見つけてくれ」と急かされることはあっても、「見つけたければ探してみろ」などと言われることは、まずありえない。
冷たく暗い土中に何ヶ月も、あるいは何十年も取り残される孤独は、想像すら及ばぬ苦痛だと思う。それを圧してまで、自分の遺体を見つけてほしくない理由があるとでもいうのか。はたまた――本当に、死んではいないのだろうか?
「小田桐さん、どういうことですか?事情があれば、私に話していただければ――」
とにかくもう一度、聞かなければ。そう思ったとき、不意に清音の意識に強いノイズが走った。
「……ぅあっ!!」
耳元でいきなりガラスを引っかく音を聞かされたような不快感。たまらず集中が途切れてしまった。異変を察知した土直神が、すぐに駆け寄ってくる。
「どうしたん!?清音ちゃん」
「……気が乱れています。この近くで、何か強く激しい感情が渦巻いて……」
清音が正座を解いて立ち上がる。それを契機としたのか、二つある気配のうち、自らを小田桐と名乗った方は、完全に存在感が消失した。立ち上がる際に、儀式を妨害されたフィードバックが一気に押し寄せてきて、軽くよろける。
「おいおいなんだあ?ハイキングの団体さんでも押し寄せて来たってかい」
舌打ちする土直神。清音の霊との会話――神下ろしは、風という形の定まらないものを媒介にして行われる。その利点として、死者がどこにいるかわからなくとも、あるいは亡骸や遺品などの直接の接点を持たなくても、だいたいの位置さえわかれば会話が可能になる。
その反面、近くに騒がしいもの……騒音や電子機器、あるいは誰かの強い感情といったものが近くにあると、途端にその効力が落ちてしまうのだった。だからこそ土直神達は沈黙を保っていたというのに。だが、清音はかぶりを振った。
「いえ……そんな生易しくありません。これ、近くで戦いが起こっているんじゃないでしょうか」
全員が顔を見合わせる。今回はあくまで調査だ。こんな山奥で突発的に戦闘が発生する事などありえないはずなのだが。
「もしかして、四堂さん?」
斜面の方角へ視線を転じる土直神。森の奥、土砂によって切り裂かれた一本道は昼なお暗く、まるで洞穴のようにぽっかりとその口を開いていた。
暗い森の中に鈍い音が鳴り響き、そして両者の動きが停止した。
頚動脈を獣の牙のように食いちぎるべく放たれた凄烈な一撃は、
「……その年齢でこの技量に達しているか」
シドウ・クロードの左手に捕まれて、宙で停止していた。真凛が驚愕に凍りつく。
ありえない状況である。先ほどの一撃は、左腕の皮膚と筋肉のみならず、腱と神経までまとめて確実に掻きちぎった。発狂してもおかしくない激痛に、たとえ耐えることができたとしても、どうやっても動かすことなど出来ないはずなのに。
だが、現にこの男は左腕を掲げ、万力のような握力で攻撃を掴んで止めてみせた。とっさに判断に迷う真凛。そしてそれは、この『粛清者』相手には致命的な隙だった。
捕まれた手首が外側に向けて鋭くひねられ、そのまま下に向けて剣を撃つように振り下ろされる。力学の妙味。大男のシドウの全体重と真凛自身の体重が、ひねられた手首に一点集中する。
人間の本能として、激痛と骨折を免れるべく体勢を崩してしまい、結果として、自分から投げられたように地面に叩きつけられることになる。
小手返し。合気道や柔術ではごく基本の技であるが、その動きのキレが尋常ではない。おれ達の業界では、くどくどしい大技やもったいぶった秘奥義を使う武術家より、こういう一見地味な手合いの方がよほど危険で恐ろしいのである。地面に倒れた真凛、だがその手首は捕らえられたまま。
そしてシドウは追撃に入る。無防備となった肋骨の下端、章門と呼ばれる人体の急所に、無造作なまでにサッカーボールキックを放つ。人間を『蹴り殺しうる』えげつないとどめ技である。だがしかし、間一髪、残りの腕で真凛が防御。蹴り足を受け止めるのではなく、すくい上げるように払う。蹴りをすかされ姿勢を崩すシドウ。その隙に、真凛は最大限乗じた。
「せやっ!」
つかまれたままの手首を鋭く翻す。つかんでいる側のシドウの手首がひねられ、崩れかけたバランスに拍車をかける。絶妙なタイミングだった。結果、シドウは立っている姿勢を維持できなくなり、
「ぬぅっ!!」
先ほどとまったく逆の形で、今度はシドウが自身の体重で投げ飛ばされる形となった。真凛がすばやく後転して、ようやく解放された手首をさすりながら立ち上がったとき、すでにシドウも体勢を立て直している。
距離をとってふたたび向かい合う両者。技のキレは確かに恐ろしいが、何より解せないのはあの左腕だ。確実に破壊したはずなのに。いったいどうやって?
そこでようやく、真凛の表情に理解が浮かぶ。
「……それが、貴方の異能力ってこと?」
真凛の視線の先。ずたずたに掻きちぎられたはずのシドウの左腕に、異変が起こっていた。無残な傷跡が異常なスピードでかさぶたとなり、それが剥がれ落ちると、内側から鮮やかなピンク色の肉が盛り上がる。みるみるうちに薄い皮膚が張り、やがて周囲の皮膚と同じ色になじむと、そこにはもう傷跡は残っていなかった。
近くの幹によりかかってなんとか身を起こし、おれは戦いに口を挟む。
「真、凜……。そいつの力は……『再生』……どんな傷も、すぐに、回復する……!」
そう。トリックは単純。この男の腕は確かに壊れた。だが、『再生』したのだった。まるで安っぽいSF映画のように。
「攻撃にも使えない程度の、安い能力だがな」
そう応えるシドウの顔の、右半分に異変が起こっていた。奴の右目――ひどい火傷を負ったように白濁したその目を中心として、皮膚の下にびっしりと細く青黒い血管が浮き出ている。よく見れば、一つ一つの血管がまるで微生物の鞭毛のようにうごめいている。
奇跡の癌。
それが『粛清者』シドウ・クロードの本来の異能力である。
人間の体内では常に細胞がコピーされ、分裂が起こっている。その中でコピーエラーによって時折発生する壊れたDNAを持つ細胞……これがガン細胞だ。そしてガン細胞は壊れているがゆえに、他の細胞のような抑制を受けず、際限なく増殖していく。
人体から見れば、身体の中で全く別の生き物が育っているようなもので、これにより人体にいくつもの深刻な悪影響が現れる。荒っぽい説明だが、これがいわゆる『ガン』である。
だが、人体に拒絶反応を起こさず、ただ『増殖を繰り返すだけ』のガン細胞があるとしたらどうだろう。体細胞から変化し、万能細胞のような分化多能性を獲得し、なおかつテロメアの軛を離れ無限に増殖するガン細胞。
全身に転移し、ひとたび身体が傷ついたときにはすみやかに皮膚や筋繊維、骨へと分化し急速成長する。それはつまり、傷を修復すると言うことと同意だ。
もちろん、こんな病気どころか不老不死の可能性にすらつながるようなガン細胞は、現代の最先端医療でも作ろうとして作れるものではない。シドウがどういった経緯でこの『奇跡の癌』と共棲することになったのか、当人以外は誰も知るものがいない。
この細胞は右目の奥で発生したらしく、結果として眼球そのものは使い物にならなくなってしまった。だが、ここから分裂して常に体中に転移していくガン細胞によって、シドウの全身は、負傷に対して異常なまでの復元力を発揮するのだ。
おれの見立てでは、上位の吸血鬼である直樹あたりとくらべても、再生速度で言えばおそらく上回るだろう。破格の能力と言えた。
「――ふぅん。それなりに面白そうだね」
興味なさげな口調で、真凛がつぶやく。だが、それは未知なる強敵と相対したときに、逸る闘争心を押さえつけるためのものだということを、おれはこの半年ばかりの付き合いで知っていた。
「死合うには、ちょうどいい相手かな」
殺人に特化した高度な戦闘技術と、身体のパーツを破壊する殺捉術の天敵とも言える再生能力。難敵を相手に、真凛の表情はますます消え失せ、戦闘機械じみた冷たさに満たされてゆく。ある意味、『殺促者』としての正しい姿――なぜか、もうすでに誰のものかも思い出せなくなった表情と重なる――ではある。
だが。
それを看過するわけには、いかない。
まだ痛む喉を押さえたまま、おれは二人の間に割って入る。
「陽司!?大丈夫なの?」
真凛の表情が、ふとゆるんだ。それに片手を挙げるだけで応え、相対する『粛清者』に、喉の痛みを無視して言葉をかける。
「ここは、退け、シドウ。おれが、他の異能力者と、組んだときに、どれほど厄介か。おまえ自身が、よく知っているだろ?」
おれの能力は、こと直接のケンカにおいては、せいぜいパンチやキックを一発か二発命中、あるいは回避させる程度にしか役に立たない。だが、他の異能力者とコンビを組み、その能力による攻撃を確実に命中させる事が出来れば、その脅威は飛躍的に増加する。――かつて、シドウ自身と組んだときにも採った戦術だ。
シドウに恨まれるのは……仕方がない。しかし、奴は戦闘の玄人だ。そして玄人ならば、感情に流されず、勝てる戦いと退くべき戦いの判断は冷静に下すはずだった。
だというのに、シドウは退く様子を見せず、おれに殺気を叩きつける。そもそも奴の目標は最初からおれなのだ。
「差し違えても、貴様は倒す」
くそっ。そこまでやる気かよ。
「陽司、あいつと知り合いなの?」
とりあえず戦闘態勢を解いたらしい真凛。やれやれと、おれは密かに安堵する。
「……まあ、な。昔の同業だ」
おれ達は今、幽霊騒ぎを解決するためにここにいる。この戦闘は、任務のために必要なものではなく、個人的ないさかいなのだ。そうおれは説明したかったのだが、そんなヒマもなく、即座に真凛は烈火のようにシドウを非難する。
「知り合いに殺し技を仕掛けるわけ!?業界のジンギはどうなるの?」
だがシドウは、そんな真凛を見て目を細め、やがて哀れむようにうなずいた。
「そうか。何も知らないのか」
奴は、その黒い左目と、濁った右目でおれと真凛の双方を捉えた。
――おい、まさか、貴様。
「例え仁義破りに堕ちようとも」
シドウの声は、その構えのように頑として揺るがない。――それを、言うな。
「そこの人殺しをこれ以上のさばらせておくわけにはいかん」
「えっ?」
おれの胃の中に、巨きな氷の塊がどこからともなく現れて、ずしりと沈んだ。重く、冷たく、苦いものが、腹から喉、脳へとせり上がってくる。
「……ひと、殺し?」
真凛の視線が、ゆっくりと、おれに向けられるのが、背中ごしにも、わかった。
おいおい。シドウ。そりゃあ、なしだぜ。
おれは小さく罵り。一つため息をつくと、肩をすくめた。
殺す。
そのまま単語を絞るように吐き出す。
『我は』『亘理陽司に』『非ず』――『無数の名を持ち、だが全ては無意味』
……本当なら、首絞めの時点でケリはついていたはずなのだ。
今回真凛が助けに来たのは、あらかじめ想定していたからでも策を用意していたからでもない。ただの幸運だ。拾った命に過ぎない。
『我は』『人に』『非ず』――『万能の工具、而して意志を許されず』
つまりここから先は死人も同じ。死人には、もう恥も名誉と言ったつまらん体裁を取り繕う必要もないってこと……か。
それなら。
『我は』『つなぐものに』『非ず』――
手っ取り早くこのでかぶつをバラバラに斬殺して、終わりにしよう。
「陽司!危ない!!」
そうした俺の思考は、突如後ろから突き飛ばされたことで中断させられる。
「っ、何をする」
振り返った刹那。
硬質の風切り音を走らせ、何か細いものが俺の真横を一瞬にして横切った。
「狙撃……か!?」
俺、いや、おれは、痛む頭を振って慌てて起き上がり、たった今自分の肩をかすめていったものを見る。幹に突き立っていたのは、矢。それも、本格的なアーチェリーの矢だった。大学の体育館で見たことがあるから、多分間違いない。
獣道の奥に目を凝らす。
「……なんだ、ありゃあ?」
思わず叫んでしまったが、それも仕方がない。何しろそこには、あまりにも場違いな人間……こんな山中には不釣り合いなファッションに身を包んだ兄ちゃんと、それから、アーチェリーを構えてこっちに向けている巫女さんが居たのだから。
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