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◆08:『粛清者』

 つむぐべき言葉が見つからない。



 

 おれはしばらく逡巡したが、結局くだらない言葉しか思いつかなかった。


「……シドウ、あんた、日本人だったのか」


 目の前にいるのは、旧知の男だった。


 まだ、おれがフレイムアップに所属するよりもずっと前。中学高校とロクに通わず、狩りと称しては海外を放浪していた頃に、この男、『粛清者(パニッシャー)』シドウ・クロードとは知り合った。


 腐れ縁と言うべきか。複数の派遣会社を渡り歩き、その場限りの危険な仕事を請け負うこのはみ出し者の異能力者と、当時派遣会社に所属せず、独立して活動を続けていたおれは、自然と顔を合わせる機会が多かったのだ。


 一度だけ、同じ仕事を請け負い共闘したこともある。いかつい体格と彫りの深い顔立ち。そして流暢なフランス語を操ることから、てっきりフランス系だとばかり思っていたのだが。


 シドウは何もしゃべらない。無言のまま、巌のような沈黙でただおれを見据えている。重い沈黙を埋めるように、おれは空疎な言葉を吐き出し続けた。


「日本語で発音するなら”四堂蔵人”かな。まさかあんたとこんなところで再会するとは思わなかったぜ。こんな山奥でなんの仕事をしているんだ?まさか日本で『粛清者(パニッシャー)』稼業を続けているわけじゃないだろう。こんな山奥のドサ回りなんぞしているってことは、転職が上手くいかなかったのか?なんならもう少し真っ当な仕事を、昔の友人のよしみで――」

「――(けが)れた口を閉じろ塵殺者(ジェノサイダー)


 鉄槌で叩きつぶすように、奴はおれの言葉を遮る。その声は、まかり間違っても同僚や友人知人に向けるものではなかった。そこに含まれていたのは、明らかな敵意。いや。殺意だった。


「……おい、シドウ?」


 今。あいつは、おれの事を、何と呼んだ?


「貴様と最後に会ったのはマルセイユだったな」


 まさか、こいつ。


「その後に。俺も……貴様を追ってロンドンへ向かったのだ」


 シドウの言葉が、後頭部のあたりに氷水のようにじわじわと染みこんでくる。


「柄にもない。俺でも貴様達の戦いの力になれるかと思ったからだ。だがそこで俺が見たものは、」


 シドウは言葉を切った。脳裏から流れ出す光景に、必死に耐えるかのように。

 そうか。こいつは、あの『真紅の魔人』との戦いの一件を、見届けたのか。


「『召喚師』……否、塵殺者(ジェノサイダー)。人殺しのワタリ。あの場に居わせた者として、『粛清者』として。生きている貴様を見逃すわけにはいかない」

「待ってくれ、今のおれは――」


 おれの言葉を、奴はかぶりを振るだけで拒絶した。いかなる言い訳も切って捨てるという無言の、そして鉄壁の意思表示。


「貴様が都合良く忘れたふりをしようとも、貴様が老若男女問わずに皆殺しにした者達は、決して貴様を許しはしない。数多の犠牲の上に立つ貴様が生きながらえる程に、その罪は重くなるのだ」


 左足を半歩前に進め、半身の構えを取る。それだけで圧倒的なプレッシャーがおれに向けて吹きつけてくる。


「待て、待ってくれ。シドウ――」


 おれはなんとか舌を回転させようとして、だが出来なかった。


 弁明が、したかった。数え切れないほどの人々の命を瞬時に奪ってしまったその理由、そして、『俺』が、今の『おれ』になってしまったその理由を、こいつに言ってしまいたかった。だが。


「貴様が言い訳をすれば。貴様が()り潰した命が帰ってくるのか?」

 

 

 

 ――そう。弁明の余地なんて、あるわけがない。

 

 

 

 ……おれは唇をひん曲げ、嘲弄をひらめかせる。


(さえず)るなよ『粛清者(パニッシャー)』」


 自分でも笑えるくらい冷たい声が出た。舌が滑らかに回り始める。一度ささやかな望みを諦めてしまえば、あとはいつものように振る舞うことが出来た。


「無口が身上のクセに、オマエ、何時から舌で戦うようになった?」


 両手をポケットに突っ込み胸を張り、上背のある相手を傲然と見下す態勢をとる。これは対等な者の戦いではなく、格上が格下に加える誅罰であるという、無言の宣告。


「まさか実力で()に勝てないから口喧嘩、か?やれやれ、往年の『粛清者』も堕ちたものだな。人喰い虎もすっかり猫になってしまったらしい」


 おれは毒々しい侮蔑を吐きかける。かつて、敵に対していつもそうしていたように。


 奴はもう何も言わなかった。渦巻いていた怒気は鳴りを潜め、代わりに過冷却された殺意がおれに向けられる。


 共に戦ったこともあるのだ。お互い手の内は知れている。だが、()ならともかく、今のおれでは、逆立ちしたところで勝てる相手ではない。せめて一回、距離を取ってなんとか『鍵』を使う時間を稼がなければ。


 狭い獣道、左右には避けられない。おれは威勢の良いはったりとは裏腹に、いつでも動けるようじりじりと重心を後ろへと逃す。


 重心を完全に移し終えるその直前に、奴が動いた。獲物を狙い定めた虎の如く。凄まじい勢いで突進し、おれに向けて右腕でつかみかかってくる。



 

 狙いは――喉!

 



 読みはドンピシャ。おれは後ろに跳ぶ――と見せかけて、反動をつけ一気に前方に跳んだ。横に逃げられない以上、後ろに跳んでも絶対に追いつかれる。ならば、イチかバチか、前に進んでシドウの背後に回るしかない。


 伸びてきた右腕をかわしざま身を低くし、奴の左脇の下をかいくぐるように捨て身の突撃。どうにか……かわしきった!


「『亘理陽司の』――」


 安堵したそのとき。


 しゅるり、と不吉な音を立てて、おれの首に何かがからみついた。


 地味な柄の、茶色く細い布。


 それは、ネクタイ。


 奴は背広姿なのにネクタイを身につけていなかった。それは奴の左の袖口に隠され、脇の下をくぐりぬけようとする愚かな獲物を捕らえるための罠と化していたのだった。


 おれの動きは、最初から奴に読まれていた――そして、その事実がはじき出す、次に奴が為すであろう挙動に、脳裏で無数の警告が乱れ飛ぶ。


 シドウがそのいかつい両腕でネクタイの両端をつかみ、無造作に引きしぼる。巻きついた何の変哲もないネクタイが、一瞬の後にはまるで鋼鉄のタガのようにおれの喉を締め上げていた。


 おれの全力の突進など、まるで縫いつけられたように停められている。と、


「ぬん」


 間髪入れず、奴はネクタイをがっちりと握ったまま鋭く身体をひるがえし、まるでサンタクロースが袋を背負うように、おれを背中合わせにかつぎあげた。



 ――釣瓶(つるべ)


 

 井戸に沈んだ汲み桶を引き上げるかのように。


 絞殺対象の首に縄を巻きつけて、背負い、釣り上げる。宙に浮いたおれ自身の体重と、奴自身が引き絞る腕の力がネクタイに伝わり、容赦なくおれの喉を締め上げた。


「……っがっ……、……ッ!!」


 釣り上げられた相手がいくら手足をばたつかせようと、人間はその身体の構造上、背中の相手をまともに攻撃することは出来ない。あとはこの態勢を数秒維持するだけで、絞殺対象は窒息死する。


 石一個、紐一本あればそれを即座に暗器に仕立ててのける『粛清者(パニッシャー)』の技。ユーモラスな名前とは裏腹に、一片の遊びもない無骨な殺人術マン・キリング・メソッドだった。


「詠唱はさせん」


 宣告。


 そう、奴はよくわかっている。亘理陽司(おれ)の殺し方を。


 おれが、いや、()がどれ程の力を持っていようが、その全てはまず単語の詠唱をもって発動される。すなわち。言葉さえ封じてしまえば、『召喚師』もただの人間に過ぎないのだ。


「…………ッ!………………!!」


 完璧に入った絞殺技は、気道も頸動脈も塞いでしまう。おれの脳はたちまち酸欠に陥り、抵抗しようとする意思、そのものが暗闇の中に沈んでゆく。


 それでもなお緩むことなく、むしろおれの頸を縊り切るかのように容赦なく込められる腕の力。目から涙を、口の端から泡を吹きながら、おれの意識は完全に遮断されようとしていた。


 今回ばかりは隠し技も切り札もなし。


 こんな山奥で何の用意もなく『粛清者』と遭遇したのが不運としか言いようがない。


 亘理陽司の生命と使命はここで終わる。


 脳細胞を流れる電流が行き場所を失い、いくつもの記憶の走馬燈をランダムに表示する。


 ……すまない、影治さん。


 そして、脳裏の底に眠る、もっとも大切だった人の顔。

 


 …………ごめん、晴霞(はるか)さん。

 

 

 


 

 ――突如、喉を締め上げていた力が緩んだ。


 シドウがとっさに両手を離し、頭部をガードしたのだ。一瞬遅れて、横合いから岩をも打ち割る勢いの飛び足刀が、シドウの両腕に叩きつけられた。


「ぐぅっ」


 奴の手がネクタイから離れ、おれの身体は支えを失い地面に落下した。潰れる寸前だった気道と頸動脈が広がり、大あわてで血液を送り始める。


 おれはひゅうひゅうと喘ぎ、遮断されかかった意識が、ブラックアウトの淵から少しずつ光を取り戻していく。どうにか――生き延びたようだ。


 シドウの表情が警戒を帯びる。先ほどの反応が僅かでも遅れていれば、シドウはこめかみを割られるか、頸骨が折られるかだったろう。それほどの蹴りを繰り出せるのは、いまここでは一人しかいない。


「陽司!」


 着地しながら続けざまにシドウに向けて貫手、回し蹴りを繰り出したのは、崖の上から全力疾走で駆けおりた我がアシスタント、七瀬真凛だった。


 突如現れた増援に、シドウは飛び下がって距離を取る。真凛は深追いをせず、おれとシドウの間に割り込む形となった。


「陽司……陽司!大丈夫!?」


 今にもトんじまいそうな意識に響く音声。


 真凛の……声、だよな。なんだアイツ、ガラにもない声出しやがって。


 大丈夫だよ、と手を挙げて答えようとした拍子に唾を吸い込んでしまい、おれは激しくむせかえった。咳き込む度に、締め上げられた喉に激しい痛みが走り、立ち上がることも出来ない。ちくしょう、これじゃ『鍵』を使うどころじゃねぇぞ!?


 そんなおれの様子を見て、ひとまずは安堵したのか。真凛はシドウへと向き直る。


「――今の。殺し技だったよね」


 ……先ほどとはまた別の、おれが初めて聞く真凛の声。それは研ぎあげられた切っ先のように、澄み渡った凶暴性を秘めていた。


「殺す気で戦いに臨んでいるヒトなら」


 声に殺意が込められていくのとは裏腹に、表情からは一切の喜怒哀楽の感情が失せていく。いつもの闊達でめまぐるしい表情がなりを潜めると、本来の、ぞっとするほど整った面立ちがあらわになった。


「殺される覚悟は、あるよね」


 対するシドウはすでにネクタイをポケットに仕舞い、迎撃の構えに入っていた。両腕を掲げ、どっしりと根を張った巨木のごとく。真凛の技量を知ってなおその表情は変わらず、


退()け」


 とだけ言った。真凛は返事をしなかった。言葉では。


 バネが弾けるように一気に間合いを詰め、右の貫手を放とうとする。合わせるように、シドウが足下に転がっていた小石を軽く蹴り上げた。


 高速で真凛の顔面に向けて飛来する石つぶて。巧妙な牽制だった。シドウは片足を浮かせただけ。真凛が小石を避けても叩き落としても、その隙に乗じて踏み込みを乗せたカウンターを叩き込むことが出来る。


 だが、真凛はあえて小石を避けず、眼を開いたまま顔面で受けた。反応すれば罠にはまる。しかしそのまま当たれば、小石はただの小石にすぎない。


 そのまま勢いを殺さず突進、貫手を放つ。狙いはシドウの顔面、突き出したのは人差し指、中指、薬指の三本。


 実戦で小さな眼球を狙うのは難しい。本気で相手の眼を潰そうとするなら、指は二本ではなく三本使う。まず相手の鼻っ面に掌をたたき込み、そのまま中指で鼻筋をガイド。すりあげるように人差し指と薬指で両目をえぐるのだ。


 ……バカ野郎、それはシャレにならねぇだろうが!


 おれは叫ぼうとして、だが激しい喉の痛みにまた咳き込んだ。くそっ!


「――」


 だがシドウは、その顔面への一撃も予期していた。疾風のように放たれた真凛の指をギリギリでかわすと、そのまま真凛の右腕を両腕で巻き込み、己の巨躯を投げ出すように回転させた。


 ……柔術!


 変形の一本背負い。巨大な遠心力に引きずり込まれ、真凛が地面に叩きつけられる。即座、素早く膝立ちに移行したシドウがそのまま真凛の右腕を引きずりあげ肘の関節を極めた。完全に投げと極めが連携した、流れるような動作。


 シドウの殺人術の根本には、伊勢冨田流(いせのとだりゅう)なる古流柔術がある。投技や関節技、捕縄術、小太刀術を中心とする技法は、あまりに実戦的であるゆえに使われる機会を失い、三重県の寒村に細々と伝えられているに過ぎなかった。


 だが、それをシドウが殺人術というフィールドに還元させた時、ひなびた伝統芸能は、恐るべき本来の姿を取り戻したのである。


 完璧に極まった腕ひしぎ。TVの試合ならここで決着である。だが、シドウはまったく躊躇せず己の体重を真凛の肘に乗せ、へし折りにかかった。


「くぅ……っ!」


 肘を曲げて力を込め、こらえる真凛。押し切られれば腕は折れる。仰向けのため腕の力しか使えない真凛に対して、全体重を使えるシドウ。あまりにも分が悪すぎる勝負だった。


 真凛はとっさに残った左手でシドウの腕をつかむが、シドウは一切頓着せず、より一層の力を込める。



 と。



 

 

「――『おろしがね』」

 


 

 ぞり、と確かに音がした。


「ぬぐっ……!!」


 突如、シドウがくぐもった叫びを上げ、手を離した。すかさず真凛は腕を抜いて地面を転がり、距離を取って立ち上がる。同じく立ち上がったシドウ。その額には、脂汗が浮いていた。


 真凛がしたことは単純である。空いている左手で、つかんでいるシドウの腕を『ひっかいた』のだ。取っ組み合いのケンカになったとき子供がやることと大差ない。だが。


 背広の袖が千切れている。それはいい。皮膚が破れている。それもまだいい。だが、皮下組織がごっそりと削ぎ落とされ、筋繊維が掻き千切られているとなれば、話は別だった。


 真凛の鍛え上げた握力と指でひっかいた時、それは凄惨な『技』となる。


 人間は身体を鍛えて筋肉を太くすれば、パンチやキックに耐えられるようになる。だが、真凛の攻撃は、防具であるはずの筋肉そのものを、皮膚ごと剥ぎ取ってしまう。


 シドウの左腕からは、壊れたポンプのように血が噴き出していた。またも入れ替わった攻守。


為留(しと)める」


 凍った呟きは真凛のものだった。好機を逃さず突進しつつ、左手を鞭のように振るう。


 宙を飛んでシドウに叩きつけられたのは、こそぎとったシドウ自身の腕の皮膚だった。先ほどの小石への返礼。血という液体を含んだ皮と肉の残骸は、より厄介な目潰しとなる。


 シドウは無事な右腕を掲げてそれを受けざるを得なかった。背広の袖に、びちゃりと血の花が咲く。


「……もうよせ……!」


 ここでようやく、おれは声を絞り出すことが出来た。


 牽制しながら左側面に回り込む。シドウの左腕は破壊され、左半身が完全に無防備だった。研ぎあげられた指先の狙いは――頸動脈!


「もういい!真凛!」


 一切の妥協のない殺し技。間違いなく頸部を切断する渾身の刺突が放たれた。

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