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◆07:遭遇-encounter!-

「~~~~ぁいでででででででっ!!」


 二十メートルの高さから、地肌が剥き出しの急斜面を一気に滑落する。なかなか得難い経験ではあるが、もちろん、好きでやっているわけではない。


「陽司!手を離すと死ぬよ!?」


 上から響く真凛の声。おれは矢も盾もたまらず、斜面に垂らされた一本の縄――ワンアクションで縄バシゴや多節棍にも変形する万能縄バシゴ『ハン荷バル君』を必死でつかみなおす。


 落下で加速された体重が衝撃となって、腕、肩、掌に一気にのしかかった。掌に線状に走る熱い感覚。


「がががっ……って、お、落ちる!落ちる落ちる!!」


 とっさに斜面に足と膝をついて踏ん張るが、砂と土の脆い斜面は容易く崩れ、おれはさらに下へと滑り落ちてゆく。そのままさらに十メートルほど滑落し、


「ぐがっ!」


 盛大に尾てい骨を打ったところで、ようやくおれは一番下に辿りつくことが出来た。と、追いかけるように落ちてきた砂と小石が、シャワーとなって顔面に降り注ぐ。


「ぶぇっ!」


 口に入った砂を吐き出し、天井を遮る枝のカーテンの向こうに眼をこらす。崖の上、つまり先ほどまでおれが居た県道432号沿いのガードレールから、真凛がひょいと顔を出し、声を張り上げる。


「生きてる~!?」

「……ああ。何とか大丈夫だ~!」


 こちらも声を張り上げて手を振る。


「……びっくりしたよ~!。そんなくらいで足を滑らさないでよ~!」


 お前の基準で物事を判断するんじゃねーよ~、と叫ぼうとして砂を吸い込んでしまい、おれはむせた。


 三十メートルの急斜面をロープ一本(安全ベルトなし)で降りるのは、救命レンジャーや軍人さんのお仕事である。運動嫌いの学生にはいささかハードルが高すぎるというものだ。ああくそ、ジャケットがボロボロになっちまった。


「お~い!俺達も行くから、しばらくそこで待っていろよ~!」


 降り注ぐチーフの声に、「了解~!」と返事をして、おれは尻をさすりながら立ち上がった。ちくしょう、掌の皮がひどいことになってやがる。


 発生した土砂崩れは県道432号を横断し、そのまま下の森まで流れ込んだという。


 最も遺体が埋まっている可能性が高いポイントに向かうには、一度街まで戻って板東川を数時間かけて登るか、あるいは直接、県道の事故現場から崖を降りるかのどちらかしかない。


 結局、おれ達は『ハン荷バル君』だのみの逆ロッククライミングに挑戦することにしたのだった。


「沢登りなんぞ時間がかかって疲れるからイヤだ、と主張しやがった阿呆は……おれか、くそ」


 ここまで斜面が急だとは思っていなかったんだよなあ。


 改めて周囲を見回すと、そこは完全な森の中だった。本来は人が歩くのはかなり難しいのだろうが、土砂崩れに切り裂かれた箇所が、一本の道となって緩やかに坂の下へと続いていた。


 真凛達が追いついてくるまではやることもない。何の気無しに森の奥に目を凝らしていると、不意にがさり、と木々が鳴った。ネズミや蛇じゃあない。猿や犬、よりもさらに大きい。……おいおい。熊は勘弁して欲しいぜ?


 と、敵意の無さを示すかのように森の奥から姿を現したのは、熊、ではなく、安っぽい背広姿の一人の男だった。ただしその体格は、熊と見間違えそうに大きい。男もおれに気づいたようで、しばし視線が交錯する。


 片や、カジュアルな格好。片や、背広姿。どちらも荷物らしい荷物は持っていない。少なくとも、人気のない山奥の森で遭遇する相手ではなかった。


「自殺志願っすか?こういうところで首を吊ると地元に迷惑がかかるから――」

「学生か?ここはまだ崩落の危険がある。沢伝いに街へ――」


 おれ達は互いに言葉を交わそうとし。




 ――そこで。


 ようやく互いの正体に気づいた。



 

「……ワタリ。貴様、あのワタリ……か?」

「まさか……シドウ。シドウ・クロードか?」


 すでに正午を過ぎて、晴天に陽は高く。だが鬱蒼とおい茂る森の枝に遮られ、光はほとんど届かない。土砂崩れの傷跡を吹き抜ける風が、葉を枝を、ざわざわとかき鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 物陰でバックパックから取り出した小袖と緋袴に着替え、シャンプーの宣伝にも出られるよと友人達からお墨付きをもらった自慢の黒髪を水引で束ねる。


 それだけでごく普通の女子高生は、霊験すら匂わす巫女となっていた。そのまま清音は楚々と進み出で、現場、つまりは土砂の崩れた場所に降り立つ。


「本来なら巫女というものは神社にあってこそ巫女なのですけれども」


 巫女というものにも様々あるが、もっとも一般的な『巫女さん』は、神様に奉仕する存在である。その神様が神社におわす以上、巫女が巫女として活動するのは、通常は神社の中だけだ。


「ウチは人が足りませんので」


 嘆く清音。つまりは、一人で何でもやらなければいけないと言うことだ。神楽からお賽銭の管理、託宣、お祓い、悪霊退散等々。


 次に清音が取りだしたものを見て、徳田が驚きの声を上げる。それは、何枚かの微妙に反った板だった。いずれも細長い。材質はそれぞれ異なり、アルミ合金、カーボン、それに竹で出来ているものもある。道具と言うより機械のパーツを連想させるそれは、


「もしかして、弓……いや、アーチェリーの部品、ですか?」


 頷く清音。そう、それは確かにアーチェリーの弓。正確にはリカーブボウと称されるものだった。弓道で使われる和弓とは異なり、パーツごとに分解して持ち運べるという利点がある。清音は慣れた手つきでパーツを接続し、ボウを組み立ててゆく。


「しかし……巫女さんが、アーチェリー、ですか?」


 徳田の疑問も無理はない。事実、巫女さんが和弓ならともかく、洋弓(ボウ)を構えている姿はミスマッチこの上なかった。清音ははぁ、と遠い目をする。


「本当は、神社に代々伝わる御弓だったんですよ。でも、折れてしまいまして」

「高校の後夜祭で酔っぱらって石段踏み外して、尻餅でへし折ったんだよなー」


 茶々を入れる土直神。


「ほっといてくださいよ!で、結局、洋弓に再生することにしたんです」


 そう言って清音が指した弓の上端と下端の部品は、よく見ると確かに、和弓のそれを切り離したものだった。


 何しろ先祖代々の御弓は取り替えのきくものではないし、かといって折れた弓はどう接着してみても、とても実用に耐えられるものではない。


 試行錯誤の末、高校のアーチェリー部の顧問と商店街のスポーツ店と町内の鉄工所の協力を得て、折れてしまった胴部を切除し、鳥打から上をアッパーリムに、大越から下をロウアーリムに、それぞれカーボンで補強を施して仕立てた。


 これをアルミ合金から削りだしたハンドルに接続し、アラミド繊維の(ストリング)をかける。ついでにスタビライザーとVバーもセット。


 こうして風早の神社に代々伝わる不浄祓いの霊弓は、最新技術を詰め込んだものごっついアーチェリーへと魔改造を施されたのであった。ちなみに経費は月賦五年払いである。


「まあ、見てくれは巫女らしくありませんが、ちゃんと祭具としては機能しますし」


 すいと背筋をただし、大の男でも引くのが難しい強さの弓を、流れるように引き分け(ドローイング)。筋肉ではなく姿勢(フォーム)で引く、理想に近い射姿だった。


 そのまま矢をつがえずに左手を放すと、キャン、と鋭い音を立てて弦が鳴った。


「和弓より、こちらの方が何かと使い勝手がいいんですよね。とくに実戦(・・)では」


 物騒で清楚な微笑を浮かべ、清音はそのまま繰り返し矢をつがえずに弦を引き、放す。東北を向いて(つる)打ち。次に西南を向いてまた弦打ち。そして東西南北、四方へと。鋭く甲高い弦の音が、静かな森の中に響いていく。


「あの、一体何を、」

「静かに」


 徳田を小声で制したのは、土直神だった。


鳴弦(めいげん)の儀。弦鳴りで穢れを追い払って、神様を迎えるんだぁよ」

 上を指す土直神。そこでようやく、徳田も気がついた。

「風が……」


 びょうびょうと鳴り響く弦の音。その空気の震えが増幅するかのごとく、次第に清音の周囲に緩やかな風が吹き始めていた。次第にそれは強く、大きくなり、瞬く間に清音の周囲を巡る渦となる。そこで清音は弓を下ろし、袴が汚れることもいとわず土砂の上に正座をすると、


「御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の――」


 謡うように、祝詞を紡ぎだした。すると、その声に応じるかのように、周囲を巡っていた風の渦が一気に清音目がけて収束する。舞い上がった土砂が目に入ったのか、たまらず徳田が顔を伏せる。砂埃はなお強くなり、徳田は眼を開けていることが出来なくなった。


 どのくらいそうしていたのだろうか。


「――聞こしめせとかしこみかしこみもうす」


 祝詞が終わったとき、風の震えは既に収まっていた。顔を上げた徳田が見たものは、土砂の上に正座している清音。ただそれだけで、先ほどと何も変わっていない。だが。


「何か……居る?」


 清音の二メートルほど前方に、誰か(・・)がいた。眼で見る限り、そこにはただ土砂があるだけだ。だが確かに、そこに誰かがいる気配があった。別に音がするわけでも、臭いがするわけでもない。だが何故か、居るとわかる。


 その異様な感覚に徳田がパニックを起こしかけた時、見かねたのか土直神が解説した。


「徳田さん素人だと思うけど、わかるよねアレ?アレが、清音ちゃんとこの神さん。ま、名前は色々あるけど、いわゆる”風の神様”ってやつだよ」

「は、はぁ……」

「清音ちゃん自身の能力は、あくまで巫女として神様を呼ぶだけ。でも神様にお願いをすることで、様々な力を使うことが出来るってワケ。風を操ったりとか、あるいは、霊の声を聞いたり、なんてね」

「情報としては知ってはいましたが……実際に見ると凄いものですね」


 眼をしばたかせる徳田。


「今、清音ちゃんが神さんに話をして、このあたりに眠っている人がいないか探してもらっているから」

「それは……幽霊という奴でしょうか?」

「どうだろね。実際のところおいら達にも良くわからんのよ。会話の形をしているけど、実際は亡くなった方の焼き付いた思念を読み取ってるんだ、って主張する人もいるし、実際は鏡みたいに、話しかける形を取りながら自分の予知能力を発揮してるって説もあるしねー」


 のほほんとした調子で、専門的な事を話す土直神。


「しかし。当人が亡くなっている事は間違いないんでしょう?」


 今度は土直神が、眼をしばたかせた。


「そうだね。それは間違いないよ。清音ちゃんが話出来るのは、すでに亡くなっている人だけだから」

「なるほど」


 徳田は眼をくるくると回して成り行きを見守る。すると、今まで正座していた清音が、すいと面を上げた。


「……お休みのところを起こしてしまって本当にすいません。来ていただいてありがとうございます」


 丁寧に、目の前の誰もいない空間に向かって一礼。そして、土直神達に顔を向けて、まるで親しい知人を紹介するように声をかける。


「つい先日、この地で眠りにつかれた方がいらっしゃったのでお越し頂きました。ここ最近、この辺りで亡くなられた方は、この人お一人だそうです」


 そう、そこには。清音と、目に見えぬ清音の呼び出した”神様”なるものに加えて。


 さらにもう一人、誰か(・・)がいた。


「私はここから少し離れた風早神社に勤めております、風早清音と申します。貴方のお名前を教えていただけますでしょうか」


 丁寧に、だが儀式張ったものではない口調でその誰かに語りかける。すると、風がざわざわと細かく、だが激しく震えた。まるでノイズのようなその音は、チューニングを合わせるように、一つの音へと絞り込まれていき、すぐにはっきりと、一つの音声となった。



 

 ……ワタシ……ハ……オダ、ギリ……ツヨシ……

 



 清音の前に居る見えない”誰か”は、風に乗せて、確かにそう言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 


 

「もしもし?……ああ、所長、お疲れさん。どうしたの?……はあ。はあ。…………『ティエクストゥラ』?いや。特に心当たりはないけどね。うん。じゃあ」


 通話を終えて、チーフは携帯をコートの内ポケットにしまい込む。


「所長からですか?」


 ガードレールの支柱に改めて『ハン荷バル君』を巻き付け直していた真凛が駆け寄ってきた。


「ああ。事務所の方にどうもヘンな案件が回ってきたみたいで、俺にも情報がないか聞いてきた」

「もしかして、敵に強い人がいるとかですか?」

「いや。正確には依頼じゃない。派遣会社同士の間での情報交換だな」


 心底美味そうにゴールデンバットをくゆらせるチーフ。


「国内で新たな異能力者が現れたり、海外から厄介な『派遣社員』がやって来たときに、日本の派遣会社同士でそいつのことを知らないか、お互いに情報を持っていないか聞きあったりするんだ。戦うにしろ一緒に仕事をするにしろ、事前に相手の能力を知っていれば物凄く有利になれるからね」


 訥々と語るチーフ。こういったデータベースを利用できるのも、会社組織の強みである。業界最大手のCCCは、社長の方針もあって国内外合わせて一万人近い能力者のデータベースが揃っているのだとか。


「どうも海外から厄介な奴が入国したらしいんでね。日本中の派遣会社も一応警戒しておこうということらしい」

「強いんですか?その人」


 真凛の期待に満ちた問いに苦笑するチーフ。


「いいや。戦闘についてはそう強くはないらしい」

「あ、そうですか」


 それで興味を失ったのか、再びロープを固定しようとかがみ込んだところで、真凛の眼が鷹のように鋭くなる。


「チーフ」

「ん。どうした?」

「えっと……見間違いかも知れないけど、何か、下の方で……」


 三十メートル先、しかも森に覆われて崖下の様子はほとんど見えない。だが一瞬だけ、その枝葉のカーテンの隙間で、何かヒトのようなものが動いた、気がした。


 それだけである。根拠もなにもない直感に過ぎなかったが、一瞬の判断ミスが生死の境をわける武道家の本能が告げる。『今見えたのは……なにかとても……そう、物凄く”ヤバイ動き”だと。


「すいません!ただのカンなんですけどチーフ、」

「わかった」


 真凛の表情を見たチーフの行動は早かった。ゴールデンバットを左手に待避させつつ、コートに右手を突っ込む。やがてたぐり寄せて取りだしたのは、トランプのカードを思わせる、一枚の銀色の薄いプレートだった。



 

「――『駱駝の王の(ALLUP)其の瞳(LEIRU)天を巡り(LIGIL)虚を識る星を(URIEL)我に宿せ(PULLA)』」




 不可解な言葉を並べ立てると、チーフは眼を瞑り、己の額に銀のプレートを当て、三秒ほど待つ。やがて眼を開いたとき。その表情は切迫していた。


「――真凛君」

「はい!」

「君の直感は当たりだ。亘理がかなりマズいことになっている!すぐ行ってくれ!」


 指示を聞くより先に、真凛は鮮やかに身を翻してガードレールを飛び越え、縄もつかまず急角度の坂を一気に駆け下りていった。



 

 結論から言うと、チーフの判断は全く正しかった。


 まさにその時、おれは死地にいたのだから。 

 

 


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