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【短編小説】生と死の境界 ~それでも隣に~  作者: 霧崎薫


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第四章 地図と地形

 透はその後、二週間に一度の頻度でサロンを訪ねるようになった。


 凪の世界観は体系的だった。個人の霊感に根差しながら、仏教の識の流れ、ヒンドゥー教のアートマンとカルマ、西洋神智学のアストラル体、そして現代の意識研究を横断的に組み合わせた、独自の構造を持っていた。


「人間の意識というのは、脳という装置が一時的に宿しているものじゃないと私は思っています。それは逆で、意識のほうが先にあって、脳はそれを受信して、この三次元の世界でやりとりできる形に変換する装置です。ラジオと電波の関係と考えてもいいかもしれません」


「アンリ・ベルクソンの透過説ですね」


「知っているんですね」


「一九〇〇年代の哲学です。脳は意識を生み出すのではなく、宇宙に満ちた意識をフィルタリングして日常生活に適した形に絞り込む。だから脳が損傷すると意識が拡張することがある」


「そう。臨死体験で視力を持たない人が見えたと報告するのも、その構造で説明できます」


「ただ、その構造自体を実証する方法がない」


「ええ」


 凪は認めた。すらりと。防御なく。


「私の体験は証拠にならないことは知っています。私が見えると言っても、それが本当に外部の実在なのか、私の脳が作り出した幻覚なのか、完全には証明できない。でも、証明できないことと、存在しないことはイコールじゃない」


「ラッセルのポットですね。証明できないから存在しないとは言えない。ただし証明できないものを信じる積極的な根拠にもならない」


「バートランド・ラッセル、ですね。でも私の場合は少し違う。私は火星とポットの間の宇宙に無重力で漂うポットの存在を、信じているのではなく、見ているんです。見えているものをないとは言えない」


「それが体験の直接性の問題ですね。あなたの体験は一人称のデータだから、三人称の方法論で検証できない」


「そうです」


 二人は互いの論理を試し合いながら、ゆっくりと深いところへ降りていった。他のクライアントとの会話では起きないことが、透との間では起きた。凪が言葉を探している。透が問いの輪郭を測っている。


「槙野さん」


「透、でいいです」


 凪は少し間を置いて、


「透さん。あなたはなぜそんなに知りたいんですか。答えを求めているだけじゃない気がする」


 透はテーブルの木目を見た。テーブルの端に小さな傷があった。誰かが重いものをぶつけたか、爪で引っかいたような細い傷。それを人差し指でなぞりながら、


「子供の頃、祖父が死んだ夜に、蛍が消えたんです」


「蛍が」


「光って、消えた。次に光らなかった。そのとき思ったんです。蛍の光は蛍が意図して出しているのか、ただの化学反応なのか。そしてその光が消えたとき、何がなくなったのか。光という現象がなくなっただけか、光を生み出した何かがなくなったのか」


 凪は何も言わなかった。


「三十五歳になっても、その問いに答えが出ないんです。脳科学の本を百冊読んでも、哲学書を読み漁っても、出ない。それだけです」


「それだけ、じゃないですよね」


「……」


「友人を失いたくない。でもどう足掻いても失う。そのあと、どこに行くのかを知りたい。それが本当のことでしょう?」


 透は答えなかった。

 答えないことがすでに答えだった。


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