第87話 冒涜的な生物
レイが走り出してすぐ、それは背後まで忍び寄って来ていた。狭い道に体をぶつけながらもねじ込むように、レイを追って移動する。遠くで聞こえた叫び声であったが、それはすでに距離を測れるぐらいの場所まで近づいていた。
地面を刺すような、潰すような足音と共にレイに近づいてきたそれは、レイを捕捉するとさらに速度を上げた。
一方でレイも狙いを付けられたことぐらい分かっており、真っすぐの通路の奥に見えるそのモンスターを走りながらに見た。
(きっっっしょ)
レイが思わず、そう思ってしまうぐらいには嫌悪感を抱く造形だった。
這いつくばる人間のようなフォルム。両手を両足を地面について四つん這いになっている。だが、少なくとも人間ではない。ハウンドドックが持つ強靭な下半身と腕が異常なまでに長く発達し、骨まで見えそうなほどにやせ細った人間の上半身が組み合わさったような、そんな冒涜的な見た目。前足は両方とも鋭い、針のようになっている。また地面に垂れ下がるほど、まるで蛇のような尻尾がついていた。
顔はまるで昆虫のような、頬が無く鋭く尖った二つの歯とその奥に覗かせる。獲物の骨をすり潰すために生まれ持った奥歯は丸く、それが幾つもついていた。眼球はむき出し、瞼があるようには見えない。
生物の造形としてはあまりにも不格好かつ冒涜的なものだった。
涎のような液体を口元からまき散らし、一心不乱に追いかけてくる様は醜い。だが同時に恐怖を感じさせるほどの迫力があった。
逃げる場所の無い一本道でレイが逃げ、モンスターが追いかける。まだ出口は見えず、あと数秒でモンスターに追いつかれる。
「――くそ――が!」
だがモンスターが飛び掛かろうとしたところで、通りの両脇にある外開きの扉を、わざわざ開けてモンスターに蹴って当てた。モンスターは目の前に出来てきた障害物に針のような前足を突き刺す。だが逆に扉に挟まって、当たった時の勢いで閉じる扉に巻き込まれる。
だが強引に扉ごと引き抜いてレイのことを追いかける。前足には扉が刺さったままだが気にせず、モンスターは前を向いた。すると視界の中に入ったのは、両脇に立ち並ぶ扉、その内の開けられる物すべてが開かれた光景だった。目の前を埋めつくす障害物、それは奥にも続いていた。
小賢しい、そんな感情を抱いたのだろうか、モンスターは雄たけびを上げながら目の前の障害物すべてを巻き込み、踏み倒し、破壊しながらレイを追いかける。狭い通路を巨体が走り、その後には原型と留めないほどに破壊された物が残る。
代償として、モンスターの体には少しの傷が出来ていた。だがすぐに回復する程度。目の前の得物を殺すことが出来るのならばその程度は許容できる。
モンスターは一瞬で、目の前に続いていた障害物たちをなぎ倒し、通り抜けた。
しかし開いた扉が無くなった通路には、レイの姿が無かった。もう上の階に逃げてしまったのではないかと、モンスターがただ続く細い通路を見つめる。そして取り合えず追いかけるために進みだした――と同時に、何かがモンスターの背中に乗った。
「よお」
モンスターの背中に乗ったレイは突撃銃をモンスターの頭部に向けて、近距離から発砲する。モンスターは暴れ、レイを振り落とそうとするがそれよりも、弾倉一つを撃ちきる方が早かった。
モンスターは頭部が穴だらけになりながらも、不器用に四肢を動かしてレイを壁にぶつけようとする。だがその動きは遅く。レイにはとっては十分すぎた。拳銃を引き抜いたレイは首に向けて全弾発砲、した後にナイフで頭部を切り落とした。
モンスターの頭部が地面に落ちるべちゃという音の後に、モンスターの身体が力なく倒れて重い音が響き渡る。
「………」
レイは肩で息をしながら、突撃銃、拳銃の弾倉を入れ替える。そしてモンスターの死体を一瞥して、確実に死んでいるのを確認するとまた歩き出した。
かなり遠くだが、通りが終わっているのが見える。はたして階段に繋がっているのか、それとも曲道なのかは分からない。だが少しだけだが希望が見えたきがした。ここから抜け出せたとしてもまだ、そこは地下一階部分だ。商店街かどこかは分からないが、上へと続く階段があれば尚のこと良し。
少なくとも、もう一度この通路を歩きたいとは思わない。理由は単純。もうあのモンスターと戦いたいたくないからだ。さきの戦闘は本当にぎりぎりだった。
レイは負傷こそせずに勝てたが、今度もそう行くとは限らない。少なくとも、この狭い通路で正面から向き合って、レイが勝てる可能性は限りなく低いだろう。さきの戦闘は不意を突いて、奇襲で、嵌めることが出来たから殺せたようなものだ。
条件が違えばまた結果も違ってくる。あのモンスターがこの地下空間に一匹だけであればいいが、そうでない場合もある。
「………」
レイが異変を感じ取り、振り返った。何も見えないし何も聞こえはしない。だが嫌な予感がする。
(さっきの叫び声――仲間を――)
仲間を呼んだ可能性があると、そう思い至った。小さな金属音でもあのモンスターは聞きつけてやってくるのだ。銃声や仲間の叫び声が聞こえないわけがない。
レイは額から汗を拭うことすらせずに、前へと歩きながらただ背後に視線を向ける。音は聞こえない。だが少しずつ、静かな通路の音がし始める。そして聴覚だけでなく視覚にも影響が生じ始める。
曲道。そこから何かが出てきてこちら側に向かってきている。かなり遠いためその姿は小さい。だが見たことがある。
(――無理だ!)
少なく見積もっても、二体以上いる。
レイはその瞬間に走り出した。幸い、すぐ目の前に階段か曲道かは分からないが希望が見える。
背後から聞こえる物音が大きくなり始め、だがレイも着実に近づいている。
あと少しだと、走り。もう着くと希望を抱いた。
「………ッ。そう上手くはいかないか」
曲がった先は確かに階段だった。しかし崩れている。完全に塞がれているわけではないため、瓦礫を除去していけば外に出られる。しかしそんなことをしている時間はない。
「……ああ。やる。やってやる」
レイは自分にそう言い聞かせ、決意を固めた。
バックパックから弾倉をすべて出して、階段の付近に投げ捨てる。NAC-416と拳銃にそれぞれ一度ずつ視線を向けた。
何体いるかは分からない。
ただ今、生き残るためには迷ってなんかいられない。
今はまだ距離が開いている。その間に出来るだけ敵の数を減らすのが最も効率的。幸い、この通路は一本道。レイは弾を外さないし、相手は避けることが出来ない。
自然と中部にいた時のような、面持ちに変わる。息を止め、極限まで集中を高めると、レイはゆっくりと引き金を引いた。
◆
撃ち出された弾丸が通路の先にいる一体のモンスターに着弾する。続けて、数十発の弾丸が寸分も狂わず、モンスターの頭部を貫く。集中的に何発と、敵が機能を停止するまで執拗に繰り返す。
弾倉が切れると一瞬で交換を行い、再度、射撃を開始する。幸い、弾倉は多く残っている。敵がどのくらいいるのかは不明だが、少なくとも5体ぐらいならば容易に仕留めきることが出来る。
レイが前方にいた一体目を完全に沈黙させると、一瞬だけ撃つのを止めた。通路は狭いためこれ以上撃とうと前方の死体に着弾するだけで後ろの個体には負傷を与えることが出来ないからだ。
幸い、レイが撃つのを止めたあの一瞬で、死体となったモンスターを踏み倒し、前足で切断して、背後にいた個体が前に出てくる。死体ではあるがそれまでは同種、仲間のような関係性であったはずだ。しかし死体となった瞬間に障害物のように扱う。生物として、生物兵器として合理的だ。そしてレイにとってもその動きはありがたかった。
撃ち止めた一瞬で呼吸を整えたレイが再度、射撃を開始する。一体目を殺した時と同じように、一寸の狂いも無く正確無比な射撃を繰り返す。眼球を潰し、それでも尚向かってくるのならば前足、後ろ脚の関節部分を破壊する。
集中的に頭部を狙い、頭脳を露出させて破壊する。徹底的なまでに効果的だ。ほぼ神がかり的な射撃だが、これでやっと中部の頃の勘が戻り始めたというところ。レイもその実感が確かにあった。
しかしそれでも目の前のモンスターを処理しきることは出来ない。何せ数が多く、それでいて細い一本道で退路もない。物量で押し切られればどれだけ技術があろうと関係がない。
(無理だ)
四体目を殺し終えた時にはすでに、モンスターが目前にまで迫っていた。もう退路は無いため、レイは逆にモンスターに向かって走り出す。一秒とせずにモンスターとレイとの距離は肉薄し、モンスターは前足を上げ、その針のような足をレイに突き刺す。
しかしレイが避けたことで足は背後の壁へと突き刺さった。それと同時にレイは、モンスターの下に潜りこむと真下から突撃銃を乱射する。そして弾倉が切れるとすぐにNAC-416から手を離す。
と同時に背後にいたもう一体のモンスターがレイに被さっていた個体ごと、針のような足で突き刺す。針はレイの肩を掠り、肉を抉るが殺すことはできない。
そしてレイに被さっていた個体は背中から刺されたことでバランスを失い、潰れる。このままではレイごと踏みつぶされ、そして動けなくなったところを上から串刺しにされる。
レイは一瞬の判断で、モンスターの後ろ脚付近から抜け出した。だが同時にモンスターの後ろには当然、別の個体も控えている。先にレイを串刺しにしようとした個体だ。
レイとその個体との目が一瞬だけ合う。そして先に動けたのはレイだった。モンスターは仲間を突き刺したことで一瞬、足を取られており動きが遅れた。その違いがレイに隙を与えてしまった。
拳銃を持ったレイは近距離からモンスターの頭部に向けて顎下から発砲する。飛び散った頭蓋と血肉よりもレイは早く。全弾を撃ちきってもモンスターが殺しきれていないのを確認すると瞬時にナイフを引き抜いた。そしてモンスターの首元に右腕を回しぶら下がると、不安定な体勢のまま左手で握ったナイフでモンスターの頭部を切り落とした。
頭部を切り落とされた個体はすぐに、糸が切れたように力なく倒れレイも落ちる。その際に拳銃の弾倉を交換し、目の前に視線を向けた。
(二つか)
拳銃の弾倉は残り二つ。ナイフは血肉で切れ味が落ちている。しかしモンスターはまだ、目前にいる。
口を広げ、レイに噛みつく。もし噛まれでもしたらその部位は千切り取られるか感覚が無くなりでもするだろう。しかしレイは、拳銃を発砲しモンスターの顎を砕くと、ナイフと持った右腕を咥内にねじ込んだ。
そして喉を切り裂きながら頭部に向けての発砲を継続する。モンスターの重量によってレイは倒されそうになるが、それよりも早くレイはモンスターを殺しきる。
「まだまだ!」
モンスターの咥内から腕を引き抜くと、目の前からやってくる何体かのモンスターに目を向けた。
そして拳銃とナイフを軽く握り直すと笑い、モンスターに向かって拳銃を発砲した。




