第86話 地下区画
未だ煙舞う地下空間で、瓦礫の下からレイが這い出てきた。
「……はぁ、はぁ。くそ」
立ち上がったレイはNAC-416や拳銃が壊れていないのを確認する。そして上を見上げて空いた大穴に視線を送る。
とてもじゃないが戻れそうにない。それほどに高低差がある。紐でも垂れていればまた話は変わっただろうが、当然そんなことは無い。色々と策を思い浮かべてはみるが、成功しそうにない。
もし中部にいた時のような身体能力が残っていたとしたら、全力で飛べば余裕を持って地上に戻れただろう。しかし現状、レイの体は常人より少し強い程度で、届くはずがない。
呆然として、レイは周りを見渡した。
人型ロボットの姿はなく、機械人形は瓦礫に踏みつぶされて破壊されていた。恐らく人型ロボットは瓦礫の下に埋もれているのだろう。
(助かった、のか?)
防衛設備からは逃れられた。現状、攻撃されるような心配はない。しかしまた別の問題が浮上した。
(どうやって、戻ればいいんだよ)
崩落した時に出来た穴を通って地上へと戻るのは物理的に不可能。助けは当然ながら来ない。逆に来たらおかしい。
だとしたら、この複雑で広大な地下区画を通り抜けて地上へと抜けなければならないということだ。商業地跡の地下区画は外周部にありながら、まだ探索の進んでいない場所で遺物が多く残っている。だが遺物がそれだけ残っているのには当然、理由がある。
まず入り組んでいて迷う心配がある。地下は一体、何階まであるのか分かっておらず、最低でも3階以上はあると言われている。まるで蟻の巣のように、炭坑のように細い道が永遠に続く空間も存在する。それらは外見上判断しにくく、自分がどこを通ったのか、分からなくなって迷うということが多く起きている。
もしこの迷宮の中で迷ったのだとしたら、結末は二つに絞られる。簡単だ、地上を見つけ逃げ延びることが出来るか、餓死かモンスターに食われるかして死ぬかの二択だ。
また、地下空間は地上とはモンスターの生態系が大きく異なっており、熟練のテイカーでも奇襲を仕掛けられれば容易に殺される。壁に擬態したり、通路を塞いで捕食場所に獲物を誘導したりと、そんなモンスターで溢れている。
果たして、ここで地上に出る方法を模索するのと。地下空間を歩き、外を目指すの。どちらの方が生き延びられる確率が高いのか。
レイは歩きながら考える。その際に落下すると共に落ちてきた、ショーケースの中に飾られていた商品を7点ほど回収する。こうして高価な遺物を拾っておくと、生きて帰った時の楽しみが増す。ある意味での精神安定剤として、レイは遺物をバックパックの中に収めた。
そして瓦礫の中を歩く中で、色々と考えた末にレイは地下空間を通って地上に出る選択をした。ここら一帯は商業地跡の地下空間であり、店舗などが立ち並んでいる場所がある。当然、付近には案内板などもあり、それを見て帰ることが出来るかもしれない。
入り組んではいるだろうが、居住区があると言われている地下二階、未探索領域の地下三階よりかは、まだマシだ。地下三階は坑道のように細い道が続き、物資輸送用のレールが引かれているだとか、機密性の高い情報を扱っていただとかの予想が飛び交っているが、その真偽は不明だ。なにせ、地下空間は商業地跡の下だけでなく、クルメガという都市全体の地下に張り巡らされている。
その中には都市の管理人しか入れないような場所もあり、その全貌は完全には分かっていない。
「取り合えず行くか」
日が落ちるまでそう時間はない。遺跡において夜になるということは死を意味する。生きて帰れる可能性は半分以下になるだろう。できればそれまでに地上へと上がり、クルガオカ都市にまで帰りたいところ。
そのためには、ここで無駄に悩んでいる時間など無く、レイは急ぎ足で適当な扉へと向かった。
◆
レイは扉を開けてからしばらくの間歩いた。炭坑のように細長い道が永遠と続いているような場所ではなく、周りに店舗が立ち並ぶ空間だ。店舗内に入って、中の商品を見る限り、ここにはいつかは分からないがテイカーがやってきたようであり、選ばれた後のように棚に並んだ商品の幾つかが無くなっていた。
テイカーが前に来ている。ということは入ってこれるだけの入口があり、そして半日ほどで帰ることが出来る距離だということ。テイカーは遺跡に長居しない。だから地下区画の探索も半日ほどで切り上げるのがほとんどだ。そしてここにテイカーが来た痕跡があるのならば、レイは最低、半日でここから脱出することが出来る計算になる。
ただこれはすべてが上手く行った場合の時。あくまでも――テイカーがここに来ていたという――仮定に――そのテイカーはあまり深くは入らなかったため、ここから出口までは最長でも半日ほどという――仮定を積み上げて出来た予想に過ぎない。
どうなるかはレイには分からない。
(さすがに遺物はいいか)
店舗にはまだ数多くの遺物が残っている。しかし今はそれらを見て、吟味して、選ぶという時間はない。少しでも早く地上へ、というのが優先目標だ。
「……一か月、いやもっと前か」
床に残る足跡と、付近に降り積もった埃。そして足跡に降り積もった埃から大体、どのくらい前にテイカーが来たのかを割り出す。ただ、遺跡内は埃が出ない場所や、出にくい場所、勝手に掃除される場所があるので不確定だ。もしかしたらもっと前に来ていたのかもしれない。
足跡、除けられた障害物、戦闘の痕跡などからレイはテイカーが来た道を戻っていく。
その足取りは順調とは言えないものの、当初想定していたスピードよりかは速かった。
「…………」
痕跡を辿って歩いていたレイが立ち止まる。
「……いいのか」
痕跡は、足跡はさらに地下へと続いていた。地下商業地跡の横道に入ったところにある階段、それの前にレイは立っていた。
これ以上地下へと潜るのは避けたい。さらに複雑怪奇な空間が広がっている可能性があるからだ。出来れば地上へと、向かって歩きたい。この地下への入口が遠回りに思える、近道である可能性もある。しかし同時に地下へと誘う地獄の門であるという保証もない。何より、今気が付いたが、この足跡がテイカーである保証などどこにもないのだ。
もしかしたらこの地下で今も稼働する機械人形の足跡なのかもしれない。テイカーではないのならば、どれだけ辿っても入口には着かない可能性もある。
薄暗い間接照明に照らされる、暗く、薄汚れた階段を前にレイは完全に立ち止まった。
通信機器に目を通し、現在時刻を確認する。幸い、通信障害は通じていない。日が落ちるまではあと4から5時間ほど、その内、この階段の下を探索できるのは30分といったところか、それまでで何も得られなかったら道を引き返すしかない。
レイはそう判断して、階段を降りて行った。
◆
階段を降りた先は狭く、薄暗い道が続いていた。足元や頭上に、壁の一枚裏を挟んだところに間接照明がつけられて、薄く照らしている。どこまでも続くかのように見える一本の道。ところどころに血が付着していた。もうシミのようになってしまっていて、かなり昔のものだと分かるが、少なくともここで誰かが怪我をするようなことが起きたということだ。
それがモンスターなのか人なのか、全く持って不明だがこの一本の道に怪我をするような突起は見られないし、やはり戦闘をした跡のようだ。
「…………」
レイが無言で壁を見る。薄暗く、どこまでも続く細い道には、その両脇には分厚い扉がついていた。しばらく歩いたところで、突然現れだしたこの扉は道の両脇に、一定の間隔で並んでいる。
店ではないのだろう。
地下二階は居住区になっている、という話はある。この扉には覗き穴がついているため、レイは気になって覗いてみる。一応、危険に配慮しながら。
扉の奥は、あまり広く無くただただ黒い部屋だった。それは独房を思わせる、そんな光景でもあった。居住区と言われているが、もしかしたら別の意味があるのではないだろうかと、そう勘ぐってしまうぐらいには閉鎖的な空間だ。
「………まあいいか」
だが扉の奥の光景についていくら考察しようが意味がないことは確かであり、レイはすぐに、また歩き出す。
音のしない、静寂に包まれた地下通路をレイの歩く音だけが響く。そしてまた、しばらく歩いたところで足音が止まった。レイの目の前には十字路が見えていた。これまで進んできた道を真っすぐ行くか、それとも右か左かに曲がるか。その選択を迫られている。
「…………ちっ」
足跡はほぼ見えなくなっている。一体どう進んだのか全くの不明だ。それどころか《《別の痕跡》》もある。それは人間の足跡ではない。別の例えばハウンドドックのようなモンスターの足跡だ。この十字路は左から右にかけて、最近なにか移動したのか埃が全くと言っていいほど被っていなかった。
「………はぁ」
右に曲がるのも、左に曲がるのも何か嫌な予感がした。
レイはそのまま、真っすぐに進む。するとすぐに変化は現れた。また両脇には扉が並んでいて、《《それは壊されていた》》。ねじ切られていたり、叩きつけられた後のように穴が空いていた。ここには何かいる、それを感じさせるには十分だった。
だが同時に、進めば進むほど照明が強くなっている。この地下空間に入った時も最初は照明が強かった。それから段々に弱くなっていった。つまり、出口に近づいている可能性がある。
レイは心なしか安心して、バックパックを背負い直す。するとその時、バックパックの中から金属音が鳴った。遺物同士がぶつかったためだろう。だがかなり音は大きい、この静寂に包まれた地下空間を割るように、深く響いた。
そして金属音が鳴り終わる。そして次は、呼応するように《《叫び声》》が響きわたった。
あきらかに人間のではない。モンスターの叫び声だった。
そしてその声の主は、あきらかにレイの方向に向かって急速に近づいて来ていた。
「ふざけんなよ」
自らが招いた不運とはいえ、たったこれだけのことで気が付かれるとは思っていなかった。足音でも呟きでも反応は無かった。だがこの金属音にだけ異様な反応を見せてきた。何かがこの地下空間にいることは予測できていたが、まさかこんなことで気が付かれ、場所を捕捉されるとは思ってもいなかった。
レイは吐き捨てながら、真っすぐに出口に向かって走り出した。




