第57話 現実的な証左
経済線と呼ばれている場所がある。文字通り経済圏の境目。西側と中部を分ける最も重要な地域だ。互いの経済圏が衝突しないよう、誰のものでもない空白の地帯が幅2000メートルで帯のような形で大陸を縦に切って分けている。その空白地帯こそが経済線であり、誰であろうと侵入は許されていない。
越境しようとする者が現れた際には、西部と中部、両者の取り決めによって、越境者が身分を置いている方の最上位統治機関が殲滅に当たる。また、越境者が相手側の経済圏に近づいた場合にはその限りではない。
現実的な視点から《《違法》》に越境することは不可能だと言われており、実際に達成できたものは片手で数えられるほどしかいない。だがその数人は類いまれなる実力、装備、人脈を有し、最後は運頼みであった。そのため事例こそあるが、意味を為さないものとされている。
つまりは、経済線を越えるのはほぼ不可能であるということだ。
だが。ただ一つだけ特別12管理区を経ての越境だけが許されている。
特別12管理区は経済線を断ち切るように存在し、西部と中部を繋ぐ唯一の拠点だ。巨大な都市であり、それを半分に区切って西部側と中部側に分けられている。越境の仕方は簡単だ。まずは中部側の管理局から許可を貰い、次に西部側からの許可を貰えばいい。
通過できる可能性は1パーセントにも満たない。というかほぼ不可能だ。
「あれか」
ロベリアと共にバイクから降りて歩くレイの視線の先には、異常なまで巨大な都市があった。マザーシティと同等かそれ以上の規模を誇っている。遠目でも分かるほど、荘厳と言ってもいい光景と圧迫感があった。
「そうだね。この中部で唯一、議会連合が声一つでどうにもできない場所だ」
実際にそうだと、ロベリアが周りを見渡す。これだけ堂々と二人は歩いているのに敵が襲ってくることはない。それもそのはず、PUPDはレイたちが経済線、ひいては特別12管理区に来ることが分かっていながら、場所と状況によって部隊を配置できずにいるからだ。
ここから少し横に逸れれば越境者に対処、殲滅するために等間隔で議会連合傘下の部隊が並べられている。だがここだけがそうでない。中部は西部の感情を考慮し、また西部も中部の感情を考慮し武力も持った部隊の配置は最小限に留められ、また戦闘もほぼ禁じられている。
つまり、レイたちが特別12管理区にいる間は安全という―――わけでも実はない。事故に装った暗殺や西部にバレなければ何してもいい、みたいなことで強引に暗殺部隊が派遣される可能性がある。ただそれでも、PUPDの動きが大幅に制限されるのは確かだ。いくらか対策の余地もある。
「それでレイ。経済線についてからどうしようとしてるんだい? 越境するんだろう?」
「………」
レイが苦虫を嚙み潰したような、そんな表情をして傾げた。
「…? どうしたんだい」
「………いやそれが…」
レイが気まずそうに続ける。
「特に何も考えて無かった…」
「…え?」
「ここまで来るので精いっぱいでそこまで考えられなかった」
考えないようにしていた。越境の方法を考えるのは果てしなく面倒だ。まず中部の管理局から許可を得ないといけない。普通に考えて、犯罪者であるレイにそんなものが降りるはずもなく、正規で越境する方法はすでに詰んでいる。
だから考えたくはなかった。だがいつかは対策を講じなければならない――と考えている内にここまで来てしまった。心のどこかで具体的な策など出ないと、そう決めつけていたからかもしれない。
いずれにしても。
いざこの問題に直面してみると、目を逸らし続けたツケか、予想以上に大きな壁に見える。
「何も考えてなかった…」
この状況にはさすがのロベリアも表情を困惑顔に変える。
「経済線を目指しているのだから、超える手段があるものだとばっかり」
「いや……そうだよな。考えてこなかった俺が悪い。裏のルートで探してみるよ」
「裏って、かなり……というか都市の幹部クラスが五年間ディロを溜めてようやく溜まる金額だよ? 払えないでしょ?昨日の話を聞く限りでは」
「………」
レイが頭を下げて、肩の力を抜いてだらりとした姿勢になる。
「まあ……そのへんはなんとか、なる、か、な?」
「いや、ならないよ。どうしたんだ? 今まで希望的観測なんて一度も言ったことが無かったのに」
「………そう、だな。少し気が抜けてた」
目標が達成された今、次のことを考えるのが面倒になっている――のだろう。自分の気持ちなんて、正確に推し量るのが難しいものだが、そう思っている節があるとレイは感じている。
「で、どうするの。何か思いつくものは?」
「ないな、今のところは」
「だけど、そこまで時間があるわけじゃないでしょ?」
特別12管理区に入ったからと言って、そう長くいられる時間はない。中部が西部に連絡を取り、レイを捕らえる、また殺すための隊員の配置許可を要請するかもしれない。
そして中部としてもレイのようなものは入れたくないはずだ。西部は中部とは基本的に不干渉を貫いているが、もしかしたら、本当に小さな火種だが、西部と中部との関係を悪化せる種にレイがなるかもしれない。だから、許可を出すかもしれない。もしかしたらすでに連絡を取り合っているかもしれない。
そうなった時、もしそうであった場合、レイに残された時間は少ない。
「………」
合法、強行、違法などなど、色々と考えてはみるがよい解決策が思い浮かばない。金の問題、立場の問題、時間の問題、懸念点や問題点はいくらでも浮かび上がってくる。
レイの表情は次第に歪んでいき、ため息が増える。そんなレイに助け船を出すように、あるいは誘うように、ロベリアが提案する。
「もし、本当にもし何も思い浮かばないようだったら。それでいて手段を選んでいられないほどの状況、展望なら、私が経済線を越える手伝いをしてもいいよ」
「え、いいのか」
にわかには信じがたい。いくら反政府主義者といえど、経済線を越える手伝いが出来るほどとは思っていなかったためだ。
「当然。タダでとはいかない。君にはある依頼を受けてもらう」
「………」
ロベリアは立ち止まってレイの方を向く、その後ろでバイクが止まった。
「私がここに来た理由。教えていなかったね」
「ああ確かに」
反政府主義者だとは聞いていた。そしてそれ関連の理由だと推測していたが、その内容までは聞いていなかった。
「私はこれから、ちょうど四日後。議会連合の支局ビルを潰しに行く」
「は……」
「比喩じゃない。言葉通りの意味だ。私は、私が持つ個人的な理由で支局ビルを叩く。ついて来る仲間もいるが、そいつらは各自で違う目的があって参加する。議会連合に反逆する者、ただ現体制を壊したいだけの者、混乱を呼びたい者、人を殺したいだけの者。あくまでも自己責任。そして単独行動。だが作戦はある、レイ覚えているかい?」
「…な、何をだ」
「…『神墜とし』だよ」
「あ、ああ。それがどうかしたのか」
「本来の出力の五割。少し前、それが達成された」
「だから、作戦を実行に移すのか…?」
「正解。私はその実働部隊さ」
「どうやって」
「簡単さ。近場で『神墜とし』の照準を定め引き金を引く――――で終わればよかったんだけどね」
「………」
「そうもいかないんだ。支局とは言っても、議会連合のビル。設備は硬い。反重力機構やEMP対策。ありとあらゆる状況、現象に対応できるように作られている。だが完璧じゃない。すべてを司る中央コンピューターと動力部。それを潰せばそれらの機能は停止する。よって、『神墜とし』が機能するようになる」
「………実働部隊って」
「そう。私が支局ビルに殴り込みに行くってこと。そして中央コンピューター、動力部を破壊する」
「じゃあ『神墜とし』は」
「撃つのは私じゃない。今回の作戦にかかる費用のすべてを負担したエレイン隊が行う」
「エレイン隊……?」
「言っただろう?反政府主義者には色々いるって。私みたいな私怨で動く奴もいるし、快楽のために動く奴もいる、そして確固たる意志を持ち組織を作って歯向かう奴らもいる。エレイン隊ってのはその中でも一番大きな部隊だ」
「……は、じゃあロベリアの役回りは…」
「そう。ハズレくじだ。だがそれでいいんだ。元より、私が反政府主義者なったのは議会連合に対して恨みがあるとか、使命があるとか、そんな大層な理由じゃない。たった一人に対しての私怨。そして、そいつが四日後、支局ビルを訪れる。生きて帰ってこれる、だなんて都合のいいことは考えていない。共に地獄まで落ちる覚悟だ」
「………」
レイは唖然として言葉を失う。
「ああ、大丈夫。君がもし依頼を受けたのなら、ちゃんと西部まで送り届けると約束しよう」
「……いやそんなことより」
「違う。これは大事なことだ。もし君がこの依頼を引き受けるというのなら、レイは私と同じように支局ビルへと向かうことになる。それが条件だからだ。死ぬ覚悟なんて生易しいものじゃない。死んでもやり遂げる、そんな覚悟がこの依頼には求められる。故に報酬は正確に、完璧に、過不足なく払われなければならないんだよ」
「………そ、そもそもどうやって経済線を越えるんだ。エレイン隊にでも頼むのか」
「違うよ。まあ部分的には合ってる。エレイン隊に出資している人がいるんだ。名前も顔も背格好すら、何も分からない。エレイン隊ですら。その人に融通を効かせてもらう」
「そんなことできるのか」
話を聞く限り、ロベリアの立場は悪くもないが、良くもないのだろう。話しぶりからして今回の襲撃でロベリアが実働部隊になる必要はなかった。そもそも反政府主義者という括りの中に入れられているだけで、協力する理由なんて一つもなかった。一匹狼のような、そんな立場。だからなぜ、そんな出資者と関わりがあるのか、現状で揃っている情報だけでは理解できないものだった。
「それはまあ……少し長くなるかな。だけど話ぐらいは聞いてくれるはず。もし君が受けるというのなら、一応、聞いてみるよ」
ロベリアはレイを試すように小さく口の端を吊り上げる。
「どうする、レイ。すべては君次第。ただ、選択に迷う時間はあまり残されていないよ」
レイは曇天の空を見上げ、小さく息を吐いた。腰に手を当てて、逡巡する。雲が空を流れていき、空模様も変わった。時間が流れる。レイは悩み、考える。天秤は傾いている。あとは切り出すだけだ。
「………ロベリア」
「なんだい」
「確か四日後、だったよな」
「ふふ。そうだね」
「はあ」
「………」
「引き受ける。今の俺にはそれしか方法がない」
「はっは。いいのかい。君は今から、議会連合を相手にすることになる。敵は強大だよ」
「もとより敵対してる」
「ふ、それもそうだったね」
「………」
ロベリアがいつの間にか後ろで組んでいた手をほどいて、前に出す。
「じゃあ改めてよろしく、レイ」
「ああこちらこそ、ロベリア」
互いに手を握り返す。さいごの結果に向かって。




