第366話 エピローグ
レイブンとの話し合いを終えたレイは一人でマザーシティを歩いていた。最後の戦いから五日が経過し、戦いの傷も癒えて来た頃。ハカマダやイースは今、二人で西部に戻っている。
レイは取り残された形になるわけだが、これでも一応、すでにイナバやミケには生存報告をしている。あとしていないのはマザーシティにいる仲間ぐらいなものだろう。
マザーシティにいる仲間というとエレノアやミラ、ヨシュアがいる。戦いが終わり復興が進むこの都市で、変わっていくこの都市でその人物はレイの帰りを待っている。
ただの人として、ただの店員として客であるレイの帰りを待っている。
前と同じように変な遠回りをしてみる。
戦いにつぎ込まれていた資金や資源は今、復興や開発のために使われている。リリテックアカデミーやその他の研究機関なども活動を再開し、戦争の為にいなくなっていた屋台の人だってちらほらと戻り始めている。
レイが良く利用していた店はやっておらず、窪んだ地面が残るばかりではあったが、哀愁と共にどこか嬉しさのようなものを覚えた。前とは違い、その光景を見て不安にはならず、未来を案じることも無い。
今のレイはテイカーとしてでもなく、世界を命運を握った戦士でもなく、マザーシティで恐れられていた腕利きの傭兵でもなく、リリテックアカデミーの成績優秀者でもない。
ただ、スラムで生まれ育った一人の男としてマザーシティを歩いている。
学生の頃はあれだけ黒ずんでいた景色も今は晴れている。壁に見えるシミや落書きを見ても暗い気持ちにはならない。地面に溜まった黒い水。すべてが懐かしく、あの時の状況を思い返すと今でもふさぎ込んでしまいそうなほどの逆境に満ちていたが、今はすべてを乗り越えてここにいる。
ここに立てている。
すべてのしがらみが消え、何もない状態。
これからまた遺跡と特別災害指定個体を始末するために動く日々が始まる。つかの間の休暇。
しかし生まれて来てから感じていたスラム生まれという負い目、何処まで行っても成り上がることのできない環境。そして西部に上がってからは中部で失った者の悲しみやテイカーとして生きる苦悩。
すべてに悩まされ。
すべてに打ち勝った。
だからこそ、レイは今、何にも縛られない状態でマザーシティに帰って来ることができた。
ここからはまた始まる日々。
すべてを終わらせた昨日と、すべてをまた一から始める今日。テイカーとしての日々は終わり、《《ロストテイカー》》としてまた歩み始める。
「……」
気がつくとマザーシティの中心にある電波塔の元まで来ていた。少しだけにぎわう入口の前でレイは一度息を吐いて、立ち止まる。心の準備をしてから入口を潜り抜けた。
少しだけ歩く速度を緩めて、しかし一直線に喫茶店へと向かう。
すぐにたどり着く。
店内に飾り付けられた観賞用の草花を越えるとすぐ。一番最初に見えたのはちょうど接客を終えたばかりのロベリアの姿だった。そしてレイが店の中に入るとロベリアはレイに向かって笑いかけ、席へと案内する。
「あ、《《レイさん》》。今ご案内足しますね」
なぜ名前を知っているのか。名乗った覚えは無い。現実的に考えてミラかヨシュアが教えたのだろう。
不思議な感覚だ。
名前で呼ばれていた昔を思い出す。
今でもまだ鮮明に思い出すことができる美しい記憶。誰よりも縋った記憶。
しかしもう追いかけない。
今日ここに来たのはあくまでも生きて帰ったら報告をして欲しいと言われていたから。
それ以上でもそれ以下でもない。
記憶喪失は戻らない。戻って欲しいと願う気持ちもまた否定することはできない。
ただ、その僅かな可能性に縋って何度も来てしまうのは迷惑だ。
だからもう、これを最後に来ない。
一度も、これから先百年以上続くレイの人生で一度も訪れることは無い。
最後だ。
レイはメニューを無駄に眺め、そして10秒ほど吟味すると閉じた。
「どういたしますか」
そう問いかけるロベリアにレイは僅かに微笑みながら答えた。
「アイスコーヒーを一つ」
◆
別の世界から引き継がれた因縁は何百年という時を経て力尽きた。その終わりはあっけないかものでたった一夜の戦闘で雌雄が決した。
それはこの世界に生きる者のほとんどが知らない戦い。しかし世界に与えた影響は大きかった。クラウディアの消失。中部に治世が訪れ、東部は帝国の崩壊をきっかけに乱世が訪れる。幾つもの国が建国され、消えてはまた増えるを繰り返す。また、復興のために反政府主義者たちも助けに入ることはできず動乱は長く続いた。
何百年と続いたその動乱だが、長い時間が経てばある程度の収まりも見せる。
戦いはゆっくりと終息を見せ始め世界は平穏を取り戻そうとしていた。
しかし安定に見える世界にただ一つ、遺跡という混乱の芽が潜んでいることも事実だった。遺跡の持つ価値、資源は高く、それを巡って争いが起きてもおかしくはない。事実、小規模な争いは引き起こされていた。それが大きな火種となる可能性は否定しきれず、世界はまだ争いを呼んでいた。
ただ、ここ何百年かで遺跡の数は減少傾向にある。まず東部の遺跡が全て消失し、中部の遺跡も無くなった。天空要塞も地下都市、海底都市もすべて、一つも残すことは無く消え失せた。
東部や中部では遺跡が無いのが当たり前、モンスターがいないのが当たり前の生活になっている。
しかし西部では依然として数多くの遺跡が残り、モンスターの脅威は残り続けている。それでいてテイカーといった遺跡探索によって生計を立てる者達も数多く残っていた。
社会格差は変わらず、今も昔も貧困層が取れる逆転の手段はテイカーになることしかない。
今日もまた一人の少年がテイカーとなり整備状態の怪しい拳銃だけを握り締めて遺跡に向かおうとしていた。強く照り付ける太陽の光に身を焼かれながら遺跡へと向かう。
その足取りは恐れや不安はあるものの、それと同じく今の状況から抜け出して逆転する未来を思い描いているからか楽しさも含まれていた。どこか楽観的に捉えていた。
しかし突然に、少年の楽しい未来なんてものはすぐに消え失せる。
それは遺跡に辿り着く、というスタートラインに立つ以前のこと。荒野を移動中にハウンドドックに立ち会ってしまった。荒野では身を隠す場所は無く、また逃げられない。
少年はボロボロの拳銃をハウンドドックに向かって撃ち込むが一切のダメージを与えることができない。眼球に撃ち込み脳髄を破壊すれば殺せただろう。しかし照準を合わせることでさえ拙い少年がそんなことを考え付くことも、実行することもできるはずが無かった。
接近するハウンドドックに対して少年は何も出来ず押し倒されると共に拳銃が手から離れ、遥か遠くへと飛んでいく。その際に腕を牙で貫かれ、皮膚が破れ肉が千切れた。
覆いかぶさられた少年は何も出来ず、大きく開いたその口に食べられるのみ。そう死を覚悟した瞬間、上に乗っていたハウンドドックの頭部を何者かが掴んで持ち上げる。
そして暴れるハウンドドックに対してどこにでも売っているような拳銃を向けた。眼球に向かって放たれた弾丸は一切の狂い無くハウンドドックの脳を破壊する。頭蓋骨の中で弾丸が跳弾し、一瞬にしてハウンドドックは絶命すると、その男はハウンドドックから手を離し少年を見た。
「大丈夫だったか」
「は、はい」
少年は差し伸べられた手を掴みどうにか立ち上がる。その際に男の顔を見たが、全身に羽織った外套のせいで見えなかった。
「あ、ありがとうございます。あなたは」
男はハウンドドックの死体を見下ろし、少年に背中を向けたまま答えた。
「……名など、知らなくてもいい。どうせ覚えてはいられない」
この何百年で男の名を知るものはいなくなった。かつて共に戦った戦友は寿命で死に絶え、テイカーとして頂点に立った女性はつい数十年前に老死した。生きているのは統括管理人格と男ぐらいなもの。残されたのは今羽織っている外套ぐらいなものだ。
ただその状態であっても、その声に哀愁は無い。
だからこそ少年は声を絞り出せた。
「だったら私が覚えています! 恩人の名前を!」
男が振り向く。依然として逆光でその顔は見えないものの僅かに笑ったような気がした。
「レイだ」
男――レイはそう短く答える。
そしてレイはしゃがみ込み少年と視線を合わせた。
「君はテイカーか」
「はい……」
「その選択を否定はしない。しかし君には……」
レイはそこで言葉を詰まらせ、軽く笑うと拳銃を差し出す。
「好きにするといい。君の人生だ」
レイは使い古された、しかし整備の行き届いた拳銃を少年の手に握らせる。
「後は君に託す」
その言葉の意味を聞こうと少年が拳銃から目を離して目の前を見た時にはすでに、レイの姿はなかった。
まるで最初から何もなかったかのように、痕跡の一つすら残さず。
一人残された少年はただ茫然とするばかり。
何かに気がつき、何かを学んだ。それは必要なこと。少年を少年たらしめる発想と形。
少年は後に《《マーセラフィム・ワルスキャナ》》と呼ばれる一人の開拓者である。




