第353話 ホットコーヒーを一つ
マザーシティに今、人はほぼ住んでいない。当然だ、敵との前線基地。いつ殺されるか分かったものではない。しかしそれでもマザーシティが故郷だと、逃げるぐらいならばマザーシティと共に死ぬと、そう思っている者も少なくはない。
物資の補給は少ないながらも店を経営しているものがいるし、喫茶店を経営している者もいる。幸いにも反政府主義者や都市に残っている人達のおかげで客の出入りはある。
それに戦争に使われている兵器を運び込む運送屋やマザーシティで組み立てる技術屋。
マザーシティの様子は昔と変わってしまったけれど、それでもまだ営みを残していた。
忙しなく動く人々。路地裏で転がる者。銃声はもう、あまり聞こえないけれど確かに昔の名残を残していた。当時のレイではたどり着けなかった都市の中心部。今も入るには許可がいるが、エレノアと面識のあるレイが断られるわけもない。
壁の汚れ。舗装されていない地面に溜まる油の浮いた泥水。銃声。倒れる負傷者。争い、殺し合うスラムの人々。ゴミが積み上がった大規模スラム。日々モンスターの襲撃を受けていた壁。
喧噪の中。騒がしく、危険で、醜い場所。常に異臭が漂い、足の踏み場もないほどにゴミが散乱していた。
懐かしい風景。
レイは朝日に照らされるマザーシティの街並みを歩きながらに思い出す。
浮浪者と喧嘩した場所。殺し合った場所。アリアファミリアと戦う原因となった構成員を殺した場所。アリアファミリアの拠点。今はもう誰も済んでおらず、完全に廃墟とかしたポテンタワー。
リリテックアカデミーの敷地。今はもう取り壊され軍事施設として稼働している。
よく朝ごはんを買っていた屋台はもう無い。しかしずっと同じ場所で営業していたせいか、いつも屋台のあった場所の地面は重さからか僅かに凹み、落ちた調味料のせいで僅かに黒ずんでいる。
昔の情景を色濃く残していた。
都市を練り歩き、ぐるりと一周。
外周部はレイの活動圏だった。すべてを知っていて、すべてを記憶していた。西部に行っていた中で変わったもの、変わらなかったもの。これですべて、見終えた。すでに時刻は昼を過ぎていた。
すべてを見終わり、レイはマザーシティの中心部に向けて足を進ませる。
昔までは入れなかったゲートを突破し、今度は閑静な街並みが広がる。地面は舗装されているし、ゴミもない。別の場所に来ているかのようだった。しかし、思いのほか感動は薄かった。きっと西部で同じような光景を見て、この場所に辿り着いてしまったからだろう。もし中部にいた頃の自分がこの光景を見たならば年相応に胸を躍らせていただろう。
夢だったのだ。
都市の中心にある電波塔へと入り、その最上階からマザーシティを見渡すことが。
すでに叶わなくなった願い――だと思っていた。まさかこんなところで叶える機会ができるとは思ってもいなかった。随分と長い回り道。まさか西部にまで行ってテイカーになって、死にかけたり、様々な人に会ったり、企業と対立したり、テイカーと殺し合ったり。
思えば出来事はそう多くない。
しかし濃密な期間だった。
それに思い返してみればそう時間は経っていない。正攻法で行けば、リリテックアカデミーを卒業し、議会連合に入り、マザーシティの重役となるまでに何年の月日を必要としただろうか。
随分と長い回り道。遠回りだった。しかし案外、近道だったようだ。
喧噪も無い、異臭もしない。少し面白味に欠ける街並みを歩き、もう終着点。
レイは電波塔の元までたどり着いた。
辿り着きたくなくてなぜかもう夕方だ。
おかしい。
さっきまで朝で、都市の中心に入ったのは昼だ。なのにもう夕方。隅々まで見ようと思ってはいなかったが、どうやら遠回りばかりしてしまったらしい。予想よりも大分遅れてしまった。
電波塔の一階は職員用の休憩スペースになっている。中には様々な飲食店があり、その一つに喫茶店がある。
レイは電波塔の中へと入ろうとする。そこで、たまたま電波塔から出てこようとした者とすれ違った。
「れ、レイ」
名前を呼ばれ立ち止まる。
振り向いて声の主を見た。
「やっぱり……れ、レイだよね」
驚くその顔。懐かしさを覚える。
「ああ。久しぶり、ヨシュア」
「レイ……生きてたの……嘘じゃないよね」
ヨシュア。共に議会連合の支局ビルを襲撃した仲間の一人。支局ビルでモーグ・モーチガルドの攻撃を受けて戦線離脱していた。レイは彼が生きていることは知っていた。
しかしヨシュアはレイが生きていることを聞かされてはいなかっただろう。
きっと支局ビルで死んだと思っていた。あるいは、亡霊の手によってどこかに連れ去られてしまったと思っていただろう。何年も戻ってこなかったのだ。死んだと思っても不思議ではない。
「み、ミラも呼んでこないと」
ヨシュアがそうはしゃぐ。
今、ヨシュアは電波塔内の喫茶店で働いている。共に『神墜とし』を設計図から作り上げたミラもいる。
ヨシュアは体の向きを変えて電波塔の中にレイと共に入る。
「生きてるならもっと早めに言ってくれてもよかったんじゃない」
「すまん。ちょっと忙しくてな」
「まあ、事情があったのは分かるよ」
電波塔内はあまり広く無いため一言二言会話を交わせば喫茶店に辿り着く。だがその前にヨシュアは一つの事実に気がつき、レイの前に立って静止した。
「れ、レイに言わなくちゃいけないことがあって」
「もう知ってる」
「え……」
「全部、聞かされてるから」
「でも……だってもう」
「ただの客だよ。一杯注文したら帰るさ」
「いいの、それで」
「こっち側にいるべきじゃない。それにあっちはやりたいこともやり終えられた。もう俺が関わっていい人じゃない」
「そんなの」
「いいんだ」
ヨシュアの脇を通り抜け、レイが喫茶店の中を見た。
そこには従業員として働く《《ロベリア》》の姿があった。
まだレイの姿には気がついてないようでテーブルの掃除をしている。だがレイが店舗の中に入ると客と思ってレイの方に視線を向けた。
僅かに視線があったまま時間が止まった。
そして先にその均衡を破ったのはロベリアだった。
「こちら席をご利用ください」
「ああ。ありがとう」
記憶喪失。いや、違う。丸ごと記憶が無い。
ロベリアは支局ビルでの戦いの後、亡霊の治療を受けた。しかし脳に酷い損傷を受けており、この世界の医療技術では完治させることができないかった。こうして生きて、満足に動くことができていること自体奇跡なのだ。
記憶を失っても。それ以上を求めるのは酷というものだ。
「ご注文お伺いします」
にこにこと笑っているロベリア。レイはそれを見た息を吐いて、一度目を閉じ。そして僅かに口角を上げた。
「ホットコーヒーを一つ」




