間話1 エルヴィン視点「秩序と調和の狭間で」
とある貴族の少年の話
エルヴィン視点
王立魔法学校への入学が決まった時、エルヴィン・ゲルプ・フォルケはそれを当然のこととして受け止めていた。
黄竜を祖とするゲルプ一族は、法律と経済を司る名門中の名門。誇り高き血筋に生まれた僕にとって、この道は約束された未来そのものだった。陽の光を浴びて輝く僕の濃い黄色の髪は、優れた魔力の証。生まれながらにして、その地位は保証されているのだ。
『この学校でも、当然僕がクラスの中心になるだろう』
そんな揺るぎない確信を抱いて、壮麗な講堂の扉をくぐった。しかし、入学式の会場で僕が目の当たりにしたのは、想像をはるかに超える光景だった。
新入生代表として壇上に立った、キオ・シュバルツ・ネビウス。その姿を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
磨き上げられた黒曜石のように艶やかな黒髪は、まるで夜空の深淵を映しているかのよう。神々の寵愛を受けた芸術家が、魂のすべてを注いで作り上げた彫像のごとき美貌。その存在そのものが、最高の魔力と最高の血統を雄弁に物語っていた。
『さすがは、黒竜のシュバルツ一族…』
僕は知らず知らずのうちに、感嘆の息を漏らしていた。だが、彼の口から紡がれた挨拶は、僕の予想を鮮やかに裏切るものだった。
「僕の目標は、楽しい学校生活を送ることです」
『楽しい学校生活…?あのシュバルツ一族の人間が、そのようなことを…』
厳粛であるべき新入生代表の挨拶で、まさかそんな、ごく普通の子供のような言葉が飛び出すとは。僕は困惑しつつも、その意外な言葉にどこか親しみやすさを感じている自分に気づき、内心で首を振った。
「家柄に関係なく、一人の学生として、どうぞよろしくお願いします」
その言葉が終わると、静まり返っていた会場は温かい拍手に包まれた。僕も周りの空気に流されるように手を叩きながら、胸の内には複雑な感情が渦巻いていた。
『家柄に関係なく、か…。しかし、物事には秩序というものがあるはずだ』
翌日の授業が始まる前、僕は他の貴族たちと共にキオの席へと向かった。貴族同士が結束し、互いの利益を図るのはごく自然な流れだ。それが僕たちの世界の常識だった。
「ネビウス卿、僕はエルヴィン・ゲルプ・フォルケです」
丁寧に、そして礼儀を尽くして自己紹介をすると、キオは穏やかな笑みで応じてくれた。
施設見学の時間も、昼食の時も、キオは確かに貴族としての礼節を完璧に守っていた。だが、その完璧さが、かえって僕に言いようのない違和感を抱かせた。まるで、美しい仮面を一枚隔てて話しているような、そんな距離を感じるのだ。
『もしかして、僕たちとの会話を退屈に感じているのだろうか…?』
王族であるオーウェン殿下とはごく自然に言葉を交わしているように見えるのに、僕たちに向ける表情はどこか形式的だ。焦りのような感情が、胸の奥でじりじりと燻り始める。
『ゲルプとシュバルツは、古くから友好な関係を築いてきたはず。なのに、どうして…』
休み時間、磨かれた石造りの廊下で他の貴族がひそひそと交わす話に、僕は耳を疑った。キオがわざわざ平民の生徒が固まっている席まで歩いていき、一人の少女に話しかけたというのだ。
『え…?彼が、一体何を…?』
その話を聞いた僕の周りの貴族たちも、「まさか」「ありえない」とざわめいている。
あのシュバルツ一族の人間が、自ら平民に声をかけるなど前代未聞のことだった。
さらに驚くべきことに、その後、オーウェン殿下までその輪に加わり、和やかに談笑していたらしい。
『理解できない…。なぜ、あのようなことを…』
僕の頭は混乱していた。貴族としての常識では到底考えられない行動だ。確かにこの学校は「身分に関係なく平等」という理想を掲げているが、それはあくまで建前。現実には、見えない境界線によって自然とそれぞれの身分ごとに交友関係が築かれていくのが普通のはずだ。
『もしかして、シュバルツ一族には僕の知らない家の方針でもあるのだろうか?』
しかし、そんな話は聞いたことがない。
むしろシュバルツ一族は、格式と伝統を何よりも重んじる名門中の名門ではなかったか。
植物魔法の授業で、僕はキオが僕たちとは全く違う視点と、圧倒的な実力を持っていることを痛感させられた。植物に「声をかける」ことが重要だという彼の考えは、僕には思いもよらないものだったが、その結果として彼の周りには瑞々しく、美しい花々が咲き誇っている。
『やはり、ただ者ではない…』
その後のグループディスカッションでオーウェン殿下が発表した内容も素晴らしかった。キオの革新的な考え方と、王族として培われた実践的な経験が見事に融合した、非常に質の高いものだ。
その時ふと、教室の反対側から視線を感じた。目を向けると、あのグレーの髪の平民の少女が、身を乗り出すようにしてキオたちの発表に聞き入っていた。
『昨日、彼が話しかけていた少女か…。一体、どんな関係なのだろう?』
休み時間になると、僕は意を決してキオに声をかけた。
「ネビウス卿。先ほどの魔法に対する考え方、とても勉強になりました」
「ありがとう、フォルケ卿」
返ってきたのは、やはり丁寧だが、どこか一線を引いたような言葉だった。
なぜなんだ。僕の何が、彼にそうさせるんだ?
数日後、廊下で耳にした噂は、僕の心をさらにかき乱した。キオが、あの平民たちと勉強会を開くらしい。
しかも、オーウェン殿下も参加するというではないか。
『なぜ…!なぜ僕たちには声をかけてくださらないんだ!』
ゲルプ一族は、シュバルツ一族に次ぐ地位にある名門だ。このような学習の機会には、当然のように声がかかるものだと信じて疑わなかった。
ある日の放課後、課題のために訪れた図書館の静寂の中で、僕はその光景を目にしてしまった。高い天井まで届く書架の奥、窓から差し込む夕日を浴びて、五人が楽しそうに笑い合っている。その中には、キオとオーウェン殿下、そしてあの平民の少女たちがいた。僕の胸に、ちくりと痛むような複雑な感情が広がった。
『彼女たちに、僕たちにない何があるというのだ…?』
平民でありながら、黒竜の一族と王族から親しくされている。僕の知る世界の秩序が、目の前で音を立てて崩れていくようだった。
『もしかして、僕が気づいていないだけで…彼女たちには、何か特別な魅力があるのだろうか?』
僕は他の貴族たちと共に、改めてキオたちに近づこうと試みた。昼食で賑わう食堂で、オーウェン殿下と談笑している二人のテーブルを見つける。
「リンドール殿下、ネビウス卿、こんにちは」
声をかけると、二人は確かに応じてくれた。
しかし、交わされる会話は当たり障りのないもので、僕が望むような親密さにはほど遠い。焦りから、僕は口にしてはならない言葉を口走ってしまった。
「ありがとうございます。いやー…僕も彼女たちが羨ましいです。お二人とお話しする機会が多くて」
僕の視線の先、平民の少女たちが座るテーブルに気づいた瞬間、キオの周りの空気がすっと変わったのを感じた。
「僕らはクラスメイトだし、席が近いからね。自然と話す機会が多いだけだよ。それに、みんな良い人たちだ」
その声はにこやかだったが、その奥に潜む冷ややかな響きに、僕は気づかないふりをすることができなかった。慌てて言葉を返す。
「も、もちろんです…!失礼いたしました」
背中を流れる汗が、これほど冷たいと感じたことはなかった。
『なぜだ?我がゲルプ一族に、何か問題があるとでも言うのか?』
焦燥感が僕の心を蝕んでいく。
このままでは、シュバルツ一族との繋がりを築くという、家に課せられた重要な意味さえも失ってしまう。
音楽の授業で、異国の少女カリナが披露した歌声は、講堂の空気を震わせた。
それはまるで、天上の調べ。
『なんて、美しい歌声なんだ…』
その圧倒的な才能に胸を打たれながらも、僕の心はキシキシと軋むような痛みを覚えていた。
そして、魔法史のグループワークで、その軋みはさらに増していく。教室の向こう側で盛り上がっている彼らの楽しげな声。そして、堂々と素晴らしい内容を発表する平民の二人の姿。
僕は、ただ複雑な気持ちで彼らを見つめていた。
『羨ましい…』
心の底から、ただ純粋にそう思った。
この感情が、彼女たち個人に向けられたものなのか、それとも彼らが作り出すあの温かい世界そのものへの憧れなのかは分からない。でも、貴族の地位や家柄ではない、あの光景そのものが、キオを惹きつけているのかもしれない。
『僕は…僕には、何がある?』
ゲルプ一族の一員として、法律や経済の知識は誰にも負けない。魔力だって申し分ないはずだ。しかし、キオが求めているのは、どうやらそういうものではないらしい。
答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回り続けるだけだった。
これまでの出来事を静かに振り返り、僕は自分の中で何かが変わり始めていることに気づいていた。
貴族としての誇りは、今もある。ゲルプの一員として、相応の敬意を払われるべきだという気持ちも消えてはいない。
しかし、キオや、彼と共にいる少女たちの姿は、僕に新しい価値観の存在を突きつけてきた。
『家柄や地位だけではない、何か別の、人間としての魅力…』
それが何なのか、まだはっきりとは分からない。でも、少なくとも今までの僕の考え方だけでは、彼らのいる場所にはたどり着けないことだけは確かだった。
『もしかして、ネビウス卿は、これからの時代の新しい貴族の在り方を示そうとしているのだろうか…?』
午後の授業が終わり、夕暮れの光が差し込む廊下で、僕は遠ざかっていくキオの後ろ姿を見送った。まだ、彼との距離は遠い。だが、いつか必ず、彼と肩を並べてみせる。
それは、今までのような貴族同士の形式的な繋がりではない。もっと本質的な何かで結ばれた、真の友人として。
『僕も、見つけなければ。僕だけの特別な何かを…』
そんな決意を胸に、エルヴィン・ゲルプ・フォルケは、新たな一歩を踏み出そうとしていた。
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