第31話「聖女と人見知り」
キオとルイが商店街をぶらついてから四日。
木曜日の午後は、最後の授業の魔法史が重苦しい空気のまま終わった。原因は、思いのほか大量に出された宿題だ。
「うわあ、レポート二つも……」
教室を出るなり、カリナが手にした羊皮紙をひらひらさせながら、深いため息をついた。
その周りを、小さな火の玉みたいな精霊、メラメラちゃんが「頑張れ!」とでも言うように元気よく飛び回る。
ぱちぱちと火花を散らしてくるくる回る姿に、カリナはますます眉を下げた。
「うん……でも、週末までだから時間はちゃんとあるよ」
セドリックが前向きに励ます。
彼の肩では、フェネックの姿をした雷の精霊コロネが、大きな耳をぴくぴくと動かしている。淡い黄色の体毛が、時折ぱちぱちと静電気を帯びてきらめいた。
「私、図書館で資料を探してこようかな」
ルイが提案すると、その後ろで小さな炎の精霊フレアと水滴みたいなトロプが、パタパタと空中戦を繰り広げている。
「フレア、トロプ、また喧嘩してるの? 図書館に行くんだから、静かにしてね」
ルイが困ったように言うと、二体はぴたりと動きを止め、何事もなかったかのようにルイの両肩にちょこんと収まった。
「僕も一緒に行こうかな。精霊に関する資料、見つけないといけないし」
キオが応じると、カリナがぱっと手を挙げた。
「じゃあ、私も行く!」
「僕も一緒に行こうかな」
セドリックも頷き、結局図書館へ向かうことになった。
ちなみにオーウェンは、王族の公務があるとかで先に帰っている。
少し肌寒くなってきた廊下を歩いていく。
カリナの周りではメラメラちゃんが相変わらず楽しそうに飛び回り、少し離れたところでは風の精霊フワワくんが文字通りふわふわと漂い、その後ろを水の精霊アクアくんが小さな水球の姿でゆらゆらとついていく。
セドリックの肩でコロネが「きゅん」と小さく鳴いて尻尾を振り、ルイの両肩ではフレアとトロプが今度こそ大人しく光を点滅させている。
その後ろを、漆黒のシュバルツが音もなく続いた。
図書館の重い扉を開けると、しんと静まり返った空気がキオ達を包んだ。
古い紙とインクの匂い、そして高い窓から差し込む柔らかな冬の日差しが、埃をきらきらと照らしている。
「それじゃあ、魔法史の資料は二階だから、私とカリナはそっちに行くね」
ルイがひそひそ声で言う。
「僕とセドリックは、精霊関係の本を探そう」
「うん。たしか一階の奥の方だったよね」
キオの提案にセドリックが頷く。
「じゃあ、後で二階で会おうね」
カリナも声を潜めて手を振り、四人は二手に分かれて目的の棚へ。
精霊たちも、ここでは空気を読んで静かに主人たちの後をついていった。
キオとセドリックは、一階の奥まった場所にある精霊学の棚の前に立った。
ずらりと並んだ背表紙はどれも分厚く、歴史を感じさせる。
「えっと……『精霊の種類と特性』……」
セドリックが目当ての本を探して背表紙を指で追っていく。
肩の上のコロネも、一緒に本棚を見上げるように耳をぴくぴくさせている。
「キオ君、こっちにも良さそうなのがあるよ」
少し離れた棚からセドリックの声が飛んだ。
「うん、今行く」
キオがそちらへ歩き出そうとした、まさにその時。
「きゃっ!」
背後で、小さな悲鳴と、バサバサッと何冊もの本が床に落ちる音が響いた。
振り返ると、少し離れた棚の間で、一人の少女が床に散らばった本を慌てて拾おうとしているところだった。
どうやら、高い場所の本に手を伸ばして、バランスを崩したらしい。
「大丈夫ですか?」
キオは駆け寄り、慌てて本を拾い集め始めた。
「あ……!」
本を拾おうと屈みこんだ少女が顔を上げた瞬間、キオの姿を視界に捉え、まるで信じられないものを見たかのように息を呑んで固まった。
月光をそのまま糸にしたような、美しい白銀の髪。
翡翠色の瞳が、驚きと……そして何か別の熱を帯びて揺れている。
雪のように白い肌。
『入学式の時に見た……確か、セレネ・ジルヴァ・マジェスタさんだったかな』
最前列に座っていた、ひときわ目立つ白銀の髪の令嬢だ。
「あ、あの……!」
セレネは、目の前にいるのがキオ本人だと認識した途端、顔をカッと真っ赤に染め上げた。
「だ、大丈夫ですか?」
キオがもう一度尋ねると、セレネは慌てて本を受け取ろうとして、またよろけてバランスを崩しそうになる。
「は、はい……! も、申し訳ございません……!」
声がひどく上ずり、緊張しているのが伝わってくる。
『すごく緊張してるな……』
「怪我はないですか?」
「だ、大丈夫です……ご心配をおかけして、申し訳ありません……」
セレネは深々と頭を下げるが、その動作もどこかぎこちなかった。
キオは拾った本の束を、今度こそ落とさないように丁寧に手渡した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
セレネはぎこちなく本を受け取ると、また深く頭を下げた。
そこへ、セドリックが戻ってきた。
「キオ君、どうしたの……あ」
セドリックは、キオが見知らぬ女生徒といることに気づき、少し戸惑った表情になる。
肩のコロネは、興味深そうに耳をぴくぴくさせている。
「本が落ちちゃって」
キオが簡潔に説明すると、セドリックも「大丈夫ですか?」と心配そうに声をかけた。
「は、はい……お騒がせして申し訳ございません……」
セレネは二人を前に、縮こまるように何度も頭を下げた。
このままでは彼女が固まってしまいそうだ。キオは、少しでも緊張を和らげようと、できるだけ優しく微笑みかけた。
「あの、僕はキオ・シュバルツ・ネビウスです。入学式で、あなたのことを見かけました」
キオの言葉に、セレネは「はっ」と息を呑み、慌てて背筋を伸ばした。
「わ、私は、セレネ・ジルヴァ・マジェスタと、申します……!」
抱えた本を落としそうになりながらも、必死に絞り出した声が裏返る。
「白銀の髪が絹のようで綺麗だなって思ってました」
キオが素直にそう言うと、セレネの頬は耳まで真っ赤に染まった。
「あ、あ、ありがとうございます……!」
俯いてしまったセレネは、キオの方をまったく見ることができない。
『あれ……? えっと……?』
キオは内心、首をかしげた。
「あ...あの、セレネさんも、精霊についての本を探してるんですか?」
キオが尋ねると、セレネはこくこくと何度か頷いた。
「は、はい……レポートの、ために……」
言葉が途切れ途切れだ。
『もしかして人見知りなのかな?』
キオはその様子に、どこか懐かしさを覚えた。
前前世の時はよく人と話す時、言葉につまったりなどしていた
緊張で頭が真っ白になって、うまく言葉が出てこないことはざらだった。
なので今のセレネ状態はすごくわかる。
さすがに長く生きているため、そんな自分を受け入れられるようになった。
「僕たちもです。一緒ですね」
キオができるだけ優しい声色で言うと、セレネは嬉しそうに、でもまだ緊張したまま答えた。
「そ、そうですね……同じ、ですね……」
その時、ふわりと温かい気配がして、セレネの隣に優美な精霊が姿を現した。
セレネと同じ、透き通るような白銀の髪と、優しい緑色の瞳。春の大地のような穏やかな雰囲気だ。
『あ、儀式の時に見た……』
大地と癒しの精霊、テレシアだ。
「こんにちは、キオ様。私はテレシア、セレネの契約精霊です。儀式の時は遠くからでしたが、こうして直接お話しできて嬉しく思います」
テレシアが柔らかく微笑み、優雅に挨拶をした。
「こんにちは、テレシア。こちらこそ」
キオも丁寧に挨拶を返す。
「こちらはスバルです」
「スバル様。儀式でのお姿、拝見しておりました。お会いできて光栄です。」
「ああ。よろしく」
シュバルツも静かに応じる。
セレネは、精霊同士の挨拶を、固唾をのんで見守っている。
「セレネさん、大丈夫ですか?」
心配になって尋ねると、セレネは「はっ」と我に返り、慌てて頷いた。
「は、はい!大丈夫です!」
その返事は、とても大丈夫そうには聞こえなかったが、キオはそれ以上追及するのをやめた。
ここで問い詰めても、もっと緊張させてしまうだけだ。
『気をつけないと』
「あの、セドリックです。よろしくお願いします」
セドリックが一歩前に出て挨拶をすると、セレネはまだ緊張しつつも、「はい、よろしくお願いします」と、キオに対する時よりはいくらかはっきりと返事をした。
コロネも「きゅっ」と小さく鳴いて挨拶する。
キオは、その様子を見て少し不思議に思ったが
セドリックは親しみやすい子なので
きっとセレネも少し落ち着いたのだろうと納得した。
キオは少し考え、話題を変えてみることにした。
「テレシアは、とても優しそうな精霊ですね」
キオの言葉に、セレネの表情がほんの少しだけ和らいだ。
「は、はい……テレシア様は、とても優しくて……素敵な精霊様、です……」
どうやら精霊のことなら、少しは話しやすいらしい。
「僕たちも、精霊のことをもっと知りたくて、資料を探してるんです」
キオが自然に続けると、セレネは小さく頷いた。
「わ、私も……もっと、知りたくて……」
その時、テレシアが主を案じるように優しく語りかけた。
「セレネ、もっとリラックスしても大丈夫ですよ」
テレシアの言葉に、セレネは「はっ」として、小さく深呼吸をした。
「は、はい……すみません、テレシア様……」
その主従の様子に、キオは思わず微笑んだ。
キオは、さらに緊張をほぐせそうな、当たり障りのない話題を探した。
「セレネさんは猫はお好きですか?」
突然の話題に、セレネはきょとんと目を丸くした。
「猫……ですか……?」
「はい。実は中庭に大きい樫の木があるんですが、根っこが大きく盛り上がっているところに、三匹の子猫がいるんですよ」
「えっ……!そうなんですか?」
「えっ、そうなの?」
セレネだけでなく、セドリックも驚いたように声を上げる。キオは二人の反応に笑顔で頷いた。
「よかったら見に行ってみてください。セドリックも確か動物全般好きだったよね? じゃれ合ってる姿がすごく可愛らしいからオススメだよ」
キオは思い出したように付け加える。
「あ、でもたまにシュトゥルム先生がご飯をあげに行ってるらしいんで、そこはこっそり見守ってあげてください」
「あ、ありがとうございます……! わ……私も、見に行きます!」
セレネは、緊張しながらも、目をきらきらと輝かせて言った。その反応に、キオは「ぜひ」と微笑んだ。
だが、キオが微笑んだ瞬間、セレネは「!」と息を呑み、さっと顔を背けた。そして、口元を押さえてぷるぷると肩を震わせ始めた。必死に何かをこらえているようだ。
『え、どうしたんだろ!? なにかしちゃったのかな...』
キオが本気でオロオロしていると、横でセドリックが何とも言えない苦笑いを浮かべている。
しばらくして、セレネはなんとか落ち着きを取り戻したようだった。
「そ、それでは、私は、これで……失礼いたします……」
セレネが震える声で淑女の礼をすると、キオとセドリックも丁寧に応じた。
「はい、それじゃあ、また」
「は、はひっ!……ほ、本当に、ありがとうございました……!」
『はひっ?』
セレネは奇妙な声を上げると、本を抱え直して、まるで逃げるように図書館の奥へと足早に去っていった。
その背中を見送りながら、セドリックが小声でキオに話しかけた。
「キオ君、すごいね。あのジルヴァ一族の聖女様と話しちゃった」
「うん……でも、なんか……僕、何かしたかな」
キオが本気で心配そうに言うと、セドリックは「うーん」と唸った。
「いや、あれは……なんというか……」
「うーん、 昔の僕みたいに、人見知りなのであれば無理させちゃったかな?」
「えっ!? キオ君が人見知り? 全然想像つかないや」
「いやいや、最初にルイに声かける時だって結構緊張してたよ?」
「あの時は僕の方が緊張してたから全然気づかなかった……」
二人は顔を見合わせて、くすりと笑い合った。
セドリックの肩でコロネも「きゅるる」と喉を鳴らして笑っているようだ。
「それじゃあ、本を探そっか」
「うん。そうだね」
キオとセドリックは、気を取り直して再び資料探しに戻った。
必要な資料を集め終え、二人は二階のルイとカリナのもとへ向かった。
魔法史の資料棚が並ぶ一角では、カリナが机に積まれた本の山を前に突っ伏している。
「うう……レポート……終わる気がしないよぉ」
その周りを、メラメラちゃんがぱちぱちと火花を散らしながら、応援するように飛び回っている。
「メラメラちゃん、ありがとう。元気出てきたわ! ……でも図書館は火気厳禁ね!」
カリナがむくりと起き上がって笑顔で言うと、メラメラちゃんも嬉しそうに、火花を散らさず静かに点滅した。
ルイは黙々と資料を吟味しており、その両肩ではフレアとトロプが大人しくしている。
少し離れた場所では、アクアくんが机の上で水球のまま寝ており、フワワくんは開かれた本のページを風で優しくめくっていた。本当にマイペースな精霊たちだ。
「資料、見つかった?」
キオが声をかけると、カリナが本の山を指差した。
「うん! でも、量がすごすぎて……」
ルイが顔を上げ、二人の様子に気づいた。
「キオ君、セドリック君も見つかった?」
「うん。結構あったよ」
セドリックが抱えた本を見せる。
「ねえねえ、キオ。さっき一階で誰かと話してなかった?」
カリナが尋ねる。
「うん。セレネ・ジルヴァ・マジェスタさんっていう人。本を落としちゃったみたいで、拾うの手伝ったんだ」
「セレネ様……!」
ルイが小さく息を呑んだ。
「知ってるの?ルイ」
「うん。〝聖女〟って呼ばれてる人だよね。白銀竜の血を引く、ジルヴァ一族の」
ルイの説明に、カリナも「へえー!なにそれ!」と目を丸くする。メラメラちゃんも好奇心旺盛にぴょんぴょんと跳ねた。
「聖女?すごい人なのかな?」
「うん、セレネ様の話は噂でよく聞いてたよ。毎朝礼拝堂でお祈りを欠かさず捧げてて、怪我をした人の傷を癒しの魔法で治してあげたりしてるんだって」
「まだ子供だろうに、それは立派なことだ」
シュバルツも感心したように頷く。
「僕も名前だけは知ってたけど、詳しくは知らなかったな。僕たちと同い年なのにすごいね」
キオも素直に感心したが、それだけに、先程のセレネの態度を思い出して少し落ち込んだ。
「でも、セレネさん、話す時すごく震えてて。僕、なにか...まずいことしちゃったのかもしれない」
キオが本気でへこんでいるのを、セドリックは何か言いたげな、複雑な顔で見ている。
そのセドリックの視線に気づいたルイも、はたと何かを察したように目を瞬かせ、二人して微妙な表情を浮かべることとなった。
セドリックの肩で、コロネが「ふぁあ」と眠そうに大きなあくびをした。
その後、課題の資料を借り、図書館を後にして寮へと向かった。
すっかり傾いた日が、校舎の影を長く伸ばしている。
精霊たちも、それぞれの主人のそばを思い思いについていく。
メラメラちゃんはカリナの周りを元気に飛び回り、フワワくんとアクアくんは相変わらずマイペースに漂う。コロネはセドリックの肩で大きな耳をぴくぴくさせ、フレアとトロプはルイの両肩で静かにバランスを取っている。
冬の冷たい空気が頬に心地よく、友人たちと精霊たちと一緒に歩く帰り道は、キオにとって穏やかな時間だった。
「ねえ、今度の週末、町に行かない? 週末限定のバザーがあるって聞いたの! もちろんオーウェンも誘って!」
カリナが弾む声で提案する。
「いいね!」
キオは賛成したが、セドリックが残念そうに肩を落とした。
「あ、ごめん。僕はちょっと難しいかも。どうしても外せない用事があって……」
「えー、そうなの? 残念。じゃあ、私たちだけで行くしかないね」
カリナはしょんぼりする。
「お土産、何か買ってくるよ」
キオがセドリックに言うと、「ありがとう」とセドリックは笑顔を見せた。
そんな彼らのやり取りを、シュバルツが静かに、どこか温かい目で見守っていた。
その夜、自室のベッドに横たわりながら、キオは今日の出来事を思い返していた。
『セレネさん……すごい震えてたな』
「聖女」と呼ばれるくらいだから、どんなに厳格な人かと思っていたが、実際に会ってみると、ひどく緊張していた、年相応の普通の少女だった。
『なにかしちゃったのかもしれないな、次は気をつけないと』
そんなキオを観て、シュバルツはフッと鼻で笑っていた。
キオは静かに目を閉じる。
窓の外では、冬の澄んだ空気に、星々が静かに瞬いていた。
冬の夜は、静かに更けていく。
明日もまた、新しい一日が始まる。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
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