第27話「心のこもったスープ」
精霊召喚儀式から約二週間が過ぎた、週末の朝。
キオは窓から差し込む冬の柔らかな陽射しを浴びながら、今日という日への期待に胸を膨ませていた。
「今日はリンネル家だな」
隣に腰掛けたシュバルツが言う。
するりとキオの腰に巻きついた長い尾から、じんわりとした温もりが伝わり、安心感を与えてくれる。
「うん。みんなも楽しみにしてるみたいだよ」
キオが微笑むと、シュバルツの尾が応えるようにゆっくりと揺れた。
『召喚儀式から二週間。シュバルツが傍にいてくれる生活にも、少しずつ慣れてきた』
心の中で呟く。
竜人という特別な存在であるシュバルツを前にしても、友達が以前とまったく変わらずに接してくれる。それがどれほど嬉しかったか、言葉にし尽くせないほどだった。
「キオ、準備はできたか?」
「うん、もう少しで」
身支度を整えながら、キオは今日持っていくお茶の包みを確認した。先週、オーウェンとカリナと一緒に買いに行った、トーマスさんへの手土産だ。
『お茶屋さんのおばあちゃん、凄かったな』
キオの脳裏に、前日の出来事が鮮やかに蘇る。
オーウェンとカリナの三人で訪れた、カリナが教えてくれた穴場だという茶葉店。古びた木の棚に様々な茶器が並ぶ、趣のある店だった。
「温かくて、落ち着く感じのお茶がいいんです」
キオがそう伝えると、店主のおばあちゃんは
「任せておきな」と深く頷き、棚に並ぶ茶葉を手際よく吟味していった。
そして、いくつかの茶葉を取り出すと、その香りを確かめさせてくれた。
「これなんかどうだい?心がほっとするような、優しい香りだよ」
蓋を開けた途端、ふわりと甘く穏やかな香りが立ち上る。確かに、その茶葉は優しい香りがした。
「これは、いい香りだな…」
オーウェンも思わず目を閉じ、その香りを深く味わっていた。
普段は王族らしく気品を保っている彼が、素直に感動している姿が印象的だった。
「この香り、本当に素晴らしいですね」
「だろう?長年やってるからね、お客さんの好みはすぐわかるのさ」
おばあちゃんは、皺の刻まれた顔に誇らしげな笑みを浮かべた。
三人でお金を出し合って購入した、特別な茶葉。
きっとトーマスさんたちも喜んでくれるはずだ。
その時の温かい記憶ごと、キオは包みを大切に鞄へしまった。
約束の時間、学園の正門前に五人と五体の精霊たち、そして一台の馬車が集まった。
「おはよう!」
カリナが元気よく手を振る。その周りでは、メラメラちゃん、フワフワくん、アクアくんがじゃれ合うように嬉しそうに飛び回っている。
「おはよう、キオ君」
ルイが優しく微笑む。彼女の傍らでは、炎の精霊フレアと水の精霊アクアが、互いを追いかけるようにくるくると舞っていた。時々ぶつかりそうになる動きも、どこか楽しげに見える。
「おはよう。みんな揃ったね」
オーウェンの隣には、威厳に満ちたグリフォンのソラリスが控えている。
「オーウェン様、準備ができました」
その時、後ろから凛とした声がかかった。
振り返ると、紅い髪を短く整えた三十代の男性が立っていた。鋭い目つきと騎士らしいまっすぐな立ち姿――マーカス・ロート・ブレイズだ。
「ああ、ありがとう。みんな、マーカスは前にも紹介したな」
「おはようございます」
セドリックが、腕の中ですやすやと眠る小さなフェネックのコロネを抱きながら、丁寧に挨拶する。
「おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」
マーカスが礼儀正しく一礼する。
「今日も護衛してもらって悪いな」
オーウェンの言葉にマーカスは微笑む
「いえいえ、これも仕事ですので。今回もできる限り目立たないよう配慮いたします」
その職業的でありながら誠実な態度に、一同はいつもながらに安心感を覚えた。
そして、キオの隣には、竜人の姿のままのシュバルツが静かに立っている。
「町に行く前に、姿を変えておくか」
シュバルツが言うと、彼の体が淡い光の粒子に包まれた。
天を衝く角が消え、広大な翼と強靭な尾が見えなくなる。
光が静かに収まると、そこにはごく普通の青年の姿があった。黒髪に紫の瞳は変わらないが、竜の特徴は完全に隠されている。
「おお…」
セドリックが小さく感嘆の声を上げる。
「すごいわね、本当に普通の人に見える」
カリナが目を丸くして感心する。
「でも、やっぱり雰囲気はあるね」
ルイがふふっと微笑んだ。
「これなら大丈夫だろう」
人間の姿になったシュバルツを見て、オーウェンが静かに頷いた。
「それじゃあ、行こうか」
一行は馬車に乗り込み、隣町にあるリンネル洋食屋へと向かった。ソラリスは軽やかに跳躍し、馬車の屋根の上に悠然と座っている。
馬車に揺られながら、車内は賑やかな会話で満ちていた。マーカスは御者台で手綱を握っている。
「ねえねえ、今日はどんなお料理が出るのかな?」
カリナが弾んだ声でルイに聞く。
「お父さん、新作料理を作ってくれるって!腕によりをかけて作るから任せろって、張り切ってよ」
ルイが嬉しそうに答える。
「楽しみだね」
キオも自然と笑顔になった。
「ルイのご両親、本当に優しい方々だよね」
オーウェンの言葉に、キオも頷く
「うん。ルイと同じだ」
楽しい会話に花を咲かせているうちに、馬車は隣町の温かい雰囲気の通りへと入っていった。
やがて、見覚えのある懐かしい店構えが見えてきた。
「あ、着いた!」
カリナが嬉しそうに声を上げる。
ルイが扉を開けると、カラン、と軽やかなベルの音と共に、店内から温かい空気と食欲をそそる美味しそうな匂いが漂ってきた。
「いらっしゃい…待ってたよ!!」
トーマスが満面の笑みで迎えてくれた。
「お父さん、今日は精霊さんも一緒なんだ」
「これは賑やかになりそうだね。アンナ、お客さんだよ!」
奥から、妻のアンナが顔を出す。
「まあ、キオ君!久しぶりね!」
「ご無沙汰しております。今日はお邪魔させていただきます」
キオが丁寧に挨拶すると、アンナは優しく微笑んだ。
「何を言ってるの。この前約束したでしょう。いつでも来ていいって」
アンナはそう言うと、キオの隣に立つ青年に視線を移した。
「この方は…?」
「僕の精霊です。スバルといいます」
キオが紹介すると、シュバルツは丁寧に一礼した。
「初めまして。俺はスバル、キオが世話になったと聞いた。俺からも感謝を伝えさせてくれ、本当にありがとう」
その低く響く声と落ち着いた態度に、トーマス夫妻は好感を持ったようだった。
「まあ、立派な方ですね。ようこそいらっしゃいました」
アンナが温かく迎え入れる。そこへマーカスも進み出て、丁寧に一礼した。
「お食事の間は、別室で待機させていただきます」
「あ、はい。どうぞこちらへ」
前回の訪問でマーカスのことを知っているトーマス夫妻は、落ち着いた様子で案内した。
「さあ、みんな座って。特別な席を用意しておいたから」
アンナに促されて、一行は店の奥にある日当たりの良い広い個室へと案内された。
そこには大きなテーブルが用意されていて、五人と精霊たちが十分に座れるスペースがあった。
「わあ、素敵!」
カリナが目を輝かせる。
席に着くと、シュバルツが静かに言った。
「ここでなら、元の姿に戻っても大丈夫だろうか」
「元の姿…?」
トーマスが不思議そうに尋ねる。
「ああ。実は外では目立たないよう、姿を変えていた」
シュバルツの体が再び淡い光に包まれた。
光の中から、まず天を衝く立派な角が現れ、続いて巨大な翼が広がり、最後にしなやかで力強い尾が姿を現していく。
「まあ…!」
アンナが驚きの声を上げる。
「これは…竜の…!」
トーマスも言葉を失い、目を見開いている。
「わあ!やっぱりかっこいい!」
カリナが瞳を輝かせた。
「角が…本物なんですね」
セドリックが驚いた様子で見つめている。
「翼も…きれい」
ルイも感嘆の声を上げる。
「うーん、これも魔法なんだよな」
オーウェンも興味深そうに観察している。
竜人の姿に戻ったシュバルツは、固まっているトーマス夫妻に向かって改めて一礼した。
「驚かせてしまい、申し訳ない。この姿の方が落ち着くのでな」
「いえ、とんでもない…」
トーマスが、まだ少し緊張した面持ちで答える。
「竜の眷属との契約なんて…そんな貴重な…」
「まあ、キオ君、すごい精霊さんと契約したのね」
アンナも驚きながらも、すぐに温かい笑顔を見せた。
「はい。スバルは僕の大切なパートナーです」
キオが優しく微笑むと、シュバルツの尾がゆっくりと揺れた。
「それでは、失礼して座らせていただく」
シュバルツはそう言うと、その大きな翼を器用に畳んで背もたれに収めた。
みんなが席に着くと、トーマスが湯気の立つ料理を運んできた。
「今日は特別メニューだよ。新作の料理も作ってみたんだ」
テーブルに並べられた料理は、どれも美味しそうで彩り豊かだった。
「まずは、精霊たちにも楽しんでもらえるように、魔力を込めた軽いスープから」
トーマスが小さな器に、キラキラと光るスープを注いでくれる。
フレアとアクアが興味深そうに近づき、その光を浴びると嬉しそうに輝きを増した。
「わあ、精霊さんたち、喜んでる!」
ルイが嬉しそうに言う。
ソラリスも威厳を保ちながら、満足げに光を浴びている。
カリナの精霊たちは元気に飛び回り、コロネは幸せそうに尾を振った。
シュバルツも、キオの隣でその光景を静かに見守っていた。
「スバルも、どうぞ」
トーマスがシュバルツにもスープを差し出す。
「…いただく」
シュバルツが器を受け取ると、その大きな手が優雅に動いた。
「美味い」
シュバルツの短い感想に、トーマスは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
美味しい料理を楽しみながら、五人は様々な話に花を咲かせた。
「それでね、召喚儀式の時、キオ君のスバルが現れた瞬間、みんな驚いちゃって!」
カリナが身振り手振りを交えて、その時の様子を説明する。
「確かに驚いたな。竜の眷属との契約なんて、前例が少ないから」
オーウェンも同意する。
「でも、キオ君とスバルさん、すごく仲が良くて素敵です」
ルイが優しく微笑む。
「僕も、もっとコロネと仲良くなりたいです」
セドリックがコロネを優しく撫でた。
「トーマスさん、この料理すごく美味しいです!どうやって作ったんですか?」
キオが興味深そうに尋ねると、トーマスの目が待ってましたとばかりに輝いた。
「ああ、それはね!最近見つけた新しい調味料があってね!」
トーマスが嬉しそうに説明し始める。
「隣町で手に入れた珍しいハーブでね、これを使うと風味が全然違うんだ。それでこの前は別の調味料も試してみて…」
「あなた、また始まったわよ」
アンナが少し困ったように、でもその声色には愛情が滲んでいる。
「最近この人、新しい調味料を見つけるたびに試作ばかりで。この前なんて、朝から晩まで厨房にこもって…」
「だって、美味しいものを作りたいんだもの!」
トーマスが子供のように反論すると、みんながどっと笑った。
「困ったものだわ。でも、そのおかげで確かに料理は美味しくなってるのよね」
アンナが微笑む。
「お父さん、料理が本当に好きなんですね」
ルイが嬉しそうに言う。
「ああ、もちろんさ!お客さんが美味しいって笑顔になってくれるのが、一番の喜びなんだ」
「私の精霊たちも、トーマスさんの魔力を込めた料理、すごく気に入ってるわ!」
カリナが言うと、メラメラちゃんたちが応えるように光を強めた。
「フレアとトロプも喜んでます」
ルイが自分の精霊を見つめる。
「この二人、いつも喧嘩しそうになるんですけど、美味しいものの前では仲良くなるんです」
「精霊さんたちも、味が分かるんですね」
セドリックが感心する。
「ああ、魔力を込めた料理は、精霊たちにも伝わるらしいんだ」
トーマスが説明する。
「だから、心を込めて作ることが大切なんだよ」
「ソラリスも満足しているようだ」
オーウェンが傍に寄り添うグリフォンを見る。
「普段は気難しいんだが、今日は機嫌が良い」
「それは嬉しいね!」
トーマスが笑った。
シュバルツも静かに料理を味わっていた。
竜人の姿に戻った彼の尾が、床の上でゆっくりと揺れている。
「スバルさん、お口に合いますか?」
ルイが心配そうに尋ねる。
「…美味い。心がこもっている」
シュバルツの短い言葉に、トーマスは満面の笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえると、料理人冥利に尽きるよ!」
「あなた、また調子に乗って…」
アンナは苦笑いするが、その表情は温かかった。
「でも、みんなが精霊さんたちと契約できて、本当に良かったわね」
「はい!私のメラメラちゃんたちは、故郷から一緒に来てくれたんです」
カリナが誇らしげに言う。
「僕のコロネは、小さいけどとても賢いんです」
セドリックも嬉しそうだ。
「オーウェンのソラリスは、威厳があってかっこいいよね」
キオが言うと、ソラリスが満足げに翼をわずかに広げた。
「私のフレアとトロプは…元気すぎて困ることもあるけど」
ルイが困ったように笑う。
「でも、二匹とも本当に可愛いです」
店内は、温かい笑い声と精霊たちの放つ優しい光に包まれていた。
食事が終わると、キオは持参したお茶の包みを取り出した。
「これ、トーマスさんとアンナさんに」
「まあ、こんな素敵な…」
アンナが綺麗な包みを受け取る。
「以前、お世話になったお礼です。カリナとオーウェンと一緒に、選びました」
「カリナちゃんたちのセンスなら間違いないね」
トーマスがにこやかに笑う。
「えへへ、穴場のお店なの!」
カリナが得意そうに胸を張る。
「僕たち三人で選んだんです」
オーウェンも静かに付け加えた。
早速淹れてもらったお茶を飲みながら、みんなでゆっくりと過ごした。
窓の外では冬の陽射しが柔らかく差し込み、店内は穏やかで温かい雰囲気に満たされている。
「ねえ、ルイのお父さんのお料理、また食べに来てもいい?」
カリナが尋ねると、トーマスは快く頷いた。
「もちろん。いつでも来てくれ。みんなの笑顔が、一番のご褒美だよ」
日が傾き始めた頃、一行はリンネル家に別れを告げようとしていた。
「そろそろ出るか」
シュバルツが言うと、彼の体が再び淡い光に包まれた。
角が消え、翼が見えなくなり、尾も姿を消していく。
「うわぁ…」
セドリックが、その神秘的な光景を不思議そうに見つめている。
「何度見ても不思議よね!」
カリナが目を輝かせている。
人間の姿に戻ったシュバルツを確認してから、みんなは店の外に出た。
「また来るね!」
「待ってるわ」
店の前で、ルイとアンナが見えなくなるまで手を振ってくれる。
帰り道、馬車に揺られながら、一行は満足そうな表情をしていた。人間の姿に戻ったシュバルツも、キオの隣を静かに座っている。
マーカスは今日も御者台で、微笑ましそうに前を見据えている。
「楽しかったね」
「うん、すごく美味しかった」
「精霊さんたちも喜んでたね」
みんなが口々に感想を言い合う。
キオは友人たちの横顔を見つめていた。
『前前世では、仕事ばかりで友達と過ごす時間なんてなかった。前世では、ずっと一人で研究していた』
『でも、今は違う』
不意に、シュバルツの大きな手が、そっとキオの手に触れた。その温もりが、心の奥までじんわりと広がる。
『大事にしたい、この居場所を』
「キオ君、どうしたの?」
ルイが心配そうに声をかける。
「ううん、何でもない。ただ楽しかったなって」
キオの言葉に、四人が微笑んだ。
「僕たちも同じ気持ちだよ」
オーウェンが言う。
「そうよ!これからもいっぱい遊びましょ」
カリナが元気よく言う。
「ちゃんと勉強もね?」
セドリックが付け加えると、
「うっ…!」
カリナの額に、たらりと汗が流れる。
セドリックはそんなカリナを見て、くすりと笑った。
「ふふふ、勉強も遊びも頑張ろうね」
ルイが少し照れながら言った。
シュバルツは何も言わなかったが、その紫の瞳が優しくキオを見つめていた。
『キオ、キオも勉強ばっかじゃなく、ちゃんと遊ぶんだぞ』
『ははは。シュバルツ、ありがとう』
冬の夕日が、馬車を黄金色に染めていた。
寮に戻り、部屋で一人になったキオは、窓の外の星空を見上げた。隣には、本来の竜人の姿に戻ったシュバルツが座っている。
「今日は本当に楽しかった」
「ああ。お前の笑顔が、一日中輝いていた」
キオが微笑むと、シュバルツの尾がゆっくりと揺れた。
窓の外では、冬の星々が澄み切った夜空に美しく瞬いている。
夜空と同じ色の髪を持つ少年は、心の中で静かに誓った。
『この幸せを、大切にしたい』
『友達を、シュバルツを、この日常を』
シュバルツの温もりを感じながら、キオは穏やかな眠りについた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、
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