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間話9 セレネ、ルドルフ視点「聖なる一族の対談」

儀式の熱気がまだ微かに残る大広間。


祝福と驚嘆の声が遠ざかり、生徒たちの喧騒が潮のように引いていく中、セレネ・ジルヴァ・マジェスタは一人、壁際に佇んでいた。

窓から差し込む月光が、磨かれた床に淡い光の道を映している。

彼女の翡翠色の瞳は、少し前までキオが座っていた空席を、まるで残像を追うかのように見つめていた。あの竜人の荘厳な顕現は、彼女の中で燻っていた確信を、燃え盛る炎へと変えていた。


「セレネ様」


静かな呼び声に振り返ると、同じジルヴァ一族のルドルフが、息を弾ませて立っていた。

彼の顔は血の気が引いたように青白く、額には玉の汗が滲んでいる。

整えられたはずの白銀の髪も、心中の動揺を示すかのように少し乱れていた。

そして、その隣には——。


八枚の純白の翼を持つ天使、ルシエルが、この世の者とは思えぬほど神々しい微笑みを浮かべていた。


「ルドルフ様……」


セレネは彼の尋常でない様子にすぐに気づいた。


「お加減でも優れないのですか?」


「いえ……ただ……」


ルドルフは言葉を探すように、一度唇を湿らせた。


「あの方……キオ様の召喚を目の当たりにして、少し、圧倒されてしまいまして」


その言葉に、セレネの表情がふっと和らぐ。


「ええ、私も同じです。まさか、伝説の竜人が現れるなんて……」


彼女の隣で、大地と癒しの精霊テレシアが静かに頷き、その穏やかな気配で二人を包み込む。


これ以上は人目につく場所で話すべきではない。二人は無言のまま視線を交わし、広間の喧騒を離れて、ひんやりとした空気が漂う人気のない廊下の片隅へと歩みを進めた。精霊たちもまた、音もなく主の後ろに従う。


月明かりがステンドグラスを透かし、幻想的な光の欠片を床に散らしている。


「セレネ様は」


ルドルフが、壁に寄りかかりながら慎重に口火を切った。


「キオ様のことを、どうお考えです?」


「と、おっしゃいますと?」


「つまり……あの方は本当に……」


ルドルフは周囲を窺うように声を潜めた。


「“あの話”の通りのお方、なのでしょうか」


セレネは静かに、そして揺るぎない光を瞳に宿して頷いた。


「ええ。今日の召喚で、確信いたしました。あの方は間違いなく、物語における最も特別な存在です」


「やはり……」


ルドルフの声が微かに震えた。セレネはその震えを、自分と同じ畏怖と歓喜から来るものだと思った。だが、その音色に潜む熱っぽい響きの違いには、まだ気づかなかった。


隣で微笑むルシエルの金色の瞳はどこまでも温かく、何の疑念も抱かせない。


「私たちジルヴァ一族の使命は」


セレネは祈るように厳かに言った。


「“あの話”を知る者として、キオ様をお守りし、その御身をあるべき正しい道へとお導きすることです」


「正しい道……」


ルドルフがオウム返しに呟く。


「ええ。あの方は今、心優しいがゆえに、平民や異国の者たちと親しく交流されています。それは……」


「……神聖なるお方には、相応しくありませんね」


ルドルフが、セレネの意図を汲んで言葉を継いだ。


「その通りです」


セレネは満足げに頷いた。


「私たちが、キオ様を本来いらっしゃるべき場所へお連れしなくては」


『本来いらっしゃるべき、場所……』


ルドルフの脳裏で、その言葉が違う意味を持ってこだまする。先ほどの儀式でキオの姿を捉えた瞬間の、あの身を焦がすような熱い衝動が、まだ胸の奥で渦巻いていた。


彼が思い描く「正しい場所」は、おそらくセレネのそれとは全く異なっている。


その時、テレシアが小さく身じろぎし、柔らかな光の粒子を舞わせた。


「セレネ」


その声は、春のせせらぎのように優しい。


「あなたの想いは、とても純粋で美しいものです」


「ありがとうございます、テレシア」


セレネは己の精霊を愛おしげに見上げた。


一方、ルシエルは静かに微笑んだまま、何も語らない。

ただ、その金色の瞳は、ルドルフの心の揺らぎを慈しむように、温かく見守っているだけだった。


「ルドルフ様?」


彼の沈黙に、セレネが心配そうに声をかける。


「あ……すみません。少し、考え事をしておりました」


「無理もありませんわ。今日の出来事は、私たちにとって天からの啓示も同然でしたから」


セレネの翡翠色の瞳が、信仰の光に潤んで輝いた。


「キオ様は、きっとこの世界をあるべき姿へとお導きくださるでしょう」


「そう……ですね」


同意の言葉を口にしながら、ルドルフの中で別の声が囁いていた。


『あの方を導く?違う……僕が欲しいのは……』


その葛藤を肯定するように、ルシエルが優しく微笑む。その笑顔はあまりに神々しく、いかなる邪念も浄化してしまいそうに見えた。


「ところで」


セレネがふと、話題を変えた。


「キオ様の周りにいる者たちについて、どう思われますか?」


「周りの、ですか……」


ルドルフの眉間に、すっと影が落ちる。


「ええ。特に、あの異国の少女ですわ」


セレネは少し言葉を選びながら言った。


「褐色の肌の……少し、騒がしい方。カリナ・マージェン、でしたかしら」


「……ええ」


ルドルフの声に、明らかな不快感が滲む。


「確かに、キオ様があのような者たちと親しくされるのは……少し、心配ですね」


「心配?」


ルドルフが、その生ぬるい言葉に鋭く反応する。


「心配どころの話ではないでしょう。まったくもって相応しくない。それに、あの平民のルイ・リンネルやセドリック・モイヤーもです」


「そう……ですね……」


セレネは少し言葉を濁した。


彼女も、キオが平民や異国の者と親しくすることに違和感はある。

しかしそれは、キオの神聖さが俗なものに触れて損なわれてしまうのではないかという、純粋な懸念からだ。


ルドルフのように、彼ら個人への露骨な軽蔑の感情はなかった。


「キオ様には、もっと清浄で、相応しい環境が必要ですわ」


セレネが穏やかに諭すように言う。


「ええ、全くの同感です」


ルドルフは表面上は強く同意したが、彼の本当の感情はもっと複雑で、そして暗かった。


キオの周りに侍るすべての者が等しく邪魔に思えたのだ。


ルシエルは変わらず微笑んでいる。

その完璧な表情には、一片の変化も見られない。


ただ、テレシアだけが、憂いを帯びたように少しだけ眉をひそめたが、その小さな変化に気づく者はいなかった。


「私たちで協力して」


セレネが手を差し伸べるように提案した。


「キオ様を、あるべき環境へとお導きしましょう」


「……ええ」


ルドルフはその言葉に頷いた。同じ目的を口にしながら、その根源は全く異なっていた。

セレネは神へ捧げる純粋な献身から。

ルドルフは……もっと個人的で、決して認めてはならない暗い感情から。


「素晴らしい精霊様と契約できて、本当によかったですわね」


セレネが自分の隣に浮かぶテレシアを見上げ、微笑んだ。


「テレシアは大地と癒しの力で、きっと私たちを支えてくださいます」


「ええ。ルシエルは光と浄化の御力をお持ちです」


ルドルフもまた、己の精霊を見上げた。


「きっと、私たちを正しい道へと導いてくださるでしょう」


『そうだ……ルシエル様がいてくださる……』


ルドルフは心の中で繰り返す。


『この胸に湧き上がる不浄な感情も、きっと浄化してくださるはずだ……』


ルシエルは、その祈りに応えるように優しく微笑み続けている。八枚の翼が月光を浴びて、神々しい光輪のように輝いていた。


「では、また後日、改めてご相談しましょう」


セレネが優雅に一礼する。


「すべては、キオ様のために」


「ええ。キオ様の……ために」


ルドルフもまた深く頭を下げた。

その言葉が、二人の間で決定的に違う意味を持っていることを互いに知らぬまま。


セレネが去った後、ルドルフは一人、冷たい廊下に立ち尽くした。


『キオ様のため……』


だが、本当にそうだろうか。この胸の奥で燃え盛る炎は、果たして清らかな信仰心なのだろうか。それとも——。


「違う……認めては、いけない……」


ルドルフはかぶりを振り、そのおぞましい考えを追い払おうと足掻いた。

その時、そっと囁く声がした。


「ルドルフ」


見上げると、ルシエルが慈愛に満ちた瞳で彼を見つめていた。

「大丈夫です。私が、ここにいますから」


「ルシエル様……」


「あなたの苦しみは、私が全て癒しましょう」


その甘美な言葉に、ルドルフは救われたような気持ちになった。


『そうだ……ルシエル様が、この苦しみを……』


だが、一度心に灯ってしまった執着の炎は、そう易々と消せるものではなかった。


ルシエルは優しく微笑み続けている。

その笑顔は変わらず神々しく、清らかで、いかなる疑いも差し挟む余地を与えない。


八枚の翼は月の光を受けて白く、美しく輝いている。




翼の先の小さな黒い染みのことなど、まだ誰も知らない——。



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