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間話8 ルドルフ視点「神の顕現と望まぬ熱(本編第23話)」


ステンドグラスを透した光が厳かに満ちる大広間で、精霊召喚の儀式は粛々と進行していた。


教会の重鎮である父からジルヴァ一族の使命を教え込まれ、幼い頃から神への献身こそが至上だと説かれてきた、ルドルフ・ジルヴァ・ハイリヒにとって、この儀式は単なる学校行事ではあり得ない。


神が定めたもうた秩序の中で、それぞれの魂が運命の伴侶と出会う、神聖な瞬間そのものだ。


折り目正しく着こなした礼服に、一筋の乱れもなく整えた白銀の髪。席から、静かにその神聖な儀式を見守っていた。


壇上では、平民たちの召喚が続いている。

現れるのは、ぼんやりとした光の塊や、単純な幾何学模様を描くだけの精霊に動物のような精霊ばかり。


まあ、予想通りといったところか。

神が彼らに与えられた、分相応のパートナーというわけだ。


『それぞれが己の立場をわきまえ、それに相応しく振る舞う。それこそが、世界を美しく保つ秩序なのだ』

父の教えが、静かに脳裏をよぎる。


やがて、同じジルヴァ一族の血を引く、セレネ・ジルヴァ・マジェスタ様の番が来た。彼女の前に現れた大地の精霊の優美な姿に、僕は満足げに頷く。


さすがは聖女候補。神の恩寵が、誰の目にも明らかな形で示されている。

次々と生徒たちが召喚陣に立ち、それぞれの運命と出会っていく中――。


「キオ・シュバルツ・ネビウス」


その名が呼ばれた瞬間、背筋が自然と伸びるのを感じた。


『ついに……』


父から密かに教えられた、あの話。ジルヴァ一族の中でもほんの一部しか知らない、その話を知る僕にとって、キオ様がどれほど特別で、神聖な存在であるか……。


その血を最も濃く受け継ぐネビウス家の少年が、静かな足取りで召喚陣へと向かっていく。

僕は思わず息を詰め、その一挙手一投足を見守った。

キオ様が、魔法陣の中心に立つ。


次の瞬間――夜空を凝縮したような色の光が、爆発的に広がった。


『これは……!』


他の生徒たちの召喚とは、まるで次元が違う。

大広間全体を覆い尽くさんばかりの濃密な魔力の奔流。それはもはや魔力というより、神の御業そのものだった。黒に近い光が渦を巻き、天へと立ち昇る。


僕の心臓が、肋骨を激しく打ち始めた。

やがて光の渦の中心に、一つの人影が姿を現した時――。


「あ……」


自分でも気づかぬうちに、乾いた声が喉から漏れた。

そこにいたのは、竜人だった。

人の形をとりながら、明らかに人ならざる者。夜の闇を溶かしたような黒髪、吸い込まれそうなほど深い紫の瞳。額からは、艶やかな黒曜石の角が天を衝くように伸びている。そして背には、満天の星を散りばめたかのような、広大な黒い翼。床まで届く長く優美な尾が、静かに揺れていた。

それは、教会の最古の聖典に記された「神の眷属」の姿、そのものだった。


『神の……神の眷属が、ここに……!』


全身がわななく。だが、それは恐怖ではなかった。胸の奥深くから、今まで感じたことのない熱い何かが、マグマのようにせり上がってくる。


『なんだ……この熱は……?』


体が異常なまでに熱い。まるで内側から炎に焼かれているようだ。視線が、あの竜人の姿から離れない。いや、離せない。その威厳、その圧倒的な存在感、そして神々しいまでの美しさ――。


『これが……父上が話しておられた、神の力……』


だが、次の瞬間、僕は自分の体に起きている異変に気づき、愕然とした。

この熱は、単なる宗教的な畏敬の念ではない。

もっと……もっと、別の、抗いがたい何かだ。


『まさか……』


体の芯から湧き上がる、制御不能な衝動。

それは、紛れもなく――。


『違う! 断じて違う!』


僕は必死に首を振った。


自分は聖職者の家系に生まれ、神への献身を誓った身だ。

それなのに、なぜ。なぜこんな、冒涜的ともいえる――。


竜人がキオ様と向き合い、契約の言葉を交わしている。

その低く、朗々とした声が大広間に響くたび、僕の体の熱はさらに増していく。


『僕は……僕は、何を考えている……』


混乱する頭で、必死に理性を手繰り寄せようとする。

これは神への畏敬だ。

神聖な存在がこの世に現れたことへの、敬虔な感動だ。

そうでなければ、ならない。


しかし、目の前のキオという存在へ、そしてその傍らに立つ神の眷属へ向けられた、この抑えようのない衝動は――。

『認めたくない……!』


両手を強く握りしめる。爪が掌に食い込む痛みすら、この異常な高揚感を鎮めることはできなかった。


キオ様と竜人が手を取り合う。

契約成立の眩い光が、二人を包み込んだ。

その光景を焼き付けた瞬間、僕の中で何かが決定的に変わってしまった。


『ああ……』


もう、否定できない。この胸を焼く熱情は、単なる宗教的感動などではない。キオという存在そのものに向けられた、抑えがたい――。


「契約、成立です」


アーデルハイト先生の凛とした声で、僕ははっと我に返った。慌てて周りを見回すと、他の生徒たちは驚きと畏怖の表情を浮かべてはいるが、僕のような異常な反応を示している者は誰もいない。


『僕だけ……? なぜ、僕だけがこんな……』


震える手で、額に滲んだ汗を拭う。

制服の下で、肌が燃えるように火照っているのがわかった。


キオ様が席に戻っていく。

竜人は、まるでそれが当然であるかのように、その隣に寄り添って歩いている。

その姿を目で追いながら、僕は自問自答を繰り返した。


『これは試練だ。神が僕にお与えになった試練に違いない』


そう結論づけることで、なんとか精神の均衡を保とうとする。


『キオ様は神聖にして侵されざる御方。あの話を知る僕には、その方がどれほど特別か分かる。あの方に対し、不浄な感情など抱いてはならないのだ』


だが、理性でいくら否定しても、体の奥底から湧き上がる衝動は収まる気配を見せない。

むしろ、キオ様の姿を見るほどに、その感情は激しく燃え上がる。


『どうすれば……どうすればいいのだ……』


僕は苦悶の表情を浮かべた。

神への献身と、制御できない衝動。

その間で、心も体も引き裂かれそうだった。


一つだけ確かなことがあるとすれば、キオ・シュバルツ・ネビウスという存在が、もはや単なる「守るべき神聖な対象」ではなくなってしまったこと。


そして、この熱情を――この身を焼く衝動を――どう扱えばいいのか、僕にはまったく分からないということだった。



キオ様の圧倒的な召喚の衝撃に大広間がどよめく中、儀式は続く。次に呼ばれたオーウェン・ゴルト・リンドールが気高きグリフォンを召喚しても、僕の心はもはや揺らがなかった。金竜の血を引く王族に相応しい神獣級の精霊。普段であれば称賛の念を抱いたはずだが、今の僕の意識は、ただ一点に囚われていた。


『僕は……どうすれば……』


そんな混乱の最中――。


「ルドルフ・ジルヴァ・ハイリヒ」


自分の名が呼ばれた。


『僕の番か……』


震えそうになる足を叱咤し、僕は立ち上がった。

周囲の視線が一斉に突き刺さる。ジルヴァ一族の召喚、それも教会の重鎮の嫡男。

期待に満ちた眼差しが、鉛のように重かった。

召喚陣に向かう一歩一歩が、異常に長く感じられる。


『集中しろ……集中するんだ……』


そう自分に言い聞かせても、瞼の裏にはまだキオ様の姿と、あの竜人が焼き付いている。夜空の翼、深い紫の瞳……。


『違う……! 今は、僕自身の召喚に集中しなけれ……!』


魔法陣の中心に立ち、アーデルハイト先生の優しい声を聞いた。


「深呼吸をして、ご自分の魔力を感じてください」


僕は言われるがままに目を閉じ、深く息を吸い込む。自分の内にある魔力を探る。それは、ジルヴァ一族に代々受け継がれてきた、清らかな白銀色の光。


『神よ……どうか、この僕に相応しい、聖なる精霊を……!』


心の中で強く祈りながら、魔力を解放していく。すると――。


足元の召喚陣が、まばゆい輝きを放ち始めた。清浄な白い光。いや、白だけではない。荘厳な金色が混ざり合い、さらに虹色の光彩が加わっていく。


『これは……!』


光はますます強くなり、周囲からどよめきが起こるのが聞こえた。


「なんて神々しい光……」

「白と金、そして虹色……?」


光の渦が立ち上り、その中に荘厳な何かの輪郭が浮かび上がる。最初は曖昧だった影が、徐々にはっきりと形を成していく。


そして――僕は息を呑んだ。


そこに現れたのは、天使だった。

いや、天使という言葉ですら陳腐に聞こえるほど、神々しい存在。

成人男性ほどの背丈。短く綺麗に切りそろえられた純白の髪は、見る者に清潔な印象を与える。穏やかな光を湛えた金色の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめている。そして何より目を奪われたのは、その背から広がる八枚もの翼。純白の羽根が一枚一枚、大広間の光を受けて神々しく輝き、まるで聖典から抜け出してきた神の使いそのものだった。


「天使……」

「八枚の翼……上級天使型精霊だ!」


広間から、驚嘆と畏敬の声が上がる。僕は声も出せず、ただその神々しい姿に見入っていた。


天使はゆっくりと僕に歩み寄る。その動きは雲の上を滑るように優雅で、静謐さに満ていた。そして、僕の目の前で立ち止まると、ふわりと微笑んだ。それは、あらゆる罪を赦し、心を洗い清めるような、慈愛に満ちた笑顔だった。


「私はルシエル。光と浄化を司る者」


その声は、まるで天上の音楽のように美しく、僕の心に染み渡った。


「あなたの清らかな心と、神への揺ぎない献身に惹かれて参りました」


その言葉を聞いた瞬間、僕の目から涙が溢れ落ちた。


『神が……僕の祈りを、お聞き届けくださった……』


これこそが、僕が心の底から望んでいたもの。清らかで、神聖で、美しい、絶対的な光の存在。この方となら、キオ様へ向かうあの不浄な感情を、きっと浄化できるはずだ。


「ルシエル……様……」


僕は震える声で呼びかけた。


「私のような者で、よろしいのですか……」


「もちろんです」ルシエルは優しく微笑む。


「あなたは神に仕える者として、実にふさわしい魂をお持ちだ。純粋で、献身的で、そして正しい秩序を深く愛している」


その言葉に、僕は心の底から救われたような気持ちになった。


『そうだ……僕は、正しい道を歩んでいるのだ……』

『先ほどの感情は……あれは、神がお与えになった試練だったに違いない……』


ルシエルが、そっと白い手を差し伸べる。

僕もまた、おそるおそる手を伸ばした。


二つの手が触れ合った瞬間――温かく、清らかな光が奔流となって二人を包み込んだ。白と金の光が大広間を満たし、見ていた生徒たちの顔を神聖な輝きで照らし出す。


「契約成立です。おめでとうございます、ハイリヒさん」


アーデルハイト先生の声と共に、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


「さすがはジルヴァ一族……」

「上級天使型精霊とは、とんでもないな……」


賞賛の声の中、僕はルシエルと共に自席へと戻った。


『これで……僕はもう大丈夫だ……』

『ルシエル様が、共にいてくださる……』

『あの不浄な感情も、この聖なる光で必ず浄化できる……』


そう信じ、僕は深く安堵の息をついた。


僕の隣に立つルシエルは、神々しい微笑みを絶やさない。八枚の純白の翼が、光を受けてきらきらと輝いている。その姿は完璧だった。聖典に描かれた、慈悲深き光の御使いそのもの。

清らかで、神聖で、一片の曇りもない。



ルドルフも。セレネ様も。アーデルハイト先生も。専門家であるベゼッセン先生でさえ。誰一人として、その微かな染みに気づくことはなかった。




ルシエルは変わらず、慈愛に満ちた笑みを浮かべている。その金色の瞳は温かく、声は天上の音楽のように美しい。完璧な、光の精霊。誰もが、そう信じて疑わなかった。




「これから、よろしくお願いします。ルシエル様」


感激に声を震わせながら言うと、ルシエルは穏やかに頷いた。


「こちらこそ、ルドルフ」


その声には、何の邪気も感じられない。儀式が続く中、僕はルシエルを見上げながら、心に固く誓った。


『この御方と共に、僕は正しい道を歩む』

『生涯をかけて、神への献身を貫く』

『そして……あの不浄な感情を、必ずや浄化してみせる』


すると、ルシエルが優しく語りかけてきた。


「ルドルフ。あなたの心の苦しみ、私には分かります」


「ルシエル様……」


「大丈夫です。私が、あなたを光へと導きましょう」


その言葉に、僕は心からの安堵を覚えた。


『やはり……この御方は僕を理解してくださる。神がお遣わしになった、導きの光なのだ……』

「ありがとうございます……」


涙声で答えると、ルシエルは優しく頷き返してくれた。その姿は、まさしく救いの象徴そのものだった。


やがて、全ての生徒の召喚が終わった。

広間には、人型、動物型、光の球体といった多種多様な精霊たちが溢れている。その中でも、キオ様の傍らに立つ竜人と、僕の隣にいる八枚翼の天使は、ひときわ大きな存在感を放っていた。


ベゼッセン先生が締めくくりの挨拶をする。


「皆さん、おめでとう。これから、それぞれの精霊との絆を大切に育んでいってください」


廊下に出ると、セレネ様が待っていた。


「ルドルフ様、素晴らしい精霊様でございますね」


「ありがとうございます。セレネ様こそ」


僕たちは互いの精霊を称え合った。大地と癒しの精霊と、光と浄化の天使。どちらもジルヴァ一族に相応しい、神聖な上級精霊だ。周囲の生徒たちが向ける羨望の眼差しが、誇らしかった。


『これで、僕は認められた。神に認められたのだ。これが、僕が正しい道を歩んでいる証なのだ』


その時、ふと視線の先に、友人たちに囲まれて歩くキオ様の姿が入った。隣には、あの竜人がいる。


その光景を目にした途端、またしても胸の奥に熱いものが込み上げてきた。だが、今度は前とは違う。


『ルシエル様が、共にいてくださる……』

『だから、大丈夫……』

『この感情も、必ず浄化できるはずだ……』


僕の葛藤を読み取ったかのように、ルシエルが優しく微笑む。


「ルドルフ、前を向いて歩きましょう」


「……はい」


キオから視線を逸らし、真っ直ぐに前を向いて歩き始めた。










誰も、気づかなかった。

八枚ある翼のうち、一番下、その右翼。幾重にも重なった羽根の、ほんの先端に。

まるで、純白の絹地に誤ってインクを一滴落としてしまったかのような、ごく小さな黒い染みがあることに。


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