間話7 セレネ視点「温かな光と神の顕現(本編第23話)」
時は再び現在
精霊召喚の儀式。
それは、この学び舎に入学した一年生全員にとって、自らの運命を大きく左右する、たった一度きりの特別な儀式。
もちろん、私、セレネ・ジルヴァ・マジェスタにとっても、人生で最も大切な日の一つ。
どんな精霊様と出会えるのだろう。
期待に胸が膨らんで、昨夜はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。
そして、胸が高鳴る理由はもう一つ。
今日は、キオ様の召喚の儀を、この目で見ることができる。
お父様から伝え聞いた、特別な御方。
黒竜の血を最も濃く引く、神聖な血統の持ち主。
キオ様は、一体どんな精霊様をお呼びになるのかしら。
きっと、その御方にふさわしい、誰よりも素晴らしい精霊様に違いありませんわ。
高い天井から吊るされた壮麗なシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に光の模様を描き出す、召喚大広間。
私は最前列に設けられた特別席に座り、静かにその時を待っていた。
丁寧に結い上げた白銀の髪。
神聖な儀式に臨むにふさわしい、シルクの艶が美しい最高位の礼服。背筋を伸ばし、完璧な装いで儀式を見守る。
教会の出であるジルヴァ一族はみな礼服で参加していた。
私の心はただ一点への期待で満たされていた。
『キオ様は、どんな精霊様を……』
ふと、お父様の言葉が脳裏に蘇る。
「セレネ、忘れるでない。キオ・シュバルツ・ネビウス様は、黒竜様の血を最も濃く引く家の方だ、我らとは次元の違う御方だ」
お父様の厳かで、けれど確信に満たた声が、私の胸に深く刻まれている。
「お前は白銀竜の血を引きし聖女。いずれ、キオ様を支えるべく定められた存在なのだよ」
その瞬間から、キオ様は私の中で、単なる憧れではない、絶対的で特別な存在になった。
いつか私が、その半身となってお仕えすべき、唯一無二の御方。
だから今日という日が、これほどまでに待ち遠しかったのだ。
厳かな鐘の音と共に、儀式が始まった。
名前を呼ばれた生徒が一人、また一人と中央の召喚陣に立ち、自らの魔力で精霊様を呼び出していく。
炎をまとった小狐、水の衣をひるがえす少女、歌うように浮遊する光の球体。
召喚陣から現れる精霊様はどれも個性的で、契約を結んだ生徒たちの顔には満面の笑みが咲いている。
『すごい……皆様、とても嬉しそう』
元気いっぱりに飛び跳ねる火の精霊様、優雅に微笑む水の精霊様。みんな、自分のパートナーとなる人を見つけ、喜んでいるように見える。
『私の元に来てくださる精霊様は、どんな方なのだろう……』
胸の奥が、期待できゅっと締め付けられる。
私はそっとドレスの上で両手を組み、祈りを捧げた。
『どうか、私にも素敵な出会いがありますように』
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
「セレネ・ジルヴァ・マジェスタ」
凛とした声で、私の名が呼ばれた。
『ついに……私の番!』
すっと立ち上がり、静かに召喚陣へと歩みを進める。
特別席から動いた私に、広間にいる全ての視線が突き刺さるのを感じる。けれど、不思議と緊張はなかった。
期待が、他の全ての感情を塗りつぶしていたから。
魔法陣の中心に立つと、アーデルハイト先生が、優しい眼差しで微笑みかけてくれた。
「リラックスして、深く呼吸を」
「はい……」
先生の言葉に従い、そっと瞳を閉じる。
意識を自分の内側へと深く沈めていくと、そこにある、ジルヴァの一族に流れる白銀の魔力を感じた。清らかで、静謐な光の奔流。
それを、祈りと共に、ゆっくりと解き放っていく。
すると、足元の召喚陣がまばゆい光を放ち始めた。
白と金色が柔らかく混ざり合った、温かくも神々しい光。
光の柱の中心で、何かの輪郭が形作られていくのが分かった。
『来てくださる……!』
心臓が、とくん、とくん、と大きく脈打つ。
光が収束し、その中心に現れたのは、息を呑むほどに優美な精霊様だった。
私より少しだけ背が高く、透き通るような白銀の髪が光を弾きながら腰まで伸びている。私を見つめる瞳は、芽吹いたばかりの若葉のように優しい緑色。
その方の周りには、小さな光の粒子がきらきらと舞い踊っていた。
白と緑を基調とした柔らかな衣をまとい、その手には小さな杖が握られている。
「……美しい」
思わず、心の声が口から漏れた。
精霊様は、ふわりと微笑み、私の前まで静かに歩み寄る。
そして、鈴を転がすような、清らかで優しい声が私の耳に届いた。
「私はテレシア。大地と癒やしを司る精霊です」
その声は、春の大地のように温かく、私の心を優しく包み込む。
「あなたの心の清らかさと、人々を癒やしたいという願いに惹かれて参りました」
「私の……心に……?」
「はい。あなたは、とても優しく、純粋な魂をお持ちです。その力で人々を癒やし、支えたいと願っている。だから、私はあなたの力になりたいと思いました」
テレシア様の温かい言葉に、視界がじわりと滲んだ。
この方は、私の内面を見て、選んでくださったのだ。
『私を……認めてくださったのね……』
「テレシア様……私のような者で、本当によろしいのですか?」
「もちろんです。あなたは神に仕える者としてふさわしい魂を持ち、そして、私の司る大地と癒やしの力を、誰よりも必要としている方です」
そう言って、テレシア様が白く細い指先を、そっと私に差し伸べてくださる。
私も、導かれるように、震える手を伸ばした。
二つの手が触れ合った瞬間——。
春の陽だまりのような温かい力が流れ込んでくる。それは、全てを育む大地そのものの優しさだった。
私たちを中心に、緑と白の光が螺旋を描きながら天へと昇っていく。
「契約成立です。おめでとうございます、マジェスタさん」
アーデルハイト先生の声と同時に、広間から大きな拍手が沸き起こった。
「上級精霊だ……!」
「さすがはジルヴァ一族の聖女……大地と癒やしの精霊様とは、まさにふさわしい」
周囲のざわめきが聞こえるけれど、私の瞳は、目の前のテレシア様だけを映していた。
「これから、よろしくお願いいたします。テレシア様」
「こちらこそ、セレネ様」
テレシア様が、花が綻ぶように微笑んでくださる。
その笑顔があまりにも優しくて、私も自然と笑みがこぼれた。
席に戻ると、テレシア様は音もなく私の隣に寄り添ってくださった。
優しい微笑みを浮かべたその姿は、幻のようでありながら、確かな存在感を放っている。
『なんて素敵な精霊様なのでしょう……』
心の中で、何度もその言葉を繰り返す。
大地と癒やしを司る、上級精霊のテレシア様。
ジルヴァの一族が得意とする治癒魔法と同じ属性を持つ、これ以上ないほど心強いパートナーだ。
『私を選んでくださり、本当にありがとうございます』
心の中でそっと感謝を伝えると、テレシア様がふっと微笑んだ。
まるで、私の心が聞こえているかのように。
他の生徒たちの儀式が続く中、私の胸は期待で張り裂けそうだった。
そして、ついにその時が訪れる。
「キオ・シュバルツ・ネビウス」
その名前が響いた瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
『キオ様……!』
息を呑み、知らず知らずのうちに身を乗り出していた。
キオ様が静かに立ち上がり、召喚陣へと歩いていく。
ただそれだけの所作が、なぜこれほどまでに洗練されているのだろう。目が、離せない。
夜空の色を溶かし込んだような黒髪がシャンデリアの光を受けて深く艶めき、神秘的な紫の瞳は静かな湖面のようだった。
『一体、どんな精霊様が現れるのかしら……』
胸の高鳴りが、先ほどよりもずっと速く、そして強くなる。
キオ様ほどの方が呼び出すのだから、きっと、想像を絶するほど素晴らしい精霊様に違いない。
キオ様が召喚陣の中心に立ち、すっと目を閉じる。
魔力が解放された、その瞬間——。
広間の空気が、一変した。
まるで分厚いビロードに肌を撫ぜられるような、濃密で重いプレッシャー。
その場にいる誰もが息をすることを忘れ、ただ一人、キオ様の存在感に圧倒されていた。
キオ様の周りに、夜空の色をした魔力が渦を巻き始める。
それは、今まで見てきたどの生徒の召喚よりも、比較にならないほど濃密で、深く、そして吸い込まれそうなほどに美しい魔力の奔流だった。
「すごい……」
私の隣に立つテレシア様が、小さく呟く。
魔力の渦は次第に激しさを増し、召喚陣が放つ光はもはや直視できないほどに強くなっていく。
「なんて魔力……」
「規格外だ……」
生徒たちの間から、そんな囁きが聞こえてくる。
けれど、キオ様の召喚はまだ終わらない。
光が最高潮に達した、その時——。
召喚陣の中に、巨大な影が現れ始めた。
最初はただの黒い輪郭だったものが、徐々に、はっきりとした形を成していく。
そして——。
「あ……」
私は、自分の喉から漏れた声にならない声を聞いた。
光が収束し、その中心に現れた影を見て、息を呑む。
それは、神話にしか存在しないはずの——竜の眷属である竜人だった。
強靭な肉体。
背中から広がる、夜の闇そのものを切り取ったような巨大な翼。
猛々しい角が天を突き、力強い尾が一度、床を打つと、地響きのような低い音が響いた。
その顔立ちは人に近いようでいて、けれど、その鋭い眼光と圧倒的な威厳は、明らかに我々とは異なる次元の存在であることを示している。
『竜人……?』
まさか。精霊召喚の儀で、本物の竜人が現れるなんて。
広間全体が、驚きと畏怖に包まれた。
『キオ様は……本当に特別な御方なのね……』
涙が溢れそうになる。
お父様の言葉は真実だったのだ。
キオ様は、本当に、神に最も近い存在。
だからこそ、精霊ではなく、竜人様が呼び声に応えたのだ。
静まり返った広間に、低く、けれど腹の底まで震わせるような威厳のある声が響き渡った。
「俺はスバル。契約は成された。俺がお前を守ってやろう」
その声には絶対的な力が宿っていたが、不思議なことに、キオ様へと向けられる響きには、どこか優しさが含まれているように感じられた。
キオ様を必ず守るという、揺るぎない意志。
『素敵……』
心からの言葉が、胸の奥で静かに溶けていく。
キオ様と、あの竜人様との間に結ばれた絆。
それはきっと、他の誰にも理解できない、神聖で特別なもの。
やがて、誰からともなく始まった拍手は、次第に大きくなっていった。
しかしその音には、称賛だけでなく、明らかな畏怖の色が混じっている。
誰もが、キオ様とスバル様という二つの圧倒的な存在に、ただただ打ちのめされていた。
キオ様が席へと戻ってくる。
その隣を歩くスバル様の姿は、神々しいとさえ思えた。
私は、そのお姿から、一瞬たりとも目を離すことができなかった。
「あの方は……特別な存在なのですね」
私の隣で、テレシア様が小さく呟いた。
「はい……キオ様は、とても、特別な御方です」
「あなたは、あの方のことを……」
テレシア様の優しい緑の瞳が、私をまっすぐに見つめる。
「……憧れております」
正直な気持ちを、そのまま口にした。
「あの方は、神に最も近い存在。私は、いつかあの方をお支えできるような、立派な聖女になりたいのです」
私の言葉に、テレシア様は優しく微笑んでくださった。
「あなたらしい、純粋で素敵な願いですね」
「テレシア様……」
「大丈夫です。セレネ様なら、きっとその願いを叶えることができます。私も、全力であなたをお支えしますから」
テレシア様の言葉が、温かい光のように私の心に灯った。
その後も儀式は続いた。
王族であるオーウェン・ゴルト・リンドール様が、陽光をそのまま固めたような金色の体毛を持つ、誇り高きグリフォンを召喚された時は、広間が大きく沸いた。神獣級のグリフォンは、威厳に満ちた姿でオーウェン様の傍らに控えており、まことに王族の方にふさわしい光景だった。
でも、私の心は——
キオ様のことでいっぱいだった。
あの竜人様を従える、圧倒的なお姿。
キオ様は、本当に、他の誰とも違う特別な御方なのだ。
『いつか……いつか私も、キオ様のお役に立てる聖女に』
けれど、そんなことを考えていると、少しだけ胸に小さな疑問が浮かぶ。
『キオ様は、平民の方たちと親しくされているのよね……』
もちろん、身分で人を分け隔てなさらないのは、とても素晴らしいこと。
でも、あれほどまでに特別な御方が、なぜ……。
もしかしたら、キオ様はあまりにもお優しすぎるのかもしれない。
その優しさが、いつかキオ様ご自身を苦めることにはならないだろうか。
『私に、何かお支えできることはないかしら……』
でも、その答えはすぐには見つからない。
今はまず、テレシア様との絆を深め、聖女として一人前になることが先決だ。
『頑張りますわ』
心の中で、強く自分に誓った。
やがて全ての儀式が終わり、生徒たちが広間から退出を始める。
私もテレシア様と共に、ゆっくりと席を立った。
廊下を歩きながら、ふとキオ様の方に目を向ける。
何人かのご友人に囲まれ、話をされている。
隣にはスバル様が控えているが、その圧倒的な存在を前にしても、キオ様はとても自然体のように見えた。
『キオ様……』
いつか、直接お話しできる機会が訪れたらいいな。
神に仕える聖女として、この敬意をお伝えしたい。
でも今はまだ、遠くからそのお姿を見守ることしかできない。
そのいつかを夢見て祈り続けるのだった
最後までお読みいただきありがとうございます。
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